出奔
屋敷に到着するも当然扉は自ら開ける。
エスコートをしてくれる人物もいないので、一人勢いよく降り急いで部屋を目指す。
事前に準備してあった荷物をベッドの下から取り出し、誰にも気が付かれていないのかをバッグの中を見て確認。
「問題なさそうね。なら、もうここにも用は無いわ……あっ、忘れてた……」
制服のままであるのを思い出す。
ドレスよりかは動きやすいが、貴族が多く通う制服姿で町を歩けば目立ってしまう。
まだ明るいとはいえ制服姿で一人予備知識の無い場所を歩き回るのは危険というのを今回は分かっている。
それでも私には悠長に着替えをしている時間はない。
「早くしなくちゃっ」
いつマイヤが現れ、あの男に気付かれてしまうか…
誰にも気が付かれる前に屋敷を出て行くのが私の理想。
喩え見つかったとしても私があの男に引き留められるなんて思っていない。
あの男なら喜んで私を追い出すのを知っている。
引き止められることを心配しているんじゃない。
荷物の中の宝石を奪われるのではないかと心配している。
「私の当面の生活費なんだから……死守しないと」
急いで制服の上からあの日拾ったローブを羽織る。
バッグを持って誰にも気が付かれないように屋敷を出ていく。
まだ明るく、歩いて貴族街を抜ける。
王都まで辿り着ければ、乗り合い馬車を利用しこの国を脱出できる。
「しまった……」
使用人達が使う門から抜けようと試みるが、公爵家の出入り口には門番が待ち構えていた。
ここで見つかれば折角の私の家出が計画が終わってしまう。
どうしようか悩むもここは正面突破だと思い、馬車で抜け出すことにした。
嫌々私の御者を押し付けられている男を探す。
「ねぇ、王都まで急いで行ってくれない?」
王都まで走ってくれるよう頼む。
男の顔は、隠すことなく『何で俺がお前なんかの命令を聞かなきゃならないんだ』と表情に出ていた。
「これで、急いで」
私が盗んできた宝石の一つを渡す。
「仕方ないですね……早く乗ってください」
男は仕方なく走ってくれる事に。
馬車に乗り込み堂々と私は公爵家を出ていく。
ローブを脱ぎ門番にも顔を晒せば、問題なく門が開く。
もうこの人達と会うことはないんだと思い隠れることなく彼らを見ることも出来た。
『何でこんな奴のために俺が扉を開けなきゃいけないんだ』
『パーティーには遅刻だろう?』
『遅れても行くだなんて……』
『二度と戻ってくるな』
声が聞こえてきたのは気のせいではないだろう。
屋敷を出てすぐは学園と同じ方向だが、途中から道が変わる。
門番はきっと私が再びパーティーに参加でもするんだろうと、深くは考えていない。
誰も私に興味はないので、すぐに彼らの視界から私は消える。
それでいい。
私は知らなかったが、貴族街から王都まで馬車でもかなりの距離があることを知った。
屋敷から出たことのない私には、王都まで向かっている間に誰かに目撃されてしまっていただろう。
多少のリスクは有っても、いち早く屋敷から離れたこの作戦は成功といえる。
貴族街を抜け王都に入る。
再びローブを羽織り馬車を降りる。
「おいっ、どのくらいで終わるんだ?」
私が何も言わずに歩きだすと、御者に呼び止められた。
彼は私が買い物にでも来たと思っているのだろう。
そして、相手が誰であろうと御者としての勤めを果たすべく、いつ迎えに来れば良いのかを尋ねた。
「…貴方はもう帰って良いわ」
「ああ? 何言ってんだ?」
「私の事は学園に送ったと言っておいてください。ここまでありがとう…さようなら」
私は彼にそう告げ小走りで人混みに紛れ乗り合い馬車を探す。
御者の彼が慌てて私を探すとは思えないし、心配するとも思ってない。
あの男も私が消えたら消えたとして問題ないとしか思っていない。
この後、御者が私を手助けしたことで咎められることはないだろう。
過去、私を追い出したのは公爵なのだから。
「まずは、お金よね」
今回の私には軍資金が無いので、持っている宝石をお金に換えるところから始めなければならない。
「ここかしら?」
買い取り出来る店を探す。
「いらっしゃい」
「これを査定して頂けますか?」
袋の中に手を突っ込み、取りやすいものを一つ査定してもらう。
宝物庫にあるお母様の宝石には何の思い入れもないので、手放す感情に揺すぶられる事なく要らないものを処分するように鑑定を依頼。
店主が時間を掛けて鑑定しているように思えるので、金額に期待してしまう。
「…これは…良くできた偽物ですね。素材として買い取りますので…金貨十五枚と言ったところですかね」
「…ははっ」
店主の言葉につい笑ってしまった。
あの男はお母様を愛していて、お母様の命を奪った私を憎んでいたと話していた。
それなのにお母様に贈った物は『偽物』。
これがあの男の本性なんだと知る。
私は愛されていなくても、お母様だけは愛されているんだと思っていた。
それすらも嘘。
あの男が愛していたのはローレルのお母様だけ…
「他はどうか分からないが、他所でもそう変わらないと思うよ…もし、他にもあるならうちで全て買い取るよ」
自嘲気味に笑う私に何か察したのか、店主は優しさを見せる。
それも良いかもしれないとは思ったが、宝石一個で金貨十五枚になり他のを頼むと重りが増えていくと考え断った。
今は隣町に行けて多少何か食べ物を買える金貨さえあれば充分。
「いえ、もう結構です」
私が店主の優しさを断ると、おじさんは『…そうかい』と言って悲しげな表情を見せる。
私は今後の逃亡資金を手に入れた喜びで金貨を握りしめる。
「何かあればうちで買い取るからね」
この街を出る私としては、もうこの店を訪れる事は無いだろう。
「ありがとうございます」
とても順調に事が進んでいる。
私はあの男に見つかることなく公爵家から脱出し、金貨まで手に入れる事に成功。
一歩だが、私は自らの意思で自由を掴み取った気分。
周囲を確認しながら歩いていると髪を買い取ってくれる店を発見。
これからお風呂もまともに入れない私に長い髪は邪魔でしかない。
少しの躊躇いはあったが、過去を忘れる為にも決意してお店に入る。
「いらっしゃい」
私が扉を開け私の存在を認識した店員に笑顔で受け入れられ、流されるまま椅子に座り髪を切る。
「日常で邪魔にならない長さまで切ってほしいんです…ん~肩ぐらいでしょうかね」
「…分かりました。…この辺でしょうか?」
私の要望を聞くと何かを察した店員は肩より数センチ長めの所を指で挟み鏡越しで確認する。
「もう少し短くても良いかもしれません」
「…これ以上だと、誤解を招く可能性がありますよ」
「誤解ですか?」
「はい」
聞くと、罪人として首を落とされる時に女性は肩よりも短く切られる。
肩より短くするのは誤解を招きお薦めしないと言われた。
「…罪…」
私には相応しい言葉のように感じた。
店主が私を心配するように覗き込む。
「どうしましょうか?」
「…では、出来る限り短くでお願いします」
店主に任せることにし、店主は切り始める。
「…出来ましたよ」
確認すると肩よりも少し長めで切り揃えられていた。
生まれて始めての短さに違和感があったが、今思えば長い髪は私を縛りつける鎖のようだった。
「軽いっ」
軽くなった事で、少しずつ解放されていくように感じる何度も首を振る。
気分が変わり、色んな人に尋ね隣国へ向かう乗り合い馬車を探す。
髪を切った事で、積極的になれた。
「隣国への直通馬車は無いよ」
「ない?」
「遠すぎるから何度か乗り換えが必要だよ」
「乗り換え……分かりました」
「あそこの馬車があるだろう? あれに乗って、また現地で聞くと良い」
「そうなんですね。ありがとうございます」
教えられた馬車乗り場へ向かう。
馬車は三つ隣の町に向かうので乗車。
それでも、かなりの時間を必要とする。
乗り合い馬車には既に数名の乗客がおり、私の後にも何名か乗車。
私は周囲に迷惑を掛けないよう鞄を膝の上に置く。
窃盗の心配と漠然とした不安から荷物を抱き締め俯き顔を隠す。
平民の中で私を知る者はいないと分かっていても、目撃者は少ない方が何かと安全。
だからといって眠るのも不安で、聴覚だけは研ぎ澄まし不穏な会話をされていないかだけは気を付けた。