試験勉強…
卒業資格試験が近い事に漸く気が付いたのか、ローレルも真剣に勉強を始める。
過去と比べると、鬼気迫る様子。
「もしかして……ローレルも卒業試験で点数を買っていたりして?」
私が必死に努力し上位を争っても認める事はないが、愛する人の娘の為であれば不正に手を染めることも厭わないのか……
「……私が首席を取っても認められないわけよ……」
あの男にとって成績や優秀さなど関係ない。
ただ、私が嫌われていただけ。
「…あはは…馬鹿みたい…」
過去の私はどこまでも無駄なことをしていたんだと思い知らされる。
もしかしたら今回の人生は視野を狭くし何も見えていなかった私に、真実を見せる為の神が与えたやり直しの人生なのかもしれない。
「ここの道なら誰にも気づかれないかな?」
屋敷内を散歩しながら家出する時の逃走経路を確認していた。
堂々と門から出るつもりだが、何が起こるか分からないので何通りか予備の経路も用意している最中。
使用人しか通らないような通路も確認すると、ゴミ置き場が目についた。
一度屋敷中のゴミを一ヶ所に集め、食べ物の廃棄は地面を掘り埋めて、他の物は燃やしてしまうらしい。
ゴミを漁るのは通常の貴族令嬢であれば躊躇いはあるんだろうが、過去に落ちたパンも食べたことのある私には何て事無かった。
「これ使えそう」
ゴミを漁った甲斐もあり薄汚れたローブを発見。
所々穴が開いてはいたが使えないこともない。
男性用なのか、羽織ると足首まであり大きかったが完全に私という存在を隠してくれるので都合がいい。
私は誰にも見つからないようにローブを抱え部屋まで持ち帰る。
そんな所をローレルに見付かるのだけは嫌なので、かなり慎重に部屋まで戻った。
「どこに置いておこう……」
部屋に戻ってからはローブの隠し場所に悩んだ。
クローゼットにしまっても良いが、誰かに見られたら面倒。
私がいる時は当然誰も入らないが、私が居ない時誰が入っているのかなんて分からない。
私に隠せる場所なんてベッドの下くらいしかない。
「仕方ない、せめて小さくして視界の隅に……」
クローゼットに畳んで置いておくしかなかった。
数日して、私付きのマイヤがクローゼットを開けているのを目撃し息を止めたがローブには触れず扉を閉めたので事なきを得た。
「良かった」
その後確認するもローブが捨てられる事はなかった。
卒業と同時に屋敷を出る予定だが、色々準備が必要。
必要な物は何かをまずは考えなければならい。
「何が必要なんだろう……」
外出すらした事のない私には、何があればいいのかも難易度が高い。
「ニルヴァーナ・キャステン公爵令嬢も試験勉強ですか?」
突然声を掛けて来たのは王子の側近を狙っている候補の一人。
ローレルと王子と共にいるのを何度か目撃した事はあるが、私とは直接会話をするのは初めての令息。
「……いえ……」
悩み事をしているがそれは試験勉強ではない。
「あっ、名乗り遅れました。僕はトレビー・マグドイア。マグドイア伯爵家の次男です」
「そうですか」
「卒業試験も近いので多くの者が図書室で勉強したり、教室では意見交換していますが令嬢は参加されていませんよね?」
「……その様な場は私には不釣り合いなので……」
「そんなことありませんよ。なんなら、僕が皆に令嬢を紹介しますよ?」
「いえ、私は結構です」
「……令嬢は、お一人で勉強されているんですか?」
「はい」
「キャステン公爵令嬢は努力している姿を見せず素晴らしい結果を残し、周囲に多大なる影響を及ぼす……とてもミステリアスですね」
「……はぁ……?」
ミステリアス?
よく分からない。
そんな風に言われたことは、過去を含めても一度もない。
『公爵令嬢という立場に必死にしがみつくしか出来ない憐れな女』それが私への周囲の評価。
「ぁっ……」
思い出した。
「どうしました?」
心配し私を覗き込む彼の声には覚えがある。
「あっ……いえ、何でも……」
そう、過去の私に『憐れですね』と、口にしたのは彼。
彼はいつも私に対して
『恥ずかしくないんですかね?』
『ローレル様がお可哀想に……』
『学園に相応しくないと気が付かないんですかね?』
すれ違い様に吐き捨てる人。
人の顔を見るのが怖くて彼の顔では気付かなかったが、声は覚えていた。
そんな人が私に声を掛けてくるなんて。
『ミステリアス?』これは、良い意味ではなく、不思議・不可解というような『何を考えているのか分からない女』と言いたいのかもしれない。
「僕はこれから図書室で試験勉強するつもりですが、令嬢も一緒にどうですか?」
何故、彼が私を誘うのかが分からない。これはローレルによる罠なのだろう。
「……いえ……私は遠り……ょ……」
「キャステン公爵令嬢もラルフリード王子の婚約者を目指しているんですよね? 僕ならお役に立てますよ?」
初めて見る彼の笑顔に恐怖を感じた。
私の意思など初めからどうでも良いように彼は自身の提案を口にする。
きっと有力な王子の婚約候補者全員に「協力する」「役に立てますよ」と声を掛けているに違いない。
「……私は……遠慮しておきます」
「どうしてです? 信じられないなら今すぐにでも生徒会室に……」
「お断りします」
「ですが婚約者を目指すなら早い方がっ」
「いいえ。私は……義妹のローレルの方が相応しいと思っていますから。それは令息も同じなんですよね? だから、ローレルの味方となってくださっている……違いますか?」
ローレルを引き合いに出せばこれ以上彼が私と王子を引き合わせようとはしないだろう。
「残念ながら僕から見てローレル嬢は見込みがありません」
「……えっ……と……それは何故でしょうか?」
はっきりと『見込みがない』と言われるとは思わなかった。
本人の強い意志や側近候補を取り込む行動力などは他の令嬢に比べ抜きん出ていると感じる。
ローレルの知識、教養については令嬢達と比べ劣ると言えるが、過去はそれでも王子の婚約者になったのだから問題ないはず。
それなのに、今回は何故見込みがない?
ローレルの何が変わった?
「ニルヴァーナ嬢とお呼びしても構いませんか? キャステン公爵令嬢だとローレル嬢と混同してしまうので」
この男に名前を呼ばれるのに鳥肌が立つが、今は耐えるしかない。
彼の言葉通りキャステンでは、ローレルなのか私なのか分からないので仕方がない。
「……はい、どうぞ」
拒絶が出来ない私に彼はなんだか満足気な表情を見せる。
この男が何を思ってその表情を見せるのか想像が出来ない。
「それではニルヴァーナ嬢。ローレル嬢が見込みがないとされているのは、本人の教養や素質、婚約者候補達への敬意、特筆すべき能力、全てにおいて著しく欠如しているからです」
彼がこんなにもローレルを批判するとは思わず困惑する。
それでも仮令ローレルに近い人物がローレルに対して「相応しくない」と判断したとしても、王族は違う。
彼は知らないだろうが過去を経験した私だからこそ言える。
ローレルは婚約者として王子に選ばれていた。
「……そう……でしょうか?」
「ニルヴァーナ嬢は、義姉という事でローレル嬢を欲目で見ているように僕には思えます。失礼ですが公爵家の内情を噂で聞く限り、ローレル嬢を客観的にニルヴァーナ嬢が判断するのは難しいのではないかと……」
「……喩え私がローレルを客観的に判断できていなくとも、それが何か関係がありますか?」
「はい。今学園内ではローレル嬢よりニルヴァーナ嬢の方が王子の婚約者に相応しいと判断されています。成績や貴族としての立ち居振舞い、そして周囲への影響力に信頼度。全てにおいてどの令嬢よりも優れていると僕は判断しています」
「それは令息の買いかぶり過ぎではありませんか? 誰も私が王子の婚約者候補の一人というのを覚えていらっしゃらないんじゃないかしら?」
「そんなことはありません。多くの生徒はニルヴァーナ嬢を支持していますし、候補者の皆さんがニルヴァーナ嬢の名を出さないのは認めるのは貴族としての矜持が許さず、批判するにも具体例が無いからです。令嬢達もニルヴァーナ嬢に対しては特に、曖昧だったり誤解されるような発言を控えているのです。それ程候補者達もニルヴァーナ嬢を特別視しているんです」
「支持……と言うのは分かりませんが、候補の皆さんが私の名を口にしないのは私の存在を忘れているだけではありませんか? 私は目立つ人間ではありませんので」
「そんなことはありませんよ。特に最近は婚約者候補であるキャステン公爵姉妹を比較することが多いですからね。元々候補者達は一つの家門に候補者が二人存在することに蟠りを抱えていましたから。その不満をぶつける相手にもとより令嬢達の間で悪評が絶えず能力の劣るローレル嬢が最適と判断され、周囲に目を付けられています。王子がそんなローレル嬢を婚約者に選んだ時、周囲からの厳しい視線は避けられないでしょう」
「……はぁ……」
「なのでニルヴァーナ嬢は婚約者として、とても可能性が高いですよ」
マグドイアの微笑みは一見優しくあるが目が怖くて震えてしまう。
あの卒業パーティーでローレルと王子に並ぶように私を見下していた男。
トレビー・マグドイア。
出来るものなら彼にも復讐とまでは言わないが仕返しが出来たらと考えてしまう。