これは夢ではない?
柔らかく、暖かい。
こんな穏やかな気分は初めてかもしれない。
先程まであんなに苦しかったのに、今は苦しくない。
それどころかフカフカの布団に包まれたような幸せな気分。
私は漸く死ねた……
「……ぅんんっふぅ……」
苦痛から解放され笑みが溢れる。
シャッ
カーテンの開く音が聞こえ、やはりこれは夢なんだと知る。
私が潜り込んだ今にも崩れそうな小屋にカーテンなんて贅沢品は無い。
全ては死ぬ瞬間に見せる幻だ。
「……ん゛っんんっ」
「お嬢様っ」
額に手を添えられた感覚がまるで現実のように感じ、驚いて脳が一気に覚醒。
もしかして、誰かが私を迎えに来た?
「……どう……して?」
目覚めると今にも崩れそうな小屋ではなく、見慣れた部屋にいる。
何が起きているのか分からず混乱する。
「……熱を出して倒れたんですが……覚えておりませんか? お嬢様は三日も目覚めなかったんですよ」
私を幼い時から侍女として世話をしていたマイヤは涙声で告げる。
彼女からは本当に心配してくれているように見えるが、私はどこか冷めた目で彼女を見続けた。
「……三日?」
三日倒れたと言われ、ふとあることを思い出した。
「はい……倒れた時の事は……覚えておりますか?」
マイヤは恐る恐る私に尋ねた。
「んっんん」
あれ程息苦しく咳も止まらなかったのに、今は一切感じなかった。
「無理に思い出さずとも結構です。今はまだ休みましょう」
マイヤに水を差し出され、一口含んだ。
「……おいしい」
水を美味しいと感じたのは三日間眠っていただけでなく、数日前まで泥水を啜っていた記憶が鮮明に残っているから。
差し出された水が『美しい』だけじゃなく『美味しい』ことも感じられた。
「……お……父様は?」
「……旦那様にも報告して来ますね」
マイヤは部屋を出て父へ報告しに行き、部屋には一人となる。
ベッドから降りると視界が普段と何か違うように感じた。
数日前まで立ち上がることさえ出来ず、常に壁に凭れていた。
屋敷に戻った途端、咳も息苦しさも無くなるなんて貴族の自覚は無かったがこんなところに現れていたのを知る。
周囲を見渡し部屋の状況を確認するも、部屋自体には追い出される前と変わらないように見える。
「……えっ? なっ……どういう……こと?」
ふと姿見が目に入ると自身の姿が想像と違っていた。
屋敷を追い出された時の私は、学園の卒業パーティーを終えて屋敷へ戻れば有無を言わさず追い出された。
あの時の私は十八歳。
だけど、鏡に映る私はとても十八歳には見えない。
どういう事なのか考えると、頭がズキズキと痛む。
「……お嬢様」
マイヤが戻ってきたが、気まずそうな雰囲気を醸し出している。
この状況は見覚えがあるように感じた。
それに、私の知る父は私がどんなに体調を崩そうと見舞いになど来るような人物ではないので私としては何も傷付かない。
そもそも、あんな別れ方をしたので私がこの屋敷にいることを望まないどころか激怒し再び追い出しそうなもの。
「……何?」
「旦那様は……お忙しいようで……」
私としては『すぐにこの屋敷から出て行け』と言われると思っていたが、予想とは違った。
心配するようにマイヤは私を確認するが、私には居心地が悪い。
「……お嬢様?」
「ねぇ、私は何で倒れたの?」
もしこれが死に行く私の夢でないのであれば、私は過去に戻った事になる。
そんなことが起きたなんて簡単には受け入れられないが、いつの夢を見ているのか知りたい。
「……それはっ……お嬢様は体調を崩し……高熱に魘されておりました」
私が過去に高熱を出して三日間も眠り続けたのは一度だけ。
「不愉快だ。これを二度と私に近付けさせるな」
人に……父にあんな風に見られたのは初めてで、身体が硬直してしまった。
ああいうのを蔑むというのだろう。
憎しみが目から伝わった。
父から受けた言葉を頭が処理するよりも先に、私の視界から父の姿は消えていた。
あまりの出来事に尻餅を付き私は涙を流していた。
会話どころか、ほとんど会った事のない父に嫌われる理由が私には思い当たらず。
これは何かの間違いではないか?
お父様は誰かと私を間違えていると思い込もうとした。
信じたくなかったが、使用人の噂話を耳にし確信してしまう。
『やっぱり旦那様は、お嬢様を恨んでいるのね』
『お嬢様のせいではないのに……お可哀想に』
『きっと、「奥様の命を奪って生まれてきた」と思っているのかもしれないわね。旦那様は奥様の事を今でも愛しているもの』
『そんな……ただ、接し方が分からないだけじゃない?』
『そう思いたいけど……』
私は何も知らなかった。
母の死の原因が私だなんて……
父に愛されたいと必死で振り向いてもらおうとばかり考えていた。
私を生んで三日後に母が亡くなったのは、元から体が弱い人だったのだろうと結論付けていた。
『何でお母様は亡くなったの?』という質問は敢えて聞いてこなかった。
母の死は私が原因だなんて、これっぽっちも頭になかった。
真実を知ったその日。
私は熱を出し朦朧とする頭で侍女に『お父様に会いたい』と口にした。
こんな状況であれば、会いに来てくれると期待して……。
私の言葉を聞いた侍女は急いで部屋を出ていく。
次に扉が開き、侍女が現れるも父の姿は無かった。
父が来てくれなかったのを確認し、私は意識を手放したのを思い出した。