できる悪女の完全犯罪
設定はふんわりご都合主義ですm(_ _)m
◇◇◇以降、王家の影視点
◆◆◆以降、主人公視点となります。
誤字報告ありがとうございます(ノシ_ _)ノシ
婚約者が悪だくみをしているのを聞いてしまった。学園の卒業パーティーで、ありもしない罪を突きつけて婚約破棄をするつもりらしい。でも、彼らの話を聞いて彼女は思った。
これって私の方が「上手く」できるのではないかしら、と。
◆◆◆
私――デュマル侯爵令嬢フローリアはファントシュ王国の王太子ナルシスの婚約者だ。亡き母譲りの艶めく黒髪に菫色の瞳の、ビスクドールのように冷たく整った美貌を持つ。もちろん頭の方も優秀で、学園での成績は常にトップを維持していた。
しかし、そんな私でも婚約者の心を手に入れることは叶わなかった。プライドばかり高い王子は、優秀な私ではなく自分より成績が下の甘言ばかり囁くシャンドフルール男爵令嬢ミレイユを手元に置き寵愛した。
「おまえと違って可愛げがある」
「彼女は優しく、癒やしをくれる。おまえと違ってな」
抽象的で中身のない賛辞を与え、本来の婚約者である私よりいかに不貞相手を持ち上げるかに腐心する。それだけなら、愚かしくてまだ可愛げがあったのだけれど。
罪とも言えない罪やミレイユの証言しかない罪を真実と信じ込み、卒業パーティーで断罪と婚約破棄を企んでいるとなれば、私とて手をこまねいてはいられない。当初はミレイユだけを排除しようかとも思ったけれど。
やれノートを破いた、茶会に呼ばなかった、階段から突き落としただの。こんな下らない虚言でできる断罪なら、自分の方が上手くやれるのではないか、と思ってしまった。
だから――。
私は早速行動することにした。卒業パーティーまで大した時間はない。
私は婚約者の肩書きもあり、生徒会で副会長をしている。生徒会室にやってくると、続き部屋から物音はするものの、執務室には誰もいない。机の上には大切な書類が広げたままになっている。迂闊なことだ。書類整理の傍ら、王子直筆の書類を数枚失敬した。筆跡の手本にするためだ。
書類仕事のついでに学園出入りの業者を変更しておく。学園の備品や消耗品は大口ゆえに商会にとって大変美味しい取引だ。今までは一つの商会が独占しないように、私の手で複数の商会に平等にバランスよく発注していたのだが、それを一つの商会に限定する。
書類仕事を終えると、生徒会室のソファに義弟のチャラチャラしたピアスが転がっているのに気がついた。
侯爵家嫡女の私が王子の婚約者になったことで、デュマル侯爵家は遠縁から養子を迎えた。童顔な義弟シリルは大人っぽく思われたいのか、七宝細工の無駄に目立つピアスを常に身につけている。
断続的な物音の聞こえる続き部屋のドアを無言で一瞥し、ソファに置き去りにされたピアスに視線を戻す。ふと思いついてそれも失敬した。どうせ予備はたくさん持っているのだ。一組なくなったところで気にはしまい。
それから、婚約者の決裁――サインする必要がある書類を取って私は何食わぬ顔で生徒会室を出た。
◇◇◇
帰宅した彼女は、生徒会室から持ち帰った書類を確認し始めた。その中から婚約者であり生徒会長でもある殿下のサインが必要な書類を取り出して、上等な封筒に入れた。
次に彼女は、生徒会室のゴミ箱に捨てられていた書類を一枚一枚確認し始めた。
シャンドフルール男爵令嬢に侍る生徒会役員――宰相子息、騎士団長子息、大商会を営む伯爵令息は、書類仕事ができないわけではないが、よく自己判断で書類を捨てる。ゆえに、ゴミ箱を漁って捨ててはいけない書類がないかチェックするのも彼女の仕事なのだ。こんなことを侯爵令嬢にさせている国は、わが国くらいだろうが。
「フフ……もう、ダメじゃない」
捨てられた書類の間から、書き損じの便箋を見つけて、彼女は困ったように微笑んだ。
筆運びがせっかちな殿下は、書き物をするたびに大量の書き損じを出すのだ。きっとあの便箋も何も考えずに生徒会室のゴミ箱に捨てたのだろう。だが、殿下の使う便箋は王族専用の特別製。不用意に捨てたら悪用される恐れもある。
彼女はクシャクシャになった書き損じ便箋を一枚一枚広げては、暖炉の火で処分した。その眼差しは温かく、少しだけ切なさも見受けられた。
「……ッ」
最後の書き損じを広げた彼女の手がピタリと止まった。紅をひいた唇が震える。ややあって彼女は最後の書き損じを火に焼べることなく、机に置いた。カサリと微かな音を立てた便箋。インクの擦り痕がある便箋には一行、「愛している」とだけ書かれていた。
◇◇◇
翌日も彼女に特に変わった様子はなかった。いつも通りに登校し、授業を受けて、帰宅するために迎えに来た従者と馬車へ向かう。
「あら、ジャン? この馬車、座面がギシギシ言いますわ。壊れかけているのではなくて?」
だが、乗り込んですぐに彼女は馬車を降りてきた。従者は目を白黒させている。
「お友達の馬車に乗せてもらうわ。ジャンはこのまま帰りなさい」
「か、かしこまりました」
畏まるジャンに、彼女は特に気分を害した様子もなく「よくってよ」と言葉をかけて、スタスタと近くの馬車へ歩いていった。
「デボラ様、少しよろしいかしら?」
彼女が声をかけたのは、茶色の髪をクルクルと柔らかなウェーブに巻いた女子生徒だった。
「実は我が家の馬車に不具合が出てしまいましたの。恥を承知でデボラ様の馬車に相乗りさせていただくことはできますかしら?」
「あらまあ、それはお気の毒ですわ。どうぞ」
デボラと呼ばれた女子生徒は快諾したようだ。彼女は笑みを浮かべて女子生徒の馬車に乗りこんだ。
◆◆◆
王族であるナルシス殿下と、その婚約者である私には、護衛も兼ねた王家の影が常に張りついている。常に見られているのだ。めったなことができないように。
だから、敢えて馬車の不具合なんて嘘をついて、デボラの馬車に乗りこんだ。貴族の使う箱馬車とはいえ、それなりのスピードで移動する他家の馬車に影が忍び込む余地はない。
つまり、密談にはうってつけ。
「フフ。いかがかしら? デボラ様」
向かいに座ったデボラ様に先日拾った義弟のピアスを見せて、私は甘く囁いた。ミレイユから義弟を奪いたくないか、と。
「そんなこと……だって私とシリル様では身分が……」
義弟のことが大好きなデボラ様。童顔な男性がお好みなのですって。けれど、デボラ様のお家はお金持ちでも男爵家。資産はあるけど、侯爵家の跡継ぎと縁を結ぶには身分の釣り合いがとれない。今はまだ。
「あの子にちょっとイケナイことをしてもらうの。学園の制服をあの子と同じ金髪の男に着せて、このピアスをつけて、貸し馬車屋にセクレ湖行きの馬車の手配を頼むだけ。もちろん断ってもよろしいのよ?」
結果から言うと、デボラ様はこの取引に乗った。お金持ちで男爵令嬢という身軽な身分の彼女なら、義弟と背格好の似た小者を手配するくらい、造作もないでしょう。
◇◇◇
その次の日、デュマル侯爵令嬢は婚約者である殿下にサインを頼むために、書類を持っていった。
最近はシャンドフルール男爵令嬢と過ごすために、殿下は生徒会の仕事をおざなりにしている。デュマル侯爵令嬢は本来なら殿下が作成すべき書類も整えて、サインだけ要求している。褒められた行為ではないが、こうでもしないと生徒会の業務に支障が出てしまう。頭の痛いことだ。
折悪しく、殿下はシャンドフルール男爵令嬢と共にいた。シャンドフルール男爵令嬢がデュマル侯爵令嬢の姿を見た途端、怯えた様子で殿下の背に隠れ、殿下がデュマル侯爵令嬢に暴言を吐いた。デュマル侯爵令嬢が冷静に殿下を諫め、それに怒った殿下がまた暴言を吐く。しばらく口論が続いたが、デュマル侯爵令嬢はなんとか殿下に書類を受け取らせた。
その三日後、サイン入りの書類が彼女の机に置いてあった。殿下はサインした書類を必ず彼女のもとに返す。書類の提出先――学園長は厳格で知られる王妹殿下である。ナルシス殿下は、王妹殿下が苦手で直接会おうとなさらないのだ。
任務に私情を挟むことはあってはならないことだが、さすがにデュマル侯爵令嬢が不憫だと思う。王妹殿下はデュマル侯爵令嬢にも厳しいのだから。
しかし、なぜかその日以降、デュマル侯爵令嬢の様子が浮ついていた。
◇◇◇
また別の日、彼女は宰相子息カミーユ殿の婚約者であるアマンダ嬢と会っていた。本日はアマンダ嬢の誕生会なのだ。シャンドフルール男爵令嬢のこともあって、彼女はアマンダ嬢の相談によく乗っていたようだ。だからこそ、招かれたのだろう。
案の定というか、パーティーにアマンダ嬢の婚約者であるカミーユ殿の姿はなかった。微笑みながらも憂いを隠せないアマンダ嬢に、彼女は見事なオレンジ色の薔薇の花束を渡した。その明るく華やかな花束に、アマンダ嬢も思わず笑みを零すほどだった。
パーティーの最後に、彼女はアマンダ嬢と同じくパーティーに出席していた騎士団長子息ジスラン殿の婚約者レティシア嬢とマルシャン伯爵令息リュカ殿の婚約者パメラ嬢と、代わる代わる軽い親愛のハグをしていた。
そして――。
学園の卒業パーティーまであとひと月と迫ったある日、彼女は突然姿を消した。
◇◇◇
思えばアレが始まりだったのだ、と後に王家の影であったその男は述懐した。
王太子であるナルシス殿下に毒サソリがけしかけられた。
我々王家の影は、命を狙われた殿下の警護に人員を割かざるを得なかった。なぜなら、容疑者として浮上したのが、騎士団長子息であるジスラン殿であったからだ。ジスラン殿は騎士団の宿舎で南国の珍しいサソリを飼っている。ただ、彼の裏表のない性格から、単に利用された説も否めない。
(だとしたら騎士団の中に……?)
騎士団が絡む謀反なら、騎士団は頼れない。ゆえに、動かせる人員はすべてナルシス殿下につかせた。デュマル侯爵令嬢についていた人員を外して。模範的な令嬢たる彼女なら問題は起こすまいと過信して。
だが、その隙を突かれた。
白昼堂々、下手人は彼女を連れ去ったのだ。デュマル侯爵家に仕える門番の証言によれば、彼女を連れ去ったのは無紋の貸し馬車。彼女は嬉しそうに「殿下に誘われた」と話したらしい。
彼女の部屋の机には、彼女を呼び出す手紙が残されていた。筆跡は……信じられないことにナルシス殿下のそれ。
我々の脳裏を過ったのは、ほんの数週間前に殿下の書き損じを燃やしていた彼女の物憂げな横顔。おそらく他人宛に「愛している」と一行書かれた手紙を燃やせなかった彼女――。
「殿下からいただいたドレスを着たいわ。とびきり美しく支度してね」
その日、彼女を世話した侍女によれば、彼女は実に楽しそうにそう願ったらしい。もうずいぶん前に仕立てた……とうに流行遅れのドレスを着たい、と。
彼女を連れ去った貸し馬車は、その五日後、セクレ湖へ行く途中の崖下で無残な姿で発見された。馬車の残骸の中に、彼女が当時着ていたドレスの一部も見つかった。ドレスには……べっとりと血がついていた。
デュマル侯爵令嬢が殺された。その犯人は――。
◇◇◇
「ちがう! 俺はアレを呼び出してなどいない!」
事件は国王陛下にも速やかに報告され、疑いのかかったナルシス殿下は宮殿の自室に閉じ込められた。殿下は必死に無関係だと主張するが。
デュマル侯爵令嬢を呼び出した手紙は紛れもなく殿下の筆跡。そして、使われた便箋は王家特注のもの。さらに、殿下には動機もある。デュマル侯爵令嬢との婚約を破棄し、お気に入りのシャンドフルール男爵令嬢ミレイユを正妃にしたいと、愚かにも何度も陛下に願っていたのだ。
そして、我々は見ていた。殿下がサインした書類を受け取ってから、デュマル侯爵令嬢が浮ついた様子でいたのを。手紙はあの書類に紛れこませて彼女に届けられたのではないか、と。
だが、事件は予想外の展開を迎える。
調査を進めていた我々は、彼女を誘拐した貸し馬車屋を突きとめたのだが。なんと、貸し馬車を依頼したのは彼女の義弟であるシリル殿だったのだ。貸し馬車屋によれば、依頼人は黒い外套にフードを目深に被っていたが、金髪で珍しい七宝細工のピアスをしていたという。さらに、履いていたズボンはその色から学園の制服であると推察された。
シリル殿もまた、シャンドフルール男爵令嬢に侍っていた一人だ。否、調査の結果、すでに肉体関係もあることが明らかになった。
「よもや、殿下の存在が邪魔になったのか……?」
ナルシス殿下本人が言っていたのだ。卒業パーティーでデュマル侯爵令嬢との婚約を破棄し、シャンドフルール男爵令嬢と婚約すると宣言するつもりだったと。それをシリル殿も知っていたと。
このままでは、深い関係にあるシャンドフルール男爵令嬢が殿下のモノになってしまう。だから、殿下を義姉殺害の容疑者に仕立てようとしたのではないか?
一応、筋は通る。殿下の側近候補たるシリル殿なら、見慣れた筆跡を真似るくらい簡単だろう。
しかし、腑に落ちない。シリル殿はデュマル侯爵家の後継者だ。たとえすべてがうまく運び、殿下からシャンドフルール男爵令嬢を奪えても、身分差から婚姻は難しいからだ。
が、シリル殿が犯行に関わっていたのは事実。罪を問われたシリル殿もまた、必死に容疑を否認したが、彼の無実は証明できず、シリル殿はデュマル侯爵家から除籍され、平民に落とされた。
◇◇◇
事件の新たな情報がもたらされたのは、卒業パーティーの一週間前のことだった。
事件の調査は学園内にも及び、その結果、生徒会の不審なカネの動きが判明したのだ。事件の起きるふた月ほど前に、学園出入りの業者が大きく変更されていたのだ。今までは、複数の商会に発注されていた備品や消耗品類。それが、ふた月前からマルシャン商会専一に変わっている。否、契約書の日付はふた月前だが、商品を卸し始めたのは事件の直後からだ。
(まるで、デュマル侯爵令嬢がいなくなるのを待っていたかのようじゃないか……!)
契約変更の書類はデュマル侯爵令嬢の筆跡だが、本当に彼女が書いたものかは疑わしい。すでにナルシス殿下の筆跡で手紙は偽造されていたのだから。そもそも、デュマル侯爵令嬢は被害者だ。こんなおかしな変更をする理由もないはず。
マルシャン商会は、シャンドフルール男爵令嬢に侍っていた一人であるマルシャン伯爵令息リュカ殿のご実家が営む商会だ。調査を進めると、生徒会の名義で有り得ない品が有り得ない場所に発注されていたことが明らかになった。
「そんな契約書は知らない! サインした覚えもない!」
我々の前で喚いているのは、宰相子息であるカミーユ殿だ。カミーユ殿には横領の容疑がかかっている。
彼は生徒会の予算で女物のドレスやアクセサリー、肌着類などを購入し、ご実家のリュネット侯爵家がセクレ湖畔に持つ別荘に搬入させた疑いが持たれている。また、彼が学園の長期休暇期間にたびたびシャンドフルール男爵令嬢をかの別荘に招いていたことも明らかになった。その場にシリル殿やリュカ殿、さらに騎士団長子息のジスラン殿がいたことも。
(まさか、彼らは共謀して……?)
彼らは皆、王太子の側近候補に選ばれるほど身分のある令息たちだ。そして、シリル殿と同様にシャンドフルール男爵令嬢に侍り、驚くべきことに全員が彼女と深い関係を既に持っていた。
つまり、動機があるのだ。
殿下が卒業パーティーでシャンドフルール男爵令嬢と婚約すると宣言してしまえば、彼らは王子妃となる彼女を諦めざるを得ない。だがもし、殿下がとんでもない間違い――例えば王命で決まった婚約者を殺害するという愚行を犯したのなら?
言っておくが、王位継承権があるのはナルシス殿下お一人ではない。まだ幼いが弟君である第二王子殿下もおられるし、王妹殿下も健在だ。不敬を承知で言えば、ナルシス殿下の代わりはいるのだ。
「……なんてことだ」
導き出された「真実」はあまりに身勝手で、国を揺るがすほどの大罪だ。彼らは――。
共謀して己の仕える王族を陥れ、密かに寵愛する娘を別荘に囲い、共に愛でるつもりだった。妻にするわけでもなく、共通の愛人として。
◆◆◆
「まあ、恐ろしいこと」
新聞のゴシップ記事を眺めて、私はすっかり短くなった黒髪に触れた。なお、切った髪は適当な房に分けて麻紐で縛り、関係各所に送りつけた。「報酬を求む」と一言書いた手紙を添えて。
監視の目さえなければ、いかようにも行動できる。スラム街の破落戸に金を握らせ、おつかいをさせるのも簡単だ。あれが届けば、きっと愉快なことになるにちがいない。もう知ったことではないけれど。
意図的に姿をくらました私は今、故郷からは遠く離れた小国にいる。そこで官吏登用試験を受けて合格を勝ち取り、食堂が提供する美味しい三度の食事と温かな寝床付きの環境――寮生活を手に入れた。洗濯サービスもついているから、元侯爵令嬢でも生活で困ることはない。
(フフ……。完全犯罪にするつもりはなかったのですけど)
私――元デュマル侯爵令嬢フローリアとしては、ナルシス殿下に婚約者殺害の容疑をかけてトンズラできればそれでよかったのだ。なんなら、自身が真犯人とバレたって構わなかった。
ただ、思いついたから彼女たちに殿下の企てを教え、想像力を掻き立ててあげただけ。
最終的にお粗末な彼らの企てが明るみに出ても、婚約を破棄されれば……たとえ破棄されなくとも愛人にうつつを抜かしたままの彼らと結婚すれば、彼女たちにどんな未来が待ち受けているかを。優しく、親身になって。
そして――。
秘密ね、とハグをした耳許で自分の計画と協力者を教えた。
フローリアとちがって、ただの貴族令息の婚約者である彼女たちには、王家の影のような監視はついていない。密談もしたい放題で、手紙も検閲されない。示し合わせての行動も、また――。
ただ、彼女たちが何もしなくとも構わなかった。すべてはフローリアの考えたことだと明らかにされてもよかった。
別に……レティシアが婚約者の宿舎からサソリを盗み出してけしかけなくともよかった。王家の影は「監視」しかしないから、フローリアは貸し馬車には乗れた。
別に……貸し馬車を谷底に落とさなくともよかった。空っぽならそれで十分。
別に……谷底に落としたドレスに獣の血がついていなくともよかった。髪を一房切って置いていくつもりだったから。
ただ、結果として彼女たちはやらなくてもいいことをやってくれた。憶測は憶測を呼び、一人の男爵令嬢を身分の高い貴族令息たちが囲うために王族を陥れたとかいう、ありもしない大罪(笑)ができあがった。
(ちょっと調べれば、例の手紙に端がないことに気づけましたのに)
案外、王家の影もポンコツなのかもしれない。そもそも、外に出す手紙は検閲を受けるが、家で自分宛に書いた手紙や生徒会絡みの書類はノーチェック。穴があったからこそ、フローリアの企ては成功したのだ。
そういえば協力してくれた彼女たちは、無事婚約を白紙にできたようだ。白紙――つまり最初から婚約がなかったのなら、彼女たちに瑕疵はつかない。デボラも平民に落ちた義弟を喜んで拾ったとか。舞台を降りたフローリアは、ただ「お幸せに」と祈るのみだ。
「結局、シャンドフルール男爵令嬢ただ一人がすべてを計画して令息たちを唆したとして処刑された。将来有望な令息たちを思うがままに操った、稀代の悪女だってさ」
向かいに座る身なりの良い青年は畳んだ新聞をテーブルに投げて、口元に薄く笑みをのせて私をジッと見つめた。
「だが……稀代の悪女ってのは、むざむざ捕まって殺されるヘマはしないだろう?」
「あら。私に聞かれても」
困ったように微笑む私の手を引き寄せ、彼は猛禽を思わせる琥珀色の瞳をスッと眇めた。
「遠く離れた地で何食わぬ顔をして、高みの見物をしていたり……なあ? 菫色の瞳のお嬢さん」
獰猛さと言い知れぬ熱を孕む琥珀の瞳に、秘密を抱える胸が甘く疼く。でも、簡単に暴かれてもおもしろくない。
「素敵な想像力で何を暴いてくれるのかしら? 探偵さん」
思わせぶりに囁いて、ツンと人差し指で鼻先を押すと、彼はびっくりしたみたいに目を瞬いた。
(あらやだ、可愛い。癖になりそう)
今の私は間違いなく悪女の顔をしていることだろう。クスリと笑って席を立った。
カフェを出ると、忙しなく行き交う人の群と華やかさとは無縁の街並みが目に入る。が、今は何もかもが輝いて見えた。秘密を抱えた新天地の生活は果てなく自由で、愉快で、未知の刺激に溢れている。