7話 エルム・エルメスでジョン・ジョンソン
とんでもなく疲れた。那由多も迎えに行かなきゃいけないし、、、
真っ二つに割れた天井を見つめて呼吸をしていたら、那由多が外からひょっこりと顔を出していた。
ー……だ、だ、大丈夫ですか? 空から、剣が。あ、えとと、とんでもない事が……
那由多はメガネがずり落ちそうだ。
「ああ、まぁ……」
駆け寄ってきて、上体を起こすのを手伝ってくれる。
「あの校庭で溶けてたのが……」
「……あの顔の化け物だ」
***
その後、那由多が階段付近でぬいぐるみの残骸を発見。
「これ私の、何か大切なもの…」
「これが?」
こくんとうなづいて、「直さなきゃ…」と呟きながら階段を登っていく。
2階へ出て建物の角の方へ行けばそこに被服室。
那由多は裁縫道具を使ってぬいぐるみを修復しようとしているらしい。
俺は裁縫などは詳しくないので、ただ邪魔にならないようにじっとしていた。時折廊下の外に出て他にも化け物がいないか巡回などしたが誰もいない。無人の校舎。
時間感覚はもう滅茶苦茶だった。
ここにきて直ぐに夜になり、保健室に逃げ込むまでも夜。
昇降口から外に出た時は明け方だったか、空は明るくなり始めていて、今校舎は黄昏時で光が窓から差し込んでる、教室や廊下は大体燃えるような赤か黄色のどちらかだった。
被服室の中にいる那由多は真剣に作業を続けていて、その姿は赤めく黄金に包まれていて綺麗だった。
廊下にあるロッカーから水筒を取り水道の蛇口から飲み水をもらう。
一杯に汲んだ水が空になった時__
__できた! できました!
那由多が嬉しそうに出てきて、不恰好に修復されたミィを見せてきた。
その後保健室に行かなきゃ行けない、と言い出した那由多に引っ張られて保健室へ。
ぬいぐるみのミィを包帯でぐるぐる巻きにしてベッドに寝かせた。その後はいつものようにPCに向かってかかりっきりになった那由多を尻目に自分もミィの横のベッドに入って就寝。
寝る前に思ったことは__
(いやいや、一体いつここから出れるんだよ!)
だった。
@@@
朝起きると那由多がいなかった。
パソコンがあった場所に書き置き。
ーありがとう!
ミィが寝かされたはずのベッドのカーテンを開けると、ミィとは別の人形。
そこにも書き置きがあって__
ーまたいつか会いましょう!
保健室の外へ。
昇降口から外を見ると相変わらず雨が降っている。傘立てを見ると大きく上等な蝙蝠傘。なんとなく取って歩き出す。
蝙蝠傘を開いて校庭をずっと進んでいくとフェンスに穴が空いていてその向こうは雨の海だった。
また意味不明なイメージが流れ出す。崖、岩場、飛沫、海の底。
ふらふらとフェンスの向こうへ足が進んでいく。
振り返ると視界がぼやけていて破壊の爪痕凄まじい学校校舎も同様に滲んで見えた。
フェンスを超えると崖になっていて下は海。
蝙蝠傘をさしたまま目を閉じる。
落下していく感覚に襲われた。風が音をかき消して耳から順に意識を麻痺させた。
次の瞬間、意識が飛んだ。
**
気がつくと暗い洞窟の中。
目の前には洞窟の入り口、雨の海が見える窓があった。ぼたぼたと振りしきる雨が無限の海に落ちていく。
「全く、またここに戻ってきたのか……」
どうすれば出れるんだ。とりあえずふて寝しよう。
疲れているんだ。
一度寝るとどのくらい寝ていたのかわからない。気がつくと日が沈んでいたり、朝になったりこの洞窟はそんなことがしょっちゅうだった。気が赴くままに洞窟の外に出かけて一周してみたり、雨の海で泳いでみたりしたが海に入るとだんだんと恐ろしくなってあまり遠くまではいかなかった。それどころか泳ぐこと自体すぐにしなくなった。
雨の海はあまりにも孤独で暗い。世界に自分がたった一人だけで、その自分の命も次の瞬間には波にさらわれ、海の底に引き摺り込まれて無くなってしまうような恐怖を感じさせた。
それから日数の間隔がわからなくなっていった。
それでも徐々に寝て起きてしていると元気になってきているように思えた。
洞窟生活何日目なのかわからないが、ある日ふと何か飯でも食べようと洞窟のレストランの空間の横の崖からあの日のようにロッククライマーのように下に降りていった。また水が満ちてきて溺れるのはごめんだという理由でここにはあれ以来きていなかったが、またあのヒレ肉のシチューでも出てこないかな、などと期待して訪れる程度には洞窟に慣れた。
崖にある裂け目からリビングのような空間へ進む。
間接照明、ブラウン管テレビが付いているが、なんの番組も映していない。テレビ画面はただ光を放つのみ。
その横にはあの老人がいた。
ー汝、罪は問うか? 問われるか?
「またこれか……」
前にもこの部屋で見た老紳士、人間とは違うような気配に包まれた得体の知れない存在。前の時と同じように俯いて斜め下の地面を見ている。目はメガネに反射する光で見えない。
ーお前はなんだ? 知っているか? それとも知られるか?
「何を言っている、俺は、……俺は俺だ」
ー巨顔を倒したな
「それがどうした」
ーお前は何になった
「……何を言ってやがる」
ーお前は誰だ? 問うか? 問われるか?
「俺は俺のことを知らない、それを知っている。そして変な世界に囚われて変な目にあっている。」
そして……
「とりあえず、ここから脱出する。……それだけだ」
目の前で強烈なフラッシュを焚かれたような光が迸った。
波が一気に洞窟内に押し寄せてきて飲み込まれたような映像を見た気がして意識が飛んだ。
***
次に気がつくといつの間にか都市部のどこか、商業区画の路地裏だった。
雨が少し降っていて自分はあの昇降口で拾った蝙蝠傘を片手に持って立っていた。
靴とパンツの裾だけが濡れていた。
格好も同じ、洞窟で拾ったキャップ、チェックのシャツ。デニムのパンツ。路地から進んでいくと路地裏にあるビルの軒先で雨宿りするように立っている老人。
ギョッとして老人を見ると、普通の老人だった。あいつじゃない。
……俺に誰だ、などと聞いてきたあの存在の言葉を思い出す。俺の方が知りたいんだよ、全く…… それはこっちのセリフだ……
「俺の名…」
老人を通り過ぎると路地から大通りの方の店が見える。何かつけよう、店名をもじったものでいい。そんなものでいい。
「俺の名は、エル、エルム・エルメス。これででいい、ジョン・ジョンソンだっていい」
口に出すと、路地の角のすぐ影にアイスを食べている女子高生がいて「え? は? 私? エル、ジョンジョン?」と動揺しながら返してきていた。
「いや、気にしないでくれ」そう言ってその場を離れる。
女子高生は「あ、すいません。もしかしてエルトン・ジョンって言いました?」などと背中越しに言ってきていた。
そんなこと言っていない。
@@@
エルム・エルメス Aka ジョン・ジョンソン
路地から出るとそこは1キロ以上はありそうな長く緩やかな坂道が一本通っておりその両脇にずーっと店が立ち並んでいる。ケバブ屋にベトナム料理店に仕立て屋、ハンバーガー屋、映画館、クッキーの専門店に本屋。
やや坂上の方、この道が見渡せた。
坂を上がっていくか、それとも下がっていくか。どっちに行こうか。あの洞窟から脱出できたのかもわからないし。
!
ていうか、あの女学生や老人!
人間だ! まともな人間がいる!
道ゆく人々の顔をまじまじと見て、意を決して話しかけてみる。
「あの、すいません。今日は何月何日でしたっけ?」
話しかけて、そんなの携帯で見ろよ、と言われる予感に襲われて後悔するも__
___無視される。
話しかけたサラリーマン風の男は去っていってしまう。
次はベンチに座っている男に話しかける。
「……今日は何日かわかるか?」
「……」
無言。再度話しかけてようやく返事。
「さぁ、わからない……」
「そうか…… 自分の名は?」
答えはなかった。
ぼうっと歩き出して脇道のカフェに入る。
ウェイトレスが話かけてきたが財布があるか気になってみると持っていない。財布を忘れたと謝って店を出ると怪訝な顔をされる、入り口近くにいた女がそれを見ていて吹き出した。その女の方を向くと女は笑いを隠すように顔の向きごと少し逸らして素知らぬ顔をする。
赤毛の女。
この女はもっとマシな反応をしてくれそうだ、と興味が湧いた。しかし店外の向かいの道にいた見知った顔がそれをさせなかった。
足早に外へ出て行き道を渡る。
「那由多!」
白衣を着たメガネの女が腕組みをして背を壁に預けて手を小さく降ってきた。
「どももです! 先日はありがとうございます」
「ああ、あれから何処へいったんだ?」
「わからないです、でも気づいたらこの街に来てた。あなたは何日ここにいるんですか?」
「何日? まだ来たばかりだ……」
「そっか、私は三ヶ月」
「三ヶ月!? 本気か?」
「マジレスすると大のマジです。でも記憶が曖昧、本当に三ヶ月かは自信ないかも…」
「飯や住居は?」
「なんか、払わなくても気にしない店があって、そこで食べたり、奥で仮眠とったりしてる…」
「大丈夫なのか? そこ…」
「うん、まぁいいやです。とりあえず場所教えます、それと那由多那由多いつもいってきますけど、あなたの名は?」
「俺は、エルム・エルメスでジョン・ジョンソンだ」
那由多は怪訝な顔をした後、伺うようにこちらをちらっと見て、あまり突っ込まない方がいいよね、というような顔をして「なるほどぉ… よろしくです……」とだけ言って歩き出した。
那由多に着いていくと駅前のアーケード街の中にあるハンバーガー屋に入っていく。
確かにこの店は払わなくても何一つ言わなかった。関係者以外立ち入り禁止の張り紙があるドアを勝手に開けて入ると長い廊下がありその奥にシャワー室とオフィス。
オフィスには安物だが、ベッドも置いてあった。仮眠用だろうか。
その上、那由多の姿が見えない。
また消えてしまった、忽然と……