6話 巨顔潰し 天切り裂く怒りの剣と拳
おいおい、まさか。
2mほどもある巨大な般若の顔面が動き出した。こちらを睨みながら向かってくる。巨大な顔には不釣り合いな胴体。顎が地面についていて、顎を床に擦り付けながら雑巾掛けするような姿勢でこちらへ。
「ざけんな! また追いかけっこするのか!!」
急いで階段を駆け降りる。廊下の床を巨顔の化け物が擦りながら追いかけてくる音。階段ではがたんがたんという音になってついてくる。己の身体能力が人間離れしていることがせめてもの救いか。
1階へ着き、昇降口に職員室に入り引き戸をぶち破りながら中に入ってきた般若を撒くように走って通り、部屋の外へ。デスクや書類を巨大な顔面で押し除けながら奴がすぐ後ろからきているのがわかる。角を曲がると最初に二階にあったはずの保健室。
保健室だけがまるでセーフスポットかのように明かりがついてる。
急いで保健室に。
入ると、そこは暖かい雰囲気で、ショートカットの美人の保健の教師がPCに何か打ち込んでいた。部屋の中も外も静かでノートPCのキーボードのタイプ音だけがカチャカチャと聞こえるだけだった。
扉の外を見てももうどこにも巨顔の気配はなかった。
「……那由多、ここにいたのか」
ため息をつきながら独り言を言うように話しかけた。
「……ナユタ? ああ、誰でしたっけ?」
「お前の名前じゃないのか?」
そういうと那由多が無表情になりこちらを体ごと向いて___
ー汝、罪に囚われるか?
ぼうっとした顔で那由多が突然低い声で答えずに言った。
「……何を言っている、それにそれはどう言う意味だ」
頭がクラクラしてきた。もうすぐそこのベッドで寝てしまいたい。那由多は生気のない表情で再びPCに向かって何やら打ち込む作業を再開した。彼女の雰囲気が戻ったがもう一度話しかける気にはならなかった。
全身から力が抜けて床に座り込み棚に背を預ける。
「……もういい、どうでもいい。疲れてるんだ」
目を閉じると意識が暗い場所へ落ちていく感覚。
眠っていたのかもしれない、1分だったのか、10分だったのかもわからないが。夢を見ているような自覚を感じて映像が浮かんできていたことに気づく。
きっと夢だろう。
夢では那由多が心配そうに覗き込んできて額に手を当ててくる。
ひんやりと冷たい手が酷く心地良い。
その女の美しい顔をぼうっと見る、と彼女の背後の壁が__
__あの般若の巨顔になっていた。
口をこれでもかと広げ、涎が滴り落ちて湯気を出していた。
一気に意識が覚醒する。
飛び起きて室内を確認する、那由多は本当に俺の額に手を当てていたし、奥の壁には本当に化け物がいた! 悪夢と正夢という最低のセットに腹を立てながら急いで那由多を抱き抱えて保健室から飛び出る。化け物が部屋の扉に顔がつっかえて暴れ、物が倒れ、壊される音。
ーきゃあ! ち、ちょっと!
那由多が悲鳴をあげながら、背後の化け物を認識して悲鳴を引っ込める。
保健室から角を曲がり職員室に向かい昇降口から外に飛び出す。
と大雨。
雨に降られながら撒くか、迎え撃つか、どちらか選ぶつもりで反転すると__
追いかけるように昇降口から少し出てき巨顔は雨に当たると皮膚が溶けるようにジュウ!と音を出しながら煙を上げた。
ーオォォンン、ウォロん!
悍ましい声で悲鳴をあげ体を昇降口へと引っ込めた。
俺と那由多は雨に打たれまくっているのに何もない。
あの怪物。
雨が弱点なのか、それとも水? いや、この雨が特殊なのか?
何にせよ、これで一息つける。服がびしょ濡れになることだけ許容すればだが。
校舎外側の窓際を進もうとすると巨顔が校内の廊下にいて窓越しにこちらを我慢ならなそうな怒りと恨みの表情で睨んで並走してくる。
校舎外壁から離れて雨の降っている場所だけを選んで進む。と言っても校庭の真ん中には行きたくなかった。永遠に雨に打たれているわけにもいかないし、いつまで雨が降っているかもわからないからだ。
とにかくあいつから身を隠したい。
校舎の裏は自転車置き場と丸太、屋根と壁だけがかろうじてあるような大きな物置、資材置き場と言うか、そんな場所。フェンスの向こうは学校の裏山。
資材置き場になっている物置のなかに入る。
ここから見える窓に怪物の姿は見えない。
「……なんとか撒いたか?」
那由多を見ると服はずぶ濡れで着衣水泳の後のような有様。目が泳いではこちらをチラチラと見てくる。
なんだかよくわからずに放っておくと__
__ちょっといい!?
那由多が突然キスしてきて__
「あのね、人には会えなかったの、今のところ会えたのはあなただけ。それとこの校舎を徘徊している化け物がいる、ってあれのことね。あの般若のお化け。それをなんとかしないと私たちは多分出れない」
と言った。
「ああ、なぜそう思った?」
「え? あの、あの。だって、PCにそうメモ帳に書いてあったの……」
「なんて?」
「巨顔討伐、戦闘、除霊、共に許可、あとなんだっけ??」
「……いや、知らないけど」
「ええと、忘れちゃったけど多分除霊ってのをしないといけないの、あと戦ってもいいって…」
いやぁ、そう言われても。どうあんなのと戦うんだよ。
困り果てため息をつくと同時にふと斜め上を見上げた。校舎の裏門側の3階の窓。
あの般若が窓に張り付いてこちらを見ていた。ずっと見ていたのか? それとも今見つけられた?
今にも殺さんとするばかりの形相は悪意が濃密に凝縮されているようで、萎縮と緊張感で思わず生唾を飲み込んだ。
窓を額の2本角で叩き割り、ガラスを大きな口に入れて咀嚼し、それをブゥぅぅ!と吹いてきた。那由多を引っ張り物陰に隠れてガラス片の矢玉から身を守る。
足元に転がったガラス片は親指大から、手のひら大まであり怪物の血で真っ赤に染まっていた。
窓から怪物がシワクチャな凶悪な笑みを浮かべた、歯が血に染まって真っ赤だった。
あいつは怖いやつだ…… そう思った。見た目やグリズリー並みにありそうな膂力でもなく濃密な負の感情に気圧されていた。
那由多を見ると顔面蒼白、あまりの恐怖で小刻みに震えている。
「那由多。場所を移ろう……」
それだけ言って動き出す今年かできなかった。俺まで恐怖していることを知ったら彼女の精神は参ってしまうだろう。悟られないようにやるべきことに集中する。
移動していくと、違和感。あの化け物俺を見ている気がする。
どうする?
「ちょっとこの先を見てくるから待ってろ」
そう言って那由多を置いて校舎裏から昇降口へ。
入り口近くには何もいない…… が、妙な気配。
よく目を凝らして外から雨に打たれて観察。
昇降口から窓の反射で階段の影に隠れ潜んでいる巨顔の表情が見える。必死そうに見つからないようにしかし絶対に殺してやる、そんな空気の顔で俺が校舎に入ってくるのを待っている。
その顔の口元__
___血だらけのレッサーパンダのぬいぐるみがあった。
神経質なやつが爪を噛むような雰囲気でミィを齧っている。
「……野郎。……良い加減ふざけてんじゃねぇぞ」
「この姑息なコソ泥の、クソボケの、逆恨みの殺人鬼の顔でかジジイの化け物が……」
沸騰しそうなほどの怒りが湧いてきて、あいつを殺してやりたい、と激しく強い感情が湧き始めた。
気づくと、雨でびしょびしょになった髪を後ろに撫で付けて上着を地面に捨てて昇降口に入っていた。足は止まらない、まっすぐに歩いていき隠れている馬鹿を殺してやる、そう思いながら右手を握りしめるといつの間にか青銅の剣を握っていた。
昇降口から数m入ったところで巨顔が飛び出し雑巾掛けをするような姿勢でこちらへやってくる。
青銅の剣がどんどん重くなる、普通に持てない程の重量になり引きずるような姿勢で、両腕で無理やり引きずるように歩く。
世界一重い青銅の剣が世界を白く染め上げるほど輝く。
その眩い光を見た巨顔の表情が恐怖で真っ青に染まる。
なぜ持てているのかもわからないほど重い剣をハンマー投げの選手のような姿勢で振りあげ下ろす!
天が割れて天井も割れる。
頭上から考えられないほど巨大な剣が落とされた。昇降口だけではなく校舎が真っ二つになった。地面が揺らぎ、陥没し、ひび割れ巨大な亀裂、裂け目ができて学校校舎諸共滅茶苦茶に破壊、大地が隆起する。
巨大戦艦の主砲か、核爆弾でも落とされたかのような破壊の中心地にいた巨顔は完全に潰され、肉体の半分以上がミンチになり、そのうちの大部分が炭化したかのように黒焦げになっていて、かろうじてまだ動く部分が弱々しく分裂。剣から逃れようと這い出てきて4分の1ほどのサイズの巨顔に変化して動く。
「テメェ! 逃さねぇ!」
全身に力が湧き上がり一息で人間サイズにまで小さくなった巨顔の化け物に肉薄。髪の毛をつかみ引きずり投げた。昇降口へ投げ飛ばされ背後の雨と俺に挟まれた巨顔は俺に威嚇するように犬歯を剥き出しにして「キシャァァ!」と動物的な声をあげて突っ込んでくる。
何も考えていなかった、だが青銅の剣を逆手に持つと剣の力が拳に流れ込んできた。もう重くない、しかし何よりも重い拳ができたのはわかった。
ー神拳…… 雨の叢雲の拳…
かかってきた巨顔に渾身の拳を見舞う。
拳が当たった時、巨顔の全細胞を破壊するように俺の右手のエネルギーが動いたのがわかった。
次の瞬間、巨顔は土砂降りの校庭の奥のフェンスまで吹き飛んで強烈な断末魔をあげて__
__そこで雨に溶かされて消えた。
「……舐めるんじゃねぇ、みんなお前の獲物じゃないんだ、死にやがれ、あほぼけ」
何もかもがわからない。
謎の捨て台詞を吐いて、ただ昇降口で仰向けになって倒れた。