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3話 牛ヒレ肉の煮込み、老人、罪は問うか、問われるか

 

 崖の壁に指を引っ掛けながら、真っ暗闇の世界を降りていく。


 夜目がきくはずの自分でも、ほとんど見えない。時折濡れている場所が運よく光を反射すれば、それに気づく程度だった。


 5分ほど慎重に時間をかけて降りていくと__


 崖の壁に人が通れるほどの亀裂を発見。


 亀裂の奥から橙色の光が見える。身を斜めにして、足を引っ掛けながら隙間を潜っていくと、地面と廊下。ロッククライミングは終わり普通に歩ける通路が10mほど続いて___


 赤みががったオレンジ色、熟れた柿の果肉色の光のスタンドライトが鍾乳石が柱のようにあちこち伸びる空間を照らしていた。


 赤茶色の皮のソファ、背の低いテーブル、足置き、ブラウン管テレビ。

 奥の壁には壁と一体となったような暖炉。


「なんだ、ここは…」


 ひどく居心地が良い場所だった。

 全身から力が抜け、ホッとするほど。



 暖炉の先に進むと、壁に四角いステンレスの蓋がされており、それを上に持ち上げるとように引くと中には食事が入っていた。


 湯気が立っている。

 出来立ての牛肉の煮込み料理。トマトと赤ワインその他ハーブとビーフストックで作ったようなもの。牛ヒレ肉のシチュー。


 スプーンを持って壁際の二人用のテーブル席について食す。


 うまい、腹は減ってなかったが、確かに美味い。暖かさもちょうど良い。

 ホッとする。……生き返る


 そこで自分がここ三日ほど何も口にしていないのにも関わらず空腹でも喉の渇きすら…… いや渇きはあった、水が欲しい。腹はあまり減らないが、渇きは覚えるのか。


 煮込み料理を食べ終えて、いつの間にか手元にあったナプキンで口を拭う。


 奥の壁にある扉を開けるとトイレ。

 ここも薄暗い。トイレの個室の前にあるシンクには新品の歯ブラシ、勝手に使用。鏡で自分の顔をまじまじと見ると、無精髭、短めの黒髪を後ろへ流している。顔立ちは整っていて俳優か、モデルにでもなれそうな男。


 肉体も理想的、アスリートのように鍛え抜かれていた。


「これが、俺…」


 途端に頭痛に襲われた。すぐに痛みは去ったがこめかみと眉間に指を当ててため息をついた。なんとなく、この場所に意識がむき続けていたが、他にも問題があることに気がついた。



 __俺は誰だ?




 思い出そうとすると、意味不明な映像が脳裏に浮かんでは消え、流れていく。


 何度も何度も崖の上から真っ逆様に堕ちていく映像。脳に不快な電流が走るような感覚。フラッシュバックするように視界が切り替わり、海の中、深い海の底へと、無限に堕ちていく。誰か、女の顔、表情、美人でどこかの家、陽が差し込むリビングで驚いたような顔。


 吐き気を催し、トイレに入って先ほどの煮込み料理を少しだけ戻した。

 落ち着いたところで再度入念に歯を磨く。フロスもして。


 また満潮になるのなら、そろそろ戻ったほうがいいだろう。


 いや、ここが無事ならばここには水は入り込まないのだろう。そう思ってトイレを出ると床は水浸し、予想を外れて水位が上がり、海水はちゃんとここに入り込んできていた。


 一瞬たじろいで、___すぐに早足になった。


 来た道を戻っている間にも入り込んでくる水の勢いは増していき、通常の人間を超えた身体能力でも水の勢いには抗えなかった。一見穏やかに見える水の表面とは裏腹に流れが速い。前に進めないまま水位は腰下から胸の位置まですでに上がってきている。


 どうしようもない焦りで呼吸が乱れる。本当に戻れない! あの部屋に戻ったほうがいいのか? わからない、戻ったら無事な理屈などあるのか?


 あの食事が出てきた穴を壊したら…… いや穴が小さすぎる、この肉体でも分厚い洞窟の壁を素手で破壊などできない!


 それでももう、戻る以外の選択肢がなかった。


 戻ろうと体勢を変えた時に波にさらわれた。激流に飲まれ、肺から酸素が一気に溢れ出し、すっからかんになる。苦しい! 心臓が恐怖と焦りで爆発しそうなほど飛び上がったのを感じた。





 @@@





 気がつくと、洞窟のリビングにいた。

 服はびしょ濡れで洞窟の床に寝転がっていた。


 気持ちの悪さよりも服の重さの居心地の悪さが嫌で上着を脱いだ。水が引いていた。床は濡れている場所と濡れていない場所があり、濡れていないところの方の面積が多かった。



 ブラウン管テレビがある方をふと見ると、赤茶色のソファに老人が腰掛けていた。


 立派な白髭に白髪、やや禿げ上がっている額、今は背を丸めているが背が高いような気がした。グレーのスーツを着ている。銀縁のメガネに光が反射してその奥の瞳は見えなかった。


 薄暗い部屋のテレビの横に座っている老人に体を向けながら自分もあぐらをかく。


 人間だ…

 いや、本当に人間なのか?


 わからない、感じたことのない気配。


 老人はビジネスマンというよりは学者か、もしくは医者のような雰囲気。


 俯いて下を見ている……


 全くこちらを見ようとしない、ただじっと顔を斜め下に向けていた。


 どのくらい沈黙があっただろうか、俺の方から立ち上がると、声が響いた。


 本当にこの老人から出ているのか、それともスピーカーが設置されていてそこから出ているのでは、ともうほどよく響いた。低く、ややしゃがれた声。


 ー汝、罪は問うか? それとも問われるか?


「…罪を問うか? 問われるか? 意味がわからない」


 ー汝、生に感謝するか?



「生に? 命に?」


「……俺が今生きていることに?」


 ー汝、過去に今に、未来に価値を見るか?


「わからないけれど、多分……」


 ー汝、外に価値を見るか? それは内に戻った時に感謝となるか?


「だから意味がわからないって」


 聞きたくない、という気持ちが湧いてくる。疲れる、この爺さんの言葉は。


 一瞬目を逸らして、深呼吸をしてまた目をやるともう老人はいなかった。




「……どうなってるんだ、ここはどこなんだよ、そのくらい教えてくれよ……」




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