10話 女、黒い空、犠牲者
__三日目
ちょうどこの長い坂の道の真ん中らへんにあるファミレスにいた。
未だにこの長い坂の街からは出れていない。
ステンレスのテーブルにソファ席がコピペされたように並ぶ店内で客入りは上々、少なくともこの街にしては。オレンジ色の制服に上半身は白のYシャツのウェイトレスが注文をとりに来る。
ウェイトレスが注文をとりに来るのはこれで3度目だった。
ーご注文はお決まりですか?
「もう頼んだよ……」
ーでは確認のため、ご注文を繰り返していただいてよろしいですか?
「ダブルチーズ&ベーコンバーガーとコーラ、チップスは無しで……」
こっちのセリフだ、という言葉を飲み込んで素直に従い再度注文する。
ーコーラは缶とボトルどちらになさいますか?
「缶で……」
もう一度やってきたら店を出ようと思いつつノートにペンを走らせる。
一応どこの場所にいきなり自分が出現するのか、店はどこと場所が入れ変わったりするのかメモして見ている。未だ大した傾向は見えてこない。
3度目の注文を根気よくしなおしたのが功を制したのか、ようやく料理が運ばれてきた。腹が減っていなかったので、この街に来てからほとんど飯を食っていなかった。俺の脳はコーラの味すら忘れてしまったようで一口飲むとあんなに世界中に溢れかえっていた飲み物の味がずいぶん新鮮に感じた。
ファミレスのトイレに立って戻ってくると同じく窓際の席に赤毛の女が座ったのが見えた。どこかで見たことがある、灰色のキャップをかぶっていて……
あの時の、カフェで吹き出して笑った女だ。那由多を見てすぐに出ていってしまったが、あの時気になったのを思い出した。俺を見て反応するってことはこいつも迷い人なのか?
灰色のキャップ、胸まで届く燃えるような赤髪、軍用ジャケットを着ている。どこか大人びた雰囲気で歳の頃は20代であろう猫顔の美人。
目の前に立って話しかける。
「……俺を覚えているか? 前カフェであんたを見かけたんだ…」
「あー、覚えてる、……ますよ。えぇっと財布忘れちゃった人」
「ちょっとかしこまってますね、もっと馴れ馴れしくてもいいですよ」
と続けて言われた。
確かに少し硬い雰囲気だったかもしれない。
「どう話しかけていいか、わからなかったんだ。気にしないでくれ、それとありがとう」
「ううん、私も実は話しかけて欲しかったんだ、もしかしてって思って……」
「あんたも迷いびとか?」
「迷いびとっていうのが何かは知らないけど、多分そうかも……」
「どこから来た?」
「わからない、気づいたらここにいて……」
「いつから?」
「それもわかんない、もうずぅーっと……」
「ここの前は?」
「ここの前? そんな記憶ない……」
「坂の下は何がある?」
「何もない、堂々巡りするだけ」
「坂の上は?」
「同じ、交差点あたりからまた戻るだけ」
「雨の海は?」
「雨の海? ごめんなさい、わかんない……」
雨の海にはたどり着いていないのか? 俺だけが見えている? どういうことだ。わからないことだらけ。
一つ溜息をついた後に「名前は?」と聞こうとして顔を上げると__
__もう赤毛の女は居なかった。
***
「黒い空」
ファミレスで会計を済ませて出ていく時。
一瞬店内が暗くなった気がした。
?
気のせいか。太陽に一瞬雲がかかったのかもしれない。
考え事をしながら坂道を散歩する。
途中で赤毛の女に笑われたカフェのある脇道に入る。カフェの向こう側は緩い傾斜のカーブ。
「……行ってみるか」
ギリギリ坂と言える程度の道を上っていくとすぐに坂でなくなり、両脇に大きな街路樹の立ち並ぶ住宅街の道になる。
天気が良い。両脇から伸びた街路樹の枝葉がアーケードを形成し差し込む日差しが薄緑色の葉を輝かせていた。歩いていて気持ちのいい場所だった。
5分ほど歩いていたが、やはりというか案の定…… いつの間にか違う脇道から長い坂の大通りに戻ってきてしまっていた。
精神的に疲れて、横のコインランドリーに入りベンチに腰を下ろす。
「そういえば、服をここにきてから着替えていない。汚くなってもいない」
コインランドリーから出て服屋で適当な服を買う。必要なさそうでも選択してみるのは、ここで食事をとるのと同じくらい精神衛生上やってみるべきリストに入りそうな行動だったからだ。新しい服に着替えて、まとめて購入した服のタグを切り洗濯機に放り込む。
窓ガラスの反射を鏡がわりにみると__
デニムのパンツに淡いグレーのスウェットシャツにキャップにサングラスの男が見える。
デニムもスウェットも着心地良く動きやすい、気に入ったしサングラスもいい感じだ。洗濯が終わるまでの間外をぶらついていようとコインランドリーから出ると空に違和感。
黒の絵の具で塗りつぶされたような空。
空が真っ暗だった。
地平線やずっと向こうの建物の輪郭に紫の光が煌めいている。
「……全く、何が起きてんだ今度は」
真っ暗な空なのに街は通行人も街並みも全て真昼のように良く見える、なんなら雲までよく見えていて、光源はどこにあるのかまるでわからなかった。
夜とは違う真っ暗な空兄は紫がかった光が建物や雲の輪郭に煌めく。
街を観察する、何かがいつもと違う。
まばらだが時折行き交う住人を見ると、表情がいつにも増してぼうっとしていた。瞳孔が開き切っている、白昼夢の中にいるみたいに……
通りの向かいの歩道に白衣を着た女を見た。他の住人同様に目を見開いて幽鬼のように歩いている。
「那由多…… おい、那由多!」
電池の切れた人形のような那由多に駆け寄ると、こちらを認識しない。肩を揺さぶると右頬に視線を感じた。右手の空がこちらを見たような感覚。視界の端、ゾッとするような視線を感じた先をバッと見ると__
__坂の下のトンネルの手前に立っていた。
周りには誰もいない。
「ふぅ…… まるで世界と化かし合いしてるような気分だ」
冷や汗が噴き出てきて、疲労感が汗とともに沸々と表面に上がってくるようだった。避難所に逃げ込むような気分でトンネルを通り雨の海を見に行った。
雨に立ち昇る土やアスファルトの匂いに潮の匂い。湿度を伴ったやや冷えた風が鼻先から顔を撫でるように通り過ぎていった。雨の海を見ているとやはり心が少し楽になった。
公衆便所に入る、立って用を足していると視線を感じた。いや気配だったかもしれない、用を足しながら周囲を軽く見回す、トイレには誰もいない。透視でトイレの外を見るとあの老婆がいた。トンネルの近くの歩道で買い物袋を腕から下げてこちらを睨んでいた。
ジッパーをあげて手を洗いにいく時。
ドタン!
突然トイレの個室から音がした。開いていた個室の扉が一つ勢いよく閉められた音と何かがぶつかった、倒れたような音が同時にしたのだ。
見ると個室の下の隙間から人の腕が飛び出していた。
「おい! どうした!?」
声をかけるが、返事がない。
ダウンの袖からアキラなんじゃないかと、そう思った。中で倒れているようだったが動きが無い。個室のドアを押す、あきらの体が邪魔をするようにのしかかっていた。
あきらは頭から血を流していた。それだけじゃない、目、鼻、口からもペンキのような粘着質な血が流れ出て瞳孔は見開いたまま固定されていた。手首を取って脈を計る、スマホのライトで目を照らす、瞳孔は固定されたまま動かない。
「……死んでいる」
アキラ……
一体何があったのか。こいつは気持ち悪い変質者ではあったが、話してみればそこまで悪いやつでもないと感じていた。ここに放置していくのは寝覚めが悪すぎた。死体を引きずって手洗い場と入り口の間に設置されているハンドドライヤーの横に壁に背を預けさせるような格好で寝かせた。強い力で左手で何か握り込んでいた。
スマホで緊急の番号にかける。
だめだ、繋がらない。
この街で警察署自体見かけない、それどころか病院もだ。クリニックはあったが……
アキラが左手で何を握っているのか見てみるとルービックキューブ。普通のルービックキューブよりも小さいキーホルダーのようだ。ところどころ塗装が剥げていて使い込まれているように見えた。
アキラの死体を埋葬するべきか、まちの住人を呼ぶべきか迷っているとパトカーのサイレン。トイレの入り口をみるとあの老婆がいて身震いしながら携帯で通報している。
「怖いですよぉ、早くきてください、人殺しがいるのよぉ!」
早くきてくださいって、すでにサイレンはここまで来ていた。
「ふざけんな、クソババア!」 老婆を突き飛ばして逃げる。
公衆便所を出るとどこからか現れたパトカーが前から横切るように走ってきて__
後部座席の窓から__
強盗のような覆面をした警察がサブマシンガンを構え発砲。
ラタタタタタタ!
地を蹴って前転するようにパトカーの後方に回り込み、リアバンパーを掴んでなんとか張り付く。ドリフトするようにパトカーがぐるぐる回る、透視で運転手の様子を確認すると意識が不鮮明なように見えた。
もう一つのパトカーに見られないように注意して張り付いていた車から手を離し転がるように離れる。ガードレールから雑木林の中に入りトンネルを通って駅へ出る。
空が暗い…
空が暗く、しかし街全体は謎の不可視の光源に照らされているかのように昼間のようによく見える。紫の光が地平線や建物の輪郭に煌めいていた。
「まただ……」
呆然としていると住民の中年の男がいきなり首を抑え苦しみ始める、思い切り膝から崩れ落ち痙攣しながら絶命。目、鼻、口から流血している。
「アキラもこうなったのか?」
原因を探ろうと凝視するように集中してあたりを観察。
たった今死んだ男の周りに何かいた気が……
!
背中に気配を感じ、ばっと振り向く。
目を凝らすと紫色の皮膚の人型の何かがいた。それは全裸で肋が透けて見えるほど痩せこけていて、灰色のモップのようなドレッドヘアーのような髪。目は大きくギョロ目。あの出目金の老婆よりも遥かに大きく飛び出ているような目はカエルのようだった。背は150センチほどで宙に浮いている。
妖魔、という言葉がぴったりの何かだった。
目が合うがほくそ笑むような表情に変化はない、サングラス越しでは目が合っているかわからないか……
妖魔は目を凝らしていないと周囲の闇に溶け込むようにして視認できなくなる。妖魔の首根っこを掴みコインランドリーに引き摺り込み殴りつける。驚愕の表情を顔に貼り付けたまま妖魔が絶命、体が紫の砂のようになり崩れて消えた。
通りをパトカーが通っていった。もうサイレンは鳴っていない。車の中では妖魔が窓にへばりついて忙しなく頭を動かしていた。誰かを探しているように……
しばらくすると他の妖魔も見かけたが、もう人探しはしていないようだった。
パトカーの姿も影も形もない。
このサングラスがあったから見えているのか?
では今まで俺も見えていなかったし、俺以外の奴らは皆この存在が見えていない?
コインランドリーから空を見上げると塗りつぶされた黒空にその存在を見た。




