第7話 アデュー
「へええ〜、きれいなもんだ」
パジャマ姿のロッソは、翌朝、テラスに続く裏窓から市街を見渡して、感嘆の声を上げた。
テラスには家庭菜園や子どもの遊具、趣味の工具などが置かれ、ル・ポール・ダタシェの豊かで活き活きした生活が垣間見られる。
反対側の、通りに面した表の窓からは、活気あふれる広い道路と、その突き当りの公園の緑。
「良いところに住んでやがる」
一夜の宿を借りたパイアたちのアパルトマンに対する感想。パジャマは、少し窮屈だが、ラワンデルのを借りている。
これが噂の麗しき宇宙港か。
同じように「宇宙に住んでいる」と言っても、宇宙都市と狭い宇宙船とでは、これだけ差があるわけだ。
遅い起きがけにさっぱりと熱いシャワーを浴びさせてもらい、宅配で買ってもらったTシャツとジーンズ、スニーカーなどを身につけた。
「こりゃ、楽でいいや」
簡易宇宙服は着る人の快適さを重要視していると言うが、仕事中の意識が消えず、肩が凝る。
「ロッソさん、朝食を」
ラワンデルに呼ばれて食堂に入ると、小さなテーブルに、クロワッサンとカフェ・オ・レ、オレンジ・ジュースが並んでいた。
「うーん、もうちょっとこう、腹にたまるものは……」
ずうずうしいとは思いながら、思わず口に出る。
ラワンデルが、黙って薄切りのハムとチーズを追加した。
「もうすぐ昼ですし、昼は外で食べましょう」
「ハンバーガーとトマト以外で」
「もちろん」
カフェ・オ・レを喉に流し込んで、ロッソは、
「女性の方はどこだ?」
「パイアなら、役所へ退職願に行っています」
「役所! 仕事はなんだ?」
「ひよっこの管制官なんです」
あっという間に食べ終わって物足りなそうな顔になる。仕方がない。久しぶりに食うまともな飯は美味いのだ。
昨日は目につかなかった贅沢な室内装飾を眺めていると、ラワンデルが思い切った様子で口を開いた。
「ところで、お願いがあるんですが」
「おう、あのトマト畑から救い出してくれたお前たちの言うことなら、聞いてやろう」
トマト畑の下に広がる赤い人食い砂漠。
落ちて最初に声をかけてくれた爺さんは、故障したトマト収穫機を修理するために高いところまで登って、潰れたトマトの汁で手を滑らせて転落した。
ロッソは助けようとしたが、砂は生き物のように爺さんの胴にまとわりつき、離さなかった。
(骨も残らなかった)
「ブレイブバード、知っていますね」
ラワンデルの言葉に、我に返る。
「事故ったんだろ、噂くらいには」
「自分とパイアは、行方不明になった乗組員Kの家族です」
「……それで? 俺にできることがあるとは思えんが」
「探しに行きます。航宙士として、自分と組んでください」
ロッソは、まじまじとラワンデルを見た。
初航海を終えたばかりか、研修上がりか……経験が足りない。
「宇宙船はあるのか?」
「探しています」
「坊や、悪いことは言わねえ。この宇宙の果てでどれだけ人が死んでると思ってるんだ。諦めな」
「経験不足は分かってます。教えてください。……それに、手がかりはあるんです」
「そう言ったって、本社が捜索してるんだろう?」
ラワンデルは唇を噛んだ。
「八日前に打ち切られました」
「じゃあ、諦めるんだな。本社以上の捜索が、素人にできるのかい?」
「クロスバルは、費用を惜しんで実際に探査船が消息を絶った座標まで行っていない。自分たちは、行く……パイアまで行こうって言っているのに……」
「なんだと! さっき管制官といったよな。宇宙船を操れるとでも思ってるのか?」
「彼女は荷受人の資格を取りました」
ラワンデルが身を乗り出してきた。狭いテーブル、鼻がくっつきそうだ。
「一緒に行ってくれるなら、あなたの生存確認を提出し、航宙士の資格を復活させてあげます」
ラワンデルの提案を、ロッソは上の空で聞いた。
(あの美人が同乗? 宇宙の厳しさなんかなんにも知らないだろうから教えてやろう。そのうちコロッと……)
下心を悟られないように、ロッソは渋ってみせた。
「出頭して自分で手続きを踏めば、どっちも俺一人でやれる。交渉にならんな」
「……で、その後は? 負傷を治療していたわけでもなく経歴に空白があり、調べてみれば窃盗の前科持ち。それで雇ってもらえますか?」
(こいつ、生意気だがやりやがる)
ロッソは、拳を握って、ダンとテーブルに打ち付けた。
「深宇宙べりは、よ、人手不足なんだよ!」
「経歴にトマト泥棒があっても!」
吹いた。
やっていられなくなって、ロッソは頭の後ろで手を組み天井を見上げた。
「分かったよ。ただ、最低賃金は保証してくれ。それから、俺が船長だ」
ラワンデルは一瞬沈黙し、うなずいた。
パイアは役所で退職届を処理したあと、クロスバル社の探査責任者、ジャッキーを呼び出していた。
「あら、随分と雰囲気が変わったじゃない?」
アースカラーのナチュラル系の装いから銀白色の宇宙服に変わった彼女を見て、ジャッキーは遠慮ない物言いをする。
「宇宙に出るのよ、私も」
「本気? なまじっかなことじゃないわよ」
「そうよ。それで相談があって……」
「何? 航行データなら渡せるわよ」
「それが、その……まだ、宇宙船が手に入ってないの」
フンと鼻にかけた笑い方を、ジャッキーはした。
「それさえ、まだなの?」
「すべて売り払って、宇宙船の頭金くらいはできたわ」
ジャッキーが目を細める。
「クロスバルから資金援助はできないわよ」
「……違うの。中古の宇宙船──牽引船──の購入に立ち会ってくれる人を紹介してほしいの」
ジャッキーは耳を叩く。
「宇宙船の購入の立会人が欲しいそうです……エッ……そんな……いえ、はい、承知いたしました」
パイアの方を向き直ったジャッキーはわずかばかり緊張しているように見えた。
「上司が許可したわ。明日、10時、『競り市』駅に来れる?」
「隔壁の向こうね」
「そう。工業部門の『競り市』で地下鉄を降りればいいわ。大丈夫。人食い砂漠なんて物騒なものはないから」
どちらが船長を名乗るか、不穏なものを抱えたままのロッソとラワンデルのところへ、また隔壁の向こうに行かなければならないという知らせを持ったパイアは帰っていった。
「『競り市』は安全らしいわよ。でも、念の為宇宙服にして」
「俺のは無いじゃないか!」
ロッソの言葉にパイアは顔を輝かせた。
「あら、ロッソ、一緒に来てくれるのね!」
「仕方がないだろ、君みたいなお嬢さんを護衛も無く行かせるなんて……俺の宇宙服は特注にしてくれ」
「それじゃ明日には間に合わないわね。その恰好で来て」
そこでふと真顔になり、
「服代、給料から引いとくわ」
「おーお、渋いこと」
「船長なんでしょ、服ぐらい自分で買いなさい」
「俺が船長で良いんだな」
「……ええ。でも、私とラワンデルは船主として意見を言わせてもらうわ」
意見が衝突したら……一瞬の判断が生死を分ける。危機が迫る時、二人が自分に逆らったら?
この三人体制に、ロッソは船長として不安を覚えた。
翌朝、『競り市』で、三人は時間の十分前に地下鉄から降り立った。
地下鉄という名前に反して、組み上げられた鋼材の上に駅は位置し、そこから自動階段で地面に降りた。
「参りました」
ジャッキーは明らかに緊張した表情で、小柄な人物にパイアたちを紹介した。
従者を一人連れた、身体にぴったりフィットした深緑色のワンピースを着た人物。黒く艶のある髪を背中に垂らしている。
やっと青年に差し掛かったばかりの少女あるいは女装した少年に見えた。
「はじめまして、ごめんなさい、でも、あなたで大丈夫なの?」
「言われると思った」
少女は従者に手を振った。
「アノニマスと名乗らせてもらう」
クロスバル財閥の総帥アンドルー・オブ・クロスバルによる身分証明が従者の手で提示された。
「宇宙船を見立てる腕は間違いないわけね」
少女はシニカルに笑った。
そして、スクリーン上で、競りの列の後方に並んでいる一つの牽引船を指した。
「これ。競りに入る前に交渉した。これなら間違いない。私が、クロスバル財閥総帥、アンドルー・オブ・クロスバルの名のもとに保証する」
パイアはラワンデルと顔を見合わせた。
下調べした限りでは、競りは十二時に始まる。
ここは公正な競りで、中古の宇宙船に妥当な取引相手を見つける場。
いったん登録された船を、まだ競りにかかってないからと横合いからかっさらうようなまねができるのか?
アノニマスは、そんなことを全く気にする様子もなく、係員に身分証明書を提示した。係員はペコペコ頭を下げている。
「良い船だと言われてもなぁ」
最も経歴の長いロッソにも、内部に入って詳細に見ないと区別はつかない。また、肝心の推進部分と牽引部分には、競りの前に専門の鑑定が付く場合が多い。
競り市のタブレットが渡され、パイアたちは食い入るように書かれた条件を読んだ。
四人乗り。
自律航行可。
メインコンピュータはスベトラーナ型H7。
十隻の標準コンテナを引いて、恒星間航行可。
「良いわ。これにしてもらいましょう」
「信じてくれて、ありがとう」
「売買の保証人にも私がなろう」
ラワンデルが、厳しい声で制止した。
「保証人は別に探す。これ以上クロスバルの世話になりたくない」
「ラワンデル、保証人の名前の欄、見た? アンドルーご本人様々よ。これ以上の保証人があって?」
「ホントかよ、見せろ」
スクリーンの船の方ばかり見ていたロッソが、初めてタブレットを覗き込んだ。
「助かったわ、アノニマス。さよなら(アデュー)」
アノニマスは黙って握手した。
そして、背を向けてから、小さな声で言った。
「また会いましょう、マダム」
頭金をパイアが支払い、引き渡しは明後日、繋留場でと競り市の担当者と約束してから、パイアたち三人は、サントクロワ弁護士の事務所を訪れた。
「依頼の件、済んでいるよ」
「ありがとう、先生」
新しいバッジをタブレットの上に置くと、航宙士の身分証明書が示される。
「お、俺、生き返ったか。航宙士資格も復活だ」
「トマト泥棒の注意書き付きでな」
「罰金は払ったんじゃないのか?」
「払ったのはあなたじゃなくて私。これも給料からおいおい返してもらうわ」
「……ドケチ……」
「牽引船という大資産を買ったの。お金がないのよ」
弁護士が、職業的な毅然とした態度で、
「必要な手続きは済ませてある。宇宙船の名前は……」
「ANCS−1688−b。 名前はまだないわ。メインコンピュータが、スベトラーナのH7」
「よし、すべてのデータのコピーを送った。原本は、ル・ポール・ダダシェの航宙局に納めてある」
「ありがとう」
パイアと弁護士は抱擁して、両頬に軽く接吻を交わした。
「さよならは言わないわ。先生のパートナーの消息を絶対につかんでみせる」
「待っている」
ラワンデルとロッソも世話になった弁護士と固く握手を交わした。
おおよそこの時間帯、クロスバル宇宙探査部門近くの社員専用カフェには、三人の「ジャッキー」が集まっていた。
「やれやれ、やっとK絡みから手を離せるわ」
一人がタバコに火をつけた
「禁煙!」
もう一人が、ミント水に浸したナプキンでタバコの火を消した。
「諦めたほうが気が楽でしょうに」
「同じことを、アンドルー様にも言える?」
クロスバル深宇宙探査部門には同じ顔と声をした五人のジャッキーがいる。
トラブルが深刻化しそうな相手には、ジャッキーを張り付かせ、二十四時間常時対応で相手の心を翻弄し、依存させ、弱らせ、最終的に諦めさせる。
これまで、宇宙で事故にあった本人、家族、友人、皆それで潰してきた。
潰れなかったのは、今回が初めてだ。
「アンドルー様も物好きね。自社の現役の牽引船をくれてやるなんて」
「もしかしたら、二度目の人生で伴侶を見つけたのかも」
「あの女? 確かに美人だけど」
「ビューティー バット スキン ディープ」
三人は、クスクス笑った。
ル・ポール・ダダシェ最後の食事は、例のカフェ、リヨンドールで三人で摂った。
「みんな、宇宙に行っちまうのかい」
ギャルソンが、奢りのエスプレッソを配りながら三人の顔を、代わる代わる見た。
「ええ、そうよ」
「さみしくなるよ」
「アデュー(さようなら)、ムッシュ」
「オ・ルヴォワール」と違って、「アデュー」は永遠の別れを示す別れの言葉。
「もう帰ってこないのか?」
「たぶん」
三人は繋留ゲートから、自分たちのものになった宇宙船に向かった。
全長約二百メートル、巾約五十メートル。
前方が太い紡錘形の黒灰色の船体に、センサや送受信装置が飛び出している。
後端に潰れた円筒形の大きな装置が付いていて、これが牽引力の元になる。
「「「小さい」」」
三人が同時に言った。
比較するもののない競り市では十分大きく見えたのだが、隣に全長千メートルを超える客船がずらりと並ぶと、圧倒された。
「ま、あっちは図体だけだ。自律航行しないでハイウェイを航行するだけだ」
最初の動揺がおさまると、三人は宇宙船ANCS−1688−bに乗り込んだ。
一段高い船長席にロッソが座るのを見て、パイアはラワンデルの顔をちらりと確認する。
船長を巡る確執は捨てたか押し殺しているようだ。
ここからコンテナ場までの短い距離が、初飛行となる。
宇宙港とのやりとりは、安全重視でロッソとメインコンピュータのスベトラーナに任せた。
「よし、無事離脱」
「ANCS−1688−b、離脱確認。ありがとう」
お決まりの応答が終わると、一言付け加えられた。
「アデュー、パイアとお友だち」
「……アデュー、みんな」
パイアは喉を詰まらせながら返礼すると、コンソールに突っ伏した。
次回 第8話 初仕事
来週木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!