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第6話 隔壁の向こう

 アパルトマンの譲り渡しに三ヶ月の猶予をもらって、売買契約は成立した。

 契約書はサントクロワ弁護士に作ってもらったが、彼はこの話を聞いて、なぜスーパー・エキスプレス社との話し合いに自分を呼ばなかったのかと激怒した。


「クロスバルの犠牲者がまた一人でたのか」

「いいえ、先生。自分は、宇宙船を探してパイアと輸送業を立ち上げる形にするんです。大企業の歯車になるよりずっといい」


 パイアは、ラワンデルを頼もしそうに見つめた。単に消息不明のKを探すのではなく、ラワンデルのキャリアもこの形なら活かせる。


「だが、パイアが荷受人で同乗しても航宙士がもう一人は必要だろう」


 貨物に責任を持つ荷受人の試験に、彼女は一発で合格していた。


「辺境に行けば、実績で航宙士の受験資格が得られると聞きました。次はそれを目指します」


 パイアも迷いなく返事をする。


「ああ……そういうこともあるかもしれない」


 そこへ、


「航宙士を探してるんで?」


 三人は驚いてオフィスの入り口に目をやった。


 くたびれたスーツ姿の小男……自称ジャーナリストのスミッセンが立っていた。


「ボビー、なぜ通した?」

「コンピュータ秘書さんに罪は無い。私がちょいとね」

「お前とは縁を切ったはずだ。ブレイブバードに欠陥があったなどと、被害者の気持ちをもてあそんで。恥を知れ」

「そうおっしゃらないでくださいよ。いい絵が撮れてちょっとした収益になりましてね」


 パイアが頬を染める。


「私がころんだ時のね! 嫌よ」


 琥珀の瞳が光の加減で金色に光っていた。


「まあまあ。そのお礼かたがた、航宙士に心当たりがありますぜ」

「気軽に言うな。ル・ポール・ダタシェ方面の主要な航宙業は、多かれ少なかれ、クロスバルの一味だ。腕の良い航宙士がこちらにつくはずがない」


 自分を追い出した会社にはまだ恨みがあり、ラワンデルの言葉には、怒りがこもっていた。


「そうでしょう。承知です。だから、妙な噂を持ってきたんすよ」


 スミッセンが、薄ら笑いを浮かべた。


「隔壁の向こう、重工業地帯との緩衝ベルトにあるトマト畑に、航宙士を名乗る無籍者がいるらしいんで」

「なんでそんなところに?」


「監視カメラが宇宙服をとらえたという噂ですぜ。ただ場所が悪い。最下層だ」

「隔壁の向こうは、別世界だ。特に下層は無法地帯」


 ラワンデルは難しい顔をする。

 隔壁のこちら側で育った者として、パイアもうなずく。


「早く救助してあげないと……死んじゃうわ」

「今のところ、トマトを食い逃げして元気に追われてるらしいですぜ」


 サントクロワがくっくっと笑った。


「ジャーナリストが一緒なら、隔壁の向こうにも簡単に行けるだろう。クロスバルの息のかかっていない航宙士が欲しいなら、行く価値はあるかもしれない」


 スミッセンは手を叩いた。


「じゃあ、準備だ。念の為簡易宇宙服を着て」

「危ないのね」


 簡易宇宙服は、過酷な環境に二十四時間程度耐えられる設計になっている。より長時間にわたって宇宙空間に居る場合は、本格的な宇宙服をその上にすっぽり着て、生命維持装置を背負うことになる。


「準備して二時間後に地下鉄(メトロ)の始発駅で」

「分かった」

「ちょっと、ラワンデル、私の準備を手伝って!」


 ラワンデルは航宙士として当然簡易宇宙服を持っていたが、パイアは慣れない簡易宇宙服を購入しなければならなかった。


 サントクロワ弁護士事務所を飛び出して、最初に見つかった(ブティック)で、選んでいる暇もなく、銀灰色の一番安価な普及型に決めた。

 ほっそりした身体の線が綺麗にでる。


「ちょっと恥ずかしいわ」

「いえいえ、スタイルが良くてお似合いですよ」


 勧められるままに、上に同色のボレロを重ね、そのポシェにタブレットその他を収納してみた。


「いずれ荷受人として宇宙船に同乗するんだ。慣れておいたほうが良い」


 アパルトマンの大きな姿見で、何度も自分を見ているパイアに、ラワンデルが助言した。

 彼は、黒に赤いラインが入った特別注文の簡易宇宙服を着用していた。


「そう……よね」

 

 待ち合わせの始発駅に先に来ていたスミッセンは、パイアの姿を見るなり口笛を吹いた。


「こりゃ、大したものだ」

「止めて。でないとひっぱたくわよ」


 真っ赤になったパイアが怒る。

 ラワンデルは咳ばらいした。


「美人は三日で飽きると言いますが、うらやましい限りで……」


 ぴしゃん!


 パイアはスミッセンの頬を張った。


「余計なお世話よ。それより早く案内して!」

「はいはい。六人で往復だし、帰りはもう一人増えるかも知れないから……」


 スミッセンは十枚綴で割引の切符(カルネ)を買った。これで一枚で地下鉄は乗り放題だ。


「ジャーナリスト割引で」


 抜け目なく、使えるものは使う。

 経済事情も厳しい中で、これは見習わなければとパイアは思った。


 エレベーターで少し降りると乗降場(ル・キ)があった。


 暗い緑に青い線が入った列車が停まっている。


「どれでも同じ」


 おっかなびっくりの二人に対し、スミッセンは慣れたもの。


「学校の課外授業以来よ」


 小声でつぶやくパイア。

 

 慣れない衣服に慣れない環境で、彼女らは、同じ列車の別の車両に乗り込んだ三人組の男たちに気付かなかった。


 


 地下鉄は闇の中をゆっくり走り始めた。

 隔壁を貫通して向こう側へ行くのだと思うと、緊張感が高まる。


「降りるのは二つ目の『人食い砂漠』駅」

「酷い名前だ」

「気味悪いけど……」


 スミッセンはニヤリと笑って説明をしなかった。その代わりに、


「信じてついてきてくれてありがとうよ、マダム。お礼じゃないが、今回の件について俺がまとめたものだ。何かの時のために持っといてくれ」

「メルシ」


 銀色のケースに入ったメモリが手渡された。パイアは何気なく上着のポシェに入れた。


 人食い砂漠駅では、二十人ほどが下車した。

 人混みに揉まれながら駅の外へ。


「ここで降りるのはどんな人?」

「しまった……」


 パイアの問いに答えず、スミッセンの顔色が変わった。


「お二人さん、急ぎますぜ」


 駅の照明が途切れると、仄暗く赤い地平がどこまでも広がっていた。


 スミッセンは走り出した。


 頭の上から、植物の枝が垂れてくる。

 暗いのは、これが遥か上空からの照明をさえぎっているからだ。


「何よ、これ!」

「たぶんトマトだ……」


 スミッセンの背を追って走りながら、ラワンデルが答えた。


「航宙士らしい人影が確認された、トマト畑の下!」


 スミッセンが息を切らせながら言った。


()けたか……」

「……なんの、ことだ?」


 一歩遅れたパイアが、


「どうせ監視カメラがあるわよ、見つかるわ」

「シィッ」

 

 スミッセンに頭を押さえられて、二人は地に伏した。


「良い所へ来てくれたじゃないか」


 聞き覚えの無い声がした。

 同時に、


《侵入者アリ!》

《三次警戒中。侵入者ヲ排除セヨ》


 鳴り響く警報に負けじと笑い声を上げた三人組の男たちを見て、パイアとラワンデルは、やっと事態を把握した。


「よくも我々に恥をかかせたな」

「ケルベロス!」

「ひょえ! やっぱり俺を追って来やがった!」


「トマト畑の底が、お前の最後の記事になる」

「止めなさいよ!」


 武装しているケルベロスに対して、パイアとラワンデルは丸腰だ。


「これが『年貢の納め時』ってやつか」


 諦めたようにスミッセンは頭にかかるトマトの枝を払いながら前に出た。


「仕方ない……使いたくなかったが……」


 彼は小型拳銃を上着の内ポケットから取り出した。

 ケルベロスのうち二人は、自動小銃を構えた。


「お二人さん、下がって……」


《侵入者ハ武装》

《警戒度最高レベル》


 聞いたこともない不気味な警告音に、パイアは思わず耳をふさいで、赤さび色の地面にしゃがんだ。


「スミッセン、危ない!」


 ラワンデルの声を耳の端で捉える。


 レーザー照準器の赤い光がいくつも……スミッセンのみならず、ケルベロスの黒い服の上も這い回っていた。


 トマト畑を守るための自走式機関銃が、危険と判断した侵入者を強制排除するために集合している。


《武装解除!》

「畜生!」


 ケルベロスの一人が、無謀にも機関銃に自分の自動小銃を向けた。


 次の瞬間……。


 ガガガガガッと耳障りな音を立てて、機関銃が三人組のケルベロスを一掃した。

 機関銃の集中砲火を浴びたケルベロスは肉片となって舞い散った。


「スミッセン!」


 パイアは悲鳴を上げた。


 スミッセンは流れ弾に当たった形で、地面に叩きつけられていた。


 機関銃は、武器にだけ反応するととっさに悟ったパイアは、恐れずに飛び出した。

 スミッセンの小柄な身体を抱き起こす。


「しっかりして!」

「へ……へへ……あれに銃を向ける阿呆だとは思わなかった……」


 胸と腹から流れ出す血が、大地に滴った。

 赤さび色の大地は、それをみるみる吸収する。


「……美女に抱かれて、とは……」

「しゃべっちゃダメ!」


 ここは隔壁の向こうだ。

 医療機関は見当たらない。


「パイア、見ろ!」


 ラワンデルが指さした。

 バラバラになったケルベロスの残骸が、ゆっくり地面に飲み込まれていく。


「ヘヘッ、俺も……人食い砂漠……」


 スミッセンの足先が、赤い砂に覆われていた。


「嫌よ! 一緒に帰るのよ!」


 返事は無かった。

 

 しばらく荒い呼吸をして、スミッセンは静かになった。


「……人殺し!」


 パイアは頭上の深い緑の壁に怒鳴った。


「なんで、なんで……」

「パイア、落ち着け」


 ラワンデルに言われて、パイアはスミッセンの身体を地面に降ろした。 


 スミッセンの身体も柔らかいところから少しずつ大地に吸収され、しばらく白骨だけが残っていたが、それもだんだんと消えていった。衣類と拳銃と記者章が地面の上に残された。


「人食い砂漠……」


 残された二人は呆然とただそれを見ていた。


「ここの地面は有機物の分解が異様に早い」

「トマトの落ち葉一枚見当たらないわけね」


 二人は「人食い砂漠」の名の由来を思い知るのだった。


 ラワンデルが記者章を拾うと、衣類がもろく崩れた。これもやがて、分解、吸収されるのだろう。


「ここからどうやって航宙士を探せば……」


 パイアがつぶやいた。


 見渡す限りの薄暗い赤い砂漠と頭上一面を覆う緑の壁。スミッセンがいなければ、駅への帰り道も分からない。


「おーい!」


 ラワンデルが大声を出した。

 答えを期待してはいなかったが、


「……おーい」


 と返事が聞こえた。


「ここだ! 誰か来てくれ!」


 赤い薄闇に目を凝らすが、何も見えない。

 

 しばらくして……。


「なんの騒ぎだ」


 大柄な、赤毛の男が腰をかがめて姿を見せた。

 首のところが垢じみた簡易宇宙服を着ている。


「……機関銃を刺激したのはあんたらか?」

「違う」


 ラワンデルが、スミッセンの衣類の残骸を示した。


「仕事の早いことで」


 男は足元の砂を踏みにじりながら吐き捨てた。


「あなたが、トマト畑で行方不明になった航宙士ですか?」


 相手が年上なのを感じて、ラワンデルが丁寧に尋ねた。


「おう。やっと捜索隊が来てくれたのか?」

「ちょっと違うわ。でも、あなたを探していたの」


 横から口を挟んだパイアに、男の目がわずかに細められた。薄闇にそれも分かるか分からないか。

 男は話を続けた。


「ル・ポール・ダタシェだということは知っている。だけど、あそこは青空に綺麗な建物が並んだ見事な街のはずで、俺は騙されてるんじゃないかと……」

「……それは、隔壁の向こうだからです。一緒に来てください」

「望むところだ」


 パイアがまた言葉を挟んだ。


「駅がどっちかわかりますか?」


 男はうなずいた。


「分かってるのに駅から帰れないの?」

「警戒が厳しくてな。お前さんたちも見たろう、あの機関銃を」


 ラワンデルが上を向いた。


「生体認識、取られてるかな?」

「スミッセンの記者証があるわ。ジャーナリストで登録して、帰りに一人余計になると記録されてるはずよ。行ってみましょう。それに……」


 パイアはこめかみを押さえた。


「私、頭が痛い」

「二酸化炭素が濃すぎるんだ。俺は順応できたが……」

「道を教えてください」


 ラワンデルが、背中から柔らかい宇宙帽(バブル)を抜き出してくれた。パイアはそれを被り、新鮮な空気に満たされた中で深呼吸した。


「お名前は?」

「ロッソ。お前は?」

「ラワンデル。こちらはパイア」


 


 駅では多少手間取った。


 ケルベロスが機関銃で粉々にされたこと、記者証の持ち主が人食い砂漠で亡くなったこと、代わりに行方を探していたロッソを連れ帰ることを、ラワンデルは駅のシステムに報告して了承してもらわなければならなかった。


「ロッソさん、いったん無籍者として登録してここを出ます。あと罰金があるそうです」


 パイアが黙って左腕を差し出し、支払った。


「ふうん。金は女のほうが握っているのか」


 不躾な声が聞こえたが、パイアは無視した。


 支払いを終えると、三人は無事駅に入り、列車に乗ることができた。


 客室では、ロッソの身体から漂う悪臭に、周囲の乗客が眉をひそめたが、宇宙帽を被っているパイアは気付かなかった。


 アパルトマンにつくと、彼は真っ先にシャワーを要求し、そして、宅配で届いた肉料理(シュラスコ)をむさぼった。


「ロッソさん、お願いがあるんですが……」


 一息ついたのを見てラワンデルが切り出すと、ロッソは答えた。


「どんな願いにしろ、問題があるんだ……俺は死んだことになっている」


カルネはパリのメトロでは廃止されたそうですね。


次回、第7話 アデュー


木曜夜8時ちょい前をどうぞお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[一言] トマト畑の防御の鉄壁さに驚きました。トマトを守るためなら人間も容赦なくミンチにする。人肉を肥料にして育つトマトはさぞコクのある味わいでしょうね。
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