第5話 すべて投げ出して
ロッソは手当たり次第に何かをつかんで墜落をまぬがれようとするが、どこもかしこも、もろく崩れた。
「うおっ、あっ!」
つかまる物が無くなり、彼は短い距離を落下し、赤錆色の大地にストンと着地した。
「……ってえ!」
右膝の痛みに悲鳴を上げた。
とはいえ、落下速度を緩めてくれた植物のおかげで墜落のダメージは少ない。
周囲は、重い機械音が響き、薄暗い。
「誰か、誰かいないか?」
呼ばれるのを待っていたかのように、汚れた下着だけ着けたヒョロガリの老人が這い寄った。
「あんた、誰だい?」
「トマト畑の非公式の管理人さ。今の破壊行為はお前だな」
ロッソはうなずいた。
「非公式の管理人?」
「おう。俺は、ル・ポール・ダタシェに登録されていねえ。幽霊みたいなもんだ。トマト畑の管理を手伝って食ってる」
上を見上げる。
一面の暗い緑の空。
その外には恒星の明かりを和らげる遮蔽装置があるのだろう。
彼の慣れ親しんだ宇宙は、さらにその外だ。
ロッソはパウチに入れてきた小さなインゴットを差し出した。
「金目の物かい?」
「イリジウムだ。そこそこの値にはなる。食い物を……」
「食い物だったら、そこに支給所があるぜ。隔壁の向こうからのお恵みさ」
老人はあきらめを含んだ声で言った。
ロッソが右足を引きずって立ち上がると、頭が天蓋となっている植物の下枝に触れた。
老人が示した方に少し歩くと、赤と黄色のケバケバしい円柱があり、絵文字に従って手を差し出すと、
《住民に登録しましょう。登録の無い方は一日二回まで利用が可能です》
と、音声が流れた。
乾いたハンバーガーと炭酸飲料を受け取り、薄闇の中でかじりついた。
美味い。
「上のトマト畑から降ってきたやつは初めて見たぜ」
話し相手に飢えていた老人が再び寄ってきた。
「ここは奈落の底。いったん落ちていてしまうと二度と上がれねぇ」
「俺は貴重な航宙士だ。捜索されるに違いない」
ロッソは、おそるおそるパウチのデータベースを開いてみた。
「イリジウム鉱山襲撃に巻き込まれて航宙士が二名死亡……死亡。俺は死亡扱いか……こういうのは本当に手回しよくやるもんだ」
彼はタブレットの画面を弾いた。
ジャッキーには「自分たちで探す」と強気なたんかを切り、宇宙開発事業を一手に引き受けているクロスバル社からの協力を取り付けたものの、行く手は岩だらけの道に等しかった。
パイアもラワンデルも、臨時休暇に加えて通常の有給休暇を取った。
「まず、宇宙船」
難しい顔をしてデータに向き合うパイア。
「自立航行可能な牽引船で、必要物資をデポしながら深宇宙へ向かうわ。どう?」
「机上では可能かもしれないが……本気なのか?」
カタログをスクロールして細い肩を落とし、
「全財産出しても、宇宙船は買えないわ」
いくら運用益があったと言っても所詮個人の財産である。
「一ケタ違うの」
「それ、誘導式のだ。自立航行型はもう一ケタ上だ」
画面が切り替わって、パイアは高値に悲鳴を上げた。
「それに船を買ったって、お前は乗り組めないんだぞ」
ラワンデルの言葉に、パイアは椅子から立ち上がった。薄い枯葉色のショールを巻いてアパルトマンの鍵を手に取る。
「サントクロワ先生に、素人が宇宙に出る方法を聞いてくる」
「……ああ。よろしく伝えておいてくれ」
パイアは、弁護士をオフィスに訪ね、結婚契約の相談に来ていた二人組の次に、彼に会った。
「先生、ここにこもってちゃ、いけないわ」
眉間に針を刻んだサントクロワの顔を見て、パイアは思わず声をあげた。
「お気持ちがつらいのは分かるけど、外行きましょう。公園!」
「待ちなさい、そんなことのためにここに来たんじゃないだろう? 君の問題を話したまえ」
「一緒に公園に行ってくれたら話すわ」
弁護士はため息をついた。
「ボブ、次の来客は?」
「二時間後です」
コンピュータの声が感情を交えずに言って、「ほら!」とパイアはサントクロワの腕を取った。
弁護士はまたため息をつき、縁の折れ上がった帽子を掴むとコンピュータにオフィスをロックするよう指示した。パイアは彼の腕を引いて歩道を歩いた。
外はいつもどおり、青空の下に美しい街並みが広がっていた。ただ今日の青空は少し鮮やかさを落とし「くもり」の演出である。
「見て!」
パイアは、公園に着く前に、衣料品店のドアに取り付けられた鏡を指差し、映った弁護士の姿をサントクロワ自身に見せた。
「これが……わたし……」
激務と不安と、そして孤独が、彼をげっそりと十歳も老けたように見せていた。
「ご飯、食べてらっしゃる? 眠れてる?」
パイアが畳み掛ける。
「君たちは喉を通るのか? パートナーを失って平気なのか!」
怒りを含んだサントクロワの返事。
「私もラワンデルも、航宙業に就く者として高ストレスに耐える訓練を受けてる。だからこうやって立っていられるだけ。家族を失って、心は張り裂けそうだわ」
サントクロワは帽子を取った。
「……すまなかった。表面だけで判断して」
「いいのよ。お気持ちはよくわかるわ」
公園まで歩き、ベンチに座る。
緑の芝生に設えられた花壇に咲き誇る、真っ赤なダリア。
池の鴨に餌を投げる子どもたち。
サントクロワがため息ではない深い息を吐くのが分かった。顔を上げて、池の向こうの樫の木を見やった。
「妻を、愛している……」
「先生、チームが捜索を断念するという話は聞かれました?」
「聞いた」
握りしめた拳が震えている。
「事前の契約を盾にされて、抗議は受け入れられなかった」
深宇宙探査船ブレイブバードの乗組員に何かあっても、クロスバル社の責任を追及しないという、残された家族にとっては非情な契約書。
「あの契約は違憲だ。私は戦う」
「私たちも諦めてないの。航宙士のラワンデルと一緒に、私も宇宙に出てブレイブバードの行方を探してみる。でも、管制官の私には宇宙船に乗り込める資格がなくて。何か方法はないかしら」
パイアは、琥珀色の目に真剣な表情を浮かべて弁護士の目を見た。
「難しいな……だが、私の代わりにパートナーを探してくれるんだ……何か」
サントクロワは目を閉じた。ゆっくりと心のページをめくっているように見える。
「そうだ、荷受人……荷受人なら輸送するコンテナの管理責任者として『牽引船に同乗しても良い』となっているはずだ」
パイアは目を輝かせた。
「その資格はどうやったら取れるの?」
「受験資格は問わない……筆記試験だけだ……」
「試験はいつ?」
「毎月行われているはずだ。荷受人の需要は多い」
それは、ル・ポール・ダタシェの宇宙港としての繁栄をも意味していた。
「基本的な知識は管制官と共通するところもあるし、受けてみるのが良いだろう」
「先生!」
パイアは思わず、サントクロワの首にかじりついた。
「ありがとうございます、先生」
サントクロワはのけぞりながら、
「可能性がある限りかけてみる。私のパートナーを異次元から連れ帰ってくれ」
「はい。全力を尽くします」
彼女の心の高揚を示すように、池の鴨が飛び立った。子どもが歓声をあげる。
「ボブ、次の来客とのアポをもう一時間後にしてもらえないか」
「かしこまりました」
忠実なコンピュータの事務員が返事をする。
「先生……」
「この近くに行きつけの定食屋があったことを思い出してね」
「……先生!」
「私一人分なら、この時間でも何とかしてくれるだろう。……もちろん、君たちの出発が決まったら、みんなでで食べに行こう」
ラワンデルは迷っていた。
Kを探しに行きたいのは純粋な気持ちだが、ここまで順調に来た航宙士のキャリアを捨てることに未練があった。
今のところ、パイアは迷わず職を捨て、Kを探しに行くつもりだ。
「探すと言っても……」
手がかりは、不完全な座標と、消息を絶った位置と、観測された重力波の波形のみ。
宇宙の航行に詳しければ詳しいほど、それだけのデータで行方不明の宇宙船の位置を探り当てる困難さは容易に想像がついた。
「あの、クロスバル社の専門チームが諦めたくらいだし」
パイアは完全に前のめりになっている。
彼女が見ていた宇宙船のカタログを閉じながら、ラワンデルはKのことを思った。
遺伝的要素にも腕力にも学力にも、必ずしも秀でているとは言えない自分を、たびたびかばってくれたK。
彼は同じ正義感から、個性の強い容貌──美貌──で孤立しがちなパイアもかばった。
パイアはそれを純粋に好意にとらえたがラワンデルは、やや屈折した思いで受け入れていた。
そのKがいなくなる。
心の何処かが軽くなるものを覚え、そんな自分をラワンデルは自分で嫌悪した。
「有給休暇ももうすぐ切れる」
彼は一度出社して、上司にアドバイスを求めようと思った。パイアのような宇宙港の管制官とは違って、航宙士のリスケジュールは簡単ではない。
まだ戻ってこないパイアにメッセージを残し、ラワンデルはスーパー・エキスプレス社に顔を出した。
顔見知りのマネジャーなら、アポ無しでも少々待てば会ってくれるだろう。
エントランスホールに居座るのっぺりした受付のホログラムに面会の意向を伝えバッジを示すと、五分も経たずに三階の小会議室に案内された。
鼻ヒゲをたくわえ、眼鏡をかけたマネジャーが遅れて会議室に入った。
「よく来てくれた、ラワンデル君」
彼は慣れ慣れしくラワンデルの肩を叩いた。
向かいの、ブラインドを下ろした窓を背に座り、タブレットを神経質にこすった。
「こちらでも君の処遇に苦慮していてね」
「どういうことでしょうか?」
「その、正式な入社を辞退してもらいたいんだよ」
息を呑んだまま思考が止まる。
「このままだと、君の精神的瑕疵を経歴に記載することになり、長距離の任務から外れてもらうことになる。当社の任務は長距離のみなので……」
「……精神的瑕疵とは、なんのことですか?」
口がからからに乾いて言葉が出ない。
マネジャーは大げさに天井を眺めた。
「君、ご家族を深宇宙で亡くしただろう。平常心でジャンプできるのかね?」
「……できます。それとこれとは別ではありませんか?」
マネジャーの目が細くなる。
「心理テストを受け直してもらってもいいんだよ」
ラワンデルの胸が不吉な思いにどくどくと波打った。心理テストの判定内容はプライバシーを盾に公表されない。結果によってはジャンプ航行の許可がおりない。
そんな不利な結果に誘導し放題だ。
しかも、その結果は経歴に記載され、キズになる。
「ウチで実習したからといって、ウチに雇われると勘違いしてもらわないでいただきたいね」
理屈はそうだ。だが。
「口頭で、全員入社してほしいと……」
「記録でもあるかね」
マネジャーの粘液質な視線が身体をはい回る。
最後に決定的な言葉が、彼の口から漏れた。
「君がご家族の件でクロスバル社と係争を抱えているのはこちらも把握しているんだよ。そんな地雷付きの要注意人物を正式雇用すると思ったかね」
子会社一覧には乗っていなかったが、この会社も、クロスバル社の影響下にあるのだ。
「それが、雇用しない条件に当てはまるんですか? 弁護士を立てましょうか?」
「君、君のそんなところだよ。その弁護士というのも、クロスバル社と係争中の人物だろう」
安全圏からの言葉の暴力。
守ってくれたKはここにはいない。
ラワンデルは、打ちひしがれてうなだれた。
「この場で円満に辞退してくれるのが、弊社にも君の経歴にも傷をつけない、一番良い道なのだよ」
その後、ラワンデルは、どうやってアパルトマンに帰ったか、記憶が無い。
入口で崩れ落ちるラワンデルを、パイアが抱きとめた。
「どうしたの? ラワンデル、何があったの?」
ラワンデルは、妙にギラつく目をしていた。
「パイア、本気で宇宙に出るのか?」
「私はそのつもりよ」
「よし、このアパルトマンを売りに出そう」
「えっ、そこまで本気で……」
パイアはしばらく目を閉じて考えてから、静かに答えた。
「頭金にはなるわ」
その日のうちに、SNSに広告が一つ増えた。
【三人向けアパルトマン売ります。要交渉】
翌日連絡があり、大きな犬を連れた老夫婦から中を見たいとやってきた。
「この家具ごと、全部譲るわ」
大きく腕を広げてパイアが言った。
「家具よりも居住権ごとなら、ねえ。私たちもそろそろ福祉先進国のお世話になりたいし」
若い二人は顔を見合わせた。
「二度とル・ポール・ダタシェに住めなくなるぞ。Kを連れ戻しても故郷が無くなる」
「その時はその時よ。居住権ごと売れば、頭金に十分足りるわ」
パイアはジャッキーを呼んだ。
「居住権を譲渡するわ。証人になってちょうだい」
「どうして私がそんなことの……」
「すべて売り払って宇宙船を買うの。そしてブレイブバードを探しに行くのよ。あなたに一番関係あるでしょ」
次回、第6話 隔壁の向こう
来週も木曜夜8時に更新します。
どうぞお楽しみに!