第4話 牽引船
四人はサントクロワの弁護士事務所に入った。
重厚な木製のデスクの上に、四十絡みの女性の写真。笑顔が美しい。
「……マリア・D・サントクロワ船長」
深宇宙探査船ブレイブバードの優秀な船長だ。
未知の領域に挑み、成果を上げて無事に五人の乗組員を連れ帰るはずだった。
深夜のこととて事務員もおらず、サントクロワ自身が濃いコーヒーを淹れてくれた。
硬めのソファに腰掛ける。
「……失ったとは信じたくない」
サントクロワは、写真を手にとって厳しさと悲しみの入り混じった表情で、パートナーの笑顔を見つめた。
「君たちも同様だろう? K、だったかな」
二人はこくりとうなずいた。
「……クロスバル社のジャッキーが調査してくれてるわ」
「宇宙機雷に触れたという話だろう? 都合が良すぎて信じられない」
スタンドの柔らかい明かりが、苦悩を隠さないサントクロワの横顔を照らす。初老に差し掛かるその顔に刻まれた深いしわ。
パイアは思わず自分の頬に手を触れた。
「船体に不備があったか、計画に無理がなかったか、私はそれを追求するつもりだ」
パイアはラワンデルの顔を見た。
ラワンデルはうなずいた。
「サントクロワ先生、これは聞かれましたか? アン・アン・トロワ・ドゥブルヴェ・ドゥ・シス・ナフ・ドゥ・ポアン……」
「数字と記号の羅列?」
パイアが首を振り、ラワンデルが身を乗り出した。
「これは、座標なんです。おそらくブレイブバードが跳ばされた先の」
「しかも、船の位置を原点にした相対座標」
「どういうことだ?」
「宇宙船に異常があったときは違うんです」
ラワンデルがカップを置いた。
「船体に異常が出た時は、自動的に異常が出た位置が送信されます。それも絶対座標で」
パイアが言い添えた。
「これは相対座標だし、人の手で送られています」
「では、船体の不備の可能性は無いと?」
「その場合、異常があった地点の絶対座標と相対座標が二重に送られるんじゃないかな。航宙士として言わせてもらえれば、船体に異常があった可能性は限りなく少ない」
サントクロワは宇宙航行には素人だ。
その素人にもわかるように、ラワンデルは丁寧に説明した。
サントクロワは深いしわを眉間に刻んだ。
「では、妻は異次元の空間を彷徨っている可能性があるのか。君たちの家族とともに」
それは、考えようによっては死ぬより残酷なことだ。
「パイアと俺はそう考えています。クロスバル社の調査どおりに」
「そもそもそこのジャーナリストに吹き込まれた話じゃありません?」
スミッソンは横を向いて鼻をかいた。
「君、私を騙そうとしたのかね」
「自分は仮説を申し上げただけですぜ」
パイアに続いてラワンデルも立ち上がった。
「そこはお二人でよく話し合ってください。私たちはクロスバル社の調査を信用しています」
「……まだ混乱しているが……話せて良かった」
「自分たちもです」
三人は握手を交わした。
「法律問題ならいつでも相談に乗れる。頼ってくれ」
「ありがとうございます」
「今夜は君たちのアパルトマンに帰らない方が良い。斜向かいのホテルは懇意にしているから、私の名を言って泊めてもらえる」
「何から何まで……」
「ありがとうございます」
パイアたちはサントクロワの事務所を後にした。
紹介してもらったホテルの居心地の良い部屋で、夜空を見ながらパイアがつぶやいた。
「私、深宇宙に行ってみたい。できればブレイブバードが消息を絶ったところまで。そこで例の座標を確認すれば何か分かるかも」
「無理だ。冷静に考えてみろ」
ラワンデルに即答されてがっくりと肩を落とす。
「絶対に無理?」
「深宇宙ギリギリまでなら行けないこともない」
「どうやって!?」
彼女の琥珀色の目が輝いた。
「自立航行型の牽引船を使えば」
「コンテナ船を引っ張るやつ?」
「そうだ」
推進能力のないコンテナ船を五から十隻、強力な牽引船で曳航するのが現在の貨物輸送方法だ。
そして、牽引船にも二つの型がある。
一つは自力でジャンプに必要な座標測定とシミュレーションが自力ででき、航路を外れても自由に宇宙を航行できるもの。
もう一つは、航路に設置された信号を拾って航行し、ハイウェイや特定の整備されたところだけしか飛べないもの。
当然前者の価格のほうが遥かに高いし、航宙士にも特別な資格が求められる。
「ラワンデルは、自力航行型の操縦できたわよね」
「ああ。でも宇宙船を動かすには一人じゃ無理だ。オートパイロットに任せる時間をとっても最低二人航宙士は必要だ」
「私じゃだめ……よね」
「資格がないだろ」
宇宙港の管制官が航宙士になるには、訓練校に入って一から学びなおさなければならない。
「そうか……私も航宙士の資格を取ればよかった」
三人、道は違えど共に生きようと誓った瞬間のフラッシュバック。
「客じゃなしに宇宙船に乗るには資格がいる」
ここにも壁がとパイアは唇を噛む。
「私の資格、自力航行型の牽引船ともう一人の仲間がいれば……」
パイアはつぶやいた。
翌朝遅く、おそるおそるアパルトマンに帰ってみると、クロスバル社のジャッキーが室内で二人を待っていた。
脚を組み、灰皿にされた皿には吸い殻の山、新しく細巻きタバコに金色のライターで火をつけて、
「問題人物と接触するとは、やってくれたじゃない」
「サントクロワ弁護士のこと?」
「そう。」
「彼は馬鹿じゃない。船体の異常ではないことは分かってくれたよ」
「あの石頭の考えを変えるなんて、よくやったわね。その点については礼を言っておく」
サントクロワ弁護士の関係は相当こじれているらしい。
「ジャッキー、その、タバコは……」
「ああコレね、ついイライラして」
ジャーナリストのスミッセンに接触する前とあとではまるで別人のジャッキーの姿に、パイアはついていけない。
「ジャーナリストなんかを頼るのはおやめなさい」
「でも……ちゃんと記者証を持っていたわ。そのへんの興味本位の売文屋じゃないわよ」
「記者証にどれだけの価値があるのか。素人発信者のほうが信用されてるわよ」
ジャッキーはせせら笑った。
「悪いけど、調査は行き詰まっているわ。あと一ヶ月で新たな手がかりが出なければ、失踪手続きに入らせてもらう。その許可を取りに来たのよ」
パイアがいきり立って反論した。
「私たち自身で調べるわ。止めることはできないはずよ」
「何百回もシミュレーションを繰り返したのよ」
「ブレイブバードの航跡をたどって、船が消えた地点まで実際に行ってみる」
「本気なの?」
「本気だ。さっさと帰って上司に報告しろ」
ラワンデルもたたみかけた。
ジャッキーは深々とタバコの煙を吸い込んで、天井めがけて吐き出した。
トントンと耳を叩く。
「はい、ボス。了解しました」
小型の通信装置だ。
「ブレイブバードが設置して行ったブイの詳細な情報を渡すように言われたわ。そちらの『調査』の準備が整ったら送信するから連絡を」
あっさり希望が通って、パイアはあわてた。
「待ってよ、連絡って言ったって、私たちが自由にできる宇宙船だってまだ無いのよ」
「『まだ』ね。いずれ考えていたってことでしょう。私たちの探査能力を素人のあなたたちが上回っていると思うんなら、行きなさいよ」
ジャッキーは皿でタバコをもみ消しながら、
「昨夜寝てないんでしょう?」
「ジャッキー、あなただって」
「私は良いのよ。これからも、二十四時間いつでもジャッキーに連絡を取ってちょうだい」
ジャッキーは顔を歪ませて笑った。
人類が居住している宇宙は広い。
生命維持に不可欠な水、有用な鉱物などが存在すれば、人はそこに住み着く。
資源を巡って争いが絶えなかった。
無人の掘削機がクモのように脚を広げて大地に張り付き、削る。ベルトコンベアや吸引チューブで後方に送られ、精錬、成形、コンテナ船への積み込みが行われる。
コンテナ船は船団を形成し、一隻または二隻の牽引船に曳航されて目的地まで宇宙を旅することになるのだ。
「順調に送り出せているな」
たいていは二十ヶ所ほどの鉱山を監視するために監視所が設けられ、そこは人が生存可能な環境が整えられている。
「サンドイッチ、食うか?」
「おお、ありがとさん」
悲劇はたいてい予期されずに起きる。
突然鳴り出す警報、センサに飛びつく者、報告を求める者、そして、
「迎撃!」
接近する高エネルギー体を相殺するためのエネルギー体が射出される。
「反応は?」
「変化ありません。敵が強すぎる!」
「脱出を……」
「総員退避! 家族持ち優先だ!」
ちょうど三分後、相殺しきれなかった高エネルギー体が、居住区を襲う。
構造体が四散した。
人は溶け、蒸発した。
どこの誰に襲われたのかを理解することもなく、居住区の住民は全滅した。
遠からず、襲撃者が居住区を再建し、新しい言葉で掘削を命じ、違う方向へ進む船団に資源は搭載されるだろう。
航宙士、ロッソの乗っていた牽引船率いる船団はこの爆発に巻き込まれた。
爆発地点が近かったので、警報音と重力波の衝撃が同時だった。
「牽引解除」
コンテナを牽引するための力場が爆発で生まれた破片を船へと引き込んでいくのを避けるためだったが、遅かった。
さえぎる物の無い宇宙空間を、勢いに乗った破片が集中して音もなく牽引船に迫った。
「相棒、起きろ」
返事はない。
一瞬後の決定的な悲劇を予測して、ロッソは緊急避難カプセルに移乗しようとして、やめた。
「どっちにせよ破片の嵐に打たれて助からねえ」
彼は、宇宙帽を簡易宇宙服に取り付けると、二百メートル先の一番近いコンテナ船を目標に牽引船から脱出した。
脱出口で推進装置を肩に担ぐ。
彼が貴重な金属の積まれたコンテナ船に潜り込むと同時に、打ち付ける破片によって牽引船が吹き飛んだ。
その破片が、さらに危険な凶器となって、船団のコンテナ船を襲う。
コンテナ船に食い込むあらゆる破片の衝撃に耐えながら、ロッソは簡易宇宙服が備えている酸素と水を確認した。
(十八時間分か……)
そして、宇宙帽の弱いライトの照らすコンテナの中で、反応の無かった相棒のことを考えた。
「あいつ……寝たまま死んだな」
ロッソは冷たくつぶやいた。
相棒ではあったが、特に思い入れのある人物ではない。
(十七時間……)
牽引船を失ったコンテナ船は、同時に重力も失い、積み荷のインゴットが宙を漂う。
彼は、自分が即死ではなく緩慢な死を選んだことを呪った。
彼がなすすべもなく終末へのカウントダウンをしている間も、人の耳には聞こえないが、あらゆる方面に船団が遭難したことを絶対座標で示す緊急信号が発せられていた。
「アルタイル二五船団、遭難!」
「救助班、回収班、出動」
二十時間後、牽引船の残骸とコンテナ船は回収され、最寄りの宇宙港、ル・ポール・ダタシェに曳航された。
コンテナ船は、入港後外見の被害をまず報告され、その後、隔壁の向こうの工場群に運ばれた。
精錬されたプラチナのインゴットに埋もれていたロッソを紛れ込ますという不手際をしたまま。
彼は気絶していた。
カプセルならば救難信号が出るが、簡易宇宙服の装備では自発的に出さなければ、救難信号は出ない。
気づかれることなく彼を乗せたコンテナ船は点検をくぐり抜け、隔壁の向こう行きの工業地帯に運ばれて行った。
隔壁を通り抜けるときの振動でやっとロッソは気がついた。
「息ができる! 生きてらあ!」
備えられていた酸素の誤差分で、かろうじて大気のあるここまで保ったのだ。
「緑が見える!」
彼は本能の命じるままに、コンテナ船から緑のジャングルに身を投げた。
ボクリと右膝で嫌な音がして激痛が走った。
折れた膝をかばいつつ、彼は周りを見回した。
低い天井から降り注ぐ人工の明かり、水耕栽培用の水路。これに彼は引っかかっていた。
彼はまず水路の水を飲んだ。
「これは……食える」
記憶にない見た目だが、脳が「食い物」だと判定した。
少し赤みを帯びた緑の果実に食らいつく。
二つ、三つと、彼はみずみずしい果実を胃に送り込んだ。
「侵入者アリ!」
と、叫ぶ機械の声と警報音が鳴り響いた。
脚の痛みに耐えながら、彼は身体の力を抜いて下の階層に滑り落ちた。
灯の光が届く限り整然と並んでいる緑の構造体が、彼の体重で音を立てて壊れる。
「うわぁ、あぁ……」
異様な青臭い匂いを身体中にこすりつけながら、彼の落下の勢いは増した。
お休みありがとうございました。
お久しぶりの木曜夜8時ちょい前です。
次回は、
第五話 すべて投げ出して
来週もよろしくお願いいたします。