第18話 その声
すっぽりと、ユングフラウの巨体に穴が空いた。
そしてその穴に吸い込まれるように空間がゆがみ、ユングフラウはなす術なく自分自身に開いた穴の中に吸い込まれて消えた。
一瞬の間をおいて、周囲の重力場が乱れに乱れ、牽引船ANCS−1688−bもまたプラットフォームから引き剥がされて宇宙空間に放り出された。
「……ヌーボーオルレアンから離れる! 揺り返しがきたら衝突する!」
「頼む、ラワンデル」
荷を引いていない牽引船は身軽だ。
経験が浅いとはいえ、船はラワンデルの操作に的確に反応し、スクラップが漂う間隙を縫って、ヌーボーオルレアンの宇宙港から離脱した。
「ふう、やれやれだぜ」
彼の声をパイアは膜一枚隔てたぼんやりした意識で聞いた。
避難船を空母ユングフラウの手から逃しきった安堵感と、さっきの乱暴な逃走で、人事不省一歩手前だ。
「フッフッフ、見たか、我らの新兵器を……」
牽引船とは違い、重量のある戦艦は重力場の乱れの影響をあまり受けていないようで、満足気な声が牽引船ANCS−1688−bの中にも流れた。
「あれは、なんだ?」
「自分自身の中にジャンプさせて空間を歪め、巨大戦艦をも無力化する兵器が開発されているとデータにはある。まだ開発中のはずだが……」
スミッセンが答えた。
「乗組員は……」
「もちろん生きてはいないだろうな」
「ひどいことをするな……」
拠り所となる空母ユングフラウを失い、駆逐艦、他の船は、逃げ散った。
「海賊ども! そして牽引船ANCS−1688−b! ヌーボーオルレアンからの避難に協力してくれた礼を言う!」
「その前に名前を知りたいんだが?」
「これは失礼。本艦は空母オルタンス。自分はアダム・ソレスト提督……」
彼の声に高揚感があるのは、敵空母ユングフラウを一撃で沈めたという軍人らしい喜びからだろう。
「アダム・ソレスト提督……自分たちは一人でも多くの民間人を戦地から逃がそうと努力しただけです」
「その間、ゆっくりとユングフラウの質量、密度を計測し、この大砲にデータを入れることができた。結果として感謝する」
ロッソもラワンデルも、そして気力を使い果たしているパイアも、返事ができなかった。
代わりに、
「……その『大砲』は新兵器のようだが……」
スミッセンが、空母オルタンス側にあけすけに尋ねた。
「むろん。初の実地使用に立ち会ったことを誇るが良い」
「……非人道兵器として禁じられる可能性は? 宇宙機雷と同様に」
最後のところで、パイアがピクンと反応する。
「非人道兵器? そんなことは聞いてないな」
アダム・ソレスト提督は含み笑いをもらした。
「アダム・ソレスト提督……自分はスミッセンと言いますが、これでもジャーナリストの一人で……いや、一人だった」
「それで?」
「このちっぽけな船が記録した物を、すべて宇宙ジャーナリスト協会のアーカイブに送らせてもらった」
「なに!」
もしスミッセンが生身の身体を備えていたら、得意満面のニヤニヤ笑いをこらえているだろうなとパイアは思った。
戦争にはルールがある。
いかに巧妙にルールを破るかが勝敗を決めると言って良い。
すでに非人道兵器として禁じられている宇宙機雷と同じ機序で、大艦を歪めてどこか遠くの宇宙もしくは異次元に飛ばしてしまう「大砲」の脅威はいかばかりか。
それが民間の施設に使われていたらどうなることか。
細々と機能している宇宙連盟は総がかりでこのシステムを潰しにかかるだろう。
「目撃者は……消しておくべきだったな」
「今から消しても無駄ですぜ。今頃、もうスタッフがアーカイブの分析にかかっているでしょうよ」
しまった、と、自らの軽率な行動を悔やむ、アダム・ソレスト提督の姿が見えるようだ。
彼が逡巡している間に、牽引船は宇宙都市ヌーボー・オルレアンの裏側に逃げた。
「こっちでもやってら」
「空母を失って負け戦は確実なのに?」
パイアがつぶやく。
「どこまでも争う運命だとでも?」
その時、ピーンと呼び出し音がした。
「牽引船のパイア、さっさと逃げろ!」
「あなたは誰?」
「俺たちは黒騎士……この空域を統べる者」
宇宙軍の主力が生死を分ける戦いを行っているこの局面で、黒騎士の名乗りはいささか滑稽だったが、牽引船ANCS−1688−bには必要なアドバイスだった。
「必要もないのに戦場にとどまるのは馬鹿だ」
「了解、黒騎士、最短のハイウェイまで逃げる」
「俺たちが誘導した避難船もたいていそっちに向かっている」
「了解」
ラワンデルは直近のハイウェイに向けて針路をとった。
「荷を、どうするの!」
「保険会社に、宇宙海賊に奪われたとでも言っておけ。何なら証人になるぜ」
「荷を奪った張本人を証人として認める理由無いでしょ! 貴重な電子部品を……」
「アンカーは付けてあるんだろうな?」
ああ、そうだった、とパイアは握りしめていた拳をほどいた。
「付けてあるわ……探し出してから、こちらもハイウェイに向かう」
「忘れん坊の美人管制官、またな」
戦場から離脱する宇宙海賊の船が、先に進んでいる。
「スミッセン、いつの間にデータを送っていたの?」
「あんたが避難船を誘導すると決めたときからだ。いい絵になった。ほら、ダウンロード数が、もう一万回を超えた」
「船内の絵は出してないでしょうね?」
「もちろん。一応、脱出の指揮を取る美女のデータは残してあるが」
戦場とは遠く離れたどこかの誰かが、この、命で編まれたタペストリを、ポップコーン片手に見物しているのだろう。
そう思うと、パイアは胸が悪くなった。
「俺たちも、ル・ポール・ダタシェでは、こんな苛烈な戦争が行われているなんて、思ってもみなかったよ。戦争は終わったもので、ただ、Kのやつは運悪く巻き込まれただけだってな」
ラワンデルが眉間にシワを寄せる。
「気をつけないと……Kを探す前に私たちが宇宙のチリになってしまうわね」
「パイア、ラワンデル、もう、さっきのような無茶はするな。俺は雇われ船長として、お前たちが無事家族を探し出し、退職金をたんまり貰ってこんな危険な仕事とはおさらばしたい」
パイアがしょんぼりした顔で「見てられなかったの」と弁解する。
「さあ、荷は探し出したぞ。幸いコンテナに傷は無いようだ」
「ありがとう、ラワンデル」
「さあ、俺たちも脱出だ」
もうすぐ海賊団の先頭がハイウェイに届くというときだ。
バシュウゥッ! と眼の前でマグネシウムを焚かれたような閃光が目に入った。
「重力波! 対ショック!」
ロッソが叫ぶ。
「まさか、まさか、奴ら……」
と言うのは空母オルタンスらのこと。
すぐに黒騎士から通信が入った。
「しまった、やられた!」
「宇宙機雷だ、なんてことだ……」
ねじ曲げられた空間が、極限までたわみ、と思うと、一転、周囲の宇宙船やその破片を巻き込んで暗転した。
宇宙機雷が発動してから、異次元のいずこかへ消えてしまうまで一分もかからなかった。
「エルモ! エルモ! 返事を……」
眼の前で繰り広げられた静かな惨劇に、黒騎士を名乗った宇宙海賊の首領はコンソールを拳で殴りつけた。
「ハイウェイは閉ざされた」
スクリーンには、クラッスス宙域の軍服をまとった白皙の貴公子。空母オルタンスの指揮官だ。
黒髪をかきあげて、
「残りも殲滅しろ」
海賊船のほうが動きは早かった。
生き残りの三隻は、それぞれが別の方向にジャンプして消えた。
この戦いを、宇宙港の残骸の中からパイアたちは感知していた。
「未だに宇宙機雷を使うなんて!」
「ブレイブバードも先の大戦ではなく、こいつらの宇宙機雷に触れた可能性があるな」
「許せない。スミッセン、今のも記録した?」
「もちろん」
ロッソがコンソールを叩いた。
「ジャンプだ! 俺たちもオルタンスに殺られるぞ!」
「残念だが、やはり荷は置いていけ。ジャンプの距離が短くなる」
「了解……」
「ハイウェイ無しでプルート座宙域を目指すぞ」
「よしっ」
「了解」
「燃料切れの懸念がある。ジャンプは効率的に」
スミッセンがアドバイスした。
皆の頭に血が上って、アドレナリン全開の今、肉体を持たないスミッセンの忠告は貴重だった。
「プルート座宙域の立体図を!」
ロッソの指示が飛ぶ。
「パイア、へばってないで動け! 生き残るんだ!」
「了解。立体図投影……」
これまでよりも閑散とした宇宙の立体図がスクリーンに投影された。
「やべえ。闇雲にジャンプしたら、直近の宇宙港にたどり着け無いところだった……スミッセン、ナイス」
「良いぞ。宇宙港コレーが直近だ。ここを目標に……」
「了解、コレーの公式座標入力。ここを最終目標に、五回のジャンプを連続して行う!」
「荷は捨てて正解だったわ……」
「ジャンプ開始! まさか深宇宙側に逃げるとは思わないだろう……」
ロッソの感想は、空間の歪みに飲み込まれた。
燃料の残量はイエローゾーンに入っていた。
「宇宙港コレーだ! なんとかあそこまで……」
荷を捨てて、空母オルタンスからの追跡を振り切った牽引船ANCS−1688−bは、宇宙港コレーに接近を試みた。
「こちら牽引船ANCS−1688−b、宙域間の紛争から逃げて来た。もう燃料が乏しい……受け入れ頼む」
「牽引船ANCS−1688−b、受け入れ依頼は拒否します」
なんでぇ、とロッソが通話を切ってからボソリとつぶやいた。
「そこをなんとか……こちらには子どもも乗っているんだ」
「牽引船ANCS−1688−b、繰り返します。受け入れ依頼は拒否します」
「せめて、理由を聞かせてくれ」
「……極めて重要な会談の準備のためです。これ以上の回答は拒否します」
パイアが、星図を出した。
「一番近いところで……宇宙港ケレス。大きいけど、こっちへ行ける? スミッセン?」
「五分の二で燃料が尽きる」
「そんなぁ!」
ラワンデルが、別案を出した。
「会談が終わるまでここで待っては?」
「おう、それはどうだ、スミッセン?」
「まずい非常食を食べれば、十日は保つ」
ロッソが、気力を振り絞るように通信機に向かった。
「では、会談が終わるまで、ここで待機させてもらう。どうだ?」
答えをためらうように、沈黙が続いた。
「お願い、子どもだけでも安全な宇宙港に受け入れて!」
パイアが叫んだ。
「……その声」
プツンと通信は途切れた。
「声が何だってんだ!」
「返事になってない!」
怒りをあらわにする男二人。
「牽引船ANCS−1688−b、確認です。ヌーボーオルレアンからの難民船脱出を管制したのは貴艦ですか?」
「貴艦と呼ばれるような船じゃないが、間違いない」
また沈黙。そして。
「寄港を歓迎します。誘導波に従って入港を進めてください」
牽引船の中は、呆けたような雰囲気が漂った。
「何がなんだか分からないが……チャンスだ。行け、ラワンデル!」
「了解! 前進!」
スミッセンがボソボソ喋りだした。
「宇宙港コレーは、パイアの声に反応している」
「え、私の声?」
「うーん、あれだけ全方位に呼びかけて、声が知られてないとは……」
「まさか、もしかして、避難民がコレーにたどり着いていた?」
自力のジャンプではなく、ハイウェイを利用したとすれば、この地にヌーボーオルレアンからの避難民が到着していても不思議はない。
「スワン、良かったわよ、ここでしばらく休める」
「パイア、子どもの立ち入りは禁止だ」
「だって、コレーの港を、スワンにも見せてあげたいじゃない」
「……まあ、……やっと受け入れてもらえたからな」
スクリーンに映し出されるコレーの港は、厳重に戦艦が警備する、異様な姿だった。
「こりゃ、大変なところに来ちまったな。場違いだ」
と漏らすロッソに、スワンが、
「見て! あの船、チョウチョみたい!」
無邪気に指差す。
その先に見えるものは……。
「プチ・パピヨン!」
「ヨットだ!」
かつて、牽引船ANCS−1688−bを危ういところで救ってくれた謎の小型船が、その美しい帆を三面いっぱいに張り出していた。
「スワン、あの船に以前助けられた事があるの」
「あのきれいな船?」
「そう……もしかして、彼らも乗っているかしら」
ラワンデルが顔をあげた。
「間違いない。隣にいるのは駆逐艦DDイブウの標識がある」
「じゃあ、乗っているのは……」
「あの、アノニマスとか名乗っているふざけた野郎に間違いない」
アノニマス……少年か少女か分からない変人。しかし、彼が居なかったら、パイアたちが、牽引船ANCS−1688−bに乗って宇宙へ旅立つことは無かった。
「また会えるのかしら」
三度目の遭遇は偶然ではない……そんな諺を思い出しながら、牽引船の乗員は着岸のルーティンをこなした。




