第13話 二人の男
汚れ一つ無い純白のクッションにくるまれて眠っていた九歳の少女は、パチリと黒い目を開けた。
「スワン……無事に起きたのね」
彼女は虚ろな目をさまよわせ、エアロックの無機質な壁に視線をはわせた。
「トラブルがあって……契約地に届く前に目覚めちゃったの。ごめんね」
理解しているのかいないのか、スワンは返事がない。
「気分悪い?」
ロッソがパイアの肩に手をかけた。
「目覚めたばかりなんだ。質問攻めはやめろ」
それもそうだと、パイアは自制する。
「覚醒前の手順……経鼻管栄養補給して補水と血糖値を上げること……しまった、忘れてたわ」
容器にセットされていた器具を取り出し、鼻にカテーテルを通そうとすると、スワンは両手を上げて弱々しく抵抗した。
「やめて……ここは……どこ」
「宇宙船の中だよ。君は冬眠装置の誤作動で、目的地に着く前に目覚めてしまったんだ」
ラワンデルの言葉に目を見開く。
「口から飲める? 栄養を摂らなきゃ」
パイアはスワンを抱き起こし、左手で栄養補助剤の入ったパックを口元にあてがった。少女の身体につながっていたコードが外れ、薄い肌着を覆っていた白い布も、はらりとめくれる。
「……あまい……」
「そう、血糖値を上げるためね。飲んで」
スワンは、むせることなく、本来目覚める前に鼻から注入する濁った液体を飲み込んだ。
だが、まだぐったりしている。
「パイア、ついててやれ。俺はこの子のために部屋の準備をしてくる」
「メルシ」
ラワンデルが立ち去ったあと、パイアは耳元でささやくロッソの声を聞いた。
「この子の分の食料と水は? だいたい、衣類は?」
「水と食料は予備でなんとか。私たちが固形パックを食べても良いし……衣類は……この布で作るわ」
「そうかい……この子は乗員と言うより『荷』だ。荷受人としての仕事をしろ」
パイアは、キッと唇を結んだ。
「分かったわよ。保護者に引き渡すまで、ちゃんと面倒をみるわ」
ラワンデルが戻って来て、最後の個室をスワン用にセットしたことを告げた。
「スワン、お部屋へ行くわよ」
パイアは、残っていたコードを外し、容器が機能を停止したことを確認すると、シーツごと小さな子どもの身体を抱き上げた。
ずしりと重い。
「……寒い」
スワンがつぶやく。
「お部屋を暖かくするわ。ごめんね」
エアロックを抜けて部屋に入ると、パイアは思わず感嘆の声をあげた。
部屋の造りは同じだが、壁は淡いピンクのグラデーションで、腰の高さに可愛らしい白ウサギがいくつも踊っている。
「スワン、あなたのお部屋よ。ラワンデルが飾ってくれたわ」
「……」
目を閉じたまま、返事が無い。
「スミッセン、この子のバイタルをモニターして」
「了解。船団も組めたわよ」
「メルシ」
パイアはスワンを寝床に下ろすと、自分のボレロの内側のポケットからハサミを取り出し、シーツの真ん中に切り込みを入れた。
寸法を計ったわけではないが、これでふくらはぎの真ん中まで隠れるはずだ。
「あとはベルト……」
パイアは自分の宇宙服からベルトを抜き取った。
「予備があるから……」
安物の量産品らしく、銀色のベルトは無段階調節だ。
「ごめんね、スワン、これで次の寄港地まで我慢して」
まだとろとろ眠っているスワンの枕元に、畳んだ貫頭衣とベルトを置き、カバーを閉じてから、パイアは操舵室に戻った。
「子どもは?」
「まだ寝てるわ」
「ラワンデルが、容器を処分してくれた。あのままだと邪魔で仕方がない」
二百キロ超えの物体である。
どうやったんだろうと思っていると、
「補助動力を使ったんだよ」
ラワンデルが力こぶを作りながら答えた。
身体に装着して、人間の筋力を補う機械装置。
この使い方も教えてもらわないとと考えていると、
「さあ、あと二回のジャンプだ。あの子のことで時間を浪費してしまったからな……」
「質量変化分修正済み……シュミレーション問題無し。ジャンプ開始」
五度目のジャンプは、誤差二メートル内におさまり、最後のジャンプの準備をしている時に、
「まあ! スワン、どうしたの?」
パイアは驚きの声をあげた。
薄い肌着の上にシーツ製の貫頭衣をベルトで留めている。足は裸足だ。
そんな姿でスワンは操舵室にやってきた。
「私の保護者はあなたたちなの?」
細い声が震えている。
「いいえ、あなたの家族は、もっと遠く」
「会いたい」
「会わせてあげる」
パイアは膝の上にスワンを抱き上げた。
「ここは宇宙船の操舵室。ほら、あのスクリーンに映っているのが外に広がってる宇宙」
ロッソが、少し硬い声で注意した。
「スミッセン、乗員以外をここに通すな。パイア、スワンに船内を案内しろ」
「ジャンプまでにあと一時間はある。行ってこいよ」
すとんとスワンは床の上に降りた。
「お言葉に甘えて」
操舵室を出たところで、パイアは壁に手を伸ばした。
「シリアル・バー、食べる?」
「欲しい!」
名前はシリアル・バーだが、タンパク質やビタミンも含んだ完全栄養食品だ。
薄い袋を破って、食べやすいようにして渡してやりながら、パイアは短い通路の突き当たりを示した。
「あっちがトイレで、その隣がシャワー。その隣のドアは機関室と燃料庫、砲弾室に続いてる」
カリッと軽やかな音を立ててバーをかじりながら、スワンはうなずいた。
「その手前の両側がみんなの個室。スワンのもあるわね」
スワンが咳き込んだので、パイアはあわてて自分の部屋から紙コップに入った飲料水を持ってきた。
「ゆっくりね。まだ本調子じゃないから」
「ありがと」
水を半分ほど飲んで、スワンは紙コップをパイアに返した。
「私の保護者……どんな人なんでしょう」
「ごめんね、その情報は持ってないの。私たちはただの輸送業者……」
スワンの表情には、不安とおびえの色がある。
「責任持って、あなたの悪いようにはしないわ」
こくりとうなずくスワンの頭をなでて、パイアはスワンを彼女の個室に戻した。
「ロッソ、次のジャンプ、私スワンと一緒にここにいても良い?」
「……かまわんよ。荷受人にできる仕事は無い」
言外に大いに不満だというニュアンスをにじませたロッソの返事に、パイアは肩をすくめた。
「……ウサギさん、いくついる?」
「三つ、四つ……」
バーをかじりながら、スワンは数え始めた。
最後のジャンプを終えて、最初にオオギ座星系外れの恒星に向かった。慣性を利用した通常航行で三日半かかる。
ちょうど地球サイズの惑星があって、開拓が進んでいる。
目的地はここだ。
子どもたちを降ろすのはこの惑星と決まっていたし、スワンのことを考えても、子どもたちの無事を最初に確かめたい。
「まずは、この開拓惑星に子どもたちを下ろして……」
軌道上のプラットフォームとロッソが交信している。
「冷凍冬眠中の子どもたちを連れてきた。注意して受け入れてくれ」
船団はなめらかな軌跡を描いて、開拓惑星の軌道へと移行する。
子どもたちを乗せた一番コンテナから四番コンテナは、ここの惑星のプラットフォームに下ろした。
大きめのシャトルに、二から三ずつに別れて容器は積み込まれていく
一人ずつ大切に保護者のもとに運ばれるのだろう。
「注意、注意。一番コンテナ、D二十五番のスワンは覚醒済み。本船で保護している」
「了解、保護者に連絡する」
ラワンデルが恒星系の略図をスクリーンに上げて情報を追加した。
「残りの荷は、三番衛星に運ぶ。最適距離になるまで五時間」
「了解、ラワンデル、荷解きの準備をするわ」
ロッソが伸びをした。
「これで、ひと仕事終わったな。パイア、もうこんな厄介な荷は受けないでくれ」
「ごめんなさい……結果、黒字?」
「ギリ行ける、それで、また、深宇宙に続く辺境を目指すのか?」
ラワンデルがきっぱり言った。
「行くとも。あんたは来てくれるのか?」
「雇用契約上……」
会話の途中にガリガリと雑音が割り込んだ。
「私たちの娘は、そちらにいるのか?」
パイアは眉をひそめ、ロッソとラワンデルを見つめた。
「荷受人、そこにいるんだろう。返事は?」
「こちら荷受人、パイアです。娘さんとは、スワンのことですか?」
「そうだ。なぜ、勝手に覚醒させた?」
パイアは唇を舐めた。
なぜ、この人はこんなに怒っているのだろう?
「冷凍冬眠装置に異常が起きて……宇宙空間で覚醒を始めたの。本船に収容して救命したわ」
向こうで何か言い合う声がした。
「容器は?」
「やむを得ず投棄したわ」
「……容器代はそちらで負担してもらうぞ」
「良いわよ。保険に入ってるから」
舌打ちが聞こえた。
「スワンはどうしている?」
「いい子にしてるわ」
そこでパイアは疑問に思っていることをぶつけてみた。
「彼女はあなたたち、保護者のことが分からないようだけど。私たち輸送業者にも保護者のことは分からないし。あなたたちは本当にスワンの保護者なの?」
また、くぐもった罵り合う声が漏れてきた。
それから改めて、
「……失礼、私たちはスワンの法律上の保護者です」
パイアは小さなため息をこぼした。
「少しお時間いただけませんか? 私たちが直接引き取りにうかがいます」
「でしたら、靴と衣類を持ってきてもらえません?」
「……靴と衣類?」
「食べ物と居室はこちらで準備しましたが、子ども服までは、手が回りませんでね。保護者の方で準備してください」
たっぷりと嫌味を込めて。
「……分かった。スワンは、自分のことについて何か言っているか?」
「いいえ。記憶解除のキーを私たちは持っていません」
「これから向かう……待っていてくれ」
「ちょっと! こちらにも都合が……いつ来るのかだけでも、教えて!」
返事は、帰って来なかった。
今後の予定が立たなくなったため、船長であるロッソにしこたま叱られ、パイアはしょげた。
連絡は、丸二日後に来た。
交代で眠っているので、この時はラワンデルしか起きておらず、来客にはプラットフォームに入って待っていれば、こちらからスワンを連れて行くと約束した。
程なく粒子の粗い映像が送られて来た。
「パイア、お前で大丈夫か?」
ラワンデルが、起きてきたパイアに確かめたのも無理はなく、巨躯に髭面の二人男たちは、スワンとは似ても似つかない。
「大丈夫……たぶんね」
パイアはスワンを連れてプラットフォームに続くチューブに入った。
プラットフォームには、簡単な椅子とテーブルがある。客人は座りもせず、待ちかねたように、
「よう、荷受人、俺はミック、こいつはジョンだ」
「私はパイア。荷受人です。こちらがスワン」
スワンはパイアの後ろに回って身を隠し、様子をうかがっている。
震えているのが、小さな肩に置いた手から伝わってきた。
「なんて格好してるんだ。服を持って来てやったから、着替えろ」
「え、ここで?」
畳まれたシャツとアップリケのついたズボンを受け取ったパイアが、ひるんだ。
「そうだ、誰が見てるわけでもない、その変なのを脱げ」
パイアは、男たちの目が怪しい色を帯びているのに感づいた。これはヤバい。
「……いや……この人たちは、いや……」
スワンが、パイアの手を振り切って、牽引船の方へ駆け戻った。
「待て! スワン、お前は俺たちのものだ!」
押し留めようとして、パイアは突き飛ばされ、床に尻もちをついた。
男たちはスワンのあとを追って、牽引船の方に走っていく。
「ラワンデル、様子がおかしいわ。スワンを保護して!」
開きっぱなしの扉から、スワンを追って、一度は牽引船に入ったミックとジョンが、両手を高く上げて後ずさって戻ってきた。
続いて、大きな拳銃を持ったロッソと、ビーム銃を構えたラワンデルが姿を現した。
「ロッソ! ラワンデル!」
床に手をついたまま、パイアは叫んだ。
「ちくしょう! やっと子どもが手に入ったのに、余計なことをしやがって!」
「俺たちの言うことを聞かねえ子なら要らねえよ!」
負け惜しみをたっぷりにじませてののしる声に、
「……あなたたち、それは本気なの? 家族なんじゃないの?」
「冷凍冬眠のまま引き渡してくれてれば、大人しく言うことを聞いただろうによ」
「俺に逆らうようなガキは要らねえ。ああ、申請を繰り返してやっとマッチした子だったのに……」
スミッセンが冷たい声を放った。
「ミックとジョン……偽名ね。本名トマス・カンタベリーとヴウーク・イヴァーネンコ。過去に幼児誘拐未遂の前科がある」
「俺たちは子どもが欲しかっただけなんだ」
「適性検査で弾かれたのね……もっともだと思うわ」
パイアが腰に手を当てて、ミックとジョンの前に立ちふさがった。
「この『荷』は不適切な宛先へ届けられようとしている。荷受人として引き渡しを拒否します」
「てめえ、このガキのためにいくらかかったと思ってやがる!」
パイアの琥珀色の瞳が、きらっと輝いた。
「知ったこっちゃないわよ!」
ロッソとラワンデルの構える銃口と、さらに牽引船の船腹のビーム砲が、ミックとジョンを狙っている。
「覚えてろ!」
二人は、得るものなくすごすごと帰るしかなかった。
パイアは長い息を吐くと船内に戻り、スワンを抱きしめた。
「子ども服と靴は手に入れたわ。やったわね、スワン」
次回、第14話 それでも人は
来週木曜日夜8時ちょい前をお楽しみに。




