第1話 虹のでた日
お久しぶりです。
新作はSF宇宙もの「この宇宙のはてに」となります。
スペース・オペラを書くとお約束したもの。
梶一誠様へのお礼として。
応援よろしくお願いいたします。
大気洗浄時間は終わったが、空中に含まれる水の微粒子に反応して、恒星からの斜めの光線が屈折し「空」に鮮やかな曲線を描いていた。
大きくて華やかな弧は、この宇宙都市に滞在する者の目を「空」に釘付けにした。
ル・ポール・ダタシェ政府が市民に月一回のサービスとして提供する「虹」の演出には目もくれず、「空」が終わる宇宙港区域までパイアは走った。
足元には小さな水たまりがあるが、もう五分と経たないうちに路面に吸収されて消えるだろう。
プラチナブロンドの髪が肩で揺れる。
白いタートルネックにベージュの薄いコートが軽やかにひるがえる。
彼女は大きな青いバラの花束を抱えていた。
花言葉は「夢かなう」で、これが一番ふさわしいと花屋の店主は断言した。
「寝坊するなんて。ナイトシフト入れた主任許さない」
パイアは言い訳がましく独り言を言って立ち止まる。
港区に通じる道路の信号が赤だ。
ごうごうと音を立てて目の前を横切る貨物車はたいていが「隔壁の向こう」に向かっている。
いらだたしげに見やる彼女の目は、深い琥珀色をしていた。
これがもし青ければ彼女は希望した「親」に引き取られたはずなのだが、いくら精密にデザインしてもDNAにエラーは起きる。
会ったこともない注文主など、彼女の意識に上ることはめったにない。
遠くに巨大な構造物が見える。
入港したばかりの宇宙船だ。
そのさらに向こうには真っ暗な宇宙と冷たく輝く星々があった。
「クイーン・テレジア号はもう港にはいってるじゃない」
ただ、乗客や貨物の後で乗組員たちは降りてくる。それを考えれば、間に合ったうちに入るかもしれない。
信号が緑に変わった。
群衆の先頭を切ってパイアは走り出す。
「九番の柱」
待ち合わせの場所は、いつもここだ。
宇宙船から降りた人々はとっくにはけて、人はまばらだ。
宇宙港の入口にある列柱廊の一番端、九番柱に若い男が寄りかかっているのがすぐに分かった。
「ラワンデル! 待たせちゃった?」
「いや、俺も来たばかりさ」
男は黒髪に紫の瞳。
彫りの深い方ではないが、なかなかの男前だ。
スーパー・エキスプレス社の濃紺の制服の上から、黒いジャケットを羽織っている。
「研修期間満了、おめでとう」
パイアは青いバラの花束を彼の胸に押し付けた。
「ありがとう」
「あなたにとっては、おまけみたいなものでしょうけど」
公立航宙士学校卒業試験合格の後、二四〇〇時間の研修が義務付けられている。
豪華客船なら、一航海で満了してお釣りが来る。
しかも、公立航宙士学校の卒業生なら、軍訓練所と並んで偏差値はトップクラス、研修場所で即就職が約束される。
「これで一人前ね」
「君も独り立ちまであと一歩だよね」
パイアは、まだまだと照れる。
「なんで宇宙港の管制官の資格ってあんなに難しいのか分からないわ。仮免までは、これでもスムーズだったのよ」
「知ってる。それだけ責任重大なんだよ」
「今日もバックシートの教官に訂正されちゃって。懲罰研修三日よ」
「懲罰、じゃないだろ」
「一緒よ」
パイアはラワンデルの手を取った。
「こんな殺風景なところで立ち話もなんでしょ。早く一般区に戻ろ」
「ル・ポール・ダタシェの青空を見ると生き返るよ」
「時間的に青空じゃないと思うけど」
二人は港区を出た。
虹は消えて夕焼け空が写し出されている。
もう少し経つと、ナイトシフトとの入れ替わりで、どっと人があふれるだろう。
「Kはどうしてる?」
「行ったきりよ。深宇宙の有人探査って十年ぶりなのね。深宇宙に知的生命体を求めるなんて、ロマンじゃない? 定時連絡が毎日来てるってニュースに出てるから、きっと無事」
人類がジャンプ、いわゆる空間を捻じ曲げて光速の壁を破ってから百年、広大な宇宙に飛び出したが、人類以外の知的生命体には出会っていない。
「ガリレオ粘菌以外は」
小さな衛星で発見されたそれは、電気刺激などに反応する粘菌様の「生命体」だったが、知性を持つことは、いまだ証明されていない。
「地球由来ならこんなに生命体にあふれているのに」
ラワンデルは花束を持て余していた。
それを見透かしたように、
「カフェを予約してるわ。久しぶりに食べたいでしょ、ル・ポール・ダタシェの御飯」
「俺はコーヒーだけで良いかな」
「私は食べるわ。昼ご飯抜いちゃったから」
高さ三〇メートルの条例を守ったビルがきれいに並ぶ大通りをまっすぐに一般区へと入る。
煉瓦模様の外壁を持つ建物の足元には、青果の市場が軒を連ねていた。
パイアはひょいと真っ赤なイチゴの籠をつまみ上げ、左手首の腕輪をレジにかざした。
軽快な音が鳴って会計が済む。
宇宙の只中にあるル・ポール・ダタシェで新鮮な果物が手に入るのは「隔壁の向こう」の一次産業のおかげだ
宇宙産業や金融業といった手の汚れない仕事が発達している一般区と違ってあちらは別世界。
専門の取引業者以外は行き来しない。
大通りの歩道は広い。
パイアはイチゴを食べながら歩いた。
時々、大きな花束で手の塞がっているラワンデルの口にも押し込んでやる。
行き交う人々は、軽くて身体にフィットした簡易宇宙服を着ている者が大半だが、パイアのようにあえて宇宙のど真ん中を感じさせない衣装の者もいる。
ほんの飾りだけの衣服をまとった若い女性も交じるが、これはたいていアンドロイドなので、人間は気にしていない。
左手に、カフェ・リヨンドールの金色のライオンが見えた。
「変わらないなぁ」
歩道を占領するように白いテーブルと椅子が並んでいる。
「でしょ」
自分の手柄のようにパイアは威張る。
顔なじみの店員がパイアに声をかけた。
「いよう、パイア、そっちは……」
「おめでとうが先よ、ギャルソン。ラワンデルよ、忘れた? 一人前のパイロットになったんだから」
「見間違えたよ。よっしゃ、これは店のおごりだ。」
二人の座ったテーブルに発泡する鉱泉水が運ばれてきた。
「メルシ」
「ヴィシー水か。懐かしいな」
ラワンデルはエスプレッソを頼み、パイアはパスタを注文する。
「以上ですか?」
「ええ ムッシュ、そう」
二人はまず、おごりの炭酸水で乾杯した。
「お互いの人生の健闘を讃えて」
青いバラの花束の脇に空になったグラスを置く。
このカフェではBGMではなく、ニュースがつけっぱなしになっている。
ここで最新の情報をチェックしてから宇宙港に向かう者も多いのだ。
良い席を占めようとするなら、予約必須の人気店。
だが、ラワンデルはケチをつけた。
「正気か? ル・ポール・ダタシェのパスタは不味くて評判だぞ」
「ごめーん、ラワンデルみたいに世界が広くないのよ。それに誰かが食べてあげないとお店が傾いちゃうでしょ」
運ばれてきた山盛りのスパゲティ・ボロネーゼをパイアは元気よく口に押し込む。
付け合せのサラダを、黙ってラワンデルの方に押しやった。
「ありがとう」
新鮮な野菜は宇宙船の乗組員にとって一番のごちそうだ。
「ところで……」
と、ラワンデルが言いかけたとき、ガシャン!と耳を聾する破壊音が響いて、リオンドールのテラス席に赤いスポーツカーが突っ込んだ。
「キャアッ!」
悲鳴が上がる。
スポーツカーから、小型のマシンガンを抱えた黒服の男が二人、飛び出す。
「動くな! 金を出せ!」
「空」に向けて、威嚇射撃。
「危ない!」
ラワンデルがパイアをかばって地面に押し付ける。
テラス席の全員が、即座に歩道に伏せた。
弾丸の発射音が派手に耳をつんざいた。
リヨン・ドールのガラス戸が粉々になってシャワーのように降り注ぐ。
「花が……」
流れ弾にあたった青いバラが粉々に吹き飛び、花びらが降ってきた。
「なんてことしてくれるのよ!」
リヨンドールの店内から、目つきの鋭い男が三人飛び出してきた。
銃を構えている。
「ガードマンだ! 正当防衛で射殺されたくなければ、銃を置け!」
その時、甲高い女の声が響いた。
「ごめんなさい!!」
スポーツカーと黒服の男たちが数秒、脈動して半透明になり、シャランという軽快な音とともに消えた。
数呼吸分の沈黙があって。
居合わせた人々は、それが仮想現実だと悟った。
「馬鹿野郎! リアルでゲーム流したのかよ」
「ごめんなさい。子どものいたずらで……」
ガードマンがツカツカとやってきて、女が手にした十五センチ角のオレンジ色のタブレットを改めた。
「『銀行強盗』かよ……」
テラス席の客が一人、また一人と起き上がって周囲を確認する。
壊れた椅子もないし、ベゴニアの植え込みもそのままだ。
倒れたグラスさえ無い。
「肝を潰しやがる」
冷たい目が、女と連れの幼児に注がれる。
「謝ったでしょ!」
女は逆ギレしてガードマンに怒鳴り返す。
パイアも立ち上がり、女の方を見た。
黒髪黒目のスラリとした女。
「ゲームを公共の場でリアルプレイすれば軽犯罪だわ」
「しかし、子育て中だぜ。店が被害を訴えるとは限らない」
ラワンデルの言う通り、ル・ポール・ダタシェでは、出産も子育ても余裕のある家族の特権だ。
ガードマンや警察が手出しできる階層の人間とは限らない。
「知ったこっちゃないわよ。せっかくのバラが……あ」
バラの花束は、そのままテーブルの上に置かれていた。
「トリブルで育てているのかもしれないし」
ル・ポール・ダタシェの家族は、一人から三人までの成人が一つの単位になる。
構成する男女は問わない。
三人ならトリブル、二人ならデュオと呼ばれているが、いずれも家族だ。
人口の維持は政府の責任で、人工子宮で大半の子どもは受胎、成長する。
家族で子どもを育てたい場合は、特別に申し出て審査と許可を受ける。
女性が産むこともあれば、赤ん坊をデザインして発注することもある。
養育費は自弁になるので、たいていは社会的地位の高い家族の趣味兼特権だ。
パイアも本来なら裕福な家族に迎え入れられるはずだったが、あいにく注文のデザインと違った出来損ないの彼女は、受け入れ拒否され、政府の養育施設に送られて、他の数合わせで生み出されたル・ポール・ダタシェの子どもたちと一緒に集団育成された。
「家族……」
養育施設を出る時に渡された個人情報を思い出す。目の色が違っていたら、別の人生があったのかも。
「ねえ、ラワンデル、あなたと私とKの三人でうまく三人家族やっていけると思う?」
「いけるさ。俺たちだもの」
騒ぎの元になった女は駆けつけた警官に事情を聞かれている。
ガードマン三人が店としての被害を言い募っている。
パイアはもとの椅子に座り直して、冷めたパスタを口に運んだ。
途切れていたニュースがまた流れ始めた。
子どもを抱いた女は、結局警備車両に押し込まれていた。
警官はあとから駆けつけた男と押し問答している。
監視カメラの映像から、混乱が酷かったことを重視した警官は、口頭注意で終わらせるつもりが無いらしい。
「典型的なデュオ様ね」
パイアが吐き捨てるように言った。
古典的な男女二人の家族で子どもを育てられるだけの経済力。
「自分で産んでたら大したもんだわ」
デュオは妬まれることが多い。
「やめとけよ、パイア。他人は他人だ」
ラワンデルが、冷静にたしなめた。
彼も冷めたカフェを少し飲む。
──カフェイン摂取許容量に近づいています──
無粋な警告音声に、
「おっと、切り忘れた」
ラワンデルは胸のバッジを叩いた。
パイアがくすりと笑う。
「どこへ行ってもモニタとセンサだらけ」
「航宙産業に携わる者の運命だな」
パイアとラワンデルとKは、幼年養成校時代からの幼馴染だ。
成長するにつれ、適正審査で進路は振り分けられたが、三人で家族になろうという夢は捨てていない。
「ところで、一番心配なのはKだよな」
「うん。あなたもサインしたよね」
「した」
二人が署名したのは、家族である深宇宙探査船の乗組員に万一のことがあっても責任を追求しないという誓約書。
この存在が、二人の心に暗い影を投げかけていた。
「代わりに一生遊んで暮らせる資金は受け取ったけど」
「金じゃ済まないよな」
「Kがいないとさみしいわよ」
点けっぱなしのニュースが突然中断した。
「クロスバル宇宙産業からの緊急声明です」
アナウンサーは甲高い女の口調でブレイキング・ニュースを読み上げた。
「本日十六時、深宇宙探査委員会は探査船ブレイブバードとの定時連絡が中断したことを確認しました。何らかの問題が探査船に起きたと断定し、現在調査中」
アナウンサーは二度繰り返して、もとの株価変動のニュースに戻った。
「待って、今、定時連絡が途絶えたって言わなかった?」
パイアはあわててパウチから手のひら大のタブレットを出して検索する。
ブレイキング・ニュース。
【探査船消息不明】
「うそ、うそ!」
彼女はタブレットを白いテーブルに叩きつけた。
毎週木曜日夜8時更新を目指します。
とりま、明日夜8時更新します。
素人ゆえ暖かく見守ってくださいませ。