四
その依頼書は暗殺者ギルドから、青年と少女の暗殺者見習いの二人組にもたらされた。依頼内容は隣国の王立学園への潜入。
下級貴族の子息と息女として王立学園に潜入し、そこに通う隣国の王太子に取り入る。そして少女は、その王太子を誘惑して寵愛を得る。
彼ら二人は年若いながら、これまで暗殺や諜報といったギルドの依頼を幾つもこなし、その実力が認められつつあった。それで見込まれて、この大きな依頼が回ってきたのだ。
報酬はビックリするほどの額で、前金だけでも数年は暮らせる。さらに成功した暁には、正規のギルド員に昇格させてもらえるそうだ。
二人は即座にその依頼を受けた。
学園に入ってからは全てが順調だった。青年は難なく王太子の懐に入り込めたし、イルミナという名を騙るピンクブロンドの少女も、体を密着させて上目遣いで王太子の顔を見やったら、あっさりと彼の隣に座らせてもらえた。王太子は初めのほんの短い期間だけ密やかに、やがて公然とイルミナを愛し始めた。
やがてギルドから新たな指令が来た。アーサーに婚約破棄をさせ、イルミナと婚約を結びなおさせるよう仕向ける事。でも流石にそれには慄いた。そんな事を仕出かしたら、不敬罪や国家転覆罪で彼女の命が危うくなる。それを訴え何度かギルドと連絡を重ねると、やがて回答が来た。この依頼には、さるやんごとなき御方が噛んでいて、その方がお前たちの命を保証してくださると。
それで諾とは答えたが、その後の展開は早かった。イルミナが愛を囁くと、アーサーは彼女との薔薇色の未来を夢想するようになり、その実現のために早々と侯爵令嬢との婚約破棄を決心してしまった。だからこちらは、寧ろアーサーの暴走を止めるのに苦慮しながら、侯爵令嬢がイルミナを虐めたという嘘の証拠を捏造したり、帝国の皇太子との繋がりを確保したりと、新たな指令を次々と完遂しながら、最後にあの卒業パーティーを迎えた。
店の二階の部屋に入ると、彼女は鏡台の前に座りピンクブロンドの髪を梳かしながら翡翠の瞳を見つめていた。これから、彼女が嵌めている魔道具の腕輪を外す。容姿を別なものに見せる古の宝具。店主の青年は、それと一緒に依頼主から渡された解除の鍵を手にしていた。
これで腕輪を外せば、元の姿の彼女が帰って来る。彼は既に、自身が三年間嵌めていた腕輪を外していた。だから学園では王太子の従者であった、赤髪でぼんやりした顔立ちの青年は、黒髪で切れ長な目を持った端正な顔立ちを取り戻していた。癖毛の髪質はそのままだったけれど、それが彼の美貌を損なうことは無く、寧ろワイルドな風情を加味していた。
あの騒動の後、彼は早々に追放され、そして帝都にギルドが用意したこの店で、店主という仮初の身分を与えられていたのだ。
「それじゃ、外すよ。」
鍵を当てると、金色に輝いていた腕輪は光を失い、錆び色になって粉々に崩れ去った。すると彼女のピンクブロンドは濡れたような黒髪に変わり、翡翠の瞳は深い琥珀色に変わった。その可憐な顔立ちも、少し翳を含んだ美しいものへと変わった。
「お帰り。」
青年はそう言って、彼女の首筋に顔を埋めた。
こうして、王太子を篭絡し破滅させた魔性の女、イルミナは死んだ。
結局、依頼主は当然のことながら知らされなかったけれど、それが誰であるかは推察出来ていた。そして皇太子との最後の通信で、イルミナの刑が決まった経緯を知って確信した。
当初彼女は、アーサーと共に離宮に幽閉されるはずだったが、それを王妃が許さず国外への追放と決まった。国外追放は重い刑だ。平民に落とされて放逐された貴族には、国外に縁故でもなければ野垂れ死にの末路しかない。
でもそれは、イルミナの命を保証するという約束に従ったものだと分かった。元々平民であるイルミナにとって、追放は開放であり、雇用契約の円満な解消だ。実際、アーサーの幽閉に先立って国外追放された彼女は、自身の足で今日、この街に帰って来た。
依頼主は王妃だ。でも何故実の息子を罠にはめたのか、その理由については分からなかったし、知りたいとも思わなかった。
「あの王子の事、どう思ってるの?偽りとは言え、三年も恋人として過ごしたんでしょ?」
ソファーに並んで座る彼女に聞いてみた。ついこの間まで、この位置に座っていたのはアーサーだった。そして彼らの睦ましい姿を、青年は従者として後ろから黙って見ていた。
「悪い人じゃなかったわ。優しかったし。」
彼女はその琥珀色の瞳を向けた。
「彼、優しすぎたんだわ。だから弱すぎた。裏の顔を隠して近づく人たちが、どうしようもなく怖かったのよ。王様には向いてなかったのね。」
そしてふわりと微笑んだ。
「でもね、離宮は彼に合ってると思うの。知ってる?北の離宮ってね、その敷地は小さなお貴族様の領地ほどもあるのよ。奇麗な川も、狩が出来る森も、小さな町だってあるの。幽閉と言っても、その敷地から出るなというだけだから、きっと暫く過ごしたら心も落ち着いて、静かに暮らせるんじゃないかしら。」
性に合わない王の位を継ぐよりも、静かで気ままに暮らせた方が彼にとっては遥かに幸せだろう。それは王妃の愛情だったのかもしれない。
でもそう話す彼女の笑顔に、アーサーを想う心の残滓が見えた気がして、青年は彼女をソファーに押し倒した。
艶めかしい喘ぎを聞きながら、彼女を取り戻せたことを実感した。でもその唇を塞ごうとしたとき、一瞬、彼女の瞳が翡翠の色に見えた。
彼女がまた手の届かないところに行ってしまうような気がして焦りを感じたが、でも次の依頼で、彼女はまた誰かの恋人になるかもしれないし、それを黙って見守る事になるかもしれない。
今の生き方をする限り全ては仮初めだ。青年はふっと微笑んで、待ち受ける彼女に唇を優しく重ねてあげた。
***
“今日にもアーサーは離宮に移送されるのか”
その事を思い出し、側近が去った後、また執務室の窓から曇天の空を眺めたら、カイルベルトは先日のアリスティーナの事を思い出した。
卒業パーティーまでの数日、アリスティーナとカイルベルトの接点を、血眼になって側近たちに探させた。すると七年前、両国の通商条約の継続を祝うパーティーに二人が出席していたことが分かった。二人とも十一歳。婚約者のある令嬢に対する恋情を邪な懸想と捉えるには幼く、しかもちょうどアリスティーナが冷遇され始めた頃だから時期も良い。兎に角、国内の反発を抑える為にも、この婚約は一途な恋を成就させたという美談にしなければならない。
だから何より、二人の間に見せかけでも良いから良好な関係を築かねばならなかった。あれから、その為に暇を見つけてはアリスティーナと語らう場を設けたのだが、いつも彼女は表情を硬くして、懸命に感情を隠そうとしていた。
それが王妃主導の王太子妃教育の賜物であることは把握していた。でもアーサーに捨てられた今も、王妃にかけられたその呪縛に囚われているのが気の毒に思えて、つい慰めの言葉を口にしてしまった。
「帝国の政治は、それなりに問題を抱えてはいますが、でもこの国より安定しています。ですから貴女に腹の探り合いをさせるつもりはありません。嬉しい時には笑って、そして悲しい時には涙を流して良いんですよ。」
そう言うと、アリスティーナは目にいっぱいの涙をためながら頷いてくれた。それを見たら言葉を止められなかった。
「でも貴女に悲しい涙は流させません。約束します。私があなたをお守りします。」
するとアリスティーナは涙を零しながら、嬉しそうに微笑んでくれた。
花曇りともいえる春先の曇天を仰ぎ見ながら、妖精のようなその笑顔を思い出したら、カイルベルトは無性に彼女に会いたくなった。
以上で完結です。
アーサーは身の丈なりの穏やかな生活を手にし、アサシンの二人は、その生きざまに合った刹那の愛を楽しみ、そして政争の中に身を置くカイルベルトは、思いがけず恋に落ちる気配を纏う、という形で終えました。
お読みいただきありがとうございました。




