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ヘレンの声をきけ  作者: 御子柴 志恭
第二章 声を取り戻せ
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第二章 声を取り戻せ-3

 昼下がりの、殺風景な個室病室。


 上下入院着で、首には物々しいコルセットを巻いた平恋は、気が付くとベッドの上で寝ていた。


 換気のため、開けっ放しにされている窓からは、曇り空が見え、弱い風が吹き込んでくる。


(あれ? 私……)


 平恋が気が付いた矢先、病室の下がやたら騒がしいことに気が付いた。


 起き上がって、窓から顔を出し、下を覗き込んでみた。


(あれは……!)


 一階の病院の裏口付近には、大量のスーツ姿の男女と、取り囲まれる白衣の男性二名が見えた。


「先日のアパート女子高生切りつけ事件の被害者が、ここに入院しているというのは本当なんですか!?」


「容体はどうなんですか?」


「お父さん切りりつけられたって話じゃないですか。本人はどう思ってるんですか?」


 スーツ姿の男女が、口々に白衣の男性たちに質問している様子が見えた。


 大声で話していたため、平恋の病室にも、会話の内容が聞こえてきていた。


 どうやら、スーツ姿の男女たちはマスコミの記者であり、白衣の二人組は、病院の医師らしい。


 しかし平恋は、その記者たちに囲まれる医師たちを、回診等で見たことがなかった。おそらく、マスコミ対応のための、病院の上層部の人間なのだろう。


「あなた方の質問は、患者のプライバシーにかかわることです」


「そうです。そのような被害者が、ここに入院しているかどうか、また入院していたとして、その容体はどうなのか。一切お答えすることはできません」


 医師たち二人は、毅然とした態度で返答していた。


「つまりこの病院は、その女子高生が入院しているかどうかも含めて、答えられない。そういうことですか?」


「そうです」


 記者の一人が、少し厭味ったらしく質問したが、対する医師たちは、再び毅然と答えていた。


(その調子、その調子。早くあいつらを追い払って)


 医師たちの様子を見て、安堵した平恋は、ベッドに戻ろうとした。


 しかしその時、別の記者の質問が、耳に入った。


「院長先生。そう、しらばっくれちゃあ困りますよ。その女子高生……仮にHさんとしましょう。その子が、ここに入院してるって情報は、もう上がってるんですよ」


 それを聞きつけた平恋は、再び窓から顔を少し出し、下の様子をうかがった。


「ですから、入院しているかどうか含めて、情報は……」


「事件のあったアパートの、隣の住人が言ってましたよ。この病院に入院してるってね。二三区内の病院ではなく、郊外の病院に入院させるってのは、考えたものですなあ」


「……!」


 記者が隣人から話を聞いたという発言を聞いて、取材を受けている医師たちと同時に、平恋もまた固まってしまった。


 平恋の住んでいた部屋は、角部屋だったため、隣り合っている部屋は一つしかない。


 ということは、記者の言う隣人は、宗也に切りつけられた自分を最初に発見した、あの主婦――隣に住んでいるおばさんしか考えられない。


(なんでおばさんが!? 普段は、優しかったのに……)


 平恋は、なんとか自分を落ち着けようとしたが、それに反して、心臓の鼓動はどんどん早くなっていった。


 隣のおばさんは、うっかり記者たちに、自分が入院している病院の名前を話してしまったのかもしれない。


 あるいは、本人が話していなくても、記者たちに嗅ぎ付けられてしまったのかもしれない。


 なんとかプラスの方向へと考えた平恋だったが、それと同時に、マイナスなことも思い出していた。


 トラブルメーカーでケンカっ早かった宗也は、事件が起きる前から、部屋の中で暴れるせいで、よく隣家に迷惑をかけていた。そしてそのたびに、平恋は宗也の代わりに謝罪に行っていた。


 もしかすると、隣のおばさんは、今まで自分たちのことをよく思っていなかったため、その腹いせに記者たちに病院名を漏らしたのではないか――?


 平恋の中で、隣のおばさんへの疑心が生まれた。


 そうして、平恋が顔を出したまま考えていると、下にいた記者の一人が、ふと上を向いた。


「あっ! あの女の子、噂の被害者じゃないか!?」


 記者が叫んだことで、ほかの記者たちも一斉に平恋の方を見上げた。


 それに気づいた平恋は、すぐに顔を窓から引っ込め、窓の下にうずくまった。


「確かに上は病室ですが、様々な入院患者がいるんです。静かにしてください!」


「でも先生方。今の女の子、首にコルセット巻いてましたよ?」


「それは……」


 記者の指摘に、さすがの医師たちも、だんだんと語気が弱くなっていった。


「やっぱり、ここに入院してるんじゃないですか? 治療の方は、もう終わってるんでしょう? 取材させてくださいよ」


「そうです! なんなら、一言コメントだけでも……」


 再び下が騒がしくなったのを耳にして、平恋は窓とカーテンを閉め、ベッドにうつ伏せになり、掛け布団を被った。


 しつこく嗅ぎまわってくる記者たち。


 自分の情報を漏らしたかもしれない、隣のおばさん。


 全ては確定事項ではないが、事件の影響で心身ともにダメージを負っていた平恋を、さらに憔悴させて人間不信にするには、十分だった。


(なんでこんなことに? もう、誰も……)


 平恋はそう思いながら、枕に顔を押し当てた。


 すると、だんだん意識が薄れていき、目の前が真っ暗になって――。



   *    *    *



 気が付くと、平恋はベッドの上で、仰向けに寝ていた。


 本能的に首筋を触ると、そこにはコルセットではなく、サポーターが巻かれていた。


(夢……?)


 まだ、状況を飲み込み切れていなかった平恋は、起き上がって、周りを見回してみた。


 そこは、見慣れた自分の病室だった。


 壁掛け時計は朝七時を指しており、窓からは、カーテン越しに朝日が差し込んでいた。


 平恋には、久々の晴れの日の朝のように感じられた。


 病室を見回すと、その扉側には、保己と滝乃がいた。


 保己は、丸椅子に座って壁にもたれかかりながら眠っており、滝乃は、長椅子に横になって、上からタオルケットをかぶって眠っていた。


(滝乃おばちゃんと……佐里場さん?)


 平恋が、驚いた様子で二人を見つめていると、滝乃が目を覚ました。彼女が起き上がった際の物音に、気付いたようだった。


「平恋……平恋! ようやく目を覚ましたのですね!」


 長椅子から起き上がった滝乃は、ゆっくりと平恋に近寄った。


 平恋は、机の上にあるタブレットを手に取った。


『滝乃おばちゃん、どうして病院に? 長崎にいるんじゃ』


「何をおっしゃい! あなたが急に倒れたと聞いて、昨日急いで飛んできたのですよ。薬を一度に大量に飲んだなんて……」


 滝乃は、早口で言った。


 その言葉を聞いて、平恋は、一昨夜意識が薄れてから、自分に何が起こったのかを理解した。


『私、今までずっと眠ってたの?』


「そうですよ。昨日の朝から、お医者さんたちがつきっきりで薬を抜いてくださって。それでもずっと目覚めないから、もう心配で心配で……」


 滝乃のただならぬ様子に、平恋は圧倒された。


 彼女にとって滝乃は、穏やかで落ち着いた女性というイメージだったため、今の滝乃の様子は衝撃的だった。


『薬を飲みすぎたのは、偶然なの。変な気起こしたわけじゃないから、心配しないで』


「本当に、本当にそうなの?」


『本当だよ。滝乃おばちゃん、ここ最近、ずっと心配ばかりかけてごめんね』


 滝乃は、平恋の返事を聞くと、彼女のベッドに腰かけた。


 先ほどに比べて、幾分か落ち着きを取り戻したように見えた。


 そんな滝乃の様子を確認した後、平恋は、丸椅子で眠っている保己に目を向けた。


 大きくはないが、寝息を立てており、まだしばらく起きそうな様子はなかった。


『滝乃おばちゃん。なんで、佐里場さんがここにいるの?』


 滝乃の方を向いて、平恋は訊いた。


「なんでここにいるの、なんて言い方は失礼ですよ。佐里場さんはね、平恋のことが心配で、ずっと私と一緒に見守ってくださってたのよ」


『ずっと……?』


 平恋は、滝乃の話に驚いた。


 まさか、保己がそこまでするとは、思ってもみなかったからである。


「そう、ずっとよ。あなたが、声を取り戻して立ち直ってくれることを信じてね」


「……」


 平恋は、無言で保己を見つめた。


「看護師さんたちから、聞いたわよ。リハビリ治療、受けてないんですってね。皆口には出してないけど、あなたのことを厄介者扱いしてるみたいよ」


『それは……』


 平恋は、滝乃に目を合わせることができなかった。


「昔から、宗也さんがらみのことでいろいろトラブルはあったけど、こう立て続けに起こるのは初めてね。だから、あなたが投げやりになって、ふさぎ込みたくなるのは、わからなくもないわ」


 滝乃の言葉を受けて、平恋は、返答するためにタブレットを操作しようとした。


 そんな彼女を、滝乃は「待って」と制止した。


「!」


 平恋は、驚いて滝乃を見た。


「平恋、最後まで聞きなさい。あなたが自暴自棄になるのは、あなたの自由です。でも、匙を投げる看護師さんたちがいる一方で、佐里場さんのように、あなたに骨を折ってくれている人もいるのよ」


「……」


 平恋は、黙って滝乃の話を聞いていた。


 滝乃の言葉には、熱がこもっていた。


「あなたの声を、今後のことを、見捨てていない人がいることも忘れないで。もちろん、私もその一人ですよ」


 平恋は、思わず滝乃から目を背けた。


「平恋!」


 滝乃は、彼女に呼びかけた。


 静かに肩を震わせているのが、見えた。


「平恋……!」


 その時滝乃は、平恋の本心が、はっきりわかったような気がした。


 平恋は、立ち上がって、窓のカーテンを開けた。


 差し込んできた朝日を背にして、彼女は滝乃の方を振り返った。


「……!」


 平恋の目の中の光を見て、滝乃は、その意思を確信した。


 滝乃は、静かに頷いた――。



   *    *    *



 ガタッと大きな音を立てて、保己は目を覚ました。


 起きた瞬間、丸椅子から転げ落ちそうになり、彼は、自分が横にならずに寝落ちしてしまったことに気付いた。


「あちゃー、寝ちゃってたか……」


 態勢を立て直した保己は、座ったまま部屋を見回した。


 滝乃の姿はなかったが、その代わり、平恋がベッドから起き上がり、こちらを向いていた。


「花輪さん! 意識が戻ったのか!」


 保己は、勢いよく立ち上がり、彼女に近寄った。


 その表情には、喜びと驚きが入り混じっていた。


 平恋は、頷いて答えた。


「よかった、本当によかった!」


 保己は満面の笑みで、丸椅子を平恋の前に持ってきて、座った。


「いつ目が覚めたんだい?」


 保己の問いかけを受け、平恋は机のタブレットを取り、操作した。


『今朝早く』


 平恋は、表情を変えずに答えた。


「そうだったかあ。そういえば、おばさん……中村さんとは、もう話したの?」


『うん。目が覚めた時にね』


 保己はこの時、平恋の返事が、今までとは違って、少し砕けた感じになっていることに気が付いた。


「なんだよ。その時、私も起こしてくれればよかったのに」


 彼は、平恋の口調に合わせて、砕けた話し方をするようにした。

『だって佐里場さん、その時いびきかいて寝てたよ』


 平恋は、笑いながら答えた。


 それは、保己が初めて見る、彼女の笑顔だった。


 その笑顔を通して保己は、彼女の中で、何か心変わりがあったのではないかと思った。


「とりあえず、元気になってよかった。その様子なら、次の……」


 リハビリ治療には来れそうだなと、保己は続けようとしたが、持ち直した彼女の体調と心を気にして、わざとそれを言わなかった。


「いや。とりあえずは、しっかりと身体を休めて、体調を整えてくれよな」


 そう言って、保己は壁掛け時計を見た。


 時刻は、もう午前一〇時を回っていた。


「げっ、もうこんな時間だ! テレビ局に戻らないと……」


 保己は立ち上がり、着ていたスーツを整えた。


 そして、病室の脇に置いていた、カバンなどの荷物を手に取った。


「花輪さん。バタバタしちゃって悪いけど、また近いうちに来るからね」

 リハビリ治療という言葉を出さずに、平恋にあいさつした保己は、病室の扉へと歩いて行った。

『待って』


 タブレット越しに、平恋が呼び止めた。


 保己は、扉から手を放して振り返った。


『なんで佐里場さんは、そんなに私のこと気にかけてくれるの?』


 平恋は、大きな疑問を、ストレートに保己ぶつけた。


「なんでって……」


 保己は、一瞬言葉に詰まったが、直後こう続けた。


「花輪さんに、立ち直ってもらいたいからだよ」


『私に……』


「過去に、つらいことはたくさんあったかもしれない。でもだからって、今後もそうなるとは限らない。そう考えると、花輪さんが今ふさぎ込んでるのって、とてももったいないなと思ってさ」


『もったいない?』


 平恋にとって、保己の回答は、不思議なものだった。


「そうさ。花輪さん身の回りで、今まで起きたことのほとんどは、卒業式の日の事件含めて、周りの環境のせいだ。花輪さんのせいじゃない」


「……」


「周りのせいで苦しい思いしてるのに、自分からふさぎ込んで悲観するなんて、もったいないじゃないか。それだったら、自分の力で、そういうのを全部跳ね飛ばしてやろうじゃないか! って、私は思うんだよね」


『自分の力で、跳ね飛ばす……』


 保己の言葉が印象に残ったのか、平恋は、そのフレーズを繰り返した。


「だから私は、花輪さんを応援したい。立ち直ってもらいたいって、思うんだ」


 平恋は、保己が話している間、タブレット操作時を除いて、ずっと彼を見つめていた。


 想像以上に、保己が信念を持ち、そして自分のことを考えてくれていることに、圧倒された。


「これが私の、花輪さんのことを気にかける理由さ。答えになってるかな?」


『ええ、とっても』


 平恋の返事は、今までにないくらい、丁寧な言葉遣いだった。


「よし。じゃあ私は、これからテレビ局に戻るから、ここでさよならだ。元気でな。あ、あと、中村さんにもよろしく!」


 保己はそう言って、病室からドタドタと出て行った。


 扉が完全に閉まり切り、足音が聞こえなくなるまで、平恋はベッドの上から、保己を見送った。


(あの人は、本物だ)


 平恋は、そう確信した。

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お待ちしておりますので、どしどしよろしくお願いします!

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