第四章 これが私-6
平恋が、トンプソンチャンネルの筆記試験と面接試験を受けてから、二週間が経った。
既に、平恋の所属していたクラスの最終授業は終わっており、この日は、修了式という位置づけの、クラス全員が集まる最後の日だった。
「あとは、花輪さんだけか……」
職員室の自席で、保己は、パソコン画面を見ながらつぶやいた。
そこには、平恋などを含む、彼が担当するクラスの生徒の名前が入力された、エクセルシートが表示されていた。
このエクセルシートは、修了間近のアナウンススクール在籍生のうち、アナウンサー志望の生徒の進路を確認および管理するものだった。生徒たちに選考の進捗状況を訊き、内定先等が判明した都度、このシートに入力していくのである。
そんなシートの『氏名』欄と『内定先』欄の大部分は、既に埋まっていたが、唯一平恋の『内定先』欄だけ、空欄のままだった。
「試験やってから、もう二週間くらい。ダメだったのかな」
保己がぼやいたその時、受付の方で、ドタドタという音がした。
「こんばんは! 佐里場先生いらっしゃいますか!?」
息を切らしながら、平恋が入ってきた。
その声を聞いた保己は、小走りに受付へと向かった。
「どうした、そんなにあわてて? まだ、修了式までは少し時間があるけど」
「お伝えしたいことがあって、急いで来たんですよ。先生」
平恋は興奮気味に、背負っていたリュックサックから、クリアファイルに入れた書類を取り出した。
「これですよ、これ!」
平恋がそう言って突き出してきた書類を、保己は手に取った。
その書類は、トンプソンチャンネルからの内定通知書であり、今年の七月からアナウンサーとして採用する旨の記載があった。
「やった! やったじゃないか、花輪さん」
保己は、平恋の内定を喜んだ。
これにより、自分の受け持つ生徒たち全員の進路が決まった安心感よりも、平恋が自分の力で、ここまで上り詰めたことに対する喜びの方が強かった。
「試験のあと、一〇日間くらい動きがなかったんですけど、この前内定のメールが来て、昨日その書類が家に届いたんです。『四月からの採用は、時期的に間に合わないから、七月になるけどいいか』と書いてあったので、すぐ『可能です』って返事をしました」
そう言う平恋の顔には、安堵の表情が浮かんでいた。
「これで、花輪さんの夢も実現することになったね」
「そんな……先生のおかげですよ」
保己のねぎらいに、平恋は恥ずかしそうだった。
「いやいや。私は、花輪さんの頑張りを手伝っただけさ」
保己は、顔をほころばせた。
「じゃあ私、教室に行ってます」
内定通知書とクリアファイルをリュックサックにしまった平恋は、受付の自動ドアを出て行った。
その姿を、保己は微笑みながら見送った。
* * *
少し時間をおいてから、平恋が教室に入ると、既にクラスのほとんどの生徒が室内に集まっており、愛莉寿や盟子、絵美里の姿もあった。
彼女たちは、入口近くの長机を囲んで、話し込んでいた。
「愛莉寿さん、気を落とさないで」
「そうですよ。愛莉寿さんなら、きっと地元でのカリスマアナウンサーになれますわ」
盟子や絵美里の声が、平恋の方に漏れ聞こえてきた。
どうやら、落ち込んでいる愛莉寿を、盟子と絵美里が励ましているようだったが、平恋は特に詮索することなく、自席についた。
それからしばらくして、教室に保己が入ってきた。
「はーい、皆席についてください」
彼の呼びかけを受けて、生徒たちは各自席についた。
「去年からやってきたこのクラスの授業も、先週で終わり、今日が修了式です」
クラスが、ざわつき始めた。
「今期も、今までの先輩たちと同じく、アナウンサー志望の生徒たちは、皆進路が決まりました。おめでとう。これは皆、ひとりひとりの努力で……」
保己のこの発言を聞いた瞬間、愛莉寿は目を丸くして、平恋を見た。
平恋は、明るい表情で、保己を見つめ続けていた。
「佐里場先生が、ああ言っておられたけど……花輪さんも、進路が決まったの?」
愛莉寿が、少しうわずった声で訊いた。
「はい、ギリギリ決まりました。小さなインターネットテレビ局ですけどね」
平恋は、愛莉寿の方を向いて、さらっと言った。
「そう……おめでとう」
祝福する愛莉寿だったが、その言葉に全く感情がこもっていなかった。
「理島さんは、どうだったんですか?」
今度は、平恋が愛莉寿に訊いた。
愛莉寿は、顔を引きつらせて少し黙っていたが、やがて重い口を開いた。
「……お父様の放送局に決まったわ。そこにしかご縁がなかったの」
今まで見たことがない、力なく答える愛莉寿の姿。平恋は、彼女の落胆っぷりをひしひしと感じた。
「そうなんですね。でも、地上波の局だなんて、すごいじゃないですか」
平恋は、愛莉寿のことをほめた。
彼女に対して、いろいろと思うことはあったが、少なくとも、その進路を馬鹿にするつもりは毛頭なかった。
「どうせ、あなたも思ってるんでしょう? 親の七光りだって。でも違うのよ! 選考はきちんと受けてるんだから」
よほど気にしているのか、愛莉寿は、かなり早口で平恋に釈明した。
「そんなこと、思ってないですよ」
「嘘よ! だって……」
愛莉寿が反論しようとしたその時、
「花輪さん、理島さん! なにずっと二人で話してるんだ?」
保己の注意が、二人にとんだ。
「すみません。なんでもありません」
愛莉寿は速やかに謝罪した。
それを確認した保己は、「まだ話は続いてるんだからね」と言って、再び話し始めた。
「まあいいわ。私、地元の放送局の局アナだけで終わらないから。絶対に、這い上がってみせるから」
そう言って、愛莉寿は正面を向いた。
平恋は、しばらく彼女の横顔を見て、その後同じく保己の方を向いた。
以前から、愛莉寿が自分のことを目の敵にしていたことは感じていたが、このやり取りを通じて、その原因がわかったような気がした。
「……私の話は以上です。皆、ここで培った知識や経験を生かして、様々な場所で頑張ってください。解散!」
保己のこの言葉で、平恋の所属するクラスは、終わりを迎えた。
「ありがとうございました!」
平恋ら生徒たちは、一斉にそう言い、各々帰り支度をして、続々と教室を出ていった。
愛莉寿は、無言で支度をし、教室の出入口の前まで行って、盟子や絵美里と合流し、出ていった。
その直後、絵美里だけが教室に引き返してきて、平恋に近づいてきた。
「花輪さん」
平恋は、リュックサックに荷物を入れる手を止め、座ったまま絵美里を見上げた。
「えっと……新南さん、でしたっけ」
「そうよ。愛莉寿さんとはよく話してたみたいだけど、私と話すのは、初めてね」
絵美里は、ゆっくりとした口調で話していたが、同時に、どこか落ち着かない様子だった。
「今日で、このクラスも最後じゃない。私……花輪さんに、謝りたいことがあるの」
「謝りたいこと?」
平恋は、首を傾げた。
「あなた、いくつかの放送局で面接を受けたんでしょう。その時、なんか変なことはなかった?」
「……ええ、ありましたよ。私の過去について、いろいろと」
「そう、やっぱり……」
顔をしかめながら話す平恋から、絵美里は視線をそらしながら言った。
「実はね、その情報を放送局中に流したのは――」
「それ以上は、いいです」
平恋は、はっきりとした口調で、絵美里の発言を遮った。
彼女が何を言おうとしているのか、察したからだった。
「でも、あなたに迷惑をかけちゃったから」
「今さら謝罪はいいです。それに、今はもう、あなたや理島さんたちのことは、何とも思っていません」
平恋は、ぴしゃりと言った。
絵美里を、そして愛莉寿たちのことを恨むつもりはないし、彼女が謝罪してきたのも、良心の呵責ゆえだろう。
平恋は、そうしたこともわかっていたが、やはり、絵美里の謝罪を受け入れることができなかった。
「そうよね。遅すぎよね。ごめんなさい。あなたの、今後の活躍を願ってるわ」
絵美里は少し頭を下げて、そそくさと教室を出ていった。
平恋は、彼女の姿を、ただただ無言で見つめていた。
* * *
「花輪さん」
平恋以外の生徒がいなくなった教室。
帰り支度が遅れて、ようやく教室を出ようとしていた彼女に、保己は教壇から声をかけた。
「先生?」
平恋は、足を止めて振り返った。
「さっき、理島さんや新南さんと話し込んでたけど、大丈夫だったのか?」
保己は、平恋が愛莉寿たちから、また何か嫌がらせをされたのではないかと心配していた。
「別に、何ともありません。お互いの今後について、話してただけですよ」
平恋は表情を変えず、何も気にしていない様子だった。
「そうか、それならよかった」
保己は胸をなでおろした。
そんな彼をよそに、平恋は背を向けて、教室をぐるっと見回した。
「この教室とも、今日でお別れですね」
平恋は、寂しそうに言った。
「そうだね。半年ってのは、長いように見えてあっという間だったな」
保己は、感慨深げに言った。
「そして、先生とも……」
平恋は、再び保己の方を振り返った。
寂しげな表情であったが、涙は見せていなかった。
「おいおい。定期的に会わなくなるだけだから、もう二度と連絡が取れないってわけじゃないだろう」
保己は、笑いながら優しく言った。
「先生……」
「何かあったら、いつでも連絡してくれればいいさ。携帯の番号とか、SNSのアカウントも、必要があれば教えるよ。もし、私にも言いにくいことであれば、なんなら杏の方に連絡してくれてもいい」
「……」
平恋は、黙ったまま保己を見つめていた。
「そんな顔するなよ。花輪さんらしくないじゃないか」
保己は、教壇を降りて、平恋に近づいた。
「リハビリ治療だって、就職活動だって、自分の力で乗り切れたじゃないか。アナウンサーとしてだって、きっとやっていけるさ」
平恋は、顔を上げた。
「先生。私、これからも頑張ります」
平恋は、リュックサックを背負いなおし、保己に誓った。
そして、教室を出て立ち止まり、改めて保己の方を振り返った。
「先生。今まで、本当にありがとうございました!」
その言葉を最後に、平恋は、保己の前から去っていった。
軽やかな足取りで、まっすぐ前を向くその表情から、迷いは全く感じられなかった。
<エピローグへつづく>
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