第四章 これが私-4
保己と別れてから三日間、平恋のモチベーションはだだ下がりであった。
アナウンススクールの授業は、週に一回なので問題はなかったが、アルバイトの方は休みがちになり、自宅アパートからもほとんど出ず、居室に敷いた布団にくるまって、ただじっとしていた。
一見すると、ふさぎ込んでいるように見える平恋だったが、実際は、ずっと保己から言われたことを考え続けていた。
確かに、保己の言っていることは正しい。
身体の機能が回復したとはいえ、いつまでも卒業式の日の事件から逃げ回っているばかりでは、本当の意味で立ち直ったとは言えないだろう。
しかし一方で、あの時受けた傷や、宗也の事を思い出すと、どうしても一歩踏み出すことができない。
平恋は、ずっともやもやし続けていた。
事件のことを完全に忘れて、新たな人生を踏み出すという選択肢もあるが、その考えは平恋にはなかった。
それはある意味、彼女の負けず嫌いな性格の表れでもあった。
(なんかこれ、入院してた時と同じだな)
布団の中で、平恋は苦笑した。
そんな時、インターホンの鳴る音がした。
「はーい」
布団から這い出し、平恋が玄関の扉を開けると、郵便局員が立っていた。
「花輪さんのお宅ですね? 書留郵便です」
「ありがとうございます」
郵便局員の出したレシートにサインした平恋は、大きめの長封筒を受け取り、玄関の扉を閉めた。
首をかしげながら封筒を裏返すと、差出人が滝乃であることがわかった。
「滝乃おばちゃんからだ!」
平恋は、喜びながら布団へと駆け戻り、そこに座って封筒を開けた。
封筒の中には、三つ折りにされた滝乃からの手紙と、ミニレターが入っていた。
「封筒の中に、別の手紙? マトリョーシカじゃないんだから……」
平恋は、ぶつぶつと言いながら、三つ折りの滝乃からの手紙を開いた。
手紙には、こう書かれていた。
『平恋へ
宗也さんから私のもとに、あなた宛の手紙がきたので、送ります。
最初は、事件のこともあるから、あなたに送らずに捨ててしまおうかと思ったけど、手紙に親展と書かれていることもあるので、あえて中身は見ずに送りました。
受け取ったあなたが、この手紙をどうするかは自由です。
そして、もし手紙の中にひどいことが書かれていたとしても、気にせずに、自分を確かに持ってください。
誰が何と言おうと、あなたはあなたなんですからね。
何かもし困ったことがあったら、電話でもなんでもしてくださいね。
中村 滝乃』
無言で、滝乃からの手紙を読み切った平恋は、ミニレターへと目をやった。
汚物を扱うかのように、それをつまんで、その表面を確認した。
宛先には、汚い文字で、九州の滝乃の自宅住所が記載されていた一方、宛名には黒字で『中村滝乃様の姪様』と、赤字で『親展』とそれぞれ記載されており、暗に平恋のことを指していることがうかがえた。
ひっくり返して裏を見ると、刑務所の住所とともに、差出人名が『花輪宗也』と記載されており、隅には、黒いインクがかすれた、桜のハンコが押されていた。
ミニレターをまじまじと見て、平恋は、宗也の意図に気が付いた。
刑務所から出すことができる手紙は、その内容や形式等が細かく決められており、さらに出す際には、刑務官の検閲が入る。
宗也は、平恋に対する接近禁止命令が出されているため、そのまま『花輪平恋様』宛で出せば、間違いなく検閲で引っかかってしまうだろう。
しかし、『滝乃の姪』というぼかした表現をすれば、平恋のことを指しているとは限らないと、言い訳ができる。
「こういう頭だけは、昔から回るんだよな」
平恋は、不愉快そうに口走った。
その後彼女は、宗也からのミニレターを破り捨てようとしたが、両手でそれをひねった瞬間、その手を止めた。
このミニレターは、わざわざ滝乃が、自分のために転送してきてくれたのだ。
そう思うと、むげにはできないと感じた平恋は、中を開けて読んでみることにした。
『滝乃義姉さんの姪へ
名前を忘れちゃうくらい、しばらくやり取りしてないけど、久しぶりに連絡を取りたくなったので、手紙を出しました。
義姉さんのところに住んでるって聞いてたけど、これを読んでくれているってことは、ちゃんと手紙が届いたんだね……』
ミニレターは、平恋よりも小さい、中学生くらいの子へ宛てたような書き出しで始まっていた。
その書き出し方に、宗也のいやらしさとわざとらしさを感じながら、平恋はそれを、無言で読み進めていった。
「……!」
読み進めるにつれて、彼に対する怒りが、彼女の中で強くなっていった。
ミニレターは、最初こそ、宗也が刑務所の生活をうまくやっているという話だったが、中盤以降は平恋の話が中心になっていった。
そして、自分がいかに平恋のことを思っていたかということや、今の平恋があるのは自分が育てきたおかげであること、さらに、卒業式の日の事件はあくまでも事故であったことが書かれていた。
『もしよかったら、内容だけでも平恋に伝えてやってほしい』
最後は、平恋と連絡を取りたいという感情が抑えきれなくなったのか、彼女の名前を直接出して、宗也のミニレターは締めくくられていた。
「……違う」
ミニレターを両手で強く握り、しばらくわなわなと震えていた平恋は、そう言葉を絞り出した。
それと同時に、彼女は、自分の今の発言に驚き、そして困惑していた。
卒業式の日の事件から、およそ一年。宗也から届いたミニレターからは、彼の反省の色は全くうかがえないうえ、主張も一年前とほぼ変わらず、自分を正当化する言い訳ばかりで固められていた。
このミニレターを読んだ際に、平恋が覚えた感情は、宗也に対する怒りだった。
しかし、実際に自分の口から出た言葉は、「ありえない」とか「許せない」ではなく、「違う」というものだった。
(なんで、「違う」って思ったんだろう)
平恋は、自分の発した言葉の意味を探るべく、改めて宗也のミニレターを読み返した。
しかし、不愉快さが増すばかりで、答えを見つけ出すことはできなかった。
目をつぶりながら、首を回した平恋は、続いて滝乃からの手紙を読み返してみた。
「!」
平恋は、手紙の中のある一節に注目した。
『誰が何と言おうとも、あなたはあなたなんですからね』
これを一節から、彼女は、三日前保己から言われた言葉を思い出した。
「今の君がいるのは、君自身が選んだ結果だよ。それは忘れるなよ」
滝乃の手紙と、保己からの言葉、この二つを何度も頭の中で反芻した平恋は、自分の怒りの本当の原因に気づいた。
宗也のミニレターには、今の平恋があるのは、自分のおかげであるということが書かれていた。
しかし、実際は違う。
少なくとも、卒業式の日の事件で入院して以降の平恋の行動や進路は、彼女自身が考え、決断したゆえのものである。
平恋の宗也に対する怒りの原因は、卒業式の事件に対する反省の色のなさよりも、その事件以降の彼女の人生を否定するような書きぶりにあったのだ。
「私は、私……」
平恋は、噛みしめるようにつぶやいた。
そして、立ちあがり、ぐちゃぐちゃになったミニレターを、じっと見つめた。
彼女の、卒業式の日の事件に対する向き合い方が、変わった瞬間だった。
* * *
その日の夕方。平恋は再び、アナウンススクールの受付を訪れていた。
この日は授業が無かったが、就職活動へのやる気が復活し、応募先を探すために、訪れていたのだ。
受付の自動ドアをくぐるや否や、平恋は、掲示板の『募集要項』欄に直行し、それを見上げた。
しかし――。
「何も……ない?」
平恋は、衝撃を受けた。
今まで、様々な放送局や、インターネットテレビ局からの求人が貼りだされていた『募集要項』欄だが、この日は何の貼り紙もなかったのである。
「花輪さん、どうした?」
平恋の姿に気づいた保己が、受付のカウンター越しに近づいてきた。
その声を耳にした彼女は、すぐに彼の元へと駆け寄った。
「先生、どうして募集要項のところに、何も募集がないんですか? 私、まだ就活終わってないのに……」
「もう、三月の上旬だからなあ。大手や中堅のところは、もう再来年度採用の大詰めを迎えてるらしくて、いつもこの時期は、求人がガクッと減るんだよ」
「そこを、なんとかなりませんか?」
「なんとかと言われても……」
「先生!」
困り顔をする保己に対し、平恋は食らいついた。
そのただならぬ様子から、保己の方も、平恋に何かあったのだなと察した。
「何かあったのか? この前は、あれだけふさぎ込んで帰っていったのに、今日はえらくやる気に満ちてるじゃないか」
「先生の言葉で、私確信したんです。どうしても、アナウンサーになりたいって」
平恋は、はっきりと保己に言った。
「でも大丈夫か? この前の面接では、二社とも卒業式の日の事件のことを訊かれたんだろう。別の局でも、同じことを訊かれるかもしれない」
「それは……大丈夫です。問題ありません」
心配する保己をよそに、平恋は、ところどころ言葉に詰まりながらも、言い切った。
「花輪さん、別に無理しなくても」
「私、わかったんです。私は私なんだって。もう、父がどうとか、卒業式の日の事件がどうとか、関係ないって。だから――」
平恋は、保己をまっすぐ見つめていた。
その様子を見て、保己は、彼女の覚悟をひしひしと感じた。
「わかったよ、花輪さん。だけど、いかんせん紹介できるところが……いや、待てよ」
保己はそう言って、一度自席へと戻っていった。
平恋が、背伸びして覗き込むように、彼の様子をカウンター越しにうかがっていると、デスクの引出しを物色しているようだった。
「あったあった、これだこれだ」
保己は、一枚の紙を持って、平恋のもとに戻ってきた。
「今日の夜から、掲示される予定のが一つあってね。少しフライングになるけど、先に花輪さんに渡しちゃおう」
そう言って、彼は平恋に、持ってきた紙を渡した。
記載されていたのは、トンプソンチャンネルという、インターネットテレビ局の募集案内だった。
「トンプソンチャンネル?」
平恋は、怪訝な顔をして、募集案内を読み始めた。
募集条件のほとんどは、今まで彼女が受けてきた放送局とほぼ同じだったが、大きく違う点は、筆記試験と面接試験を一日で行い、それをもとに合否が決まるという点だった。
「聞いたことないか。出来立てほやほやの、インターネットテレビ局なんだ」
平恋の様子を見ながら、保己は解説した。
やがて、それを読み切った彼女は、目を輝かせながら、保己の顔を見上げた。
「先生、こうした募集があるなんて、全然知りませんでした。でも、なんでそんな新しい局の求人が?」
平恋の疑問は、もっともだった。
ラドクリフ・アナウンススクールは、アナウンススクールの名門校であり、在京キー局含めて、大手の放送局やインターネットテレビ局からの募集が多く来る。そこに、新興の小規模インターネットテレビ局が入り込む隙間はないはずだ。
「ここはね、昔アメトミテレビに勤めていた人たちが作ったところなんだ。経営陣はみんな元社員たちだから、うちの子会社ってわけじゃないけど、パイプはある。そのつながりで、こうした募集が回ってきたわけさ」
保己の話を聞いて、平恋は、合点がいったようだった。
「これ、持って帰ってもいいですか?」
「もちろん」
「ありがとうございます!」
平恋は、トンプソンチャンネルの求人票を二つ折りにして、背負っていたリュックサックに入れた。
そして受付から出ていこうとした際、保己の方を振り返った。
「先生。私頑張ります。病院でのリハビリ治療の時みたいに!」
平恋は、にっこり笑って会釈し、受付を出て行った。
そんな彼女を、保己は静かに見送った。
彼の脳裏には、かつてアレク・ベル総合病院で、声を取り戻すべくリハビリ治療に励んでいた、平恋の姿がよみがえっていた。
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