第四章 これが私-1
年が明けてしばらく経った、二月中旬。
ラドクリフ・アナウンススクールの授業も終盤に差し掛かり、平恋たち生徒が、今後の進路を考えなければならない時期がやってきた。
アナウンススクールは、保己の務めるアメトミテレビの系列会社が経営するものだが、系列局等への就職を保証するわけではない。
そのため、アナウンサー志望の修了見込の生徒たちは、自分で就職先を探さなければならなかった。
「やっぱり、そうなんですか!?」
アナウンススクールの受付。
カウンターを挟んで、保己と話していた平恋は、驚きの声をあげた。
「そうだよ。このスクールは、就職先のあっせんまではやっていないから、自分の進路は自分で決めないといけないんだ。つまり、就職活動をしなきゃいけないってわけだな」
「就職……活動……」
平恋は、デスクに突っ伏して落胆した。
「おいおい。そのことは、入校の時の説明会や、この前の授業でも話しただろう」
保己は、心配そうに彼女を見た。
「いや、わかってます。わかってますけど、いざ現実を突きつけられると……」
平恋は、顔を上げ、苦しそうに言った。
「それに、私は高卒なので、大学生向けの就活サイトが使えないじゃないですか。入る入らない以前に、どうやって放送局を探せばいいのか……」
再び落ち込む彼女に対して、保己はこう言葉をかけた。
「探し方ならあるぞ」
「本当ですか!?」
保己の顔を見る平恋のその目には、輝きが戻っていた。
「うちは確かに、就職先のあっせんはしていない。でもそれは、こちらからどこかを紹介するわけじゃないってことだ。そこにある、掲示板を見てみてくれ」
保己は、自動ドア横にある掲示板を指さした。
様々なチラシや、ポスターが貼られている中で、『募集案内』と書かれたスペースがあり、A4の紙が、四枚貼られているのが見えた。
「あそこにあるのは、放送局側からうちに来たオファーだ。地方局の他、最近じゃあインターネットテレビ局からのも来るな」
「じゃあ、あれに応募すれば……」
保己の説明に、平恋は嬉しそうな顔を見せた。
「もちろん、募集がきてるからって、入社が確約されてるわけじゃない。最後は、自分の力で勝ち取らなきゃいけないぞ」
保己は、彼女に釘を刺した。
「わかってますよ。それは」
平恋は、表情を戻し、真面目に答えた。
「まあ、そうだよな。あとは、自分で求人を探してみることだな。今じゃ局によっては、自分のホームページに、ひっそり募集ページを作ったり、募集要項を掲載したりしているところもあるんだ」
「へー……」
平恋は、保己の話を聞きながら、スマホを取り出して、聞いた情報を入力していった。
「わからないことや、悩みがあったら、また相談に来るといい。細かい就活の面倒は見れなくても、情報提供はできるからね」
保己は、ニコリと笑った。
「先生、ありがとうございます。色々、探してみます」
平恋は、彼に会釈すると、掲示板へと近づいて行った。
『募集案内』に貼られている四枚のA4用紙を、平恋は一枚ずつ、なめるようにして見ていった。
「けんばし中央放送。これは、九州の地方局ね。その次は、東北地方のレンサムテレビ。それから、ピー・エフTV。これはインターネットテレビ局か。最後がパーキンス放送。これもインターネットテレビ局だ……」
平恋は、用紙の中に記載されている募集要項をチェックし、スマホで撮影していった。
各局ともに、年齢制限以外の募集条件は、特に設定されていなかったため、平恋にとってどれも、十分チャンスのある求人だった。
「あとは家で調べて、っと……」
平恋はそうつぶやきながら、自動ドアから出ていった。
そんな彼女と入れ替わる形で、今度は愛莉寿が、受付に入ってきた。
平恋が、特に反応せずその場を後にしたのに対し、愛莉寿は、ずっと彼女の顔を横目で見続けていた。
「すみません。佐里場先生は、いらっしゃいますか?」
愛莉寿の声を聞いて、自席についたばかりの保己は、再び立ち上がって受付へと向かった。
「理島さんじゃないか。どうしたんだい?」
「就職活動の、状況報告に参りました」
愛莉寿はそう言って、トートバッグから書類を取り出し、保己に見せた。
保己が確認すると、それは、豪阿放送における、アナウンサーとして採用後の研修スケジュールが記載された書類だった。
「豪阿放送から、アナウンサーとしての内定をいただきました。正確には、まだ内々定ですけどね。再来年の四月からの進路は、これで最低限決まりましたわ」
書類とともに報告した愛莉寿だったが、その声にはあまり抑揚がなく、嬉しそうではなかった。
「最低限ってことは、まだ就活を続けるのかい?」
「ええ。本命は、在京キー局のいずれかですから」
「そうか。地元に帰らずに、高みを目指すんだね」
保己の発言を聞いた瞬間、愛莉寿はムッとした表情を見せた。
「在京キー局が、アナウンサーにとっての花形なのは、佐里場先生もよくご存じのはずでしょう? それに、このまま地元に戻って入局すれば、コネだのなんだの、あらぬことを言われてしまいますわ」
愛莉寿は、かなり気にしているのか、早口で保己に反論した。
「そうかそうか。いや、私の言い方が悪かったな」
愛莉寿に気圧された保己は、謝罪した。
少しの間、気まずい空気が流れた――。
「そうだ。今しがた花輪さんをお見掛けしましたが、何かあったのですか? 今日は、授業日ではないはずですが」
静寂を破って、愛莉寿が切り出した。
「相談に来たんだよ。さすがに、内容までは言えないけどね」
「おっしゃっていただかなくても、大体検討はつきますわ。就職活動に関することでしょう? アナウンススクール修了間近のこの時期に、わざわざ相談に来る理由といえば、それくらいしかないですもの」
「……」
ずけずけと、平恋の相談内容について訊こうとする愛莉寿に対し、保己は黙ってしまった。
「まあいいですわ。また今度の授業も、よろしくお願いしますね。先生」
愛莉寿は、踵を返して、すたすたと受付から出て行った。
(あれだけ花輪さんに固執するなんて、理島さんも相当だな)
保己は、愛莉寿を見送りながら思った。
* * *
愛莉寿が、アナウンススクールの入る中層ビルの出入口から出ると、スマホを操作しながら立っている盟子がいた。
「あら、盟子さんじゃない」
盟子は、話しかけられたことで愛莉寿に気づき、スマホをポケットにしまった。
「愛莉寿さん! 今日はどうしてここへ?」
「内々定の報告よ。いま終えてきたところ」
「そうなんですか。実は私もなんです。おめでとうございます」
盟子の表情は、愛莉寿とは対照的に明るかった。
「ありがとう。じゃあ、また今度大学でね」
愛莉寿が、駅に向かって歩き出そうとした瞬間、盟子が「待ってください」と呼び止めた。
「どうしたの?」
愛莉寿は、盟子の方を振り返った。
「わかったんですよ、あの平恋って子のことが。ちょっと、時間がかかっちゃいましたけどね」
「本当!? 」
盟子の言葉に、愛莉寿は勢いよく食いついた。
「本人はひた隠しにしているようですが、あの特徴的な名前でしょう。お父様の会社の記者の調べで、いろいろとわかりましたわ」
「それで、どうだったの?」
得意げに語る盟子に対し、愛莉寿は興奮気味に訊いた。
「これを見てください」
盟子は、ポケットからスマホを取り出し、画面を彼女に見せた。
そこに表示されていたのは、卒業式の日の事件を伝えるネットニュースだった。
「『割れたビール瓶で女子高生刺される! 酔った父親を現行犯で逮捕』……これって、去年の春先のニュースよね? テレビで見たことあるわ」
愛莉寿は、スマホ画面をスクロールしながら、当時のことを思い出していた。
「そうです。私も、おぼろげながら覚えていますわ。で、この事件での被害者の女子高生というのが、あの子なんです」
「なんですって!」
盟子の報告を受けて、愛莉寿は思わず、大声を上げた。
「この記事を含めて、表のニュースではほとんど出ていませんが、当時あの子が刺されたのは、首筋のようなんです。相当深く刺さったみたいで、今も古傷として残ったままなんだとか……」
愛莉寿は、盟子の話を聞きながら、じょじょににやつき始めた。
「じゃあ、あのサポーターみたいなものの下には、ビール瓶で刺された傷跡が残ってるってわけね」
盟子は、頷いて返事をした。
「あの子を刺したのは父親みたいだけど、その人はどうしてるの?」
「それも、調べはついています。裁判はとっくに終わっていて、罰金刑ではなく懲役刑。今は、刑務所に収監中ですわ。あの子に対しては、接近禁止命令が出ているらしくて、一切やり取りはしていないみたいです」
盟子は、平恋だけでなく宗也のことについてもよく調べていた。
その、盟子の報告を聞くにつれて、愛莉寿のにやつきは止まらなくなっていった。
「法学部じゃないから、よくわからないんだけど、傷害罪で懲役刑って、重いの?」
「初犯でいきなり、しかも執行猶予なしでその判決を受けるというのは、けっこう重いみたいですね。酔った勢いで娘を刺したようですから、そのあたりが影響しているんでしょう」
「なるほどねえ、なるほどねえ」
さらに盟子の話を聞いて、愛莉寿は、笑いながら言った。
「本人は、身体に絶対に消えない傷跡のある傷物で、父親は犯罪者。面白いもの隠してたのね、彼女」
「ですが愛莉寿さん。この情報を、どう生かすのですか? さすがに、あの子の就活を表立って妨害することはできませんし……」
少し不安な様子を見せた盟子に対し、愛莉寿は強気だった。
「こちらが直接、手を出す必要はないわ。この話を、あちこちの局に融通してやればいいのよ」
愛莉寿は、自分のスマホを取り出し、盟子と同じ記事のページを開いて、スクリーンショットを撮った。
「融通?」
盟子は、ピンと来ていない様子だった。
「テレビに限らず、放送業界っていうのは、広いように見えて、案外狭いものなのよ」
そう言って、愛莉寿は鼻で笑った。
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