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ヘレンの声をきけ  作者: 御子柴 志恭
第二章 声を取り戻せ
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第二章 声を取り戻せ-5

 平恋が受けた最初のリハビリ治療から、二週間が経った。


 二回にわたる、ハミング法でのそれにより、平恋は、発音する力をだいぶ取り戻していた。


 そして、リハビリ治療の次の段階として、保己も協力する、言葉や文章の発声練習を行う日がやってきた。


「いよいよ今日から、発音ではなく発声のリハビリ治療に入っていきます。保己さんも一緒よ」


 保己と並んで座っていた杏は、同じく座って向かい合っている平恋に対し、言った。


「はい。お願……いしま……す」


 たどたどしい言葉で、平恋は答えた。


 まだ、スムーズに会話するのは難しいが、最初のリハビリ治療の時に比べて、一つ一つの音は、はっきりと発音できるようになっていた。


「うんうん、ちゃんと言葉も発せられるようになってきてるわね。それじゃ保己さん、お願い」


 杏はそう言って、保己に話を振った。


「よし来た。花輪さん、今日から改めて、よろしくお願いします」


 保己のあいさつに対して、平恋は頷いて返した。


「今までは、発音することを意識してリハビリ治療を行っていたけど、これからは、文字や言葉、そして文章を発声することを意識して、やっていくぞ」


 保己は、かなりかみ砕いて、今後の方針を平恋に説明した。


 このような簡略化した説明は、正式な医療関係者でない保己の方が、より患者の立場に立って話せることから、得意だった。


「お願い……し……ます」


 平恋は、返事をした。


「さっそく、文字の羅列の発声練習からだ。私が『あ・え・い・う・え・お・あ・お』と言うので、それに続いて、同じように発声してみてくれ」


 保己の説明を受けて、平恋は頷いた。


「よし。まずは、一回やってみよう。『あ・え・い・う・え・お・あ・お』はい!」


「あ・え・い……う……え・お……あ・お」


 保己の後に続いて、平恋は言った。


 発音の方は、以前に比べるとはっきりとしたものになったが、発声の仕方はまだたどたどしさがかなり残っていた。


「ハミング法でよく練習していた、『あ』と『え』の音は出しやすそうだけど、それ以外は、まだちょっと練習が必要かな」


「……」


 平恋は、保己の分析を聞いて、渋い顔をした。


「落ち込むことはないさ。ハミング法の時みたいに、繰り返し練習すれば、だんだんとできるようになるはずさ」


 保己は、彼女の胸中を察して、フォローした。


「では、もう一回。『あ・え・い・う・え・お・あ・お』はい!」


「あ・え……い、う、え・お……あ・お」


 平恋は再び、保己に続いて発声した。


 その発声具合は、先ほどとあまり変化が見られなかった。


「やっぱり、まだ慣れてない音を発音するのが、苦手そうだな」


「先……生、も……う一……回……」


「その意気だよ、花輪さん。三回目行ってみよう。『あ・え・い・う・え・お・あ・お』はい!」


 今までと同じ要領で、保己と平恋は、リハビリ治療を続けた――。



   *    *    *



 その後も発声練習は続けられ、この日はそれに終始した。


 平恋の努力により、声のしわがれや音程は改善が見られたが、スムーズな発声の方は、まだ難しそうであった。


 やがて、リハビリ治療の終了時刻である、午後三時がやってきた。


「花輪さん。今日のところは、これくらいで終わりにしよう。序盤の発声練習で終わっちゃったけど、自分のペースで、リハビリ治療を続けていけば、きっと良くなるさ」


 机のデジタル時計を確認した保己は、直後平恋の方を向いて、言った。


 しかし平恋は、それを受けても、発声練習をやめようとはしなかった。


「あ・え……い・う・え……お・あ……お」


 平恋の声が、何度も室内に響いた。


「花輪さん。焦る気持ちはわかるけど、無理しちゃいけないぞ」


「!」


 保己が再び呼びかけたことで、平恋は発声練習をやめた。


「そうよ。発声練習は、ただ出すだけじゃないわ。声や喉を大事にすることも含めて、練習なのよ」


 保己の隣に座っていた杏が、優しく注意した。


「……」


 平恋は、不満そうにうつむいた。


「早く、以前のような声を取り戻したいって気持ちは、よくわかる。素晴らしいよ。でもね、何かを成し遂げるってのには、時間がかかるもんだよ」


 平恋の様子から、保己は再びフォローした。


「先……生……」


 平恋は、顔を上げて彼を見つめた。


「保己さんの言う通りよ。一歩ずつ着実に、ステップアップしていけばいいのよ」


 保己に続いて、杏が言った。


「そうさ。ローマは一日にして成らずって、言うだろう?」


「保己さん。そのたとえは、ちょっと古いんじゃない?」


「何言ってるんだよ。ことわざだよ? 古いも新しいもないだろう」


 保己と杏は、先週のように夫婦漫才のような掛け合いをしたが、平恋の表情が晴れなかった。


「わかり……まし……た。来……週も……よ……ろしく……お願……いしま……す」


 平恋はそう言って立ち上がり、保己たちに会釈して、言語療法室から出て行った。


「ハミング法のときが、割と順調にいってただけに、今日はちょっと苦しそうだったな」


 扉が閉まり、外が静かになったのを確認して、保己は言った。


「声に限らず、リハビリ治療での回復スピードは、人それぞれよ。伸び悩む時ほど、焦らずじっくりやらないとダメだわ」


 杏は、冷静に返事をした。


「それはわかるけど、本人の様子を見ると、ちょっとね……」


 保己は、珍しく不安げな表情を見せた。


 平恋は、やっと立ち直りかけているとはいえ、まだ精神面でも声の面でも不安定な状況である。今回のことが、悪い方向に作用しないかと、心配していた。


「何言ってるのよ、保己さんらしくない」


「杏……」


「保己さんと私、二人で支えないと、花輪さんを完全に立ち直らせることはできないわ」


 杏は、強い口調で保己に言った。


「……そうだよな。ありがとう、杏」


 杏の励ましに、保己は顔を上げ、感謝した。

読んでいただいたご感想や反応等いただけると、励みになります。


お待ちしておりますので、どしどしよろしくお願いします!

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