閑話② 『そのころ男爵令嬢は《前世》』
今回はルルが主役です!
一応乙女ゲームのヒロインですので
2021/6/15 改稿
男爵令嬢ルルーシェ・ルミエンの朝は早い……
侍女など雇えない貧乏貴族は、自分で身支度しなければいけないからだ。
いつもの感覚で早朝に目が覚めたが、現在はリリーエン・リュシリューの体となっているため、自ら支度を行うことができずに、ルルはベッドに腰かけた状態で茫然としていた。
いつもなら5歳とは思えない、しっかりした妹が可愛く起こしに来てくれて、一緒に身支度するという、至福の時間を過ごしているはずだった。
可愛かった。
癒しだった。
至福だった。
「ネネぇ~」
それは愛しい妹の名。
「会いたいよぉ」
涙がでそうになった。妹だけじゃない。生意気な弟。自分を愛してくれる両親。すごく心細い。みんなに会いたい。しかし、今の自分は……
ルルは何となく鏡台の前に座って、今の自分の姿を眺めた。やはり昨夜と同様に、いつもの愛らしい姿ではなく、その鏡には黒髪の美少女が映しだされていた。あまりの美貌に溜め息がでそうになる。
──リリ様って本当にキレイよね。
思わず溜め息がでる。
──美人すぎる悪役令嬢ってネットで言われてたしね。制作陣どんだけ『リリ様』が好きなのよぉ。
ルルは前世を思い出していた。
そう前世を……
ルルは転生者だった。
前世のルルのいた世界、生まれた国
そこは『日本』と呼ばれる平和で豊かな国。
大多数の人は幸せに生活を送っているだろう平穏な国であった。
ルルは前世に思いを馳せる。
名前はなんだっただろ?
思い出せない。
思い出したくもない。
思い出せなくていい。
ルルにとって前世とはなんだろう?
前世のルルは、とある中流家庭の長女として生を受けた。その部分は今世と同じだった。だが、その『家族』としての在り方には大きな違いがあった。
前世のそれは、とても『家族』と呼べるような代物ではなかった。
前世の『両親』と呼ばれるものに、いい思い出は1つもなかった。
前世で物心ついた頃には、両親の仲は最悪で、ケンカが日課のようなものだった。
耳を塞ぎたくなる罵詈雑言の毎日。物の壊れる激しい音が家でのBGM。
激しく机を叩きつけ、時には窓ガラスが割られたこともあった。
そして幼いルルにとばっちり。
まだ小さいルルにとって、それらは恐怖でしかなかった。
ルルは怯える毎日を過ごした。
抵抗する力のないルルにできたのは泣くこと。
だけど泣けば……
「うるさいっ!」
「だまれっ!!」
と叩かれる。
ただただ耐えるしか、
ただただ息を潜めるしか、
ただただ自分を殺すことしか、
ただそれだけしか出来ない。ただそれだけを覚えた幼少期。
そんな前世だ。
そんなキライな前世の記憶だ。
本当なら思い出したくもない。
──私はルルーシェ・ルミエン……私はルル……それでいい……それだけで……
それが大切な大切な私の名前。
それが大事な大事な私への贈り物。
なによりもピカピカに輝いている宝もの。
ちょっとお調子者だけど優しい父
おっとりしているけど、しっかり者の母
生意気だけど憎めない弟
そして、可愛い可愛い大事な妹
みんながルルを愛してくれた。
ルルはみんなを愛している。
想いと想いが繋がる人たち。
今世の家族こそがルルの居場所。
ルミエン家こそがルルの本当の家族。
この家族がいればそれでいい。
だけど……
だからこそ……
今世の家族が大事だから、嫌な前世も思い出さないといけなかった。
今世の家族を愛しているから、嫌でも前世を思い出す必要があった。
そうしなければ、この大切な家族を守れないから……
この暖かく愛おしい気持ちを、失いたくないから……
前世のそんな最低な家族に転機が訪れたのは、前世のルルが十歳くらいの時だったろうか?
父親の浮気が発覚したのだ。
両親は大喧嘩した。
そして離婚した。
父親は浮気相手の所へと転がり込み、ルルは母親に引き取られた。
これで両親のケンカの毎日から解放される。
そう思うとルルは少しだけホッとした。
しかし、その後ろ向きな歓喜は、すぐに勘違いであると思い知らされた。
喧騒は静寂へと置換したが、家族の中にあった負の想念は決して正へと変換されず、その静寂はルルにとって居心地のいいものではなかったのだ。
ルルは母に放置されたのだ……
母の心にある残痕は、父が付けたものだったが、そのしこりは母のルルへの愛情を失わせ、常に母の負の視線にルルは気不味い空気に晒された。
恩讐の静寂。
愛憎の蓄積するしじま。
言葉にしない分だけ、母の中で積層する憎しみ。
その負の圧力に怯える毎日。
そして、溜まりに溜まったその怨念の爆発する矛先は、ルルに向けられるしかなかった。
「お前なんか産まなきゃよかった!」
母は私の生まれを憎悪した。
「どうしてお前の面倒を見なくちゃいけないの」
母は私との繋がりを拒絶した。
「お前のせいで私は幸せになれないのよ!」
母は私へ責任を転嫁した。
「お前なんていなくなればいいのよ!」
母は私の存在を否定した。
突如に始まった母からルルへの暴言の数々。
耳を塞ぎたかった。
心を閉じてしまいたかった。
だからルルは逃げ出した。
ルルは高校を卒業すると就職し一人暮らしを始めた。
とにかく母から離れたかった。
そうすればルルにも平穏が来る。
きっと幸せな毎日に違いない。
そう思っていた……
そう信じていた……
だけど始めた一人の生活は
平穏と言うより無機質で
幸せと言うより空虚で
訪れたのは心に飢餓を抱えた、喪失感と寂寥感に支配される生活だった。
ルルは愛情への渇望で狂いそうだった。
その頃に乙女ゲームに出会った。
ゲームの中は優しい言葉と確実な愛で溢れていた。
その言葉は虚像
その愛は偽物
そんな事はルルにも分かっていた。
だけど……
ただ優しい言葉が欲しかった。思い遣りのある言葉が。
ただ愛が欲しかった。無条件にくれる愛が。
虚像の言葉でもいい!
偽物の愛でもいい!
それらに触れるだけで心を保てた。
それ程にルルの心は愛に飢えていた。
だけど、ゲームをプレイしている時には満たされていても、『クリア』してしまえば虚無感と、それからくる焦燥感に襲われる。渇きはけっきょく癒えない。だって、その満たされた心も紛い物だから。
だけどルルにはどうすることもできない。
家族の愛を与えられなかったルルに、
乙女ゲームの愛と優しさしか知らないルルに、
どうやったらこの飢餓を、この渇望を充足させることができるのか、分かるはずもなかった。
そんな懊悩とした日々の中、ルルの目は一つの乙女ゲームに止まった。
ルルに衝撃を与え、ルルを充足させ、ルルの心の原点になった。
一風変わった異色の乙女ゲーム……
そのゲームを手にした理由は、パッケージに衝撃を受けたからだ。
左半分はヒロインと攻略対象たちが、明るい日差しの中、和気藹々とした姿を描いた乙女ゲームではよくある構図だ。しかし、ルルの興味を惹いたのは、右の半分に描かれた少女の姿だった。
左と対照的に右半分はダークな雰囲気の中で、たった1人美しい少女が立つ横顔が描かれていた。一見大勢で和気あいあいしている主人公側と、一人ぼっちの悪役令嬢という構図に見えなくもない。
左の明るい背景と異なり右は暗いタッチの背景だったが、制作陣が『悪役令嬢』に肩入れしていたせいもあるが、描かれていた『悪役令嬢』はとても美しく、その瞳には力強さを感じた。
『悪役令嬢』はどのような状況にも負けない、暗い背景に佇むことで、そんな屈強さを強調しているようだった。
ルルは思った……
私は今までゲームの中の少女のようになりたかった。
私は愛を、優しさを、希望を、それらで自分を満たしたかった。
パッケージの左半分にいる少女は私が求めている世界の自分だ。
そこの絵には愛も、優しさも、希望も、私の求める全てがある。
だけど果たして、それらを求める私には何があるのだろう。
私の中はいつも空っぽだ。私のこれまでの人生は空っぽだ。
私は己を満たそうと求めた。それが偽物であっても求めた。
私は与えられれば喜んだ。それが紛い物であっても喜んだ。
だけど……
パッケージの右には愛も、優しさも、希望も、何も描かれていない。
『悪役令嬢』はルルが過去に苦しんでいた場所でひとり微笑んでいる。
『悪役令嬢』はルルの渇望する愛も、優しさも、希望も求めていない。
『悪役令嬢』はルルにとって絶望の場所にいながら毅然と立っている。
ルルは思った……
『悪役令嬢』は何かを求める必要がないのだ。
『悪役令嬢』はその全てを内包しているから。
『悪役令嬢』はその全てを与える存在だから。
『悪役令嬢』は私と違う強さそのものだから。
ルルは『悪役令嬢』に魅かれた。憧れた。焦れた。
『悪役令嬢』なら自分を救ってくれるのではないか。
そう思ったから、ルルは迷わずその乙女ゲームを手に取りレジへと向かった。
そのゲームの名前を
『白銀と黒鋼の譚詩曲』
といった。
アンナ「何悲劇のヒロインぶってるんですか」
ルル「私ってけっこう悲劇のヒロインだと思うんですが」
アンナ「ポンコツの分際でおこがましい」
ルル「ひどい!」
アンナ「違うというなら貴族のマナーの一つでも完璧に熟しなさい」
ルル「アンナさんは前世があっても今世同様Sの様な気がします」
アンナ「ふっ」
ルル「何ですか何なんですかその笑いは!」
後半で入れる予定だったルルの前世回をストーリー構成考えたら
ここら辺に入れないといかんと考え直し今日慌てて執筆しました
1話で纏まらなかった
1~2話挟んで続きを書きます
誤字報告や文章がおかしいところがあればご指摘ください