第29話 『侯爵令嬢は女の争いを目撃する』
いつも拙著をお読みいただきありがとうございます!
この29話は改稿前の28話の巻末部を含んでいます。
大々的な改稿で申し訳ございません。
翌日もリリは『隠形』魔術の試験を続けていた。なにぶん実践どころか理論も全く新しい魔術である。色々と粗が出るのは否めない。試しながら補正をかけていく。
新しい魔術構文には何かと齟齬があるもので、ルルたちと魔術構文を作製している時も色々とトラブルがあった。
自分に向かってくる光を屈折させると、確かに術者の姿が見えなくなるが、術者も周囲が見えなくなってしまう。かと思って光波を全て吸収してしまえば、術者の姿は真っ黒になる。なので、いったん光を受けて、反射する光を屈折させた。背景も反射光を上手く湾曲させ、術者を迂回させる方法にした。これにより『隠形』は完成したのだが、これにはあまりに魔力を必要とした。
──もう少し良い魔術言語がないものでしょうか?私の知識ではこれで精一杯です。
リリは魔術言語を置き換えたり、魔術構文の文節をいじったりしながら魔術の状態を確かめるが、リリの知識の魔術言語ではどうしても魔術構文に無駄が多くでるようだった。
──理論がもともと無かった魔術ですし、対応する魔術言語もまだ未発見という可能性もありますね。
魔術構文は命令文と言い換えてもよい。その文が分かりやすく、端的なほど時間や魔力に無駄がなくなる。そのためには必要な魔術言語というものがある。
例えば、「手を握って上下に振る」と「握手をする」では使われる文字数が変わる。つまり『握手』という単語を知っていれば文章は単純明快になる。それと同じことである。つまりは、適切な単語があるかどうかが重要なのだ。なければ別の単語で代用して魔術構文を組まなければならない。そこには多くの無駄ができる。
今現在において、この多くの無駄のために『隠形』魔術は膨大な魔力保持容量と並列魔術構文編纂を必要とする。つまり、この魔術はリリ専用になっているのだ。
──しかし、それで良かったのかもしれません。
この魔術は危険だ。対策ができていないうちに世の中に広まれば、どのような場所にも入り放題。その利用価値は計り知れない。だが、今は屈折や光波、音波など既存の魔術言語がないため、リリ専用となっている。しかし、このまま魔術が発展していけば、将来的には誰もが使える魔術になる可能性は高い。
──こういう新しい魔術は、対抗策と一緒に研究しなければいけませんね。
魔術研究者は秘密主義だ。しかし、今後は研究を公にするシステムを構築し、一つのテーマに共同や追試、対策などで多くの研究者が関われるように考慮する必要があるのではないかとリリは感じていた。まあ、今のリリにどうこうする権限は無いのでエルゼに丸投げすることにした。
──いずれ私が王太子妃になったら考えましょう……って私は何を!
将来の王太子妃の責務について考えが及んだ時、その自分の隣にライルの姿が浮かび、かぁっと顔が熱くなった。
──な、な、何を考えているのですか私は!ライル様とは結婚しないのですから、私は王太子妃にはなりませんよ!もう!もう!
自分の想像で茹でタコになりながら、その想像に腹を立てる。自分らしからぬ乱れた精神状態にリリは自己嫌悪に陥りそうだった。
「はぁ、私はどうしてしまったのでしょうか」
少し頭を冷やそうと気分転換に、リリは校庭の方へと向かった。今まで『隠形』を壁伝いに使っていたので、遮蔽なしでの使用についても試してみるのもいいだろうと考えたのだ。
「遮蔽物がなくても『隠形』は性能を発揮しているみたいですね」
周りを見回しても自分に気付いている生徒はいないようだと、一定の成果にリリは少し満足気だ。
「この『隠形』を並列魔術構文編纂なしで使用できるようになったら、私は姿を隠しながら、一方的に相手を攻撃できてしまいますね。そうなったらアンナやエルゼ様みたいな人外を除けば、もはや誰にも負ける気がしません。これがアンナの言っていた『ちーと』というものでしょうか?」
この魔術の一定の性能の評価はできた。まだまだ改良の余地はありそうだが、取り敢えずは実用に耐えうるだろう。リリは『隠形』に確かな手応えを感じた。
「さて、そろそろ……あら?」
そろそろ教室に戻りましょうかと思ったところで、リリの視界の隅を金色の髪が過った。ほんの一瞬だけ捉えた人影であったが、それがリリの見知ったフォルムであったので、目で追ったのだが木々や藪が生い茂る死角に入ったらしく見失った。
──あの胸部が極大化した形状は間違いなくマリーです!
いつになく悪戯心がむくむくと湧いたリリは、姿を隠したままマリーの姿が見えなくなったと思われる方へと向かった。
背後から手を回して、あの魅惑の膨らみを鷲掴みにして驚かしたら、マリーはどのような可愛い悲鳴を上げるだろうか、と想像しながらうきうきするリリは、アンナにそうとう毒されている。
──さて、マリーはどんな反応を見せてくれるでしょう……ん?
驚いたマリーを想像しながら、スキップしそうなテンションで、後を追ったリリは藪の向こう側から、何やら穏やかではない空気が流れてくるのを感じた。視界が開けるとマリーと同じクラスの4人の令嬢たちの姿が確認できたのだが、その令嬢たちにマリーが取り囲まれていた。
マリーを取り囲んでいる令嬢たちは4人で、同じクラスのもう1人いる伯爵令嬢と取り巻きの子爵令嬢が2人。この3人が更衣室での戸棚を荒らされた時や、教科書を隠された時に、リリを嘲笑していた令嬢たちだと思い出した。
もう1人いるが取り巻きではなかったかと思う。男爵令嬢だったろうか?
全く思い出せなかった。戸棚や教科書の件の時にはいなかったと思われる。数合わせだろうか?ライルの側近も3人だし、ゼルマイヤ・ダマルタンの取り巻きも3人いたな。取り巻きは3人いないといけないというルールでもあるのだろうか?バカっぽいですねとリリは思ったが……
──あ、いけません。マリーの周りもカーラ、サラ、私の3人でした。
……盛大なブーメランになって返ってきた。
近いうちに誰かスカウトして人数を変えようと、リリが密かに誓っている最中もマリーたちの会話は進行していた。
「トゥルーズ様、何か御用ですの?このような所に呼び出して」
──ああ、そうでした。トゥルーズ伯爵家の……名前が思い出せません。
名前の思い出してもらえないトゥルーズ伯爵令嬢は、どこか嘲るような笑いを浮かべる。
「コラーディン様に忠告しておこうと思いましたの」
「……」
トゥルーズ伯爵令嬢の言葉に、マリーはよく分からないと不思議そうな表情になった。いつもは大人びた麗人のようなマリーがきょとんと愛らしい表情になり、リリはその落差に胸を射抜かれた。
──いけません!私、アンナ化しそうです。
全て、アンナの一言で片付きそうな現象である。
「あまり不適切なお付き合いはよろしくなくてよ」
「はい?」
続けて放たれたトゥルーズ伯爵令嬢の言葉に、きょとんとしたままマリーは、頬に手を添えて小首を傾げた。今度は仕草のギャップでクリティカルヒット!リリの心臓を鷲掴みである。
──急にそんな可愛らしい仕草と表情を!不意打ちでした。まったく相変わらずの破壊力です。
そんなマリーのギャップ萌えに、取り囲んでいた4人も少したじろいだようだが、さすがにトゥルーズ伯爵令嬢は簡単には絆されない様子だ。
「不届き者たちと交流を持たれるのは如何なものかと言っているのです!」
「不届き者?……私の友人はみな良い娘たちですわ」
「あら、そうでしょうか?」
小馬鹿にするように笑うトゥルーズ伯爵令嬢とその取り巻きたちに、マリーは不愉快そうに顔を顰めた。
「例えば、カーライラ・カペティネ。彼女は貴族令嬢とは思えない粗暴な言葉をつかい、態度も横柄で、上の者に対する礼儀も弁えておりません」
「トゥルーズ様のおっしゃるとおりですわ。とても同じ子爵令嬢とは思えません」
トゥルーズ伯爵令嬢に取り巻きが追随する。名前はやっぱり思い出せない。確かグシー子爵家の令嬢だったか。
「それからサラマリン・ラベチュア。成績は多少いいようですが……鈍重な上にあの間の抜けた話し方。もう少し会話の教養を身につけるべきでしてよ」
「本当に。子爵令嬢として恥ずべきです」
うーんとリリは唸る。多分、この令嬢はルテニー子爵家だったと思う。家だけは何とか思い出せるリリであった。
「そして、一番の問題児はルルーシェ・ルミエンです」
「あの者は殿下がお優しいのをいいことに媚びて近づいて」
「ええ、側近の方々にまで色目を使っているとか」
取り巻き令嬢たちの追随に頷きながらトゥルーズ伯爵令嬢はマリーに侮蔑するような眼差しを向けた。
「貴族令嬢として許容できない不逞の輩です」
「撤回を要求しますわ」
きっぱりとしたマリーの態度に、トゥルーズ伯爵令嬢と子爵令嬢たちは眉間に皺をよせた。ただ、男爵令嬢だけは2人の伯爵令嬢にオロオロとした視線を送っているところを見ると、本当に数合わせで連れてこられたようだ。
「撤回?私は真実を申したまでのこと」
「トゥルーズ様の仰られる通りですわ」
「ええ、粗野で、鈍重で、破廉恥な者たちだこと」
令嬢たちはマリーを見下しながら、ふふっとせせら笑いをするが、マリーは怯む様子も見せず昂然と胸を張った。
「カーラもサラもそしてルルも私の大事なお友達ですわ。侮辱することは許しませんわ」
マリーは臆することなく毅然と振る舞う。
「カーラもサラも自分たちの劣悪な環境にめげずに、優秀な成績で学園に入学したのは、並々ならぬ努力をしたからですわ。彼女たちのその努力は、称賛すべきものですわ」
1人1人諭すように令嬢たちを順番に見回しながら語るマリーに、威圧されているわけでもないのに後退る令嬢たち。
「確かにルルには良くない噂がありましたわ。しかし、貴女がたもご覧になられたのではありませんの?『実論』の時にルルは見事な魔術を披露しましたわ。受講が満足にできない現状で、あれだけの魔術を操れる彼女は、私たちの想像を超えた研鑽を積んだに違いありませんわ」
マリーは最後にトゥルーズ伯爵令嬢に視線を向けたが、その瞳には怒りも、嫌悪も、侮蔑も、悪感情は含まれない。ただ、マリー自身の信念だけが強く宿り、トゥルーズ伯爵令嬢を貫いた。
「そんな彼女たちの友人になれたことは、私の誇りですわ」
ぎりっ!
歯ぎしりしたトゥルーズ伯爵令嬢の顔つきは、一気に険しくなっていた。マリーの毅然とした態度が癪に障ったのか、純粋なマリーの瞳を怒りとも憎悪とも取れるような、怨の籠った瞳で見返した。
「コラーディン様は、あのような破廉恥な男爵令嬢を誇るのですか!」
どこか怒りを含んだような声が、トゥルーズ伯爵令嬢の口から漏れ出た。
「ふふふ……」
その笑いは不吉であった。トゥルーズ伯爵令嬢の中にある理性という箍が外れたような、そんな気がしてリリは不吉な予感がした。
「宜しくってよ。あのふしだらな女と同じように殿方を誘惑されたいのでしたら、私がお手伝いして差し上げます!」
トゥルーズ伯爵令嬢の体から魔術構文が流れ出る。
──いけません!
その魔術構文の意味を理解したリリは大切な友人を守るために、躊躇することなく『隠形』を解除して飛び出した……
リリは令嬢たちの修羅場にも困らない。だけど可愛い友人への危害は許さない……
ルル「『隠形』なかなかいいぐあいですぅ」
アンナ「なんとも凄いものを開発しましたね」
ルル「我ながらトンデモ魔術に携わってしまいましたぁ」
アンナ「鎌鼬や氷の遊戯は幻想的でよかったですが」
ルル「……」
アンナ「何故目をそらす!何か隠していますね!」
ルル「わ、私は本当に素敵な氷のショーを提供しようとしただけなんですぅ」
アンナ「なにをやらかしたんですか!」
ルル「考えてみたらあの原理はホントはとんでもなく凶悪でして……」
アンナ「氷を作っているだけに見えましたが」
ルル「あの理論はそんな生やさしいものでは……リリ様があれの本当の意味に気がついたら、周囲は瞬時に氷漬けか灼熱地獄ですぅ」
アンナ「……」
ルル「お、恐ろしいですぅ。怖いですぅ。リリ様が大量殺戮兵器になってしまいましたぁ!」
アンナ「貴女!リリ様に何してくれてるんですか!」
誤字、脱字を報告していただけるととても助かります!
何かあれば感想コメントに書き込みしてください。