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第26話 『侯爵令嬢はお菓子を作れません』

いつもご愛顧いただきありがとうございます!

何とかまだ毎日話を投下できてほっとしています。

 リリはリュシリュー邸に着くと守衛にアンナへの言伝を頼んだ。


 最初は訝しんだ守衛だったが、リュシリュー家の家人たちは教育が行き届いている。居丈高な態度は取らない。リリも男爵令嬢であるとの身分を明かしており、きちんと対応はしてもらえた。


 まあ確かに突然の訪問などかなりの緊急性が無い限りはありえないのだが、そういう事態が全くないわけではない。緊急の場合、いちいち先触れなど出してはいられない。そう言う場合はこちらの素性を明かし、呼び出す相手を明確にして簡単な内容の言伝を頼むのである。


 もし主人が会う必要がないと判断されれば、守衛はその段階で門前払いすればよい。


 質の悪い家人しかいない貴族家では相手の身分が低かったりすると最初の言伝の段階で門前払いするところもあると聞く。


──身分によって緊急性や重要性を判断できるものではないのですけどね。


 身分で事の軽重は量れないのだ。

 身分が低いからと邪険に扱ったがために手痛いしっぺ返しに遭った話など枚挙にいとまがない。身分は大事だが囚われすぎてもよくはない。


──その点でリュシリュー家の家人は合格のようです。


 主人の立場では見えないことも他人の視点から見えることはままあるものだ。

 こうして別の視点に立てたのはあるいは良いことだったのかもしれない。


 やがて呼びに行った守衛の1人とともにアンナが正門までやってきた。


「お待たせいたしました」

「いえ……突然の訪問ごめんなさい」

「問題ありません。貴女様に閉ざす門戸はございません。いつでもお立ち寄りくださいませ」


 守衛が門扉を開けてアンナがリリを中へと誘う。


「それではリリ様がお待ちです。ご案内いたします」

「よろしくお願いします」

「よろしくおねがいします!」

「ネネちゃんです。妹なの。可愛いでしょ?」


──ネネちゃんの一生懸命の挨拶。可愛いです!これにはアンナもメロメロでしょう……


 ネネの愛らしさに撃沈しているリリは、もはや世界中がネネを愛してやまないと信じている。が、そのアンナは見れば完全無表情。むしろ氷点下に達しているように見える。


「できればリリ様の前に幼子をお連れするのは控えたいのですが」


──まさか!?そ、それならシャノワを!


「この猫はシャノワという名前なのよ」

「リリ様は猫がお嫌いだったはず。ご遠慮ください」

「ニャッ!」


 ネネもシャノワもアンナに怯えてリリの後ろに隠れてしまった。


「ア、アンナ?」

「なんでございましょう」

「この2人も関わりがあるの。一緒に連れて行くわけにはいかないかしら?」


 リリはお願いとアンナに囁くと、アンナはリリの背後から顔を覗かせているネネとシャノワを一瞥した後リリに顔を向けて小さくため息をついた。


「しかたがありません。ご案内いたします。中へどうぞ」


 その瞬間、愛らしい姉妹の成り行きを見守っていた守衛たちが騒めいた。

(え!?嘘だろ!)

(あれ、あのアンナさんだよな?)

(モノホンか?)


 リュシリュー家の家人一同に恐れられているリリ専用侍女アンナはその名の通りリリ専用。専属というよりもう専用なのだ。リリ以外の命令は相手が当主であろうと従わない(メネイヤは苦手)と言われているのだ。


 それが男爵令嬢ごときのお願いを聞いた!

 守衛たちにとっては驚天動地の大事件だ!


(傲岸不遜傍若無人のアンナさんだよな?)

(天上天下唯我独尊のアンナさんだよな?)

((間違いないよな!))


 目で語り合う守衛たち。しかし、それはとっくにアンナには露呈していた。


「貴方がたには後で話があります」

「「ひぃぃぃぃぃ!!」」


 そういうところが怖がられるのだと一部始終見ていたリリは苦笑いした。


 アンナは黙ってリリたちを先導したが、どこか不機嫌な様子が感じられてリリは首を捻った。


──どうしたのかしら?


 アンナの様子はルルの待つ部屋についても変わることはなかった。逆にルルはハイテンションだ。


「ネネ!シャノワ!」


 ルルはしきりにネネとシャノワにすり寄った。


「私の天使!私の癒し!」

「リリ様……貴女はリリ様なのですよ」

「ヒッ!」


 そのルルの高揚した気分に冷水どころか氷を降り注いだのは当然アンナだ。

 アンナの目は、このポンコツが!と言っているのは明らかだ。


「あの、その……」

「こちらのご令嬢はネーネシア・ルミエン。ルルーシェ・ルミエンの妹君にあられます」

「え、ええ。初めまして、こんにちは」


 半泣きしながら他人行儀にネネに挨拶をするルルをネネとシャノワは不思議そうに見上げた。理由はそれぞれ違ったが。


「ん〜?」

「にゃ?」


 ネネはリリの傍まで来ると見上げて首を傾げ、今度はルルの傍に行って首を傾げ……

 時計回りにグルグル回って同じ行動をしだす。何か混乱しているようだった。


──ネネちゃんには感覚でなんとなく分かっているのね。ルルが私の体にいることを……


 リリの胸中を寂しいような嬉しいような感情が渦巻く。


 一方、シャノワは魂魄の違いをすぐに察知できているようで、ルルの正体には気がついていたようだったが……


 ネネと同じくグルグル回っていた。

 どっちに甘えようか迷っているらしい。


──契約者の私に気がついていながらリリ様と天秤にかけるなんて!シャノワの裏切り者ぉ!


 ルルは泣きたくなった。シャノワに自分が契約者だからこっちに来いと言いたくなった。

 しかし、背後のアンナが怖すぎてそれを言うわけにもいかない。


 その間にもネネとシャノワのリリとルルの間の往来(いったりきたり)は続く。


 ネネがルルを下から首を左右に傾げながら覗き込むと、シャノワはリリの足にすり寄り、ネネがリリを下から「ん〜?」と唸りながら覗き込むと、シャノワはルルの足元で立ち上がって猫パンチして遊びだす。


「確かめて欲しいことと、やって欲しいことがあります」


 グルグル、グルグル自分たちを交互に回る2人を微笑ましく見やりながらリリはルルに話を切り出した。


「シャノワは猫妖精ケット・シーで貴女と朋魔契約を結んでいる。間違いありませんね」

「お待ちください!この駄猫は猫妖精ケット・シーなのですか!?」

「もう!シャノワよ。シャノワは猫妖精ケット・シーなのチョー可愛くチョー賢いの」


 アンナの暴言を嗜めてシャノワを持ち上げて語るリリの姿は自猫を溺愛するそれである。

 リリのその姿にアンナはちょっと眉を顰めたが、問題はそれ以外にある。


「しかもこのポンコツと契約中というのは……」

「本当ですよぉ。2年前にしました。ゲームでも登場してヒロインのお助けキャラになるんですよぉ」


 自慢気に語るルルにアンナは少しイラッとした。


──このポンコツ!そんな大事なことを伝え忘れていたなんて!


 だが、その一方で少し恐ろしい考えが脳裏を過りもした。


──猫妖精ケット・シーは確か精神魔法の使い手。まさかとは思いますが、もしルルーシェ・ルミエンの中がこのお人好しでなかったら……


 猫妖精ケット・シーの魔法でライルたちを篭絡し、リリーエン・リュシリューを悪役令嬢に仕立て上げていたのではないか?そんな未来もあったのではないかと。


 ルルーシェ・ルミエンの潜在能力はヒロインだけあってかなり高いようだ。そのような事態になっていれば熾烈な争いに発展していたかもしれない。が、


──まあ、ルルはルルです。ポンコツ以外の何者でもありませんね。


 ありもしない未来を危惧しても仕方がない。とにかく今の状況はリリにとってもルルにとっても僥倖であった。それで良いと結論づけ、アンナは朋魔契約について思考を戻した。


「リリ様の考えが分かりました。この状態でルルがこの猫と魔力回廊エーテルパスを繋げるかを試したいのですね?」

「ええ、そうよ。私が試してもやはりシャノワと魔力回廊エーテルパスは通らなかったの」

「それは当たり前ですよぉ。契約しているの私なんですからぁ」

「おバカ!魂魄が入れ替わっているかの確認をしようとリリ様はおっしゃっているのです」

「?」

「ルル、人格転移なら私たちは記憶だけが入れ替わった状態になるのよ。その状態なら現在シャノワと魔力回廊エーテルパスが通るのは私になるわ」


 おお!と得心がいったようにルルはポンと手を打つ。


「リリ様ではなく私が魔力回廊エーテルパスをシャノワとの間に通せたら魂魄置換をしたことになるんですね!」

「ええ、しかも魂の中に魔力が内包されているという説の裏付けにもなるわね」

「だからさっさとこの駄猫と魔力回廊エーテルパスを通しなさい!」


 ちょろちょろ歩き回っていたシャノワの首根っこをむんずと掴んで、アンナはシャノワをずいっとルルの眼前に差し出した。


「もう駄猫じゃないですよぉ。こんなに可愛いのに……あ!さては嫉妬ですねぇ」

「嫉妬?アンナが?」

「そーですよぉ。さっきからおかしいと思ったんです。なんかアンナさんネネやシャノワに対して目が厳しいなって」

「あら!でも世界もきっと嫉妬するぐらいネネちゃんもシャノワも可愛すぎるから、アンナが嫉妬してしまうのも無理ないですね」

「いやそうではなくて、アンナさんはリリ様が2人に……」


 スパァァァン!


 どこから取り出したのかアンナが紙ハリセンでルルの頭を叩いた。


「い、いたい……」

「無駄口叩いていないで貴女は言われたことをする!」

「ん、もう!叩かなくたって……シャノワ!」

「にゃっ!」


 アンナからシャノワを受け取ると両手で抱きかかえ、シャノワのゴールドの瞳を覗き込む。シャノワはルルを見上げると前足を上げて応じた。


 しばし見つめ合う2人。


「むむむ!これは!!」

「前振りはいいからさっさと結果を報告なさい!」

「普通に魔力が通いますねぇ」

「んにゃ〜♪」


 ルルとシャノワは息の合った動きでねぇと小首を傾げてみせた。


「これでリリ様とルルの間で魂魄置換が起こったと考えてよさそうですね」

「一番可能性が高いと言っていいでしょう」

「これは王妃様のご紹介くださる研究者にも話すべき内容でしょうか?」

「私たちの現状やシャノワのことを話さなければならなくなります。信用できる方でしたらよいのですが……」


 リリはアンナと真剣な顔で頷き合い、魂魄置換について話し合いをしているさなか、横からルルがリリの袖をちょいちょいと引っ張った。


「それでリリ様、あとやって欲しいことってなんですかぁ?」

「ああそれは……」


 リリはまだ2人を不思議そうに眺めているネネを見ながらルルの耳元に顔を寄せた。


「ネネちゃんがお菓子を作って欲しがっているの。朝『あれ』を作ってって言われて」

「『あれ』ですか?」


 ルルは首を傾げて考え込んだ。

『あれ』ってどれ?色々作ってあげたからなぁとぶつぶつと呟いた。


「貴女ポンコツのくせにお菓子作りができるんですか!?」

「ひどいなぁ。私これでも独り暮らししてたから女子力はそこそこ高いんですよぉ」


 驚愕の事実に驚倒するアンナに、さも心外そうな表情のルル。


「ルルがいつも作ってくれているみたいなことを言っていたわ」

「ん〜『あれ』ですかぁ……ああ、もしかしてソフトクッキーのことかな?」

「ソフトクッキー?」


 耳慣れない言葉にリリは聞き返すと、ルルはこっちの世界にはないんですよぉと返した。


「前に食べたくなって試作しまくっていたんですよぉ。完成したの食べた時、ネネ柔らかいクッキーに大はしゃぎしてたなぁ」

「クッキーが柔らかいのですか?」


 ぱちくり目を瞬かせるリリにルルは大きく頷いて見せた。


「そぉですよぉ。柔らかくて、でも外はサクサクなんです」

「想像もつきませんが、私も食べてみたくなりました」

「リュシリュー家なら砂糖やチョコレートも手に入るでしょうから作れると思いますよぉ」


 アンナに厨房を間借りさせてもらうよう料理長シェフに頼みに行かせ、リリとルルはネネを両側から挟んで手を繋ぎ厨房へと向かった。シャノワを厨房へ入れるのは料理人たちから忌避されるだろうと部屋でお留守番だ。


 そうしてやってきた厨房の片隅でルルクッキングが始まった。


「材料は

 小麦粉200g

 重曹2g

 塩2g

 バター100g

 黒砂糖100g

 砂糖80g

 バニラビーンズ1本

 卵1個

 チョコレートいっぱい

 ナッツ少々

 を用意します」


 戦力外のリリとアンナ、ネネは黙ってコクコク頷きながらルルの手際を見学する。


「まずはバター!バッタ、バッタ、バタァー♪黒砂糖でもいいけれどやっぱり三温糖が欲しかった〜♪」


 よく分からない歌を唄いながらも何故か手際の良いルルはバターと砂糖を混ぜ合わせるとボウルを脇に避け次の材料を手にする。

 

「篩にかけた小麦粉、重曹、塩をあらかじめ混ぜておいて♪」


 材料を次々投入し混ぜ合わせた小麦粉を脇によけると先程の混ぜ合わせバターのボイルに卵を落とす。


「バターと卵をよぉく混ぜて♪と、こんな感じですかね。で、さっきあらかじめ混ぜていた小麦粉君たちとこれをコネコネま〜ぜて混ぜて♪ま〜ぜて混ぜて♪」


 この変な歌はともかくリリからすると魔法でも使っているんじゃないかと思うくらい手際よく作っていくルルを茫然と眺めながら、リリはこれは自分には無理だと悟った。


「ホントはチョコレートチップがいいんですが、それはこの世界じゃ市販されてないので手作りです」


 チョコレートとナッツを包丁でトントン適度なサイズに砕いて混ぜていくルルをリリとアンナは初めて尊敬の眼差しで見詰めた。ネネは「おぉ!」と口を大きく開けて驚いている。


 生地まで作ると3人で適当なサイズの大きさに形成して余熱しておいたオーブンに「美味しくなぁれ、美味しくなぁれ」と呟きながら放り込んだ。ネネはその傍でルルの真似をして「おいしくなぁれ、おいしくなぁれ」とはしゃいでいた。


「温度は通常よりも低く、時間も心持ち短めで焼成するのがコツなんです」

「これも貴女たちの前世の料理なのですか?」

「そぉですよ。材料がなかったりするので困りましたが。ベーキングパウダーなんてありませんし」

「重曹があっただけ凄いですが……まあ、魔術で作ろうと思えばできるのですから、デルネラの件もありますし、思ったより転生者が多いのかもしれません」


 リリは感心したように頷き嘆息を漏らした。


「ルルやアンナの世界は凄いですね。アンナの知識で作成した魔術も色々ありますし……」

「そうですねぇ。化学や物理、生物なんかの学問が発達していますから、その知識を魔術に応用すれば可能性は広がりますねぇ」

「ルルが魔術言語を習得できたら魔天になれたでしょうに」


 リリの苦笑い交じりに言った内容にルルは苦虫を噛み潰したような表情になった。


「言語は苦手です……そうだ!リリ様が私やアンナさんの知識で魔術構文を作って、それを私が丸暗記すればいいんです!暗記力には自信ありますよ」

「まあ、それも良さそうですね。私としても魔術の幅が広がるので助かりますし」


 そんな話をしている最中にオーブンから「チン!」と音がなった。


「お!焼き上がり〜」

「わぁ!においがあま~い」


 オーブンを開けるとクッキーとチョコレートの甘い香りがいっきに厨房に立ち込めネネははしゃぎ、リリは右手を頬にかざしてほぅと嘆息を漏らした。


「とても美味しそうです。ルルは凄いのね」

「この匂い堪りません!ソフトクッキーはもともと焼き立てクッキーとして家庭の味だったんですよぉ。だからアツアツのうちに食べるのがベスト!」


 リリたちは作ったソフトクッキーを部屋に持ち込み、それを嬉しそうにネネは頬張り、シャノワも猫妖精ケット・シーの為か意外と人間の食べ物も食べられるようで齧りついた。が、猫舌ではあったらしくふぅふぅして冷ましはじめた。


 そんな2人の様子を愛でながらリリたちもクッキーに齧りつき魔術談義をすることとなった。



 リリはお菓子作りができなくても困らない。今後もルルに作らせることにしました……



アンナ「貴女、料理ができたんですね」

ルル「まあ、女子力高めぇ?」

アンナ「くっ!その疑問形が腹立つ」

ルル「クスクス。アンナさんは料理できないんですかぁ?」

アンナ「じょ、女子高生に料理スキルは必要ないのです!」

ルル「まっけおしみ♪まっけおしみ♪」

アンナ「ぐあぁぁぁ!ルルの癖に生意気だぁ!」

ルル「うへへへ……アンナさんに初めて勝てた気分です」

アンナ「うぅ……ルルに負けるなんてorz」


誤字脱字などなど報告頂けるとありがたいです!


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