第1話 『侯爵令嬢は変態専属侍女と戯れる』
2021年6月3日 改稿
事の発端、それは突然だった。
その日もリリは密偵から、日課になりつつある王太子たちの密談の内容の報告を受け、また婚約破棄の話?なら放置でOK?と即断していた。
この同じ報告もいったい何回目だっただろうか?よく飽きもせずに続けられるものだと逆に感心する。同じ内容と分かりながらもリリは毎日その報告を毎日欠かさずに受けていた。
最近リリは報告を受けながらこの自分の婚約者を思い浮かべることが常となっていた。
リリの婚約者ライベルク・シュバルツバイス王太子殿下(愛称ライル)――彼は黄金も霞むような金髪に海のように爽やかで美しい青い瞳。優し気で整った容貌。女性なら黄色い悲鳴を上げること請け合いの美男子だ。
このごろライルは毎日のように自分の側近達と浮気相手と目されているルルーシェ・ルミエン男爵令嬢とこそこそと密談を繰り返している。
──全部筒抜けなんですが……不自然なくらいに――ね。
リリは報告書にざっと目を通しながら、しかし何処か作為的なものを感じていた。
まあ、違和感だらけの筒抜けな密談をしている彼らの考えは、何となくリリには想像がついてはいるのだが……
──だけど今日はもう夜も遅いので、ここまでにしましょう。
夜更かしするのはまずいのだ。
何故なら夜更かしは美容の大敵だからだ。
と、いってもリリ自身はそれほど気にはしていない。
だがリリ専属の侍女アンナはそうはいかないのだ。
彼女はとにかくリリの美容にうるさい。
とてもうるさい。
大変にうるさい。
兎に角うるさい。
マジでうるさい。
拗らせると後がかなり面倒なのだ。
何故こんなにもうるさいのか?
それはアンナの趣味が、リリを可愛く美しくすることだからだ。
リリ自身は自分の身嗜みは侯爵令嬢として見苦しくなければ、多少手抜きをしてもよいと思っている。しかし、それを言うとこの侍女は暴走するので、素直にアンナに従っている。
容姿のみを溺愛しているアンナにとって、リリは完全にお人形扱いだ。
いつも通りの湯あみ後に、鏡台の前に座ったリリの背後にその侍女アンナの姿があった。
アンナは黒よりも茶色に近い自分の髪をひっつめ、皺一つない侍女服をぴしりと着こなしている。顔にかけられている眼鏡も相まって、その姿は怜悧な印象を周囲に与えていた。
容姿は十分に整っており誰もが認める美人ではある―――が、普段は氷を思わせる程の無表情であり、その美貌も手伝って周囲に冷徹な印象も同時に与えていた。
しかし……
リリの部屋で、鏡台の前のリリの美しい黒髪を乾かしながら梳かし始めると、聡明な侍女の姿は秒で豹変した。
氷の仮面のように冷たく感情の見えない無表情が、リリの艶やかな濡れ髪に触れると完全に崩れて悦に入った。もはやリリの髪を舐めるような勢いのその姿は、完全無欠の変態である。
「リリ様の御髪は滑らかで艶があって本当に美しいです。ああ!香りも芳しい!素晴らしい!」
リリの髪を梳かしながら一房すくい上げると、クンカクンカと嗅ぎ恍惚の表情を浮かべる姿は、常人なら誰もが引く変態ぶりだ。もう完全にヤバイ人だ。
だが、まごうことなきこの変態侍女を相手にしても、リリはその程度では動じない。
「あのねアンナ。それはあまりに奇怪な行動にすぎると思うの。私はアンナが匂いに欲情する変態さんになるのではないかと心配よ」
「大丈夫ですリリ様。アンナはもう既に立派なリリ様限定の変態です!手遅れです。絶対です!」
「あのねアンナ。それはあまり大丈夫ではないのだと思うのだけれど?」
リリは人差し指を頬に当て小首を傾げたが、その美しくも愛らしい姿にアンナは益々悶えた。
リリを凝視する目は血走り、ハァハァと呼吸も怪しい。もう手のつけられない完璧変態である。完璧超人も真っ青だ。
「無問題です。リリ様の神々しき美貌の前では、あまねく人々は須く変態に変貌するのです。絶対です!」
「そ、そうなの?」
リリ信者の侍女の剣幕に若干たじろぎ、一瞬納得しそうになったリリだったが、自分の容姿を自分で讃えるようで、それは痛い子みたいだと思い否定することにした。
「世の中には私より見目麗しい方は大勢いらっしゃるわ。アンナの言い分だと、世の中は変態さんで溢れ返ってしまうわ」
たくさんのアンナが、その目を血走らせ一列に行進して『リリ様!リリ様!』と自分の名前連呼するのを想像して、リリは笑顔をちょっと引き攣らせた。
さすがにそれは勘弁願いたい。
こんな変態は1人で十分だ。
「ノープロブレムです。世の人々の9割は変態なのです。絶対です!」
「そ、そうかしら?」
「もちろんですとも!変態に非ずんば人に非ずです!」
え!?それでは私は人じゃないの?
と自分のことは変態認定していないリリは思った。
「リリ様は神です!つまりリリ様以上の美貌などこの世に存在しないのです。リリ様の美しさの前には、須く人々はみな平伏するのです。絶対です!」
「だけどそう思っていない方たちもいらっしゃると思うわよ。例えばライル様や取り巻き達は違うようだけど?」
「はっ!」
アンナは鼻先で笑った。主人の前でその態度はどうなのだろう?と思わなくもない。
「リリ様の美しさを理解できない奴らは蛆虫です。人へと変態できなかった虫ケラです。ミジンコです。人ではないので奴らはカウントされません。絶対です!」
「あのねアンナ。ライル様に私も思う所が無いわけではないのだけれど、あの方は一応この国の王太子で私の婚約者なのよ?外聞というものがね……」
リリはアンナを諭したが、主の前に関わらず、アンナは「ちっ!」と舌打ちした。この侍女は本当に大丈夫なのだろうか?
「あんなミジンコ殿下が王太子と言うだけでも業腹なのに、私のリリ様の婚約者だなんて!!結婚後に私のリリ様の美体に、あんなことやこんなことをできるようになるウラヤマケシカラン蛆虫め。想像しただけで、腸が煮え返って茶が沸けそうです。いっそこの灼熱に煮えたぎった腸で、あの虫ケラどもを焼き殺してくれましょうか―――はっ!?」
アンナはそこで何か思いついたかのように不敵な笑いを浮かべた。
「コ・ロ・ス?いい案です。さっそくリュシリュー家の暗部に言って暗殺してもらいましょう」
「やめてアンナ。目がいっちゃっているわ!」
既に狂人の目になっているアンナを手遅れと思いつつ制止するリリだったが―――やはり手遅れだった。アンナはやる気だ。
「ご安心ください!このリュシリュー領の者は、上は侯爵様から下は下男に至るまで、みな須くリリ様の美貌の下僕です。暗部のものどもも王太子暗殺指令をきっと今か今かと手ぐすね引いて待っているはずです。命令一下みな小躍りしながら王宮に突撃するはずです。王太子の命奪ってきてくれるはず。間違いありません。絶対です!」
「あのねアンナ。安心できる要素全然ないんだけど!?国が荒れる未来しか見えないんだけど!?」
「問題ありません!リリ様の美貌の為なら国の一つや二つ滅亡したっていいのです。侯爵様もきっと賛同してくれるはずです。なんなら暗殺なんて間怠っこしいこと言わず御自ら出陣されるかもしれません。いや、出陣するはず。出陣しないはずがありません!絶対です!」
満面の笑みを浮かべる父と兄が領都から軍勢を率いて王都に攻め上る姿がリアルに想像できてしまったが、さすがにそれは阻止しようとリリは心の中で誓った。
「アンナ。それはダメですからね。絶対です!」
こんな専属侍女でもリリは困らない。侍女との戯れもちょっとおもしろ楽しいかもと思ったのは秘密だ……
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