閑話⑥ 『そのころ男爵令嬢は《遭逢》』
「王妃様……時間もあまりありません。そろそろ本題に入りましょう」
「そうね。これからのことを話し合いましょう」
──アンナさん、もしかして私のこと……
困っているルルに助け船を出すかのようなタイミング。
ルルは嬉しそうにアンナをチラリと見た。
その様子を微笑ましそうに暖かく見ていたエルゼリベーテだったが、その春の日差しのように穏やかで優しい笑顔がまるで温度を感じさせない感情を現さない微笑に変わった。
「まず最初に1番大事な事から決めましょう」
少女の様に楽しげで明るい声が大人の威厳あるものに変じている。
今しがたまで陽だまりの中にいる様な暖かな空間が、王妃エルゼリベーテの声音と表情が変わっただけで一変した。
これが王妃の風格。
今ルルたちの目の前にる女性はもはやエルゼリベーテではない。
同一人物であっても《王妃》エルゼリベーテなのだ。
「とても大事な事です。これからの話を円滑に進めるためにも」
ゴクリ……
体が強ばり生唾を飲み込むルルは完全に王妃に呑み込まれていた。
アンナでさえも無表情ながら僅かに緊張しているのが分かる。
「私のことはエルゼって呼んでね♪」
「「できるかぁ!!!」」
「どうして?エルゼリベーテって長いじゃない?愛称の方が短いし親しみも湧いて話しやすいと思うのよ」
「王妃様、私たちにも立場というものがございます」
「もう!アンナちゃんこういう時は堅いのね。それとも私がおばさんだから呼んでくれないの?クスン……」
とても2人の子持ちには見えない瑞々しい容貌に、翳を入れて落ち込む様はどこまで演技か……せっかくのシリアスな雰囲気がぶち壊しだと、アンナは据わった眼になってしまった。
しかし、前世で両親の虐待から、人の顔色を伺う様になってしまったルルには、エルゼの演技は堪えた。
「そ、それでは私たちの時だけエルゼ様とお呼びさせて頂きます」
「あら!やっぱりルルちゃんはいい娘ね」
ルルは遠い目になった。
もう現実逃避がしたい。
「『様』もいらないわよ。なんなら『ちゃん』付けでも♪」
「「無理です!」」
「貴女たちホント仲がいいわねぇ」
もうグダグダだ。
アンナの目もハイライトを失い……死んだ。
「アンナさんアンナさん!この方ホントに王妃様なんですか?リリ様のお母さんとだんちなんですけど!」
ルルにとって比較できる高位貴族の大人の女性は今朝会ったリリの母だけだ。
ピリッとした雰囲気、滲み出る気品、他者を圧倒する威厳。リリの母はまさに思い描いたような『ザ・貴族女性』だ。
あの人々を魅了する絶世の美貌、自然と纏っている周囲を従属させる風格、高貴さを醸し出す振る舞い。ホントはあちらが王妃なんじなかろうかとルルは思った。
「ん?メイのこと?」
「メイ?」
「リリちゃんのお母さん。メネイヤ・リュシリューというのよ」
今明かされるリリの母の名前!
まあ、設定集でルルは知っていたが。
「王妃様は奥様とはご学友であられたとか」
「そうよ。まあ、私の方が1学年下だったけど」
エルゼは何か懐かしむ様な雰囲気を見せながら話しを続けた。
「あの子あの通りの美貌でしょ?当時から落ち着いた雰囲気なのに人目を引く気品もあるからモテモテだったのよ。だけど皆気後れしちゃって近寄れないものだから、学園で呼ばれていた通り名が『深窓の黒百合姫』よ。
いいわよねぇ。私なんて辺境の田舎娘って言われてて揶揄う男子や陰険な女子を片っ端から締め上げていたら、いつの間にやら周囲が私に一目置いてくれてね。ついたあだ名が『荒山の赤猿姫』よ!
当時の私は一応王太子の婚約者だったのよ。それを赤猿よ赤猿!失礼しちゃうわよねぇ」
ぷんぷんと音が聞こえてきそうな怒り顔をするエルゼだが明らかに楽しんでいるのが分かり、アンナもルルもここは笑うところなのか迷った。まあどのみち笑うに笑えない……
「まあ、メイの事が気になるならセスに聞いた方が詳しいと思うわ」
「セス?」
「うん?ああごめんなさい。セスっていうのはセシリア・ブラジネット子爵令嬢のこと。今は結婚してセシリア・ルミエンだったわね」
「うそぉ!お母さん!?」
設定集にそんな記載は無かった。完全に寝耳に水だ。
「そう。ルルちゃんのお母さんよ。セスとメイは親友だったのよ。表面上は高位貴族同士付き合いのある私とメイの方が仲良く見えたでしょうけど」
「知らなかった……」
「無理ないわ。当時、学園ではメイとセスの仲は険悪と思われていたから」
「え!?」
「メイは真面目な子なんだけど不器用なのよ。セスのこと大好きなくせに貴族の矜持を捨てられないから奔放なセスと校内で衝突して拗れちゃって」
――ツンデレだ!リアルツンデレがいる!
ルルとアンナの心が1つになった。
「そんな性格だからリリちゃんとも拗れてしまうのよ……いえ、私が関わることではないわね。親子の関係は当事者たちのもの。だいいちリリちゃんは聡いしいい娘だから問題ないか」
頬杖をついて独り言ちるエルゼをルルもアンナも黙って見詰めた。
「さあ、昔話はここまで。大事なのはこれからよ」
王妃様が話の腰ボッキボキに折りまくっているんじゃないとアンナもルルも思ったが、2人は賢明にも沈黙を守った。
「まずは状況だけど……」
「昨夜リリ様の部屋の魔力から魔術の残滓を検出しました。状況から見て魂魄置換の魔術ではないかと」
「事故かしら。それとも故意かしら」
「王妃様もご存知でしょう。彼の魔術はその構文が複雑で独特です。事故で起こす事の方が困難です」
「ふふ、禁忌術ですものね。詳細は秘匿されている魔術なのにアンナちゃんはとてもよく知っているのね?」
「……」
「まあいいわ。何者かの思惑が働いているのは間違いないでしょう……それもあまりよろしくない類の思惑が」
「はい。リリ様は王太子の婚約者です。最悪、王家乗っ取りまで視野に入れた謀の可能性もあります」
「リリちゃんもルルちゃんも狙われている可能性が高いわね。リリちゃんは何でもござれの万能娘だから大丈夫だけど」
エルゼとアンナが会話を切ってルルに視線を向けた。
「今のルルちゃんは危ない状態ね。ルルちゃんは身を守れるほど魔術は使えないんでしょ?」
「そこは私が守ります」
「そうねアンナちゃんが傍にいれば大丈夫か」
「アンナさんってそんなに強いんですか?」
「かなりね。リリちゃんが絡まないと優秀で最強の侍女よ。私が欲しいくらい」
アンナちゃんの戦う姿見たらルルちゃん惚れちゃうわよっとおどけるエルザにルルはへぇっとアンナを見直した。
「それとルルちゃんは暫くリリちゃんとして振る舞う必要性があるから作法や魔術、学問などもアンナちゃんが面倒みてくれる?」
「そのつもりです」
アンナの無表情顔を愉快気に見てエルゼはふふっと笑いを零す。
「さっきから見てるとアンナちゃんはルルちゃんの正体も知らなかったのに随分と心を許したものね?これ知ったらリリちゃん泣くわよ」
何処か悪戯っ子の様な笑みにアンナは身構えた。
「それにルルちゃんが正体明かしても動揺が見られなかったし、アンナちゃんほど出来る娘が最初にルルちゃんの正体を確認もしなかったの?本当に?」
──この人は!
アンナは思わず苦虫を噛み潰したような表情を一瞬見せてしまった。
──油断のならない人だ。何処まで情報を握っているのか……
こういう所は高位貴族なのだと改めて思い知らされる。
「ふふふ。なんだか色々と楽しそうな事が起きてそうね」
そんなアンナの動揺など意に介さずエルゼは愉快気だ。
「まずは今のルルーシェ・ルミエンに接触する必要があるわね。彼女の中にリリちゃんがいるかも確認しないとね」
「この後学園へ向かいルルーシェ・ルミエンに接触致します」
「そうね。アンナちゃんなら見ればリリちゃんかどうか確認できるわね」
「お任せを」
──リリ様の休息……早くも終わってしまいそうですね。
アンナは心の内で嘆息した。
「あとリリちゃんに会えたら伝えて置いて。魂魄置換について知識のある知己の者がいるから、その者と面会できるようになったら連絡するから。それと陰謀の首謀者ね。こちらでも極秘に調査しておくわ。何か判明したら知らせるから」
「委細承知いたしました」
「それからメイのことだけど」
「奥様の?」
「どーせあの子にもバレてるんでしょ?」
「……帰ったら報告するよう指示を受けております」
「後で私の方から話すと伝えておいて」
「宜しいのですか?」
「ええ、貴女たちから話すとあの子絶対拗らせるもの」
エルゼとアンナが今後の方針について色々と遣り取りをしているところにエルゼと同年代と思われる侍女がやってきてエルゼにそっと耳打ちした。
「そう……もう時間みたいね。今度はルルーシェ・ルミエンも交えてお話ししましょう」
「承知致しました。それではリリ様……」
「は、はい!ご、御前失礼させて頂きます」
ルルは拙いながらカーテシーをするとアンナに従ってエルゼの前から退出した。
その2人の後姿をエルゼは楽しそうな表情で見送った。
「ふふふ!面白いことが起きそう。ほんと退屈しないわねぇ」
∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻∻
2人が馬車に乗り城を出ると、やっとルルは気が休まる思いがした。エルゼは気安いとはいえ自国の王妃であるし、どこか全てを見通していそうで思っていた以上に緊張していたようだ。
心なしか無表情のはずのアンナの顔にも安堵の色が見えたような気がした。
「この後は学園です」
「リリ様と合流するんですよね?」
「はい。リリ様を連れ屋敷にいったん戻りましょう」
ルルはコクリと頷いた。
馬車の中が沈黙に包まれると外の音が煩く聞こえてくる。
街の喧騒、馬の息遣い、車輪の音と時折石を弾く音。
馬車は今日初めて乗った。
王城へ向かう時はただただ緊張して何かを感じることはなかったが、少し気持ちに余裕ができたのかルルは車窓から外を何となしに眺めた。
──これがいつもリリ様が見ている風景……
体はリリーエン・リュシリュー。
リリと同じ立場で、同じ服装で……
見ている風景も同じ。
──だけどやっぱり私はリリ様にはなれない。
同じにはなれない。
ルルは改めて自分の居場所はルミエン家なのだと実感した。
これは喜びと嬉しさのある実感だった。
やがて学園へ到着すると門衛との遣り取りの後、校内の馬車乗り場へと乗り付けるとルルはアンナの手をかりて下車した。
ふと、校舎の方を眺めれば1人の女生徒がこちらの方に向かって歩いてくるのが見えた。
緩やかな波を打つキラキラと輝きそうな白銀の長い髪を一つに纏め透明度の高いパライバトルマリンを彷彿とさせる水色の瞳は穏やかな春の日の湖の様に美しい。身長は同世代の女性よりも少し低く、顔立ちは幼さを残しているが整っており愛らしい。
その微笑みは彼女の性質を表すかのように穏やかで、歩く姿は舞う様でいて白銀の髪とも相まって白百合のようだ。
彼女は2人の前に立つと見事なカーテシーをとる。
その美麗な所作にルルは見とれてしまった。が、彼女の次の言葉にルルは凍りついてしまうことになる。
「ご機嫌よう。アンナ・ギムレット様」
──アンナ・ギムレット!?それじゃアンナさんはあのギムレット子爵令嬢!?
ルルにとっては驚愕の事実。
──そんな。それじゃアンナさんは……
ルル「見て見てアンナさん!あれ私です私!」
アンナ「中身はリリ様ですけどね」
ルル「えへへへへ……こうして見ると私ってやっぱり美少女ですね」
アンナ「中身がリリ様だから、キリッとして当社比1.5倍くらいビジュアルが増してるんじゃないんですか?」
ルル「ふふふ!アンナさんも今可愛いって思ったんだぁ」
アンナ「可愛いというより可愛らしい?つるペタ合法ロリだから変態中年には需要がありそうですね」
ルル「ぐあ!それは禁句です!」
アンナ「それよりルル。思わせぶりなラストは何です?」
ルル「それはとーぜん秘密です。最も第一部では明かされませんが」
アンナ「つまり物語の進行上それほど重要ではないのね」