第12話 『侯爵令嬢はツンデレを悟得する』
3限目『歴史』
「ルミエン男爵令嬢!」
講義が始まってすぐの教諭の叱声とも取れる呼び掛けにリリは溜め息が出そうになった。
──やれやれです。随分と質の悪い教諭がいたものです。
この学園において教師が下位貴族を爵位で呼ぶのは礼節に反する。
学園内においては平等を掲げて爵位を笠に着る行為を禁じている。これは理想を謳っているのではない。高位貴族の子女も通う学園であるため教師よりも立場が上の生徒が少なくない。
もし生徒が己の地位を振りかざし教師を軽んじれば、学園の秩序は簡単に崩壊してしまう。それを防ぐことを目的とした学園運営側の定めた指針である。
爵位で呼ぶ行為はその場では身分を斟酌することを宣言しているようなものだ。相手の身分が低いからと教師側から自分たちを守る為のルールを破る行為はあまりに卑怯だ。
「何でしょうモランドール伯爵令息先生」
嫌味である。
爵位を呼んでいるマナー違反を暗に指摘しているのだ。
もっとも劣悪な教師にはその嫌味も通じないようではあるが。
「教科書も無しで受講するとはな。私の講義も随分と軽んじられたものだ」
イジメの実態を把握して言っているのか、知らずに言っているのか。
どちらにせよその尊大な物言いにリリは反感を覚えた。
「それだけの余裕があるなら当然予習はしてきているのだろうな」
そんなリリの様子など歯牙にも掛けずモランドールは黒板に人名を記入していく。
何をしているのかと他の生徒が騒めいている中、リリは人名と所々間を開けているところからモランドールが何をしようとしているのかすぐに把握した。
──流れから私への出題でしょうが……
「ルミエン男爵令嬢!前に来て空白を埋めたまえ!」
再びの威圧的な態度。
リリはその程度では委縮しないが、すぐには行動に移さなかった。
「確認ですが、この問題の主題は何でしょう?」
この出題には欠陥があるとリリは看破していたからだ。
この質問はリリなりの教諭に対する救済処置だったのだが……
「見れば分かるだろう。そんな事も分からんのか!」
モランドールの叱責が飛んだ。
──処置なしですね。
「確認と申し上げたのですが……致し方ありません」
リリは音を殆どたてずにスッと立ち上がると静々と黒板の前まで進み出た。
チョークをチラリと見やると魔術構文を構築した。
チョークに魔術言語が纏わり、リリが軽やかに指を動かすとそのチョークも連動して宙を舞う。この様な需要の低そうな魔術は定型文には無くリリのオリジナルである。
1から魔術構文を構築しているのだから、この段階で魔術に対して造詣があれば学生レベルを超えていることが分かる。が、はたしてこの教室の幾人が気付いたか。
リリはチョークを軽やかに操るとまずますは人名のスペルミスを訂正し、それぞれの人名の横に簡単な事績を記載してから空白を埋めていった。
「我が国の建国からの国王を列記されているようですが、2代国王エゼウル、7代国王エドワル、11代国王エドワウのスペルが間違っています。更に言えば7代国王エドワルと8代国王アルスタンの順序が逆です」
「な、そんなはずは……」
リリの指摘にモランドールは狼狽した。
教室の生徒たちにも動揺が走る。
「エドワルとアルスタンは甥叔父の関係で甥のエドワルが先に戴冠したため叔父のアルスタンと順序が混同されることが多々あり、幾つかの歴史書で誤記載がある部分です。確認されたいなら宮内省に問い合わせてみられたらいかがです?」
「ぐっ!」
モランドールは絶句し、教室内はざわめいた。どれも歴史の教諭にあるまじきミスであり、それを1年目の生徒に指摘されるなど最大の恥辱である。
モランドールの振る舞いにリリはお冠だ。
これで終わらせる気はなく追い討ちをかけた。
「それから我がシュルツバイス王国から別れたブランワール公国は祖を同じとし8代国王アルスタンまで廟堂で祀っております」
「そんな事は周知だ。それが何だと言うのだ!」
間違いを指摘され元々低い沸点が更に下がっていたモランドールはすぐにきれた。
しかし、リリは特に動じることもなく淡々と説明を続ける。
「私が何故はじめに出題の意図を確認したとお思いですか。先生が記述された10代国王エドレック、12代国王エドガーは奇しくも10代公王エドレックと12代公王エドガーと同名ですよ。これが隣国の公王の記述問題とすることもできます。そうなると解答が変わります」
「!!!」
モランドールは真っ青になり、教室内は騒めいた。
まず第一に、まだ2年にも上がっていない女生徒、しかも男爵家の令嬢が自国のみならず隣国の王家にも通暁している事実。
次に歴史を専攻している者が友好国の王の事を失念しての出題。
せめてリリが主題を問うた時に自国の歴代国王とはっきり明言すれば良かったのだが、それを拒否したのだ。もはや恥で済まされる問題ではない。
ましてや格下扱いにした男爵令嬢からやり込められたのだ。言い訳のしようもない。
「まあ、優秀な先生のことですから、それも含めての出題であったのですよね?」
「あ、ああ……」
リリは逃げ道を提示した。
これには重要な意味がある。
あまり追い詰め過ぎれば質の低い教諭である。閾値を過ぎれば恥も外聞も関係無く、どの様な暴挙に出るとも限らない。逃げ道を用意すれば簡単に飛びついて来るのでコントロールがしやすい。
また、リリが逃げ道を用意したという事実が重要である。
この一事を以て爵位の上下に関係なく立場が逆転した。これだけ大勢の前でモランドールはリリに『大きな借りを作った』との認識を持たれたのだ。
この状態でまだリリに手向かうようならば完全に恥の上塗りである。
人とは不思議なもので追い詰められ過ぎれば全てをかなぐり捨てる事もあるが、まだ大丈夫と思う余裕が少しでも残っているとプライドを捨て去る事ができなくなる。
適度に追い詰められたモランドールはリリに対して何も行動が取れなくなっているのだ。リリはたった1つのアクションでモランドールのマウントを取ったと言ってよい。
リリにはもう1つ意図がある。
それはクラスメイトへの牽制。
教科書を隠すなどのイジメ程度では揺るがないことの証明。リリが堂々と格上の者を手玉に取り、相手が誰であろうと迂闊な事をすれば手痛い目にあうぞと警告したのだ。
結局モランドールは居た堪れなくなったようで、終業時間を待たずに講義を切り上げた。そそくさと教室を後にするモランドールの背中をリリは呆れ気味に見送った。
──この程度で降参ですか。
と、そんな呆れた様子のリリの背後からクスクスと笑い声が聴こえた。
「ごめんなさい。ルミエンさんのことを笑ったわけじゃないの。あの爵位を鼻にかけているモランドール先生が一方的にやり込められているのが可笑しくて」
笑いの主はブラウンの地味な髪をセミロングで綺麗に切り揃えた少女で、綺麗な赤色で意思の強そうな瞳の持ち主だった。
「カーライラ・カペティネよ。どうせ名前覚えてないでしょ?カーラと呼んで」
「カペティネ?子爵家の?」
「ええそうよ。家の方は知っていたのね」
少し地味な容姿であるが、意志の強そうな顔立ちはリリの好むところだ。
「本当は貴女の事は放置するつもりだったのだけれど……」
カーラの話によると、このクラスの高位貴族たちがルルを孤立させるように指示していたようだ。
カーラ自身はそんな指示を聞くつもりはなかったが、ルルの方も王太子や一部高位貴族令息に接近する行為を見せており近づく気にもならなかったそうだ。
とどのつまり、クラス内の多数の生徒がどちらにも肩入れしない状態が結果としてルルーシェの孤立に繋がったのだ。
「貴女のこと誤解していたみたいね。もっと不真面目だと思っていたのだけれど、講義が崩壊しているこのクラスであれだけのことができるんだもの。随分と努力しているのね」
なんだかうまい具合に勘違いしてくれているようなので、リリはそのまま彼女の勘違いに便乗することにした。
「あ、それからマリアヴェル・コラーディン様のことだけれど。彼女、きつい顔立ちでさっきみたいに誤解されそうな行動や態度するから誤解されやすのだけれど……とっても良い娘なのよ」
カーラの話によれば、マリアヴェルは責任感が強いが凄く不器用な娘らしい。
このクラスで最上位の伯爵家の令嬢なので、クラスをきちんと纏めないといけないという、よく分からない使命感があるそうだ。なのでいじめなど許せるはずもなく、ルルの立場を改善しようとしているが、不器用な為に右往左往するので終始してしまうそうだ。
更衣室でのことも教科書の隠蔽の時も心配して対処しようとリリに近づいたのだが、伯爵家の者としての物言いを心掛けながら声を掛けようとすると、きつい顔立ちも相まって何処か威圧的になってしまうようだ。
──ツンツンした態度だけれど本当は優しい人なのね。
そう思い返すとマリアヴェルの行動が可愛く見えてくる。
──はっ!もしやこれがアンナの言っていた『ツンデレ』!?
ギャップ萌えの最上位だと変態侍女がやたらとリリに『ツンデレ』を勧めてくるのだが、
──これは確かに可愛いです!
とても美人のはずのマリアヴェルが途端に可愛さが増すのだ。
──いいえ、可愛いのが可愛いのは当たり前!美人属性が変換され可愛いになった時にその落差がより可愛さを引き立てているのですね。
リリは『ツンデレ』の良さを理解した。
『ギャップ萌え』……そして『ツンデレ』。
また一つリリは真理を得た。
その後カーラの仲立ちでマリアヴェル、そしてカーラの友人との紹介を受けた子爵令嬢サラマリン・ラベチュアと4人で昼食をとることになった。
「私の事はマリーと呼んでもよろしくってよ」
「ではマリー様と……」
「内輪では敬称が無くてもよろしくってよ」
「マリーさん」
「お、お友達なんだから呼び捨てでもよろしくってよ」
「マリー」
「!!!」
顔を真っ赤にしているマリーの照れ顔にリリは悶えそうになった。
──どうしましょう、この可愛い生き物!私アンナが感染しそうです!
リリは孤立しても困らない。だけど図らずもお友達ができたみたいです……
ルル「えへへへへ……」
アンナ「何ですか気持ち悪い笑い浮かべて」
ルル「ツンデレ美女がお友達です!」
アンナ「リリ様がご学友を作られたみたいですね」
ルル「リリ様の友達は私の友達ってことです!」
アンナ「まあ彼女たちはルルだと認識していますからね」
ルル「諦めていた友達が!うっれしいなぁ♪」
アンナ「(元の体に戻っても友好関係は破綻しないのかしら?)」
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