第9話 『侯爵令嬢は魔術戦に巻き込まれる』
いよいよ魔術を使った対戦が始まる!……直前です。
最終的に他のクラスメイトたちに5周以上の差をつけて走り抜いた。さしものリリも汗をかいてはいたが、まだまだ余力を残しているようで疲れた様子も見せずリリは腕を組み巌の如く佇むサージェイの横にちょこんと並ぶ。
巨岩の如く大きなサージェイと同年代でも身長の低いルルーシェでは並び立つとその身長差は歴然である。これ程の身体的ハンデがありながら魔術を使用して圧倒的な力を見せつけたのだ。その力量はこのクラスの中で隔絶しているのは明白である。
そう、魔術の力量である。
サージェイに走れと言われれば、彼の見た目から普通に持久走と思う者が殆どであろうが、この授業は『魔術実践各論』である。魔術の使用は問題なく、むしろどの様に魔術を行使するかを見せる場である。
サージェイは実際に、生徒達の力量を測る目的があるに違いないとリリは踏んでいた。
現にサージェイは隣に並び立ったリリを横目で一瞥したが、特に何も言わずに未だに走っている生徒達に視線を戻した。
「レディ・ルミエンは考査評価とは随分違う印象なのである」
「どの様な評価であるかは聞かない方が良さそうですね」
潜在能力は高そうだが、ルルの現状は現時点の力量は高くなさそうである。それはルルの努力不足もあるのだろうが、サージェイと共に走る生徒たちを眺めながら、それだけではなさそうだとリリは感じた。
「それにしても酷いクラスなのであーる。入試の成績は一応下位貴族クラスの上位であったはずであるが、成績下位のクラスよりも使えないのである」
大きな嘆息が聞こえてきそうなサージェイの様子を今度はリリが横目でチラリと一瞥する。
「まあ、魔術構文の講義も一部生徒のせいでまともに公聴できない状態でした。これでは向上心のある生徒でもこのクラスでは伸びないでしょう」
下位成績クラスは入学前に教師をつけられなかった子爵、男爵などの下位貴族がほとんどである。おそらく生活魔術以外の定型文も知らない魔術初心者ばかりなのであろう。
それが功を奏して講義を真面目に受講するという状況を生み出し、結果として魔術言語や魔術構文をないがしろにしているこのクラスを抜いているのだろう。
「魔術構文であるか……ふむ、おそらく定型文の弊害であるな。定型文さえ覚えれば魔術を行使できるせいで、魔術言語や魔術構文を蔑ろにする最近の風潮は嘆かわしいのであーる」
「定型文は市井に魔術を広め生活に欠かせないものとなりました」
「確かに便利ではあるな。庶民の生活にとって欠かせないものである……」
リリの言にサージェイは大きく頷いてみせたが、その表情は硬いままである。
「しかし、その所為で魔術構文が疎かにされれば、この国の魔術レベルは下がる一方なのである」
「魔術は魔術言語と魔術構文の構築が要です。確かに暗記さえ出来れば魔術を行使できる定型文は魔力保持容量至上主義を生み出してしまいました」
定型文は少ない魔力保持容量でも魔術を行使可能としてくれたが、誰でも同じ魔術を行使することになるのでは魔力保持容量が大きい方が有利になるのは自明の理である。
「魔力保持容量は魔術の力量の一部でしかないのである。魔術言語や魔術構文を熟知すれば魔天となれることもあるのである」
「八魔天のギベン・デルネラ様やバーバン・セリュー様のことですか」
魔天は魔術師最高峰の称号である。現在世界に8人が魔天として認定されているため八魔天と呼称されている。
古来より魔力保持容量の大きさで選出されていたが、近年ギベン・デルネラ、バーバン・セリューの2名が魔力保持容量の大きさとは別に、功績により魔天の称号を与えられたのは記憶に新しい。
ギベン・デルネラ
現在は当たり前の様に使用されている定型文を50年程前に生み出した偉大な魔術師である。貴族に独占されていた魔術を定型文により広く庶民に広め、そのおかげで魔術全体のレベルを押し上げて世界全体の生活レベルが向上した。世界レベルで人々はギベン・デルネラの恩恵を受けている。
バーバン・セリュー
魔術言語と魔術構文を極めた一流の魔術師で、魔力保持容量が一般貴族の平均を少し上回る程度でありながら、状況に合わせて魔術を構築し自分に有利な展開を生み出し、数々の魔術師を葬った最強の魔術師の一人である。敵の魔術構文を読み取り、即座に魔術構文を組み上げる技量は神技との評判である。
2人とも魔術言語と魔術構文の極致に至った人物である。因みに功績により爵位を得たが、もともと2人とも庶民である。
「彼の2人は偉大であるな。やはり、貴族以外にも広く門戸を開き、臣民全てに魔術言語や魔術構文を教育していかねば、我が国の魔術レベルは絶望的なのである」
サージェイはリリの方に顔を向けると一つ頷いた。
「レディも入学したばかりで魔術構文の構築が中々巧みなのであーる。魔力保持容量も大きい様であるから、将来楽しみである」
「恐れ入ります。サージェイ」
元の体に戻れば中身はルルだ。果たして彼女が同じ様に魔術構文を構築出来るだろうか?
少し不味いかなとリリは思ったが、まあ気にしてもしょうがないかと流すことにした。
リリがサージェイと魔術の展望について話しているうちに思った以上に遅れていたクラスメイトたちがようやく走り終えたようで、ゴールの辺りで疲れ果てた様子で座り込む者が増えていった。
──魔術を使用すればもっと早く、楽に走り終えたでしょうに。
走力補助の魔術は身体強化に分類される非定型魔術である。まだまだ新しく研究段階の非定型魔術には殆ど定型文がない。故に自分で魔術構文を組まなければ使えないのだ。
非定型魔術は難しいが、講義をきちんと受けていればリリ程ではなくとも簡単な補助魔術は使えたはずだ。しかし、リリ以外誰一人として、魔術を使用した形跡がない。
──それに定型文にある移動系の魔術を使用すればよかったのに。サージェイは「グランド10周」としか、走れとは言っていないのですから。
定型文でも上手く使用すればどうとでもなるのだ。要はアイディアと応用力。そして、それらを実行するための基礎力だ。
10周を走り地面に倒れるように座り、息の上がったクラスメイトをリリは涼しい顔で眺めていたが、息を整えた男子生徒の一人がリリをキッと睨めつけて立ち上がると、怒気を孕んだ表情で迫ってきた。
──確か伯爵令息の1人でしたか?
伯爵位の中でも序列はある。序列の低い伯爵家で、本人の能力や人格にも見るべきものがない令息のためはっきりと記憶していないが、魔術構文の講義で騒いでいた生徒であったことは間違いない。
「おまえ!ずるしてんじゃねぇ!」
「ずる?不正を働いたつもりはありませんが」
「女がそんなに速く走れるわけがないだろうが!」
アルカイックスマイルで対応したリリに伯爵令息は簡単に逆上した。
この程度で感情を乱す伯爵令息にリリは溜め息をつきそうになる。
──感情の制御もできないのですか。
「魔術を使用すれば男も女も関係ありません。あれくらいは普通でしょう?」
「魔術の使用なんて汚ねぇだろ!」
激昂する令息にリリは可愛く小首を傾げ、何を言われているか分からないといった感じを見せた。もちろんこの伯爵令息が何を言いたいか理解してはいるが。
「どういうことでしょう?サージェイ、私は何かいけない事を致しましたでしょうか?」
「ん?特に問題はないのである」
「だ、そうですが」
「な!?この女は魔術を使用したのですよ」
「今は魔術実践の講義なのであーる。魔術の行使は当たり前なのであーる」
「そ、そんなこと最初に何も……」
令息の言にサージェイは溜め息をついた。
「当たり前の事だと思うが。何も言わなくとも、レディ・ルミエンは魔術を使って見せたが」
「そ、そんなの!言って貰わねば10周走れと言うだけでは分かりません」
「言わねばならんか?何も言わずとも他のクラスは普通に魔術を使用して10周をこなしていたが?」
「くっ!」
「無理ですよサージェイ。魔術構文の講義もまともに受けていないのです。定型文しか魔術を行使できない者に、非定型魔術の身体強化は使えません」
「お前のような下位貴族と違って、魔力保持容量が高い高位な貴族は定型文を駆使できればいいんだよ!」
令息の暴言にリリはやれやれと肩をすくめ、サージェイは一つ嘆息した。
「定型文は庶民に魔術を広め、文化水準を上げた素晴らしい業績であーる。しかし、貴族にとっては赤子が自らの足で歩行をするのを助ける補助具のようなものであーる」
「ですが、習いたての魔術言語や魔術構文では身体補助系の様な非定型魔術は構築できません!」
「レディ・ルミエンは使って見せたが……まあ、それを抜きにしても他クラス、貴様達よりも成績下位の者達でも魔術を行使して走っていたが」
サージェイは呆れた目を見せ、伯爵令息はたじろいだ。
「そんなはずは……現在の段階で一年に非定型魔術を行使できるはずがありません!」
「事実このクラス以外は魔術を使っているのであーる。流石に非定型魔術を使用した者は王太子殿下とそこのレディ・ルミエンだけであったが、定型文も魔術言語や魔術構文をある程度理解していれば、アレンジして10周こなすのに利用することはできるのであーる!」
王太子であるリリの婚約者ライルはルルに熱を上げるアホ殿下と思われているが成績は学園でもリリに次ぐ好成績を誇る。行いはともかく勉学や魔術に関してはリリ程ではないが優秀なのだ。ちなみにリリはライルと同じクラスであったが、残念ながら王妃教育のため欠席していた。
「くっ!」
「不満であるか?ならその身を持って理解するのであーる」
腕を組んだままのサージェイが口の端を釣り上げ不敵に笑うとチラリとリリを一瞥すると、ニヤリと不敵な笑いを浮かべた。
「本来はもう少し先の講義であるが……」
サージェイはそう言うと組んでいた腕を解き顔の横まで右手を挙げると、その右手の指にはいつの間にやら2つのバングルが挟まれていた。
そして、クラス中が注目する中サージェイは……
「今よりルルーシェ・ルミエンとゼルマイヤ・ダマルタンとの魔術摸擬戦を行うのであーる!」
魔術演習場全体に響き渡るような大音声で宣言したのだった。
リリは不意の魔術戦でも困らない。どう料理してくれようかと思案中です……
ルル「ついにリリ様が魔術で戦うんですね!」
アンナ「そうですね」
ルル「あれ?魔術を行使するリリ様想像してアンナさんが興奮して、悶えて、狂喜乱舞すると思ったのに」
アンナ「瞬殺で終わるでしょうから興味が沸きません」
ルル「え!?リリ様ってそんなに強いんですか?」
アンナ「おそらく世界で一番強いです」
ルル「またまたまたぁ。いくらシリーズ最強悪役令嬢と言われたリリ様でも世界一はないでしょう」
アンナ「リリ様にはチートスキルがありますから」
ルル「スキル?この世界にはそう言った設定はなかったはずですが?」
アンナ「そうです。リリ様だけのチートスキルです。それに世界最高峰の魔力保持容量がありますからリリ様が負ける姿は想像できません」
ルル「何ですかそのチートって?」
アンナ「いずれ分かります」