閑話④ 『そのころ男爵令嬢は《露呈》』
アンナはすぐに朝食を運んで戻ってきた。
ルミエン家に比べれば贅沢な、しかし隆盛を誇るリュシリュー家にしては質素な朝食であったため、ルルは少し意外に思ったが、かえって気を張らずに済むとほっと胸をなでおろした。
「食堂で当主様や他ご家族様と朝餉をご一緒すれば、今のリリ様が別人であることはすぐに露呈してしまいますので簡素な食事になりますが、こちらで召し上がって下さい」
「やっぱりバレていたんですね。そんなに簡単に分かりますか?」
「所作で一発です。貴族と庶民では立ち振る舞いが違い過ぎます」
所作にダメ出しされると自分も一応貴族令嬢なんだけどとはルルも言えず、しょうがないのでテーブルに並べられたそれらの食事とろうとカトラリーを手にした。が、何やら扉の外が騒がしくなりはじめた。
ドン!ドン!ドン!
「何故だリリ!食事は家族で一緒にとるものだろぉ!!お父さん寂しいぞぉぉぉ!!!」
バン!バン!バン!
「リリィィィ!数少ない家族団欒の場なんだからお兄ちゃんと一緒に食べよぉう!」
「ちっ!あの蛆虫どもめ……」
アンナは舌打ちした。この侍女結構態度悪いな。
「貴女様はそのままお食事を続けてください」
アンナはそう言って、すすっと部屋から出ていくと扉の外がよりいっそう騒がしくなった。
「リリ様は今お食事中ですのでお引き取りを」
「出たなにっくき変態侍女めっ!」
「愛するリリを独占する悪逆非道の黒い悪魔がっ!」
この変態が黒い悪魔のように1匹いたら100匹はいる状態だとこの屋敷は大変だ。
「ええい!うるさい虫けらども!そんなザマだからリリ様に避けられるのです!」
「そんな筈はない!リリはお父さん大好きだ。将来はお父様と結婚するって言ってた!」
「にぃに、にぃにと懐かれていましたぁ!間違いなくリリはお兄ちゃん子ですぅ!」
ふぅ、やれやれと小馬鹿にするようなアンナのため息が聞こえてきた。
「憐れなミジンコたちですねぇ。もはや過去の幻影に縋るしかできないとは……」
扉の向こう側の見えないはずのアンナの嘲笑う姿が見えるような錯覚をルルは覚えた。
「このアンナ、ご当主様方のあまりの痛ましさに涙を禁じ得ません」
「ぐおぉぉぉ!貴様、侍女の分際でバカにしおって!」
「幻影じゃない、幻影じゃない!」
「お~ほっほっほ!泣け、叫べ、喚け!負け犬ども!どんなに嘆こうともリリ様は既に専属侍女であるこのアンナのものです!」
──リリ様っていつもこんな生活なの?
もう何だか聞いてはいけないものが聞こえてくる……
自分の中の『リリ様』の生活が崩れていくようでルルは遠い目になった。
しかし、外の騒ぎはルルのそんな気持ちなど無視して留まる所を知らない。
「私は何でこんな侍女をリリの専属にしてしまったんだぁぁぁ!」
「お兄ちゃんを見捨てないでくれぇぇぇ!リリ~~~!」
「ふん!見苦しい。リリ様に見限られた敗残者どもが」
「貴様ぁ!それが当主に対する使用人の態度か!」
「全くです!我々は当主とその嫡男だぞ!」
「ぷ~クスクス。悔しいのぉ悔しいのぉ」
「貴様ぁ!愚弄しおってぇぇぇ!」
ドヤ顔で自分の主人たちを煽りまくるアンナの姿が扉の内側でも見えるようだ……
「父上!使用人の立場と言うものを教えてやって下さい」
「任せろマイ・サン!変態侍女当主に対する数々の狼藉により減俸に処す!」
「何だその程度ですか」
アンナの口調は本当にどうでも良さそうである。
「正気か貴様!本気にしていないのか?私はやると言ったらやるぞ!」
「ふっ、給金なぞ不要!お金でリリ様にお仕えする権利は買えません!」
「馬鹿な!それでどうやって生活するのだ!」
「金など夜鍋でもなんでもして稼げばいいだけ。無問題です!」
「えぇい!リリの専属侍女は化け物か!」
「ち、父上ぇ!」
「まだだ、まだ終わらんよ!我々との権力の違いが、立場の決定的差であることを教えてやる!」
「その意気です父上!今日こそはこの思い上がった侍女に正義の鉄槌を!」
息巻くリリの父兄に、アンナはやれやれといった雰囲気だ。
「確かに当主と侍女なら権力は当主が上……」
「認めるのだな、自分自身と当主である私との立場の違いというものを!!」
男たちの勝ち誇ったような声色がするが、なぜか侍女が余裕の表情でもって鼻先で笑っている姿がルルには思い浮かんだ。もうルルの中のアンナは傍若無人であった。
「ですが!この場では権力の違いが、立場の決定的差ではないということを教えてあげます!」
「馬鹿な!リリの専属侍女は侯爵当主並みの立場を持っているというのか!?」
「ありえない、父上はったりです!」
「くっくっくっく……私はただの侍女ではなくリリ様にお仕えする専属侍女ですよ。私の一言でリリ様の貴方達に対する心象がどうなるか……」
「ぐわ!ひ、卑劣な!」
「お願い!やめてぇ!リリに見捨てられたらにぃには生きていけない!」
何やら扉の向こうでのた打ち回る大きな音が聞こえてきたが、ルルは黙って食事を続けた。何やら前世に関わりありそうな会話もちらほら聞こえるが自分にはもはや関係ない……
「当主風情が!ここではリリ様の意向が至上!リリ様にお仕えする私は言わば頂点の教皇!如何に貴方達の権力が侍女より上でも専属侍女の前では無力なのです。絶対です!」
「ま、まずいです父上!これではリリに、リリに嫌われる!」
「ぐぅ!仕方ないここは撤退だ!」
どうやら勝敗は決したようだ。
アンナの圧勝で……
「しかし変態、自分の力で勝ったのでは無いぞ。我が愛娘リリの庇護のおかげだということを、忘れるな!」
捨て台詞と共に男たちの気配が遠のいていく。
扉の向こうに静寂が訪れたようだ。
「食事は終えた様ですね」
と、先程まで扉の向こう側で騒いでいたはずのアンナがいつの間にやらルルの背後に立って声を掛けてきたので、ルルはビクッと体を跳ねさせた。
──ホ、ホントに心臓に悪い人だなぁ。
「片付けは他の者にやらせましょう」
アンナは荷物を纏めるとルルを先導し先を促した。
「あの2人は何とかなりますが奥様に見つかると厄介です」
「え?あの……」
ずんずんと歩いているのに音も立てないアンナの後ろをルルは必死についていった。
「早めに出立しましょう」
「何処へ?」
「王宮です。リリ様は午前中王太子妃教育で学園へは行けないのです」
「でも私制服を着て……」
「午後の講義を受講する為、王宮から直接学園へ向かう許可を貰っているのです。ですので、特別に王妃様の御前に制服でお目文字させて頂いているのですよ」
アンナは正面玄関から表に出るとアンナが手配していたのか既に馬車が回されており、控えていた従僕にアンナは声を掛けて乗車する為の準備を指示した。
「お早く……」
アンナはルルの手を取って素早く馬車に乗り込もうとしたが、急に動きを止めるとルルを背に守るようにして先ほど出てきた玄関の方に鋭い眼光で視線を向けた。
「あらあらリリ。そんなに慌ててどうしたのかしら?」
そこから現れたのは年齢不詳の佳人。艶のある黒髪を見事に結い上げ、覗く首筋は白く細っそり。赤く濡れた唇は魅惑的でルルとアンナを観察している瞳の色もリリと同じ綺麗なサファイア色だ。
──多分リリ様のお母さん?設定から考えて30半ばのはず……なんだけど
全くそうは見えない若々しい美貌にルルは思わず見惚れてしまった。
──リリ様にある可愛らしさが無い分、お母さんの方が美女って感じ……でも……
それだけに冷ややかな印象を与える。母親の方が悪役令嬢と言われた方がしっくりくるとルルは思った。
アンナが厄介と言ったことが何となく理解できる。
「これは奥様……もう登城のお時間でございます……王妃様をお待たせするわけにもいきません」
「そうねアンナ。ただ、リリが朝食を一人でとっていたので少し心配で見にきたのよ」
「わ、私は大丈夫です」
「あらそうなの?」
「は、はい。アンナさんもそばに附いていますので」
「ふふ、そうね。アンナさんがね」
リリの母は微笑んでいる。微笑んではいるのだが、それはどこか冷たく追い詰められていくような、そんな錯覚をルルは覚えた。もう、嫌な予感しかしない。
「それでアンナ……」
リリの母はアンナを見据えるとその笑みは深くなりながらも温度は急速に低下した。まさに『氷の微笑』と呼ぶに相応しい美しくも冷たい面貌だ。
「こちらのお嬢さんはどなたなのかしら?」
さしものアンナも軽口一つ返せない。
いつもの無表情でありながら、その頬に冷汗が流れているのを見てアンナが追い詰められているのだとルルは気がついた。
──え!?嘘でしょ。あのアンナさんが
「お、おっしゃっている意味が分かりかねます」
「そう?まあ今は時間がありません。アンナを信用しましょう」
「恐れ入ります……」
「ですが帰ってきたら報告を」
「……承知いたしました」
「それから、今日はアンナがきちんとフォローしなさい」
アンナはただ頷くしかなかった。
その返事に一つ頷くとリリの母はルルを見据えにこりと笑う。
「リリ、王妃様に失礼のないようにね」
それだけ言い残して屋敷の中へと消えていく美貌の女主人を茫然と見送っていたルルをアンナは引っ張って馬車に乗せる。
「出発してください」
馬車の窓から御者に支持を出すと素早くその窓を閉め、アンナはルルの方を向いて嘆息した。
「やはり一発で露見しましたか」
「バレたのに奥様は何でそのまま行かせてくれたんですか?」
「王妃様との約束があります。例え中身が違ってもリリ様がお会いになられることに意味があるのです」
「娘のことよりも貴族の体面が大事なんですか……」
ルルはうつむき膝の上で両こぶし握り占める。アンナはその様子を咎めるでもなく、じっとルルを見詰めた。
「当然です。リリ様にも、そしてリュシリュー家にも立場があります」
「娘のことが心配じゃないんですか?」
「心配であっても貴族はしなければならないことがあるのです」
「娘を愛していないのですか?」
「愛していても高位の貴族家は爵位を守ることも重要なのです」
「そんなのリリ様が可哀想です……」
ルルは前世の『しろくろ』を思い出していた。ゲームではリリの両親や兄は貴族としての体裁を大事にし、リリにリュシリュー家の家格を守ることを第一に育てていた。そのためリリは愛情というものを理解することのできない『悪役令嬢』へと成長してしまうのだ。リリの母親はそのゲームでの両親の対応をルルに連想させた。
──分かってる……ここはゲームじゃない。現実なんだって。だけど……
だけどゲーム通りハッピーエンドとバッドエンドしかない世界なら……
そう思うと恐怖だし、不安であった。
アンナは一つ嘆息を漏らす。
「貴女がリリ様に憐憫の情を持つ謂れはありません」
「アンナさんは……リリ様のお母さんはリリ様のことが大切じゃないんですか!」
その言葉にルルを見るアンナの目つきが鋭くなり、その射るような視線にルルはたじろいだ。
「貴女に何が分かると言うのですか?知りもしないで勝手なことを喚かないでください。リリ様は貴女とは違うのです。きちんと家族の、使用人たちの、領民たちの想いを理解していらっしゃいます」
アンナはルルから視線を外すと窓の外を眺めた。
本当はルルにも分かっている。しかし、リリーエン・リュシリューとして振る舞う重責に耐えられなくなって、つい当たり散らしただけなのだ。
「心配であっても、愛情があってもリュシリュー家は高位の貴族。その行いには国に、臣民に、多くの人々に対して義務と責任が伴うのです。それが権勢を持つということです」
「……」
ルルとアンナの間に沈黙が流れる。
その重い空気を伴いながら馬車はそれでも変わらず進む。
「まあ、私もですが……あんなのでもご当主様と兄君はリリ様を溺愛していたでしょ?」
「ぷっ!あれはどうかと思いました」
アンナの冗談めかした物言いに、ルルも気持ちを軽くする。
そう言えばあの父と兄はゲームとは大分違う人格のようだった。
馬車の息苦しい雰囲気がさっと晴れ、ルルはアンナに心の中で感謝した。
「貴女が不安なのは分かります……」
そのアンナの言葉にルルははっとした。アンナはルルをきちんと見ていてくれていた。
「アンナさん……」
「安心して下さいとは言えません。ですが私も出来うる限りのフォローをします」
──アンナさんだってついてくれている、今はとにかく自分にできることをしよう……
やがて外から聞こえてくる街の喧騒も遠のいていき、しばらくすると馬車が停止した。
城門に到着したようである。
アンナが馬車を降り城門で身分と来意を告げると、馬車ごと城門を通り、城の敷地内へと誘導された。城壁を通過すると、そこには広大な土地が開けていた。
城壁内は一つの街と同じ広さがある。この中に政を司る王城の他に王族たちが与えられている宮殿が多数存在しており、それらの移動には馬車を必要とする。
王妃が来客ように使用するのは『橄欖宮』王妃の瞳の色である橄欖石から名付けられた宮だ。城門からその宮まで距離はかなりあるため、そのまま馬車で『橄欖宮』の正面玄関まで乗り付ける。
そこで、御者に馬車を任せて、玄関前の執事に来訪をつげるとアンナとルルは中へと通された。アンナはルルを連れて宮の中を迷いなく歩く。
「さて、まずは奥様に続く難敵『王妃様』なのですが……」
「はい!」
静々と無音で歩くアンナの一歩後ろをパタパタと歩きながらルルは元気よく応答した。そのルルの様子に不安は見られない。
この心強い侍女がいれば大丈夫!
ルルを慮ってくれた先ほどの頼もしい侍女の姿にルルの憂慮はもうない。
「王妃様を欺くのは至難の業ですが、このアンナが出来うる限りフォロー……できないですね」
「なんでですかぁ!さっき馬車の中でいい感じに『フォローをします』って言ったくせにぃ!」
「いかに私が超優秀なハイパー侍女でも可能性がゼロでは如何ともしようがありません」
「私の感動返して下さい!」
「このできる女、リリ様専属侍女アンナに無理なのです。このリーマン予想をも超える超難題を達成できる人類はいません。絶対です!」
「うわぁん!行きたくないですぅ」
「泣き言は聞きません!泣きたいのは私の方です。もうすぐ王妃様の処につきますよ」
本日は庭園でのお茶会を通しての妃教育となると聞かされており、王宮内を通り部屋の一室から庭へと出ると、そこには既に王妃が丸い白のクロスの掛けられたテーブルに着いていた。
燃えるような鮮やかな紅い髪、その紅をきつく見せない穏やかな薄緑色の瞳、整った面貌には温和な印象を与える微笑み。
しかし、彼女からは絶対の高位女性である相手に畏敬の念を抱かせる品位があった。
その気配に呑まれてルルは一気に緊張した。
無理もない。この国で最も高貴な女性に初めてまみえたのだ。
加えて王妃はもともと辺境伯オーヴェルニ家の令嬢であり、その外見からは想像もできないが辺境で育った彼女自身一騎当千の強者でもある。愛想のよさそうな笑顔でありながら、その威圧は尋常ではない。
「ほ、本日は、お、お招き頂きありゃがとうございまする」
体裁を取り繕ったつもりのルルの背後でアンナが頭を抱えている気配を感じた。おそらくダメ出しをしたいのだろうが、もうどうにもならない。
「はい、いらっしゃい」
しかし、ルル達のそんな様子を見ても王妃は何でもないかのように美しく優し気な笑顔で軽い感じでルル達を迎えた。
その微笑みは人懐っこさもあり、先ほどまでの品位と威圧がうそのように霧散すると、ルルの警戒心が解され完全に油断したのがわかり、背後のアンナはもうだめだと空を仰ぐ。
彼女は王妃。この国の女性の頂点に立つ女性。
陰謀と策略の渦巻く宮中を渡り歩いてきた海千山千の女傑である。
どんなに温和そうに見えても実態は宮中の魑魅魍魎の首魁である。
ルルは気が付いていなかったが、背後のアンナは既に冷や汗の滝で全身ずぶ濡れだ。
王妃は美しい顔でありながら可愛らしく小首を傾げると、どこか悪戯っ子のような揶揄う雰囲気を醸しつつニコニコとルルに笑顔を向けて決定的なことを告げた。
「それで、貴女はだぁれ?」
秒でバレました……
ルル「アンナさんも話の半分を馬鹿話で消費しちゃってるじゃないですかぁ!」
アンナ「あれはリリ様の家族と私のキャラ付けのための重要な部分です」
ルル「それじゃ私の家族との思い出だって私のキャラ表現に重要じゃないですかぁ!」
アンナ「貴女は秒で正体バレるような『ポンコツ』それだけで十分です」
ルル「ひ、ひどい!」
アンナ「貴女は乙女ゲームのヒロインでしょ。ドアマットがこれくらいでへこたれるんじゃありません」
ルル「今は悪役令嬢になってますけどね」
アンナ「自分の侍女にやり込められる悪役令嬢はやっぱりポンコツですね」
ルル「ぐふっ!!」
リリ「なんだかアンナとルルが楽しそうね。アンナがルルに取られちゃいそう……は!これがアンナの言っていたNTRなのね!」
アンナ「私はリリ様一筋です!絶対です!」ルル「私リリ様の方がいいです!」
アンナ「なにぉ!ルルのくせになまいきだ!」ルル「鬼畜!鬼!悪魔!」
リリ「本当に仲がいいのね……」
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遅くとも今週末までには投稿するつもりです。