婚約破棄されたけど清々しい気分です
本当にほぼ喋ってるだけです。
「こんな穏やかなお茶の時間は久しぶりね、クラウス」
「最近やけに騒がしかったからな、ヨハンナ」
我がアルノルト公爵家の庭は美しい。春の陽気漂う麗らかな庭園を眺めながらくつろぐ時間は何より最高だ。
東屋で双子の兄、クラウスと並んで紅茶を飲む。メイドが淹れてくれた香り高いダージリンだ。
「にしても災難だったな。もう少しで第一王子殿下の妃になれた所を、お前は愚かしくもしくじったんだから。可哀想に、お悔やみ申し上げようか?」
「お悔やみ申し上げたいならもっと殊勝な態度を取ったらどうなの、楽しそうな笑顔が隠しきれていないわよ」
「楽しいさ。僕の生意気な妹様が婚約者から大衆の面前でフラれたんだ。僕の人生最大の笑い話だね」
「私が生意気なんじゃなくて、クラウスの態度が悪いのよ。貴方が尊敬できる兄だったら私はもっと素直に貴方に接することができるのに」
「まるで僕が尊敬に足る兄じゃないみたいじゃないか」
「事実その通りでしょう。社交界には出ないし、たまにふらっといなくなるし、後ろ暗い交友関係があるし……そろそろお父様の毛髪は瀕死だわ。もう少し労って差し上げたら?」
「労ったって髪は生えてこないだろう。せせこましく残った毛束に執着せず、あそこまで行ったら剃ってしまった方が良いと思うんだがなぁ」
「そう割り切れるものじゃないわ……お父様の悲しみも少しは分かってあげて」
「……この話はやめよう」
メイドが運んできたマカロンに手をつける。美味しい。
少し前はお菓子も自由に食べられない環境だったから、今は幸せだ。
「そういえば、ヨハンナお前少し太ったんじゃないか? 今はコルセットを着けてるから変わらないように見えるけど、昨日の夜見た時……」
「良いのよ。ここ一ヶ月は我慢していたものを解禁するって決めてるの。お菓子も食べるし、寝そべって小説を読むし、派手な服を着るし、観劇だって行くわ。この前までは次期王妃に相応しい行動を、とか言って何でもかんでも制限されて、部屋でこっそり悪口ノートを書くくらいしか娯楽が無かったんだから」
「お前の部屋にあった禍々しいノートはそれか」
「ちなみに、王子殿下には彼専用のノートがあるの。彼のために共用ページを使っていたらすぐ埋まってしまうんだもの」
「どのくらいあるんだ?」
「今は17冊目よ」
「この2年間で!?」
「度重なる女遊び、ご友人との夜遊び、夜会のすっぽかし、誹謗中傷、エトセトラ……余すことなく書き留めてあるわ。いつも謝れば良いと思っていたようだけど、私が一度も許すと言ってないのに気がついているのかしら? そのうちほとぼりが冷めたらエッセイにまとめて出版しようかと思っているの。もちろん名前は伏せるけど、分かる人には分かるようにね」
「お前、暗いな……実の妹ながら引く、ドン引く」
「女は執念深いのよ。クラウスも気をつけた方が良いわね」
「僕の知り合いにそんなぶっ飛んだ奴は……いないよな? いないと思いたい」
クラウスは浮かんだ想像を振り払うように紅茶を飲み干した。影から現れたメイドがさっと紅茶を継ぎ足し、また影に消えて行く。
流石はうちが雇うメイドだ。
「アンナ様はどうしてあんな馬鹿王子が欲しかったのかしら。女性の胸のサイズにしか興味がないような男でも、見た目が良ければ良いものなの?」
「僕に振るな、知るか。僕は胸より脚派なんだよ」
「脚派筆頭のクラウスから見てアンナ様はどう?」
「少し太すぎだな。腰や首回りはすっきりさせてるとはいえ全体的にやや肉付きがよすぎる。脚はドレスで隠れる分そこまで引き締めてもいないんだろう。まぁ甘やかされたご令嬢によくいるタイプだ。僕はどちらかというとアスリートタイプの程よく筋肉がついて引き締まった脚の方が……って誰が脚派筆頭だ! 言っておくがな、世界にはまだお前の知らない変態が数多くいるんだからな。僕なんかビギナーも良いところだ」
「そういう世界の話には興味が無いから2度としないで頂戴」
「お前が振ったんだろうが」
「それに、女性に筋肉がついてた方が良いなんて言う男性そういないでしょう。殿下だって女性の体は柔ければ柔いほど良いって、私は硬すぎるってよく言われたわ」
「お前は僕にくっついて狩猟に行くのが好きだったからなぁ」
「2人で罠を張って熊を仕留めた時は楽しかったわね」
「うん、その後の熊肉のシチューも最高だった」
思い出して、ぐぅとお腹が鳴る。クラウスが笑ったので足をヒールで踏んでおいた。
「たかが伯爵令嬢にやられるなんて私も落ちたものね。取り合った対象はともかく、公爵令嬢として恥ずかしくない振る舞いをしなければならなかったのに」
「……まぁモチベーションの問題もあるだろう。あっちは王子を仕留めれば玉の輿だが、お前は勝っても変態男しか得るものがないからな」
「あの夜会で仕掛けてくることは分かっていたのに、まさか向こうがあそこまでの証拠を固めていたなんて思いもよらなかったわ。事前調査が足りなかったのね。もっと精進しなくては」
「うん、まぁ頑張れ、それより……」
「それにしても仲の良かったアレクや聡明さで有名なノルマン様までアンナ様につくなんて、それも予想外だったわ。あの時国内にいなかった貴方はともかく、アレクは私の味方をしてくれるんじゃないかって少しだけ期待していたの……情けないことにね」
「なんか……こう、誤解とかあったんじゃないか? 最近は会ってなかったんだろ? うん、きっとそうだ」
「珍しいわね? クラウスがアレクの肩を持つなんて。昔は3人でよく遊んだわよね。クラウスとアレクは会えば喧嘩ばっかりで、私はそれを止めようといつも必死だったわ」
「あいつは良い奴だよ、うん」
「アンナ様の話に戻るけど、証拠が揃いすぎていたことも気にかかるのよね。こう言っては何だけど……アンナ様はあまり綿密な計画を立てる、というタイプではないように見えるから。まるで誰か黒幕がいたみたい」
「ノルマンが手伝ったんだよそうに違いないあいつはそういう細かい作業が得意だから。それよりこの話はもう……」
「クラウスはノルマン様とお知り合いなの? 呼び捨てにするような仲になったなんて聞いていないわ」
「ちょっとな! 色々と!」
「まぁ良いけど……アンナ様が提示した私の不貞の証拠の中には、私が歓楽街へ遊びに行っていたとか、不特定多数の男性を誘ったとかいうものがあったけど、彼女は本気でそれを見たような口ぶりだったわ。私、そんな場所へ足を踏み入れたことなんてないし、殿下と婚約してからは1人で夜会に参加したこともないのに」
「勘違いとかさ……」
「そういえば、全然関係ないけど私のドレスが数枚見つからないのよね。どうせメイドの誰かが型落ちものを片付けただけでしょうから、特に探してもいないけど」
「うん、話変えようぜ」
「そうね。ところで貴方、昔女装した時のこと覚えてる? 私のドレスを着せて髪を整えてあげたら鏡写しみたいにそっくりで! お母様も見分けられなかったわよね」
「話変わってねぇ……!」
「今でも体格はそんなに変わらないし、ドレスを着たら鏡ごっこが出来そうね」
「ドレスはもう2度と着たくない。あんなヒラヒラした服」
クラウスは苛立ちを誤魔化すようにマカロンを3つ頬張った。そんな風に食べたら風味も何も感じられないと思うけど、まぁ良い。
「そうだ、観劇に行くって言ったろう。丁度チケットが余ってるんだ、お前にやるよ」
「まぁ、本当? クラウスがそんな親切なことを言うなんて信じられないわ」
「人の好意は黙って受け取れ。ほら、二枚あるから誰か誘って行けよ」
「あら、これ……! 私の好きな小説の舞台化じゃない! ずっと見たいと思ってたけど、大人気で席が取れなかったの! 本当に貰っていいの?」
「僕はそんな小説読んだこともないし、じっと座って劇なんか見てられないから良いんだよ。せいぜい楽しめ」
「嬉しいわ、ありがとう。このお礼は必ずするわね」
「好きにしろ。そうだ、劇とは別に、そのうちアレクに会ってやれよ。あいつもそろそろ気まずい思いをしてるだろう」
「でも……彼が私に会いたがらないんじゃないかしら」
「後で誤解を解く約束で協力させたのに、このままだと僕が殺されるんだよ」
「何の話?」
「いや、何でも。あとノルマンもな。婚約破棄が終わったんだからもうしがらみもないだろうし」
「ノルマン様も? 私、彼とはそんなに話したことないのよね。婚約前に夜会で何度かお話しした程度で……でも、彼全く私の目を見て話してくれないの。きっと嫌われているのよ」
「あのシャイ野郎が……」
「いつも顔を耳まで赤くして怒っていたし、これから仲良くなるのは無理なんじゃないかしら」
「……うん、まぁ無理にとは言わないけど」
クラウスは何故か遠い目をした。
「それにしても、お前明るくなったな」
「そうかしら?」
「去年のこの頃は死んだ目で勉強に打ち込んでただろう。宿題が終わらないとか言って……」
「王妃教育は辛かったけど自分の身になるからまだマシだったわ。それよりその頃は丁度殿下の愛人に嫌がらせを受けていて、そっちの方で精神的に参っていたのよ」
「はぁ? それ聞いてないぞ」
「わざわざ言うことでもないでしょう。結局手切れ金を支払うことで殿下との関係を口止めして、手を切らせることで落ち着いたし」
「あのクソ野郎……」
「あら、駄目よそんなこと言ったら。相手は腐っても第一王子なんだから」
「知るか」
「殿下と言えば、私と正式に婚約破棄になるって聞いた時は焦っていたわよね。私を邪険にしても公爵家の後ろ盾は欲しかったのかしら? いい気味だわ」
「あいつは性癖が歪みすぎなんだよ。そうじゃなければもっとさぁ」
「性癖?」
「そう、好きな相手を追い詰めて自分への執着を確かめたい、みたいなメンヘラチックな所がなければなぁ」
「そんな方だったの? まぁ私は殿下の好きな相手ではないから関係ないけど、アンナ様はこれから大変ね」
「自業自得って怖いな」
「そもそも私が選ばれたのは、婚約者候補5人の中で1番胸が大きかったからだってご本人が仰っていたし。まぁアンナ様には負けてしまったけど」
「男のツンデレとか世界のどこにも需要がない。ザマァ見ろ」
ティーカップの中の紅茶が尽きて、冷たい風が私の髪を撫でる。少し日が陰って来た。
「そろそろお開きかしらね」
「そうだな、まだ夜は冷える」
「今日は私の愚痴に付き合わせて悪かったわね」
「別に、お前の話なんて大して聞いてねえよ」
「それなら良いけど」
ばさっといきなり視界が黒く覆われる。それと懐かしい匂い。
混乱しながら視界を遮るものを手に取ると、それはクラウスの上着だった。
「屋敷まで着てろ」
「あら、紳士ね」
「ばか、僕は元々お前以外には優しいんだよ」
「そんなことないわよ」
「何だと?」
私は我慢できず、声を立てて笑ってしまう。
「クラウスは私にも優しいわ。ここぞという時は頼れる兄だって、ちゃんと知ってるもの」
「……うるさいな」
「あら? 照れてるの?」
「照れてない」
鼻先が赤い。照れをごまかそうとする時のいつものクラウスだ。
「そうだ、劇に誘う相手を決めたわ」
「誰だ? エレオノーレか?」
クラウスが私の親友の名前をあげる。彼女は彼女で今相手探しに忙しいから、そんな暇はないと思う。
きっと今頃肉食獣の本性を押し隠し、白百合のような微笑みで男を吟味しまくっていることだろう。
「ううん、クラウス、貴方よ。貴方と行くわ」
「は、僕?」
「えぇ、完璧なエスコートを期待するからがっかりさせないでよね」
「……そこまで言われちゃ断るわけにいかないな」
クラウスが不敵に笑う。やっぱり私の兄はそうでなくっちゃ。
「ヨハンナ」
「何?」
「王子と婚約破棄になったこと、気に病んでるか?」
「え?」
クラウスが急に真剣な調子で問う。
まるで全部がクラウスのせいで起こったみたいな言い方だ。この兄はつい最近まで家にいなかったのだから、そんな訳ないのに。
「何言ってるの。今凄く清々しい気分よ! これからはあの浮気男の為じゃなく、自分のために時間を使えるんですもの!」
「……なら良いけど」
「何? 珍しく気でも使ってるつもり?」
「うるさい、早く戻るぞ」
クラウスが足を早める。
「ありがとう、クラウス」
私は浮かれた気分でその後を追った。
***
後日、アレクとノルマン様が屋敷に突撃してきたり、王子殿下が上から目線で復縁を求めてきてクラウスに蹴り飛ばされたりしていたのは、また別の話である。
キャラ設定です。
読まなくても大丈夫です。
ヨハンナ・アルノルト
18歳♀
クラウスの双子の妹。
婚約破棄はされたが、兄が帰ってきてまた一緒に狩りに行けるようになったので最近楽しい。無自覚の隠れブラコン。
クラウス・アルノルト
18歳♂
ヨハンナの双子の兄。
ヨハンナと顔がそっくりで体格もほぼ同じ。女装が似合う。
素直に言葉にしないだけで自他共に(ヨハンナ以外)認めるシスコン。
今回のことは両親も了解済み。
アレクサンダー(アレク)
双子の幼馴染。近衛騎士団に入団してからしごきがきつくてあまり双子に会っていない。
密かに想いを寄せる幼馴染が浮気男に困っているとクラウスから聞いて憤っている。
ノルマン
大臣の息子で将来有望な官僚候補。
メガネキャラで多分凄く頭が良い。
でも女慣れしていないので好きな人の前だとちゃんと喋れない。
好きな人が浮気男に困っていると最近できた友人から聞いて憤っている。
第一王子
メンヘラ。試し行動が多い。
高身長イケメンだけど、逆に言えば長所がそれしかない。
アンナちゃん
イケメンと権力に目がない。
マシュマロボディ。
とある人物の協力によって首尾よく恋敵を沈めることができてラッキー。
お読みいただきありがとうございました。