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夕食が終わり、葡萄ケーキがあまりに美味しくて、ロズリーヌがふたつめを食べているときだった。玄関のドアベルが鳴った。
「こんな時間にお客様?」
ケーキを食べ終わればあとは自室に行き休もうと思っていた。
ここに訪ねてくる人物などほとんどいないのに。モネルが心配そうにしている。
「わたし、見てくる」
ロズリーヌが席を立つ。モネルが後ろから付いてくる。女ふたりの生活だから、いざとなったら一緒に逃げなくては。モネルの気配を背中に、再度鳴ったドアベルの音に緊張を増幅させた。
「どなた?」
「夜分申し訳ない。わたくし、フォルチュ公爵執事のニコロと申します。テオドール様よりお預かりした品物を、お届けに伺いました」
(執事のニコロ様? どうしてこんな時間にここへ?)
「あ、ハイッ! た、ただいま!」
ロズリーヌが慌ててドアを開けると、目の前に熊のような巨体が姿を現す。
テオドールが店に来るときに、伴っている執事のニコロだ。
「ニ、ニコロ様。ごきげんよう」
ロズリーヌは膝を折り、体を沈ませお辞儀をした。
年の頃はテオドールとヤンの間といったところか。
眼光鋭く、ゴツゴツした顔に豊かな髭を蓄えている。ロズリーヌより頭何個分か背が高く、シャツに包まれた胸が筋肉で盛り上がり、上着がはち切れそうになっている。
(相変わらずサイズが合ってない)
もうちょっと大きい服を仕立てたらいかがだろうかといつも思うのだ。
「ごきげんよう。夕食中でありましたか。失礼いたした」
「いいえ、大丈夫です」
怪しい者の来訪ではないと分かったモネルが、ロズリーヌの横に並ぶ。モネルはニコロを見るのは初めてで、息を飲んでいるのが分かる。こんな大男はなかなかお目にかかれない。
「公爵様の……?」
「母上殿も、驚かせて申し訳ない。先ほども申しました通り、テオドール様から贈り物がございまして、お届けにあがりました。これへ」
ニコロが合図をした。後ろに何人か使用人がいるようだ。
「ここへ運ばせていただく」
「え、あ」
ロズリーヌとモネルが壁側に避けると、使用人たちが入ってきた。
「ええっ」
広くない玄関ホールに木箱が数個運び込まれた。そのあと、ひとつの大きさが手のひらほどある真っ赤な薔薇の花束がロズリーヌに差し出された。花束は大きくて、両手で抱えないといけなかった。
「こちら、テオドール様からです」
ニコロは上着の内ポケットから封筒をつまみ出す。巨体のために封筒がとても小さく見えたがロズリーヌが手にすると普通のサイズだった。封を切ると、ふわりと花の香りがする。
『愛しいロズリーヌ 誕生日おめでとう テオドールより』
ロズリーヌは立ったまま白目をむいた。
「ロズ! しっかりして。なんて書いてあるの?」
モネルはロズリーヌから手紙を奪うと、目を通し、口を塞いで悲鳴をあげた。
「きゃあ、あらあら、まぁまぁ!」
荷物を確認したニコロが使用人たちを外に出し、ロズリーヌとモネルに向き直った。
「では、しっかりお届けしました。それと、ロズリーヌ殿は明日、お仕事が休みでいらっしゃいますな?」
「え? はい」
「間違いありませんな?」
「はい。店が定休日ですので……」
ニコロがまた上着の内ポケットから丸めた紙を取り出した。それを開き、読み上げる。
「明朝10時に、テオドール・フォルチュ様がこちらへ伺います。ロズリーヌ殿に、大事なお話があるとのこと」
ロズリーヌはまた白目をむいた。
(わたしに、お話ですって?)
モネルがまた小さく悲鳴をあげた。
「公爵様が? こんなボロ屋敷に? どうしましょう。なにもご用意が……」
「テオドール様はそんなことを気にするかたではないので、心配には及びません」
心配するなと言われてもするし、既に夜だし、明日の来訪ではお迎えする用意もできない。
血の気が引いていくのが分かる。できれば三日、いや一日でいい。待って欲しかった。そんな申し出が受け入れられるとは思えなかったが。
「では。明日、また伺います」
「は、はいぃ……」
言われるがまま返事をし、ニコロの熊のような背中を見送った。
「ご覧なさい、ロズ。こんなにたくさんの贈り物……!」
モネルが木箱をのぞいて声を上げている。
「キッチンと保存室に運ばないといけないわね」
手伝ってちょうだいと言いながらモネルはパタパタと奥へ行ってしまった。
呆然と立ちつくすロズリーヌだった。玄関ホールに並べられた木箱には、木の実や芋、野菜がたくさん入っていた。そして、真っ赤な薔薇の大きな花束がある。そこらに充満する薔薇の香り。あの夢を彷彿とさせる。ふらりと目眩さえする。
(ああ、こんなに濃い香りの薔薇はうちの店にも置いてあった)
「ん? あった?」
昼間のヤンとのやり取りを思い出した。もしかして、予約して引き取っていったのはフォルチュの屋敷の人間だったのかもしれない。ただ、こんなにたくさんは置いていなかった。他からも取り寄せたのだろう。
(何本あるのかな。いち、に)
数えてみると、二十二本ある。
「テオドール様……わたしの誕生日と歳を覚えていてくださったの」
感じたことのない思いが胸一杯に広がる。
これはいいのだろうか。いけないのではないだろうか。ぎゅっと目を閉じた。白薔薇のようなテオドールの笑顔がよぎる。濃い薔薇の香りは、ロズリーヌにまとわりつくようだった。