神話の人びと
カランシアとシャラは夜遅くまでさまざまな話をした。
お互い知らないことばかりなのでどうしても説明が長引く。それくらい同じ人間種といえども地上の人間と魔女族では生活環境が全く違う。
カランシアの邸の使用人がシャラの部屋を用意してくれた。
客室というにはリラックスできる、趣のあるインテリアだなぁと思っていると元々は先代の伯爵夫人、つまりはカランシアの母親の部屋なのだと説明された。
カランシアのお母さんが伯爵夫人てことは、え?カランシアって伯爵??
シャラが驚く。
「あれ?言ってなかったっけ?」
「領主、とは言ってたけど伯爵……伯爵って」
「たしかに領主といっても小さな領地の土豪や騎士領とか色々あるからねー」
カランシアはあっけらかんと言うがシャラはなかなか状況が飲み込めない。
「シャラの保護の為の書簡にはちゃんと書いてあったんだけど。もうばれてるものだと思ってた」
カランシアの服装はぱっと見飾り気のないシンプルな物だ。
よくよく見ると上質な麻素材は上品な光沢があり繊細な刺繍が所々に施されくるみ釦の飾りも凝っている。サイズ感もちょうどぴったりでカランシアのために仕立てられたものだとわかる。
金持ちのお坊ちゃんだというのは少し見ればわかるんだけど伯爵って、貴族さまって…。
「伯爵っていうのは内緒、ね?」
カランシアはじっとシャラの目を見つめて言った。
魔女族にはいわゆる貴族というものはない。完全なる都市生活で階級制度というものは古代より存在しない。
そもそも小さな浮島では領地というものがないから封建的な貴族制度が成り立たないのだ。
研究肌の魔女の中ではその研究成果を地上で換金できる大商人が偉そうではあるがそれを抑えて個人に権力が集中しない機構がある。
浮島の都政は選挙制で商人ではなく魔女の本業が優れているものが都知事に選ばれることが多い。
「貴族って学校では習ったんだけど、本当にいるんだね……」
「あー、そっか。浮島にはそーゆーのないんだっけね。僕も家庭教師に習ったかも」
「えーと、ほら、貴族ってもっと偉そうにしてるものじゃないのかしら?なんていうか王子さまみたいな、キラキラした服着て白馬に跨がって」
「ちょっと待って、それなんの少女向け恋愛小説?そんなの浮島にもあるの?」
カランシアが怪訝そうな顔をする。
「読むの??」
「読まないけど!!なんかハンナとか若い女の子の使用人がたまにきゃっきゃしてる。舞台とかそーゆーのであるんでしょ?」
「そうそう。浮島だと映画とか漫画とかドラマとかあるんだけどー!わかる??」
シャラが思わず甲高い声を上げる。
「見たことはないよ。浮島はそういう文化が発達してると聞いたことはあるけど」
ちょっとカランシアは半目だ。
「やだードン引きしないでー」
シャラは少し落ち着きを取り戻してカランシアにすがりつく。
「まぁ浮島でも男の子はそーゆーの白い目で見るひと多いけどー。見せたいけど荷物も何もかも教室に置きっぱだから。せめてスマホがあれば地上でも見ることだけはできたんだろうけど」
そう言ってシャラはぷくーと頬を膨らませた。
「スマホとか映画とかって?魔女謹製のアイテム?魔女アイテムは浮島以外では使えないって本当?どんなものなの?」
矢継ぎ早にカランシアが質問する。
「まぁなくても生きていけるものなんだけどねー」
魔女の生活魔法というのはアイテムを使うのが基本だ。
効率・時短を無意識に追及し続ける魔女のアイテムは生活に根差してる。
人間なら、例えばお湯を沸かすにはガスや薪や泥炭などをストーブや竈で焚きヤカンを掛ける、といった一連の作業がアパートの狭いキッチンで行えるようにとできたのが魔女アイテムだ。
家庭によって違うがケトルやポット、もしくはウォーターサーバーで簡単にお湯が沸かせる。どれも魔女がスイッチを押すことで微量の魔力を通してシステムが作動するようになっている。つまり火が不要なのだ。
洗濯機や食洗機、掃除機やエアコンといった生活用品、娯楽用のスマホやテレビといったアイテムも同様に微量の魔力で作動する。
魔女のほんの微量の魔力を最大限に活用する。その為の魔女製品は資源が限られる浮島の都市生活では必需品で一般的にも流通している。
魔女から見ると人間にも魔力はある程度ある。
けれども魔女のこの、ほんのちょっとの魔力を効率的に活用する、といったことがどうしても人間にはできないらしい。
できないどころか魔法をそんなことに使うなんて、といった魔法の忌避、もしくは神聖視しすぎの風潮が根強くあるようで魔力制御的にも精神的にも受け入れられないようだ。
便利な魔女アイテムを地上にも流通させることができれば魔女の経済的にも万々歳なのだが人間に使えないことにはどうしようもない。
そんなことを説明していたシャラはふとカランシアを凝視した。
貴族について、学校の授業ではなく子供の頃によく聞かされた昔話を思い出した。
浮島だけでなく地上でも同じように語られている子ども向けの、誰もが知っているお伽噺や英雄譚のことを。
昔話というか神話に近い。
地上には魔力云々とは別に特別な能力のある人間がいる。
神々が最初の子として美しく幻想的なエルフを作った。
このエルフは神々のお膝元で大切にされた。
次に地上を作った。神々は地上に人間を作った。
その時、神々の長であるルドエーヴェに内緒で太陽の神であり技巧の神でもあるリエンディルとリアディナの双子神が人間の試作品として様々な能力を与えた人間を作った。
その試作品の人間は髪や瞳にカラフルな色彩を付け普通の人間とは見分けがつくようにしてあった。
意外にもルドエーヴェはこの色つきの美しい人間たちをことのほか喜び、普通の人間の長となるように仕向けた。
色つきたちはエルフのように神に近く、地上に住まう人間を導くのに最適だと思ったからだ。
人間はルドエーヴェら神々の意思を汲み取るのが難しく、色つきたちに常々意見を伺い色つきたちのもと繁栄した。
色つきたちはある程度人間を導くとその殆どが地上から姿を消した。
エルフのように神のお膝元に行ったとも言われているが、人間が困らない限りは隠れてその行く末を見守っているとも。
この色つきたちは神話のようであるが実在する。
エーヴェ王国の国王一族は紛れもなくその『色つき』で、魔女のサイト画像でしか見たことはないがその髪と瞳は淡い紫色でとても美しい容貌をしていた。
魔女としてはそんなものヘアカラーや鬘、コンタクトレンズでどうとでもなるとは思うのだが、曰く王族は本物の『色つき』とのこと。
そしてエーヴェ王国の面だった貴族というのは領地に引きこもって姿を現さないものの実は『色つき』である、というのはお伽噺の鉄板ネタである。
そして、目の前のカランシアはエーヴェ王国の貴族である。
カランシアはどれだけ見ても幻ではないかと思うほど美しい。