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devotion

結宇が相月家に来たあたりの陽乃と凛斗のお話。

「陽乃、おいで」


 彼が優しい言葉を使うのは、自らを見下し、他人に申し訳なさと同時に悔しさを抱いている時だ。自分に対しては唯一、布団に誘ってくれるときだけ、そんな風になる。いつからだったかわからない。お互い小さい頃は、一緒にいるのが当然過ぎて、言葉すらも使わなかった。

 驚きはしない。きっと、変な顔をしてしまっていたのだと思うから。羨ましい、とは少し違う。凛ちゃんが母親以外の人間に愛情を注いでいるのを見るのが、不思議だったのだ。

 帯を外して、着物を脱ぐ。当然だった幼馴染との添い寝は、年頃になって、しっかり教育を受けた。気を遣わせないように。ストレスにならないように。変な気持ちにもさせないように。それは苦手だった。何をしている時よりも表情が消えていると思う。彼もまた、無表情で見ているから。

 大きめの布団に潜り込むと、やっと安心したように笑顔を浮かべてくれる。凛ちゃんの香りは、魔法だ。目を瞑っていてもそこにいることを教えてくれる。それは、自分には蝶にとっての花の香りのようで、他の人には危険を知らせるためのにおいだった。間違っても、呪われた人形に心を読まれないための。彼の長兄が呪いの人形を避けるために末弟に纏わせた香りは、あまり良い意味の花言葉を持たない。

 けれど、彼にぴったりな花なのだ。相澤先生が教えてくれた。彼も、この香りが好きだと言っていた。


「心配すんな」


「してないよ」


 考えがまとまらないまま反射で答えてしまったことはバレているだろうけれど、嘘ではない。一番たくさんの時間を一緒に過ごして、一番たくさんのことをお互い知っている。仕事柄、関わる人の数の差にもやもやする時だってあった。けれど、彼の兄たちに比べたら、凛ちゃんはいつも自分のところに帰ってきてくれるのだから、決して寂しくもない。


「陽乃のことは、オレの方が知ってる」


 可笑しそうにはにかむ。そうだ、普通可笑しい。自分よりも、自分のことを知っている人がいるはずがない。けれど、本当にそうだと思う。こうやって触れ合わずに隣りにいるだけでも、全部お見通しなのだ。


「じゃあ、してるのかも」


 いつからだろう、と思うことが多い。大きめの布団でも、二人で横になるには十分狭い。けれど、二人は触れ合わないようにギリギリのところで向き合って鼻を突き合わせている。

 薄い肩に手を伸ばす。凛ちゃんは優しい目で見守ってくれる。正直、わからない。自分に対しても、肌で触れて理解(わか)ることが怖いと思っているような彼の行動が。自分のすべてをとったって、彼の予想を裏切ることなんてありやしないのに。


「……オレには、まだ誰も救えない」


 咄嗟に、その肩を引き寄せて抱いた。さらさらの髪を触ると、いっそうラベンダーの香りが強くなる。そうだ、この人はこういう人なんだ。その炎が弱まるのは、炎を炎たらしめている自身の思想に懐疑的になった時だ。

 言葉を考える。あたしは救われているだろうか。凛ちゃんがいない世界は、知らない(・・・・)。ここが天国であるか、地獄であるか、判断することもできない。彼の隣にいることが幸せじゃないなんて、考えたことがない。

 代わりに、耳の付け根に顔を寄せた。大好きな人と一緒にいられることは、とても幸せだ。後のことや、この家に暮らしていなかったもしもの世界のことなんて、どうだっていい。ただ今、凛ちゃんが好き。凛ちゃんの、星乃様への想いや、正義に対する強い意思、とても優しい心すべてが好きだ。


「たくさん傷付けて、たくさん助けられるのが偉いんじゃないって言ったの、凛ちゃんじゃない」


 朔海様のお仕事の結果が自殺幇助だったとしても、この家の人は何も言えない。彼のおかげで生きられている、と思っている人が何人もいる。それはお客様だけでなく、使用人も、だ。外の世界を知らない者も多いから、常識も知らない。世の中に放り出されてしまったら生きていくことができない。清潔で、立派な屋敷に寝泊まりして、そこそこの着物を着て、そこそこのものを食べられるのは彼らのおかげだ。悪だとしても、必要悪なのだ。そのように、(はは)に教わった。

 顔の横に添えられた手に、体を少しだけ離す。目を細めて笑った凛ちゃんは、唇を重ねて、鼻をつきあわせた。


「オレも、大好き。絶対幸せにする。一緒に生きて、誰よりも幸せになる。オレが、そうしてやる」


 いつもそればっかり。だけれど、嬉しいと思う。こうして触れ合っていれば、全部彼に伝わるから、凛ちゃん自身は正直に想いをたくさん伝えてくれるのが嬉しい。凛ちゃんも、言葉がなくてもわかるけれど、だからこそ言葉で聞きたいと思っているのも知っている。だから不安な時ほど、指一本触れようとしない。


「凛ちゃんと幸せになりたいな」


 独り善がりではないだろうか。何が幸せだろうか。強い正義を信じる彼が、いつもそうやって思い悩んでいるのを知っていた。だから、この言葉をかける。何が幸せでも構わない。凛ちゃんと一緒の幸せを一緒に作りたいと願う。


「ああ」


 目蓋を落とす。あたしの体温で少し温かくなった凛ちゃんの肌を感じながら、その心地良さの真ん中にふんわりと意識を落とす。どうか夢の中も平穏でありますように。優しい彼の心を癒やすものでありますように。


 おやすみなさい、と呟いたのに、小さく頷いてくれる。背中に添えられた手のひらは、あまりにも慎重で、あまりにも小さい。

 ラベンダーの花は小さくとても可憐なのに、その香りは華やかで、油を含んでいてよく燃える。凛ちゃんの心の中でごうごうと燃える炎を、あたしは知っている。否、誰もが知っている。

 時に野心のように激しく、時に正義のための怒りであって、時に暗闇を照らす道標だ。自分のためだと言いながら、他人のために激しくなれる彼の炎は、恐ろしいというよりむしろ心強い。

 その灯火が消えないように守っていられるのが自分だけだとしたら、そんなに光栄なことはない。それなのに、愛情までも与えて、与えさせてくれる。


 きっともう幸せなのだ。好きな人と一緒にいられて、好きな人の役に立てるのだから。

 生まれた頃から身体の弱い彼が決して長生きはできないと教えられていたとしても、傍にいることを許された自分だけは、一緒に生きて一緒に死にたい。なるべく、その炎を美しいものでいさせてあげたい。

 楓に引き取られ、使用人として相月の家に迎えてもらって、太陽の名前をもらった時から決まっていた。凛斗という月を照らすのが、あたしの役目だ。

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