エコ魔導士第四十九話
『ジュウイチネンゼミ』の大合唱の中、陽炎揺らぐトレログの路地を、エコとタークの二人が並んで歩いていた。
白い家々の脇にはくっきりとした黒い影が落ち、それは暑さに苦しむ人々の道標となっているかのように、点々と道を繋いでいた。白壁にぶつかり乱反射する白銀の陽射しが左右から照り返し、タークの鼻筋を流れる汗をきらきら輝かせた。
「で、これからどうするんだって?」
タークがエコに尋ね、同時にとりとめも泣く流れ伝う汗を右手首で拭った。タークの顔は、連日の仕事で日に焼け、前にもまして黒くなっていた。外仕事に慣れた体は、汗をかきやすくなっている。
「あのねぇ。昨日ギザヴェーさんっていう魔導士の人と知り合ってねえ」
エコも同じように額の汗を拭い、汗で張り付いている髪の毛を左右に軽く分ける。エコの肌は日焼けすることがない。しかし、髪の毛の緑色が著明に濃くなっていた。
「ギザヴェーさんはハルナさんと知り合いなんだって。活動を支援してるとか」
「へえぇ。ギザヴェーって名前、何回か聞いたな。アバラトルルに雇われてる魔導士の一人だ」
「そーなの!? あのおっきい会社の」
エコがびっくりして大声を出す。
「噂で聞いただけだけどな。で?」
「それで、ギザヴェーさんがうちの施設に遊びに来いって言ってたから、今日いこうかなーと思って」
「なるほど。こないだ、そういう約束をしたのか」
タークが得心行ったように頷くと、エコが『んっ、』という顔になる。
「……約束? あ、してないな、そういえば」
「あ?」
タークは抜けた声を上げ、そんなエコの顔を視界に収めた。
「してないのか」
「それに、よく考えたら、場所も知らないっ。あはははっ」
「はっ?」
エコが笑顔でのうのうとそう言ってのける。昨日の会合でのギザヴェーとの会話はゴーレムに中断されたっきりで、いつ行くだの場所はどこだのという具体的な話はしていない。
それなのに……
「じゃあ、どうやって行くんだよ? 内市だって広いぞ」
「ハルナさんがいるんなら、森殿の近くってことは間違いないと思うの。そんで、施設ってからにはある程度規模大きいはずでしょ? それで魔導士さんがやってるなら、聞けば誰か知ってるでしょ!」
「あ~、なるほど……。いやぁ……そうか?」
「なんとかなるなるきっとなる! あっ、すみませんお聞きしたいんですけど~!」
エコは行く気満々だった。タークの疑問に答えることなく、手近な通行人に声をかけ、走り寄る。
タークはしばらく怪訝な顔をしていたが、そのうちふっと相貌を崩し、ズボンのポケットに手を突っ込んで、エコの後を追っていった。
――――
「きゃはははは! 次あっちゃん鬼だねーっ!」
「おにだ逃げろー! あはははは!」
「いくよー、いーち! にーい! …………」
とある施設内。明るいリビングホールの中に、子どもの笑い声が響いていた。
ホールの縁には何卓かのテーブルと椅子が置いてあり、そこに老人たちがまばらに座って、手仕事をしながら子ども達の相手をしている。
ホールの天窓からは柔らかく日が射し込み、鉢植えに生える観葉植物の葉を透かして、薄緑の反射光を建物内の壁や床にゆっくりと投げかけていた。
風が起こす葉擦れの音と蝉の鳴き声が混じり合う中を、数人の子どもたちが騒がしく走り回る。
十秒時間が経つと、そのうちの一人が「まてーー!」と叫んで走り出し、騒がしい声がますます五月蝿くなった。するとひとりの老人の、厳しい目が光る。
「くらぁーーーっ! 追いかけっこは外でやんなーーーさいっ!」
「わああーっ! ごめんなさーい!」
「ばあちゃんが怒った~! にげろーっ」
「あんた達、畑を荒らしたら、今度は勘弁ならないからねーーっ!」
老人の怒り声が喧騒を破り、ホールに響き渡った。耳にした子どもたちが縮み上がり、我先に外へ逃げていく。
「まっったく。元気がいいのはいいけど、しつけはちゃんとしなきゃだめだよ」
キツい顔をした老婆が、ぶつくさとこぼす。
「でも、あんなに怒鳴らなくても、よかったんじゃないかねえぇ」
隣りに座る老婆が、怯えたような口調でやんわりと嗜めた。
その脇で絵を描いている小さな女の子が老婆の袖を小さな手でひっぱり、「おばあちゃん、おばあちゃん」と声をかける。
「ネネちゃん、どうしたの?」
「ねえみてみて、ねえおばあちゃん、みて。ネネちゃんかいたの。これ、うさぎさんなんだよ」
「ん、そうだねえ~。うさぎさんだね~」
老婆は優しく微笑み、ゆっくりとうなずく。
「あのね、うさぎさんがね、ぴょんぴょんはねて、ぴょん、ぴょん、きのねっこにぶつかっちゃうの。それでね、きつねさんがね、おいしそうだね~ってうさぎさんのみみをたべちゃってね、おかあさんがね、おかしいねえっていったの」
女の子は指をぴょんぴょんと紙の上で跳ねさせ、最後にお母さんの顔の絵を指差して、くるりと振り向いた。
「ほ~~~~ネネちゃんは、絵が上手だねえ。上手いねえ。うさぎさんだねー。きつねさんだぁ」
幼児のわけのわからない話をこともなげに受け流しつつ、老婆は画面を指差しながら猫なで声でそう言う。編み物を持ったままで音の出ない拍手を送ると、幼児が嬉しそうに笑った。
「あのねえ、このあいだもねえ、おかあさんにほめられたの。でもね、おとうさんはね、ネネのかいたとりのえをね、ねずみだとおもってたの」
「そうかい。お父さんは粗忽者だねえ~」
一呼吸置いて、老婆は画用紙にクレヨンで書いてある画面端の黒いものを指差した。
「これはなんだい? ワンちゃんかな?」
「あははははっ、とりさんだよ! おとうさんとおなじだー!」
「あーーーー! あーーーーー!」
「あーあー! 泣かしたー!」
「どうしたどうしたー?」
突然起こった泣き声に、周囲の大人が一斉に反応する。泣き続ける男の子の周りに、あっという間に人だかりができた。
「あらあらあら、みっちゃんどうしたのー。どこか痛いの? 転んだのかい?」
「あーーー! あーーーー!!」
「ころんだんじゃないよ、勝手に泣いたんだよ」
「みっちゃんはねえ、すぐ泣くから大丈夫だよ」
「あのね、ぼくがね、これ貸してって言ったら、貸してくれるって言ったのに、貸してくれなかったの」
「あーー! あーーーん! そんなごどいっでないぃぃーーー!!」
周囲の子たちが騒ぎ立てると子どもの泣き声は風を吹き込まれた炎のように勢いを増し、周囲の大人にも手がつけられなくなってしまう。
すると奥の部屋から、太めの男性がその泣き声を聞きつけてどしどし駆けて来た。そして優しげなよく通る声で、男の子に声をかける。
「ミキュアーニくん、どうしたんだい? 泣き止みなよ~」
エプロンを着けたギザヴェー・タカモゥが泣いている子の傍らにしゃがみ、大きな手のひらでその子の頬を包む。その両手が、たちまち涙で濡れた。
「あーーっ! あーーっ!」
しかし、そんなことで泣き止む子どもではない。むしろ声を張り上げ、思い切りよく泣きわめく。
「ミキュアーニくん~~。ホラ、あっちに行って一緒にお菓子食べよう? ドーナッツを揚げたよ~」
「えーっ、ズル~いっ!」
「大丈夫、みんなのもあるよーっ。おやつにしようよ~、ねえ?」
ギザヴェーがそう説得し続けると、やがて子どもは泣き止み、ギザヴェーにおぶさって食堂へと連れて行かれた。ホールに再び、和やかな空気が戻ってくる。
ここは『フスコプサロ幼老院』。福祉団体『フスコプサロの会』の援助を受けて、ギザヴェー・タカモゥが設立した施設だ。
親のない子どもや保育が必要な子どもを集め、それをボランティアの老人と少数の若いスタッフ達で面倒を見ることで、老人達が昼間集まるコミュニティと、保育施設を両立している。
いつもは和やかな雰囲気の施設だが、異常気象のせいかここ最近はこうした小さなトラブルが絶えなかった。そしてそれと同時に、施設が抱える根強い問題点がギザヴェーの頭を悩ませ続けていた。
「ドーナッツいっぱいあるからね。順番に並んで、あーほらほらミキュアーニくん! みんなが食べない内から二個取るんじゃないの!」
それでもギザヴェーは、笑みを絶やすことがない。やりたくてやっている事なのだから、多少の苦労は苦労の内に入らない。とにかく、前向きにやっていこうとギザヴェーは思う。
ギザヴェーはドーナツを食べる子どもたちに視線を配った。
自分のドーナツを年下の子に分けてあげる子。もらったドーナツを食べずに、隣の子が食べるのをただ見ている子。一番最初にドーナッツを食べ終え、すぐに友達を誘って外に出ようとする子。
そうでない子も大勢いるが、彼らは大多数が親を無くした子や、捨て子同然に置いて行かれた子たちだ。
先程泣き出し、今は笑っているミキュアーニという男の子は、自分の名前もわからない頃にこの施設に置いて行かれ、親の顔も分からない。ミキュアーニという名前も施設のスタッフが付けたのだ。
過去に人に見放された子は、普通にはない欠落を持っている。
ギザヴェーや老人たち、スタッフたちがいくら必死になっても、絶対に埋まらない欠落。そうした欠落を持っている人間は、それを補うためにいろいろな行動を起こす。結果としていい方に向かえばいいが、大抵は人を不幸にする行動に繋がってしまう。過去に不幸な経験を持ったものは、その不幸から生まれる渇望を、そうとは知らず他人に押し付けてしまうからだ。
それは、一種の『忌み落とし』なのだと言える。ありとあらゆることが、『忌み落とし』の連続なのだ。
一方が上がると、もう一方が下がる。シーソーのような均衡をもつ関係を、ギザヴェーはありとあらゆる物事の中に見出す事ができる。
自分に出来るのは、せめてこの子達の持つ欠落が、他者を傷つける行動に繋がらないようにすることだ――。その理想のためにも、この施設は必要だとギザヴェーは確信する。それに、ここ一箇所では足りないとも思う。しかし……。
「すいませ~ん! ギザヴェーさんにお客さんよ」
ギザヴェーがとりとめなく思考に耽っていると、スタッフに庭の方から突然呼びかけられる。ギザヴェーが視線を上げた。
「は~いっ? だれぇ?」
誰だろう? 来客の予定などなかったはずだが……。ギザヴェーは重い体をどすどすと床板に打ち付けながら、日庭に出た。
――――――
「森殿って広いんだねえ」
深い森の中で、汗だくのエコがこぼす。そして、自嘲気味に笑った。
「やっぱり無理そうだな」
タークは顔色を変えず、冷静に返す。木立を抜ける涼風が、二人の間を爽やかに抜けていった。
「ごめん、ターク……軽率だったみたい」
エコがしょんぼりとうなだれた。楽観的かつ大胆に踏み切ったギザヴェーを訪ねる小旅行は、ものの見事に失敗していた。
「なんて? ギザヴェーさん? いや、知らないね、ごめんよ」
「すいません、ちょっと私このへんの人じゃなくて……。人をまたせてるので、ごめんなさい」
「いや、俺は……ここに来たばかりで、地理とか知らないんで」
聞き取り調査は街の広さに応じて加速度的に難易度を増すということを、エコは知らなかった。
単純に人口と街の面積の関係もあるが、【ハロン湖】とは違い、ここ【トレログ】では人と人との繋がりが薄いということが根深い。
都会に住む人というのは、小さな集落に住むの人々のように、隣人全てと付き合いがあり、街の細かいことごとついて興味を持つ人ばかりではないのだ。
【ハロン湖】のような境界魔法陣の無い土地では、人々の興味・関心は自身の外側、つまり自分の所属する社会構造に向かう。魔物たちが少しでも街の領域に入ればたちまちの内に全てが荒らされてしまうため、人々が結束していなくては社会全体が滅んでしまう危険性があるからだ。
対して魔物を防ぐ境界魔法陣で区切られた都市という場所では、人々の興味はどちらかと言うと自分の内面に向かっていく傾向がある。すなわち、自分や家族達の成功と発展。
――市民でいえば、仕事に励んで資産を貯め、魔導士の養成校に自らの子どもを入学させることだ。そのため、彼らには余裕がない。ただ生きていくための人生ではなく、更にその上にある成功を掴もうとすれば、時間に余裕が生まれようはずもない。
エコはそうした人たちと話すと疲れる。同じ言葉で話しかけても、【ハロン湖】で話した人たちとは返してくる言葉や表情がまるで違っていた。他人を無条件に助けようという意識が、何故か薄い。いつも何かの仕事の途中のような、気忙しさを身にまとっている。
余裕のない人特有の毒気に当てられたエコは、混乱した頭で【森殿】に入った。無意識の内に、森に癒やしを求めていたかのようにタークには見えた。
だからこそ、「森殿に近いんだったら、いっそこの中に入っちゃおうか?」というエコの突拍子もない意見に、反論せず従ったのだ。
これでエコの気分が落ち着くのならば結構なことだと、タークは思っていた。
「いいさ。ちょっと気分転換しないとな。……せっかくの休みなんだし」
「明日からまた仕事かあ~……。楽しいけど、やだな。タークは辛くないの?」
エコが素朴な疑問を口に出すと、タークは「全然」と答えた。
「仕事は仕事だからな。辛いとか辛くないとか言う問題じゃない」
「……は~~、すごいなぁタークは。わたしなんか、明日からのこと考えると暗い気持ちになってしょうがないのに……。わたしはタークの半分も働いてないのにさ」
エコが頭の後ろに回した腕を組み、上体を後ろにそらしながらそうこぼすと、タークは複雑な表情になって言った。
「ちょっと待て、エコの半分も仕事してないのは俺の方だぞ? エコは日に何十ものゴーレムを討伐してるじゃないか。俺はチームで動いて、十もいかないんだぞ」
「え? そんなことないよ。だってタークは一日中、ほとんど休み無しで動き続けてるじゃん。わたし、タークより朝は遅いし、終わるのは早いんだから。日が高い内に力尽きて帰っちゃうんだよ?」
タークが一日働いて討伐するゴーレムはせいぜい五、六体。対してエコはアベレージ三十だ。成果だけ見れば半分どころの話ではない。しかしエコは、労働量や労働時間の方を重視していた。
突然、タークの奥から笑いがこみ上げてくる。
「ははははは! なるほど。じゃあ俺達は、お互いがお互いの半分しか働いてないってわけか! こりゃパラドックスだ」
タークは笑った。自分がエコに対して劣等感を抱いていたのと同じようにエコが自分に対して劣等感を持っていたということを知ったとたん、自分がエコに対して密かに抱いていた対抗心や嫉妬がやけにおかしいことのように思えたのだ。屈託のない笑い声だった。
「ん? なになに、わたしなんかおかしいこと言った?」
「はははは! ははは! なら、俺たち二人が組めばいくらでも働けるな! 楽勝だよ、エコ! ははははははは!」
「ええ~? ふふっ、そういうことでいいけどさあ。……あ~、つっかれた……。ちょっとそのへん座って休もうか? ターク」
「は~、いやぁ……。そうしよう」
二人は大きな木の根本、少し湿り気を帯びた草地の上に並んで座り込んだ。
幾重にも重なる枝葉の隙間をようやくのことでくぐり抜けてくる木漏れ日を浴びて、湿った草の香を嗅ぎ、遠くなった蝉の合唱を聞く。あまりの心地よさに、二人はそのまま寝転がった。
光に揺れる樹冠が眩しい。ゆるやかにまぶたを閉じる。薄い生地の夏服の上から草花の茎が肌を刺す、くすぐったさと痛さの中間のような感触が背中や尻を刺激する。
じわりと汗の出る感覚、小さな虫達の羽音、どこかで遊ぶ子どもたちの、楽しそうな笑い声。そのうちに、エコとタークの呼吸が寝息に変わっていた。
――――
フスコプサロ幼老院、客間。籐細工の椅子に、一人の女が座っていた。机を挟んで反対側に、ギザヴェーの寸胴のシルエットがある。女の姿勢は前のめりになっているが、ギザヴェーは背もたれにゆったりと体重を預ける格好。
「金が必要なんだってかい? ギサヴェー。なら本業に専念したらどうなんだい。こんな零細施設、切り盛りしてやってくのは大変だろう?」
女、フリズンバイナ・ニップタールはそう言って、出されたカップを口に寄せて傾けた。中に入っていたお茶が、重力に沿って口の中へ入る。
「ゴーレム狩りの賃金も焼け石に水だろうよ。いくら他より実入りのいい魔導士業でもさ……。たまに取り掛かるくらいじゃ、高い金がもらえる仕事にゃありつけないよギザヴェー。信用を積み重ねなきゃ、大口の仕事なんざ来やしないんだ。まして男のアンタにはね」
「それはそうですけどぉ……、ぼく、ここからあんまり離れるわけにはいかないんです。子どもたちも不安定な子ばかりですから」
フリズンバイナがいくらけしかけても、ギザヴェーの口からはこうした歯切れの悪い言葉がぶつ切りに出てくるだけで、話の波に乗ってこない。
いつもこうだ。せっかく持ってきた仕事を、ギザヴェーはこうして断り続ける。ゴーレム狩りに誘ってやっと乗せたと思っても、以降の仕事には興味を示そうとしない。
――この男は、なにも分かっていないのだ。現実の厳しさも、自分の立場も、現実は理想とかけ離れた世界だということも。
フリズンバイナはギザヴェーのなよなよしい顔から目をそむけ、天井を見上げた。そこから脇に立ててある燭台に目を移し、凝ったデザインの扉、壁にかけてある絵画、床に引いてある絨毯という順に視線を這わせる。
即物主義のフリズンバイナに言わせれば、この施設は趣味の塊だ。男の持つ明確にダメな部分の寄せ集めにすぎない。自分を受け入れてくれる母性を求める心、いつまでも子どものように遊びたいという欲求、くだらないコレクション精神。
ギザヴェーは福祉と銘打って、母性の器となる老人と、自らの欲求を代理で果たしてくれる子どもを集めている偽善的な男だ。フリズンバイナはそんなギザヴェーを軽蔑していた。しかし反面、魔導士としては単純に尊敬してもいる。単純な魔導士能力だけを鑑みれば、認めたくないがギザヴェーは自分以上なのだ。
年齢はまだ三十そこそこなのに、ギザヴェーの魔法はすでに第三次元、『効果次元』へ到達しかかっている。ギザヴェーと組めば、フリズンバイナにも相応の益がある。だからこそ、こうしてこの男の元へ足を運んだのだ。
「ほんの数ヶ月だよ? この仕事はほんの数ヶ月。ちょっと【エレア・クレイ】の方まで行って、幾つかの仕事をして帰ってくるだけじゃないか……。この報酬で、この施設なら一年くらいは運営出来るだろう? ここの稼ぎ頭なんだろ、アンタ」
「今回のゴーレム狩りの話は、現場が近いから引き受けたんです。アラストロも誘ってやりたかったし……」
アラストロの名前が出ると、フリズンバイナが嬉しそうに手を打った。
「そうかいアラストロ! アイツも誘ってやろうよ。三人いれば、アンタも文句もないだろう?」
「それこそダメですよぉ。アラストロはまだ幼いんだから、危険な旅には連れていけません……。やっぱり今度の仕事は断らせてください、フリズンバイナさん。他にも魔導士はいるじゃないですか」
子ども好きなギザヴェーをアラストロで釣ろうというフリズンバイナの魂胆は外れた。フリズンバイナはガクッと肩を落とす。
「いるにはいるが、……アンタが一番いいんだよ。実力的にもアンタは優れているし、数ヶ月もかかるような仕事を請け負える魔導士なんかいやしない。みんな忙しくしてるから――」
「ちょ、ちょっと止めてください。ぼくだって、ぼくだって忙しいですよ。ダメです、ぼくはここの施設にずっと居たいんです。だからダメなんです。今回は諦めてください、フリズンバイナさん」
ギザヴェーが必死になってフリズンバイナを帰そうとすると、フリズンバイナも引き際を悟ったのか、席から勢い良く立ち上がった。
「今日はこれで帰るよ。また仕事は持ってくるからね。いいか、念押ししておくよ。アタシはアンタが嫌いというわけじゃないんだ、だからこうして仕事も持ってくるんだからね、ギザヴェー」
ギザヴェーも立ち上がる。無意識に話している相手と視線を合わせようとするのは、普段子どもたちと接する時に身についたクセのようなものだ。
「それについて感謝はしています。ぼくだってここの経営を考えれば、仕事はありがたいですから。でも、もうすこしぼく向きの仕事を持ってきてくれなきゃ……」
「無礼なんだよ、アンタ……。じゃあこの仕事は蹴るよ。それじゃあ明日、アバラトルルでまた会おうね」
「はい、また明日……。さようなら、フリズンバイナさん」
「おっ、じゃあな坊主ども! 次アタシが来るまで元気にしてろよ」
フリズンバイナが子どもたちに声をかけながら、騒々しく立ち去った。ギザヴェーは疲れた様子を隠そうともせず、握りしめた右手で左肩を叩く。
「あ~あ。参っちゃうよ……」
施設の抱える問題……根本的な財政難は、確かにフリズンバイナの言うとおりだ。それはギザヴェーも自覚している。ただ数ヶ月も目が離せないというのも確かなのだ。ギザヴェーがいなくなることに恐怖を感じる子たちもいるのだから。
しかし外で遊びまわる子ども達の姿を見ていると、ギザヴェーは心から安らいだ。なんとかなる。きっとどうにかなると、そう思える。
実家、すなわちタカモゥ家に居た時には味わうことのなかった安らぎ。ギザヴェーにとっては、もはやここだけが守るべき家なのだ。
ギザヴェーは大きく伸びをすると、子どもたちの遊びの輪に加わるべく歩いていった。
――――
「ボ……オオオォォォォ~~~~~~……ンンンンンンン………………」
「なに?」
異音がして、エコが目覚める。何時間寝たのだろう。横にいるはずのタークの影はない。
「ボホオオォ…………ォォォ~~~~………………ワゥゥゥゥゥ~……ンンンンン……」
森の奥の奥の、更に奥の方から、また同じ重低音がしてきた。巨大な笛を巨人が吹き鳴らしているかのような、この世のものとは思えない音だ。もしかして目覚めたのではなく、まだこれは夢の中なのか?
エコはもしやと思い、まぶたを上げて体を起こし、首を回して周囲を窺ってみた。そして体を動かす度、実感する。これは夢ではない。
「ォォオォォーーー……ンンンンン………………」
「すごい鳴き声だな」
「ターク!」
森の奥から、タークが姿を現わした。察するところ、エコより先に起きてそのへんで土を食べていたらしい。指先に泥がついている。
「ターク、あれ、何の声だろう? 生き物なのかな?」
「そうだろうけど……、かなりでかい生物みたいだな。じゃあ、そろそろ帰るか」
「ええっ、気にならないの!?」
エコはタークのあまりの無関心さに恐れ入った。
「わたし、あれが何なのか気になる!」
「えぇ~、行きたくねえなあ……。怖くないか?」
「怖いけどさあ~……。行ってみようよ」
「行くか、そこまで言うなら。危なさそうなら即帰るぞ」
タークに念を押され、はいはい、とでも言いたげに手をひらっと振ったエコは、声のした方へとそのままずんずん進みだした。
「一体なにがいるんだろうな~」
エコは興味が先に行ってしまって、少し視野が狭くなっているらしい。その分、タークが用心する必要があった。まさかこんな大きな街の中に、そんな危険生物がいるとも思えないが……。
「茂みに入るなら気をつけろよ~。この辺の植生がどうなってるかわからないんだから……」
エコは、タークがしつこいくらい心配する声を背中に受けながら茂みを押しのけて一直線に森の奥に向かって行った。