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テスト用  作者: 愛餓え男
17/35

6~8わ

「ヒカズラ平原の人食い魔獣」


「うぅっ、うう、うううううううぅぅ~~」


 タークの胸の中で、エコは泣いていた。


「うううううぅ、ぐっ、ひっ、うううぁぁああああ~……」

 エコは息を切らしながら、タークにすがりついている。

 失ったものと、失ってしまうかもしれなかったもの。エコが恐怖したのは、怒りに任せて人の命を奪おうとした自分自身だった。

 



 あの瞬間――、フィズンが恐怖の叫びをあげた瞬間。

 エコはとっさに魔法の軌道を変え、灼熱の大火球をフィズンからそらした。おかげで、フィズンは髪が焦げ服が燃えて軽いやけどを負う程度で、失神はしたが、生きている。


 タークはそんなエコの心を思いやり、エコの頭をなでた。そして、焼けてしまった家に目線をやった。

 焼けた家はもう、とても人が住める状況ではない。屋根は落ち、廊下は崩れ、師匠の部屋は全焼、エコの部屋とトイレの端だけがかろうじて燃え残っている。

 畑にはすでに数匹の【魔物】が来て、警戒心のないガチョウを襲い、どこかへ連れ去るかその場で食っている。生き残った二頭のヤギだけは先ほど逃がしたが、生きていくことは難しいだろう。

「あの家が、ここの守りだったんだな……」


 魔導士の使う【魔物】除けの秘法には、触媒となる物体が必要だ。その触媒であった緑の切妻屋根の家が破壊されてしまった以上、もう以前のような生活はできない。





「起きろ」

「………………!」


 倒れていた魔導士――フィズンが目を覚ました。喉元にタークの大刀だいとうが突きつけられている。

「すぐに消えろ。二度と俺たちに近づくな。――でなけりゃ、今すぐに殺す」

 フィズンは口を引き結んで細かく首を上下に振った。

「杖は……?」

「燃やした。行け。まっすぐ、振り返らずに」

 フィズンは身を起こすと、タークに見送られながらふらふらと歩き、一定距離離れたところで走り出した。

 背後にエコが立ちあがる気配がした。


「ターク……」

 泣きはらした顔は紅潮している。エコを慰めたかったが、こうなるともうそんな余裕すらない。


「エコ、大丈夫か?」

「うん……。家、燃えちゃったね」

「そうだな……。こうなってしまった以上、もうここには住めない」

「そっかあ。困ったねぇ……」

「ああ。ほかに住むところを探さないとな」


「……え?」

 エコが、本当に意外そうな顔でタークを見る。それから表情を曇らせてうつむき、腕をだらっ、と垂らした。


「ほかに住むところなんて、ないよ……」

「エコ?」

「だって、師匠が帰ってくるもん。それまでわたし、ここにいなきゃいけないの」

 エコが無表情に言った。それはまるで、それ以外選択肢がないかのような、どこか人ごとのような、どこか投げやりで、無責任な言い方だった。

 タークは悲しくなる。エコの師匠に対する執着心と想いは、エコ自身にもどうにもならないほど、エコの精神に深く根付いてしまっているのだ。たとえ師匠が自分を捨てたのだとしても、エコは自らの意志で自分をここに縛り、ここで師匠を待ち続けるだろう。


 畑に集まった【魔物】たちが、いつの間にかいなくなっている。タークは少し違和感を覚えたが、エコを説得するため顔を戻す。



「……エコ、難しいかもしれないが、仕方がない。エコには、ここに住むための魔物除けは張れないだろ? 家を建てるのも、無理だ。どちらも師匠が作ったものだから」

 タークはエコに近づくと、下に垂れた手を掴んで、ぐっと握りしめる。

「でもさ、だって、ターク……!」

 エコが泣きそうになった顔を上げ、反論しかける。だが、すぐにまた下を向いてしまった。


「だって……」

「俺の使ってた荷物は焼け残っていたんだ。ここに、ひとまず旅に必要なものはある。これからどうするかは――」

「助けてくれ!!」

 タークが話している途中、遠くから聞き覚えのある人の叫び声が聞こえた。エコとタークが振り向く。


「たすっ、たすけっ……!!」

「あいつ……!」

 タークが毒づく。消えろと言ったのに、性懲りもなく戻ってきた。タークは警戒を強めた。フィズンの後方、山の方から木が揺れる大きな音が聞こえた。そして、その背後を見て――唖然とする。


 ――そこにいるのは……。



「あいつ!! ふ……ふざけんなよっ!! エコ、走るぞ!! 逃げるんだ!」

 荷を担ぎ、まだ事態が分かっていないエコの手を引いて、タークが全力で走り出す。


「たすけっ! ああっ!! ひいぃっ!」


 恐怖に顔を歪めたフィズンの背後……山影で、巨大ななにかがゆらりと動いた。それに伴って木が枝ごと揺さぶられ、小鳥や小動物が、我先にと山から逃げ出す。巨大なものが、ゆっくりと姿を現した。


 大きな耳と長い鼻を持ち、大木をやすやすと超える巨躯を六本の巨大な脚で支えるその生物――【ヒカズラ平原の人食い魔獣】と呼ばれる怪物は、ものが掴めるようになっている二本の脚で千切れたヤギを掴み、最後の一口を大きな口に放り込んだ。


 骨を噛み砕くすさまじい音が、遠くを走るタークたちのもとにまで届いてくる。



 【ヒカズラ平原の人食い魔獣】は、ゆっくりと首を振ると、その血走った目線の先にフィズンとタークとエコを捉えた。

 そして、その方向に向けてゆっくりと歩き出す。


 巨獣の一歩は、タークたちの十歩に等しい。巨躯ゆえに緩慢に見える動作は、大地に対する速度で見れば、タークたちより圧倒的に速かった。


 背後に迫る【ヒカズラ平原の人食い魔獣】の存在を地響きとして感じながら、タークとエコは必死に走った。

「死にたくねえっ、ひっ、死にたくねえっ!」

 フィズンがこちらに近づいてくる。タークは舌打ちした。


 フィズンは、あわよくば魔獣の注意をエコとタークにそらそうというのだ。今すぐ斬り殺したかったが、そんな暇はない。ただ必死に走るしかなかった。


 ここ【ヒカズラ平原】で最も恐れられている魔物、【ヒカズラ平原の人食い魔獣】は体長15レーンをゆうに越す超大型の魔獣だ。

 視覚は鈍く、動かないものは察知できないが、その代わり聴覚と嗅覚にすぐれ、動物ならなんでも食べる。巨躯を維持するために必要なエネルギーを求めて、魔獣は常に餓えている。なおかつ“食いだめ”もするので、発見されたら最後だ。


「ぎゅごぉぉぉおおおおおっ!!」

 空気を揺さぶる轟音を発し、魔獣が走り出した。100レーンほどの距離は、魔獣にとってはあってないようなものだった。三人と巨獣の距離が、どんどん詰まっていく。



「ごがぁあぁあああっっ!!!!」


「エコ! 林に入れ!!」

 タークがエコに向けて叫ぶ。林に生えている一本の巨木の影に二人が入ると、フィズンまで同じ方向に逃げてくる。

「くそ、急げ!」


 魔獣が方向を変え、突撃してきた。完全にこちらを狙っている。

「もっと奥だ! 林の奥に行くんだ!!」

 タークが叫ぶ。魔獣の巨体が、巨木に激突した。巨木は衝撃でかしぎ、ばきばきと枝を落とす。魔獣に掴まれて揺さぶられると、地面から根が引きはがされ、倒れた。


「ターク、このままじゃ捕まる! あいつ、こんな木は簡単に倒しちゃうよ!」

 エコが立ち止まり、背後に振り返った。


 魔獣が吠え、太い前脚で次々と林の木を叩き折りながら接近してくる。

「もうこれ以上逃げられない! なんとか追い払わなきゃ! あなた、名前は!?」

 エコが急にフィズンを呼ぶ。フィズンはとっさに「フィ、フィズンだ!」と名を答える。


「フィズンも手伝って!」

 間髪入れず、エコ。フィズンが眉根を寄せて、

「何をだよ!?」

「あいつの脚を止める!!」


「そんなことが出来るのか!?」

 タークが驚き、エコを見る。


「わたしとフィズンの魔法なら!」

 エコがきっぱりと言い、再びフィズンに顔を向けた。二人が目を合わせる。エコの曇りのないまっすぐな視線。フィズンが唾をのむ。


「バカなっ! あんな魔獣に、二人だけでかなうものか!」

「違う! 魔獣だって、わたしたちが歯向かってくるなんて思ってない。《《嫌がらせ》》れば、追い払えるはず!」


 魔獣が木々をなぎ倒しながら接近してくる。決断に使える時間は、ほとんどなかった。


「フィズンは氷で目を狙って!! 顔面に攻撃を集中する!」

「……くそッ!!」

 フィズンが詠唱し、氷の刃を巨獣の顔面に向けて放った。

 杖がないせいでつららの速度も大きさも十分ではなかったが、巨獣は反射的に目をつぶった。動きが止まる。


「……『フレイム・ロゼット』!!」

 その隙にエコが大火球を作り、魔獣に向かって投げた。大火球は高熱を放ちつつ魔獣に向かい、魔獣の鼻先を爆炎で包んだ。

「ごぎぃぃぃ!! ぶうるあああっ!!」


「イヤがってる! やっぱり、火は苦手なんだ!」


 エコは一息吸うと、今度は火球を少し小さく作って放った。続けて二回、魔獣の手前に落とす。倒れた木々に火炎が燃え移り、魔獣とエコたちの間に山火事が巻き起こった。

 フィズンもその意図をくみ取り、足元の落ち葉に小さな火をいくつも放った。


 枯葉の積もった林床が、一気に燃え上がった。


「逃げよう! 炎を隔てれば、こっちには来ないはず!」

「わかった!」

 エコがタークの腕を引いた。タークもすぐさま走り出す。



 三人は【リング・クレーター】外縁の山を駆け上がると、体が動く限り走り続ける。1000レーン以上離れたところで、ついに力尽き草原に倒れた。

「あーっ、はーっ、はー、はー、はー」

「ぜえっ、ぜえ、ぜー、ぜー、ぜえ」

「ぐふっ、はっ、はっ、あっ、はっ」


 魔獣の声も足音も、気配も消えた。呼吸が整うまでしばらくかかったが、どうやら逃げ切れたらしかった。逃げてきた方から、ものすごい量の黒煙が上がっている。

「山、燃やしちゃったね……」

「生き残るためだ、仕方がないさ……」


「あれ……。フィズンがいないよ?」

 エコがきょろきょろと辺りを見回した。

「本当だな……。まあいいよ、あんなヤツ。あいつ、俺たちの方にあの魔獣を誘導したんだぞ」

 エコが笑った。

「でも、誰だってそうするよー。あんな怖い魔獣」

「よく笑えるな……。死ぬ思いをしたのに。エコに免じて俺も許すか」


 一面の草原を、朗らかな秋風が吹き抜けていった。



――――



「フィズン……。あなた失敗しましたね」

「おっ、お前は誰だ!?」


 息を切らしたフィズンは、両手を構えて声の主に向けた。声の主は、年若い少女の外見をした【ラブ・ゴーレム】だった。エコたちと同じ方向に逃げようとしたフィズンを、この【ラブ・ゴーレム】が連れてきたのだ。

 フィズンが【ラブ・ゴーレム】を正面から見る。二重の大きな目と、すんと高い鼻。肌は陶器のように白く、なめらかで、ヒカズラ平原の光をわずかに取り込んで、美しく光っている。後ろで束ねた麦色の髪の毛が、競走馬のしなやかな尾のように優美に風にたなびいていた。

 だが、半開きになった目はうつろで、生気が宿っていなかった。その声の向こうに、誰かほかの人間を感じる。


「まっ、まさか……師匠!?」

「そうです。私ですよ。あなたは、今回の依頼に何か月かけているんですか?」


 【ラブ・ゴーレム】が抑揚のない声で淡々と告げる。【ラブ・ゴーレム】は本来の目的とは違うが、こうして連絡用の端末としても使われる。その強靭な体を他人に貸して、確実なメッセンジャーガールとなるのだ。


「す……すみません」

「謝らなくていいですよ。処分は決まっていますから」

 フィズンの顔が恐怖に曇る。

「し、師匠!!」

「決定しています。あなたにも告げたはずですよ。『失敗したらもう知りませんよ』と」

「し……!!」

「いいから、黙ってその子についてらっしゃい。【イルピア】のフスコプサロの会で待っています。またね? フィズン」

「師匠! 待ってください、師匠!!」


 フィズンが決死の呼びかけをしたが時すでに遅く、【ラブ・ゴーレム】の目に生気が戻った。連絡端末としてかけられた魔法が解け、もとの人格を取り戻す。


「あいにく~。さ、私はあんたを連行するようにって言われてるの。一緒にいこ?」

【ラブ・ゴーレム】がにこっと笑って、左手でフィズンの右手をとった。フィズンが暗い目を【ラブ・ゴーレム】に投げる。


「私はカシオレって言うんだ~。よろしく! 短い付き合いになると思うけど」


 フィズンは受け応えず、ただうつむいてすぐそこに迫った自分の暗い未来に思いをはせるばかりだった。



――――


 エコとタークは、安らげそうな大きな木を見つけると、その根元に並んで座った。

「いろいろなことがあったな……」

「うん……」

 太陽はまだ高い。小麦粉を刷毛で塗ったように薄い雲が、秋空にすーっ、と流れている。

 絶え間なく聞こえてくるさまざまな虫の声が、一瞬やむ。目の前の草原を、獣が草をかき分け横切っている。


「エコ、これからのことだが……」

 タークが話を始めた。

「うん」

 エコが相槌を打つ。


「俺は、一度故郷に戻ろうと思う」

「え?」

 エコが意外そうな顔をする。


「実は、エコにもう一つだけ……言ってないことがあってな」

 タークがそう前置きした。エコが頷く。


「俺は、魔導士を襲って追われている。それは話したよな。でもな、その時に《《あるモノ》》を魔導士から盗んだんだ」

「《《あるモノ》》……?」

「それが何かは、言えない。これを言うとな、エコにも追手がかかることになる。俺は、これをもとに返したい。そのために、故郷に戻ろうと思うんだ。それでな」

「うん」

「エコも一緒に行かないか?」

「………………えっ……?」

「どうせ、もうあそこには戻れない。それは、もうエコにも分かってるだろ? あそこに住む為には、必要なものが何もない。魔物に対する防御、家そのもの、畑も、多分もう作れないし」


「……うん。それは分かってる」

 エコが無感情に言う。感情は納得していないが、受け入れるしかないことは頭では理解していた。エコは魔物を防ぐ方法も知らないし、家も作れない。畑仕事はできるが、あんな魔物がいる以上、この土地では無理だ。


「ねえ、タークの故郷って、どこ?」

「【ツィーリィ・セフィーア】。ここから北にある街だ」

「遠い?」

「んん……、多分、歩いたら四か月くらいかかるだろうな」

「……そっか」


 エコはまた、うつむいた。そして、タークの顔を見ないままこう答える。

「ごめん、ターク。わたしやっぱりあんまり遠くには、行けそうにないや。ここで師匠を待たなきゃいけないもん……」

「師匠か……。エコ、辛いようだが……」

「――分かってるつもり。師匠は、もうきっと、帰ってこないってことは……。待ってても意味ないってことも。でも、でもね、……どうしてもね」


「師匠が帰ってくる可能性がある限り、ここに居たいってことか? それが自分の人生の意味だと? エコはもう十分待ったよ」


「いや、そうじゃない。そうじゃないよターク。でも、でもね。わたしがあそこから離れちゃったら、師匠にはもう二度と、絶対に会えないよ。なんていうか、だから……」


 エコはどこまでも口ごもる。タークには、エコの姿、態度が、さしずめ自分のさなぎに戻ろうとする哀れな蝶のように見えた。

 変わってしまった自分の姿にとまどい、空を見ようとも、翼を開こうともしない憐れな芋虫。もうあそこに住めないのは分かり切っているのに、未練が断ちきれない。


 タークの頭が熱くなる。


「エコが師匠を探せばいいじゃないか!」


 エコと目を合わせ、そう言い切った。


「え……?」

「師匠が帰ってこないなら、こっちから探し出せばいいんだ。その方が、ここで待ってるよりよっぽどいい。俺の故郷に行く途中で、いろんなところを通る。大きな街にも寄る。そこに師匠が居るかもしれないし、そうでなくても手掛かりくらいは掴めるだろう。ここでただ待っているよりも、その方がずっと可能性が高いはずだ!」


「師匠を、探す……? わたしが?」

 

 エコがタークの言葉を咀嚼するかのように、同じ音をなぞる。


 待つのではなく、探す。積極的にこちらから世界に働きかける――。生まれてから六年、ただ与えられた環境で育ってきたエコにとって、それは新鮮な発想だった。


 タークと世界を旅する!! 師匠を探し、見つけ出す!! そしてそれから、それから――。


 それは爆発的だった。


 エコの思考を覆っていた殻がタークの言葉によってひびわれ、砕け散り、エコに新たな空を見せる。

 枷から解き放たれたエコの思考が、見えない翼を持ったかのように世界中を飛び回った。


 そこには未知の希望や、予想外の出来事、まだ見ぬ素晴らしいものが無限に存在し、そしてそのすべてがエコに見つけられるのを待ちわびている。

 そうエコには思えた。

 この瞬間、今までとても手の届かなかったもの――本の中にしかない、想像上のものでしかなかったはずの出来事が、エコの思いの届く距離、エコの足で行ける場所、エコの手で掴める確かな感触を持った。


 そしてエコに、今その無限の可能性をひも解く手段が与えられたのだ。


 エコの友人、タークによって!


 エコは上気し、感動と興奮のしずくで頬をしとどに濡らしながら、タークに向かって何度も何度もうなずいた。すべてに対する肯定だった。


「うん……、うん、うん……!!」

 エコはぼやけた視界の中、タークの顔を見るとそのまま立ち上がって、大空を仰いだ。


「うん……! そうだよ、ターク。わたしは……。わたしはタークと旅に出る。そして……そして……!」

 エコがまるで大空を掴むように、空を飛ぶように、自分を解き放つように――、両手を高く上げた。



「師匠を、探すんだ!」



「草原の商人・野外調理」




 エコとタークは、周りにちらほら木の生えた草原のはずれ部分を歩いていた。日はまだ高いが、もう数時間で日が暮れる。

「ねえ、ターク。これからどうするの? タークの故郷って、どこ?」

「ああ、……ここから見えるかな。ちょっと無理か……。エコ、あの木」

 タークがすこし離れたところにある一本の木を指さした。


「あれに上ろう」

「……?」

 エコと二人で、タークは木に登った。地上約15レーンまで上ると、タークが笑う。


「おお、ここからなら見えるな。エコ……」

 タークが手招きして、エコを自分と同じ視点にまで上らせる。エコはタークの胸に潜り込むようにして、タークのすぐ前にひょこっと頭を出した。


「あれだ。あそこが俺の故郷、【ツィーリィ・セフィーア】」

「へええ……!」


 木々の向こうはるか遠く、地平線のさらに向こう側に、巨大な、本当に巨大な台形の影がそびえていた。分厚い空気の壁に隔たれて、青々とその姿を落ち着かせる大きな影……。そのてっぺんは雲の天井に突き刺さり、エコの視界には収まらない。


「大きい山……! タークの故郷、あの麓なの?」

 エコがタークに目をやって、嬉しそうに聞いた。タークが目を伏せて答える。

「エコ、あれは山じゃない。あれは“木”だ」

「……えええ?」


 エコが再び視線を戻し、遠くにある影に目を凝らした。徐々に傾いていく日差しがエコたちを照らし、エコは思わず目を細める。

「“木”……っていうの、本当? あれ、何レーンあるの……」

「さあぁ、な。誰も知らないよ。あの木は【御樹≪おんじゅ≫】といって、あの巨大な木全体が一種の聖域になっているんだ。俺はあの郊外で生まれた人間というわけだ」

「あんなすごいものがあるなんて知らなかった……」

「家にあれだけ本があるのに、知らないのか?」

「うん。【御樹≪おんじゅ≫】なんて見たことがない。師匠だって言わなかったよ」

「ふうん」


 タークはあれだけ有名なものをエコが知らないということに違和感を覚えたが、エコに常識が当てはまらないことはよくよく分かっていたので、それ以上、なにも言わなかった。


「これから、あそこを目指すわけだ。分かりやすいだろ? その途中で、二つの街に寄ろうかと思っている。師匠も、人気ひとけの多い街でなら情報が掴める可能性が高いだろうからな」


「楽しみだな~……。これからどんな事が起こるんだろう。ねえターク、街ってどんなところ?」

「人がたくさん居て、それぞれいろんな仕事をしているところ……とでもいうのかな。まあ、歩きゃ着くよ。エコの目で見て、どんなところか感じてみるのがいい」

 タークがなんとも責任感のない答えを返す。エコが嬉しそうに「うん!」とうなずいた。

「ねえ、ターク。こっちに人が来るよ。二人いるみたい」

「本当だ。どうやら行商人みたいだな」

 二人は木から降りると、人が歩いてくる方向、自分たちが歩いていた方向に道を歩き出した。


 行商人の一人はがっしりとした体躯の大柄の男、もう一人はにこにこと笑っている丸顔の男性た。がっしりとした大男は、丸顔の男性よりも若く、多くの荷物を背負っている。帯刀しているので、どうやら荷物持ち兼ボディガードらしい。

 行商人はエコとタークに気が付くと手を振り、お互いの表情が分かるくらいの距離まで来たところで話しかけてきた。


「こんにちはー! 旅人さんですかな?」

「こんにちは!」

「こんにちは」

 エコが大声であいさつを返し、タークも軽く手を挙げてあいさつする。

「食料、水などご不足の物資はありませんか?」

 行商人が如才なく尋ねる。正直足りないものだらけだったが、タークはひとまず目を伏せて手を出し、『大丈夫』と伝えた。


「この道の先で、【ヒカズラ平原の人食い魔獣】が出ました。ここの先に行くのなら気を付けてください」

 タークが告げると、行商人の眉が固くなる。

「本当ですか。ありがたい情報です。実は、我々は隊商を組んでおりまして、あのような魔獣に襲われればひとたまりもありません。本当に助かります。ありがとう」

「『たいしょう』ってなに?」

 エコが即座に聞く。タークが答えようとしたら、行商人がにこっと笑って答えた。


「『隊商』っていうのはね。街と街の間を旅して商売する人たちの集まりのことだよ、お嬢ちゃん。失礼ですが、あなた方はご兄妹ですか? 魔物にはお気を付けなさいよ」


「ええ、そのようなものです。つい昨日、事情があって旅をすることになったのですが……実はほとんど必要なものを持っていなくて。もし可能なら、水と何か食べ物を分けていただけると助かるのですが」

 タークがダメ元で頼むと、行商人は笑顔になった。

「そうでしたか。ええ、ここで会いましたのも何かの縁です。どうです、今夜は野営でしょう? この先に魔獣がいるというなら、私たちは本隊に合流するため道を引き返しますから、食事と野営を一緒にしませんか? 見張りも分担できますし」

「それはこちらも助かります」


 タークと行商人が握手をした。エコは事情がよくわからず、きょとんとしていた。


 日が落ち、夜になった。

 四人は、魔物の多いヒカズラ平原で夜を明かすことになる。昼間行動するように定められた人類にとって、夜は最も危険の多い時間帯だ。凶暴な魔物には夜に行動する生き物が多く、彼らにとって暗い中での視界が聞かず動きも鈍る人間という動物は、格好の餌食になる。

 行商人がたきぎを星形に組んで火を起こし、寝るための天幕を張った。タークは自分用の寝袋一つしか持っていないのでそれをエコに渡し、自分は黒い外套に身をくるんだ。幸い、まだ夜もそれほど寒くはない。

 行商人は商品でもある食料をエコとタークに分けてくれたが、タークも直前に見つけた数匹のネズミとイタチをふるまうことが出来た。エコが興味深そうにその調理を見つめる。

 タークが手早く皮を剥ぐ。小刀を皮と肉の境目に指し込み、結合組織を切りつつある程度開いたところで、靴下を脱がすように皮を裏返していく。

「きれーい。皮はどうするの?」

「なめしてもいいんだが、別に要らないしな。捨てる」


 行商人は、持っていた携帯食料にいくつかの調味料を加えて粥を作っていた。

「これは“メッセブ”、発酵調味料の一種で、マメと灰、塩が原料だ。これはペッパーさ。辛いが殺菌作用があって腐らないし、寒いとき重宝する。ロレルは知っているかい?」

 興味津々に見ているエコの質問に、楽しそうに答える行商人。

「ロレル? あ、知ってる知ってる。うちではローリエって呼んでた。 これはコリアンダー?」

「ははは、そうっかあ。私は地方の生まれでね。仕事で訛りことばは直したんだが、食材の呼び方がなかなか直らない。私の方では、これはパックチーと呼んでいた。こっちじゃコリアンダーっていうんだね」


 タークがその辺の木の枝を削って串を作っていると、それを見ていた行商人の用心棒が突然タークを静止した。

「まて、ちょっとその枝見せてくれ」

「ん? ああ」

 タークが枝を渡すと、用心棒はそれを調べてタークに注意した。

「おいおい、これはあの獲物を刺すための串だろ? 気を付けてくれ、キョウチクトウの枝だぞこれは」

「まさか毒のあるやつか?」

「ああ。これで串焼きを作って食って死んだヤツ、知ってるよ。この辺、この木が多いんだ。俺が串を作るから、肉に塩でも振っておいてくれ。おやっさんに借りてきた」

 そういって、用心棒はタークに味付け用の塩と香辛料をくれた。タークは調味料を何も持っていなかったので礼を言って受け取る。


 携帯用の小鍋に、行商人特製のお粥が出来た。

 用心棒が削ってくれた串に刺した肉を、タークがこんがり焼き上げた。

 決して量は多くはないが、旅の途中ということを考えればしっかりした夕食だ。


「エコ……“俺の妹”を知らないか?」

 行商人と用心棒が首を振る。

「えっ、どこかへ行ったんですか? 危ないですよ」

「お手洗いにでも行ってるのでは?」

 タークが心配して探しに行こうとした瞬間、エコが姿を現す。

「どこ行ってたんだ?」

「ごめんごめん、これを取りに行ってたの。暗いから時間がかかっちゃった」


 エコが、手で後頭部を掻きながら謝る。服を大きなポケットのようにして、そこに何かを入れていた。めくりあげた服の下、白い腹が見えている。

 エコはしゃがむと、服のポケットからよく熟れた果実をいくつも取り出した。

「これはすごい。こんなものが成ってたんですか?」

「うん。あと葉物もとってきたから、サラダにしよう」

 メニューにサラダとフルーツが追加される。一同、いろいろ情報交換をしながら食事をした。

 タークは人里にあまり近づかなかったし、春から三か月ほどエコの家にいたので、知らない話も多い。ただ情報流通の遅いこの社会では、支障が出ることは特にない。街で何が流行っていようと、タークには関係ないことだ。


「あなたたちはどこへ行くんですか?」

 行商人がタークに尋ねる。

「まずは【トレログ】へ。人を探しているんです。この子の師匠なんですが」

「ほお。どういった人物なんです?」

 行商人は興味深そうに聞いた。エコとタークが答える。

「そうですか。込み入った事情がありそうですね。私も、あいにくその人物は知らないと思いますが……」

「静かに。なにかいます」

 用心棒が辺りを伺った。手で、エコたちに『動くな』と合図する。エコも辺りを見回した。暗闇の中、二つセットの光点がちらちらと映る。焚火の光を映す、生物の目だ。こちらを見ている。


「【ギズモゥブ・タコリ】か……?」

「いるか……」

「困りましたね……」

 タークも警戒を強めた。緊張をしつつ、四人は急いで食事を平らげた。【ギズモゥブ・タコリ】はこちらの様子を伺うだけで、距離を保ちながら辺りを取り囲んでいた。


【ギズモゥブ・タコリ】はイヌに似た外見を持つ肉食獣だ。鼻が利き、高度な社会性をもち、集団で狩りをする。肉なら何でも食べ、人を襲うことも珍しくない。なにより、一度目を付けられるとしつこく追ってくるので有名だった。



「追い払う?」

「難しいな。何頭いるか分からないし、焚火から離れたら集団で襲われるかもしれない……」

 用心棒が慎重に言う。

「……魔法で追い払えるか?」

 タークがエコに聞いてみると、エコはうなずいた。

「うん。やってみていい?」

「ええ?」

 行商人が驚いてエコを見る。エコはすでに立ち上がって杖を構え、詠唱を始めていた。

「ま、魔導士さまで?」

 タークに尋ねた。

「ああ、そうなんです。魔法が使えるんですよ」

「まさか……。確かに、杖は持っているけれど……」

「『フレイム・ロゼット』!」


 エコの杖の先に、多少小さめの火球が作られている。魔物のおびえる気配が、伝わってくるような気がした。


「はっ!!」

 エコが杖を振り下ろし、脅しのつもりで魔物の方に火球を投げた。


 着弾点ですさまじい爆炎が上がり、魔物たちはクモの子を散らすように方々へ逃げて行った。猛烈な炎が上がり、辺りが昼のように明るくなる。


「強すぎだ! 燃え広がるぞ!」

 タークがエコを諫める。

「だー、しまったあ!『ウォーターシュート』!!!」

 エコが、今度は水の球を連射する。その度すさまじい水しぶきが起こり、激しい音と共に蒸気が立ち上った。一発ごとに一気に火の手が収まる。エコの息が上がる頃には火事は収まり、魔物は影も形もなくなっていた。

「ぜい、ぜい、ぜい……はーー、よかった」

 行商人と用心棒は絶句していた。こちらに飛んできたしぶきで髪が濡れていなければ、夢かと思ってしまいそうなことが起こったのだ……。





 翌朝。


「昨夜はありがとうございました。これ、お礼も兼ねてというとなんですが、魔導士様に使っていただければ幸いでございます」

 エコとタークが起きると、朝日に照らされた行商人が頭を下げて物資を捧げるように持ち、エコに言った。

「ありがとう!」

 エコが、あけすけに礼を言って受け取る。

「いえいえ、助けになれればうれしい限りです。旅のご無事をお祈りしております。さようなら」


 別れはあっさりしたものだ。昨夜の出来事がよほど驚かれたらしい。と同時に、あの後……タークは行商人が明らかにこちらから距離をとったのを感じた。タークが脇を見やる。

 そこにはエコが燃やして火を収めた、焼け焦げた草原の姿があった。昨日は闇で見えなかったが、黒焦げの焼死体が数頭分転がっている。角の生えた犬のような姿。【ギズモゥブ・タコリ】だった。


 魔導士は、気まぐれに他者を振り回せる。昨日のエコの魔法を見ても分かるように、行使できる力の強さがケタ違いなのだ。

 魔法が使えるか否かで、人間として、生物としてできることに差がありすぎる。


 通常、【ギズモゥブ・タコリ】に目を付けられれば旅人はそれに対策するのに命がけになる。

 時には火や罠を使って追い払うのに一週間以上かかり、武器を持った人間でも複数に取り囲まれればたちまち食い殺されてしまう。今回のように少人数であれば、全員【ギズモゥブ・タコリ】の腹の中に納まっていてもおかしくはないのだ。


 しかしエコは一人で、しかもたった一発の魔法でそれを解決してしまう。

 エコはそれに気が付いていないし、魔法が使えるのが生まれつきなので特別それをひけらかしもしない。だが行商人にとっては、【魔物】と同じく【魔導士】も危険なのだ。一度印象を悪くすれば、商売が出来なくなってしまう危険すらある。


「しょうがない、とはいえ。これから大変なのかもな」

「んん? どーかした、ターク」

「いや、貰った物資に食料も水もあったよ。何日かはこれでもつ。ありがたいことに、新品の寝袋までくれた。ありがたく使わせてもらおう。エコは今日からこれで寝るといい。なかなかいいもんだぞ」

「ええ~、わたしタークの寝袋がいいな。タークのいい匂いがするのに」

「はっ」

 エコがなんとも言いようのないことを言うので、思わずタークが鼻で笑った。


 空は快晴、遠くには【御樹≪おんじゅ≫】の巨大な樹影が見える。



 西の空に雲があるが、雨が降り始める前には木の生い茂る森林地帯に入れそうだった。



森の中の白い家


 ――その翌日。エコとタークは【石の街トレログ】を目指し、【ヒカズラ平原】の周囲を覆う広大な森を横切っていた。

 突然のことでまともに準備が出来なかったので物資が足りず、持ち物には食料も水も、生活用品もない。行商人に貰った食料は少しあるが、それからのアテはなかった。


 どうにかして、食料と水を確保しなくては……。と思ったが、すぐにそのタークの心配が杞憂だと分かる。


「エコ、これから、俺たちは常にどうやって水を確保するか、意識してなくちゃならない。涼しくなってきたとはいえ、まだまだ暑い。汗でどんどん水分が失われてしまう。旅で一番怖いのは脱水になることだ」

「水なら出せるよ」


 エコは言うが早いか、手のひらの上に水を出して見せる。

「!!??」

「これをこのまま飲もうと思ったことはないけど、飲めるはず。でも、一度蒸留した方がいいかもしれない!」


「いいぞ! 次に食料の問題をどうするかだが……」

「あ、わたしね、さっき食べられる木の実を見つけたよ。小さいけど」


 エコが手のひらに乗せていたのは、チグミの実と言われる赤い木の実だった。果肉はそのまま、種子は炒って食べられる優秀な食べ物だ。しかし大多数の果実がそうであるように、収穫できるのは秋口の一時期に限られる。


「そうだな、道中でこういうものを少しずつ集めながらなんとか食つなぐしか……」

「え? これを増やせばいいじゃん」


 タークが口元に手を当てると、エコが悩みをナタで切るようにすかっ、と答える。エコが手のひらを裏返すと、足元にチグミの実が落ちた。


「『グロウ』!」

 エコが魔法を唱える。すると、とんでもないことが起こった。

 赤々としたチグミの実から、果肉を破って瞬く間に白い根と茎が伸び出で、小さな双葉を開くとともに急速に伸びあがった。

「……!?」

 みし、みしと身を震わせながら、チグミは次第に幹を形作り、枝を伸ばし、その先にどんどん葉をつけた。そして、ついに花を咲かせ、どういうわけか実をつける。そこで成長が止まった。

 つい今までただの小さな小さな一粒の実に過ぎなかったものが……、若木となって実をつけている。エコがさっそく、手ごろな高さに育ったチグミの木から赤い実を摘みだした。


(これが魔法なのか……!!)


 タークは驚愕した。

 こんなことが世の中に存在するとは、信じられなかった。生活に困ることのなかったエコの家では気が付かなかった、魔法のもたらす奇跡の威力。人間が生き残るために、魔法という技術がどれだけ重要か……。

 その恩恵を受けていただけのタークには、今の今まで本当の意味ではそれが分かっていなかったのかもしれない。


 思い返してみれば、昨夜エコが何処からか持ってきた野草や果物は、《《この方法を使って、あの場で作っていた》》のだ。

 が。それはそれとして、とりあえずこの役に立つ技術があれば、食料に困ることはなさそうだ。タークの悩みの大部分が一瞬にして解決してしまう。

「う~ん、楽だ」

 タークは腕組みをしながら、正直な感想を漏らした。




 空気の濃い森林に、踏みしめられた道が通っている。行商人に聞いた限りでは、木々を避けるようにして曲がりくねったこの道が、メインの街道につながる側路という話だ。

 方向的には合っているが、行きに通った道とは違うルートなので街道に出るまで安心はできない。

「すごいね~、ターク。図鑑でしか見たことない鳥がいっぱいいる」


 しんとした森の中、様々な鳥のさえずりが木と木の間を鳴り渡っていた。低木の枝をせわしなく飛び回り、メスを追う小鳥たち。

 タークは危険な獣や魔法生物がいないかばかりに気を割いていたが、しばし気持ちを切り替え、鳥のさえずりに耳を澄ませた。



「確かに、きれいな声だ」

「ターク、あそこに建物があるよ」

「本当か?」

 エコの言う方向に目を向けると、確かに、石膏を削ったように白い家が建っている。しかしその建物は侵食されて半ば森と一体化しており、壁は崩れて沢山の窓が開いていた。

 それでも、二人は興味からその小屋を訪ねた。


「ごめんくださ~い……?」

 エコが声をかけながら、暗い家の中をのぞく。

 家の内部は不気味に静まり返っている。壁に空いた無数の窓から光の筋から走り、床にぽつぽつと光点を落としていた。


 暗がりで、何者かの息遣いが聞こえた。


「誰か、いるみたい……?」

「なに?」


 タークが驚く。そして警戒を強めた。


「誰かいるんですか?」

 エコが一度、そう尋ねた。しかし、なんの返事もない。エコが魔法で火を起こし、部屋の奥を照らした。


「……?」

 それは、子どもだった。まだ小さい子ども。だがいずれも、人間ではない。角の生えた子ども、下半身が鳥のような子ども、大きな耳を持つ子ども……。まちまちの特徴を持った子どもたちが、丸まって床に寝ている。

「『人間もどき』か……?」

 タークがつぶやいた。異様な雰囲気が漂う。心なしか肌寒い。


「ターク、なんか様子がヘンだよ……」


 エコが中に進もうとしたので、タークが静止した。

「きな臭い。エコ、厄介ごとかもしれない。少し離れよう」

「え……でも……」

「行こう」


 エコの手を半ば無理やり引いて、ターク。エコがしぶしぶそれに従う。小屋から少し離れた茂みの影で、エコが再び立ち止まった。


「ねえ、ターク。あの人たち、どうしたの?」

「……分からないな」

 タークが口ごもると、人の話し声と、足音が聞こえてきた。小屋の向こう側から歩いてきたのは、帽子をかぶった男と小柄で髪の長い男の二人組が歩いてくる。


(あれがハンターか)

 タークが思う。

「あ、あの人たち……!」

 タークが反応するよりも前に、エコがその場に杖を置き、小走りで男たちに近づいていた。

「えっ……」

 タークは心底驚いた。警戒心がなさすぎる! まだエコには、善人と悪人の区別がつかないのだ!




「こんにちは!」

「……」

「……こんにちは、お嬢ちゃん」


 二人の男が明らかにエコに対して敵意を持った視線を向ける。


「あなたたちは、この家に住んでいるの?」

「はァ?」

 小柄で髪の長い男が、あからさまに不愉快そうな顔をする。帽子をかぶった男が小柄な男を右腕でサッと諫め、エコに笑顔を向けた。だが、目が笑っていない。腕には、何本もの傷跡が走っていた。


「お嬢ちゃん。お兄さんたちは、この家に住んでいるんじゃないんだ。お嬢ちゃんはどうしてこんなところにいるんだい?」

「わたしはエコ! タークと一緒に、旅をしてるの」

「ほう。それは大変だね。……『ターク』というのは、おとうさんかな?」


 帽子をかぶった男の目に、異様なぎらつきが走る。小柄な男が、エコを無視して小屋の中に入った。


「ターク……タークはおとうさんじゃないよ。でも大切な人。きっと家族みたいに」

「そうかい。おじさんたちは『フスコプサロの会』の魔導士だ。これからお仕事をしなくちゃいけない。お嬢ちゃんは、タークのところに帰りなさい」

「仕事って、なに? その小屋の中に小さな子どもがたくさん居たけど」

 エコの言葉を聞いた瞬間、男の表面の薄っぺらい皮が剥がれた。


「見タノカ……?」


 むき出しの悪意が、エコを射すくめる。エコはその男の表情を見て、本能的に拒絶反応を示した。

 恐怖。生まれたての赤子の膨らんだ肌にナイフを突きつけるように、エコの感情の表面に男の冷たい悪意が触れた。

 エコの背筋に金属の冷たさが走る。


「ミタンダナ。ナラバ……」

 男がゆっくりと手を上げる。エコは脚がすくんで、とっさに動けなかった。その瞬間、小屋の中から悲鳴が上がる。


「いやぁぁああ!!」

「うるせえ!」

 どすっ、と曇った音。同時に、引きつったようにして悲鳴が収まる。エコは我に返った。中に入った男が、目覚めた子どもを蹴ったのだ。

 エコが、飛び下がった。

「中で、何をしてるの!」

 帽子をかぶった男をにらむ。


「『人間もどき』のガキを黙らせただけだろ? お前も、知ってしまったからには逃がせなくなったよ。一緒に行くぞ、お嬢ちゃん。おねむの時間だよ」


 男が杖を取り出し、構えた。エコの体が熱くなる! ――この人たちは、人の嫌がることをして平然としている!

「『ウォーターシュート』ッ!!」

「がっ……は!」

 エコの放った水弾が、帽子をかぶった魔導士の男の顔面を強く打った。警戒していなかった頭部に激しい衝撃を受け、男の意識が飛ぶ。

「どうしたッ!?」

 小屋の中から、もう一人の小柄な男が飛び出してくる。事態を認めると、男は素早く腕を構えた。

「『ウォーターシュート』!」

「ぐっ!」

 エコの放った水の弾をかろうじて両手で防ぐと、小柄な男が杖の先から氷つぶてを放った。エコがとっさに体勢を崩して避ける。



「こいつ……! チッ!」

 男の顔がゆがんだ。もう一人が一瞬で倒されたことを見てとったのだ。その判断は一瞬で、一気に走り出した。

 エコに勝てないことを悟り、逃げ出したのだ。

「『ウォーターシュート』!」

 エコが男の背中に向かって容赦なく水弾を放つ。だが男は木々を挟むようにジグザグに逃げており、とらえきれない。

「ふんっ!!」

「ターク!」

 エコが後を追おうとしたその時、タークが飛び出して男を殴り伏せた。

 小柄な男は後頭部を地面に強かに打ち付け、そのまま動かなくなる。森は再び静かになった。



「ターク……この人たち、なんなの?」

「……こんなことばかりさ。エコの家は、場違いに平和だったんだ」

 タークが沈んだ顔をする。小屋の中では、顔を蹴られた翼の生えた女の子が、泣きながら眠っていた。なにかの術で眠らされているらしい。


「この子たちは、おそらくあの男たちに狩り集められた『人間もどき』だ。聞いた話だが、こういう子たちを攫って、一部の食通に売る商売があるらしい。集めて育て、適当に大きくなったところで屠殺して食べるそうだ」

「え……食べるの?」


 エコが振り向く。まだ小さな子供たちの寝顔と、『食べる』という単語が結びつかない。

「世の中には、意味の分からない連中がいる。食べるなら、なにも動物や昆虫、魚の肉でいいんだ。穀物や木の実や、他にも食べ物はいくらでもあるのに……。もの好きでこういうものを食べたがる奴がいるのさ。高いカネを払ってでもな」

「そういう人たちがいるんだ……」


 エコは戸惑った。先ほどの凍り付くような感覚。あれは、何だったのだろうか。

 エコは本能的に、それを避けようとした。今まで味わったことのない恐怖感だった。


 人の中にある、むき出しの『悪意』。エコはそれに、覆いのない純粋な心で触れたのだ。体の一番ソフトな部分に氷を押し当てられた時のような、逃げ場のない冷たさだった。


「ターク。どうしてそんなことをする人がいるんだろう? なんでこの子たちを放っておけないの? この子たちは、捕まって死ぬために産まれたんじゃないでしょ?」

「そうかもしれない。でも、思い返せばだれだってそうだし、昨日俺が獲ったウサギだってそうかもしれない。こう考えたって、堂々巡りだ。答えなんてありやしない」

「……そうだね。あるのは、目の前にあることだけか。この子たち、どうしよう? あの人たち、どうしようか?」

 エコが、小屋の入り口の前に目をやった。

「……いない?」


 タークがはっとする。入口の前にいたはずの、昏倒した魔導士が居ない。油断してとどめを刺さなかった自分を一瞬責めたが、エコの前で殺しをやりたくない自分もあって、タークは逡巡した。エコが小屋の外へでる。


「ふうっ、ふうっ。……」


 荒々しい息遣いが聞こえてきた。エコがそちらへゆっくりと顔を向けた……。


「ふう、ふう、ふっ。うふっ、うふふふふ」


 そこには、先ほどの魔導士が居た。逃げもせず、エコを見て笑っている。そして、エコの目に鮮やかな赤い色が映った……。


「これで、お前を超えたぞ~~。お前ら二人をひねり殺してやるう。……うふひひひひ」


 魔導士の手には、ナイフが握られていた。ナイフには血が付いていた。そしてその血は、男の右手首から、今も流れていた。


「なんで自分を傷つけるの?」


 エコの素朴な疑問が、そのまま質問される。魔導士が笑いながら答えた。


「『忌み落とし』……知らんか? 魔導士は、肉体を失えば失うほど、魔力が強くなるぅ……。試してみろ?」


『忌み落とし』。聞き覚えがあった。師匠の部屋の本棚に、そのことについて記述してある本が置いてあったのだ。

 魔法の力は、肉体の力と反比例する性質を持つ。体を鍛えると魔力は落ち、同じ量のマナを使って放つ魔法の威力が格段に落ちる。

 それとは逆に体の力の弱い者ほど、魔力は強くなる。


 この魔法の絶対法則は、その手段を差別しない。つまり、生まれつき体の弱い者も、《《生まれてから体が弱くなった者》》も、等しく『忌み落とし』の法則通り魔力を強めた。


 今目前の男がしていることの意味が分かる。男は今、手首を自ら切断することによって体の力を弱め、『忌み落とし』によって魔力を高めようとしているのだ。


「くらええぇ!!『バトイゥール』!」


 男の杖の先にこぶし大の石が作り出され、力をためるように震えた。そして、すさまじい勢いで打ち出される。


「うわあっ!」

 エコが、必死でそれを避ける。エコの背後にあった家の壁に、大きな石がめり込んだ。エコに直撃していれば、ただでは済まなかっただろう。

 エコはそのまま、家の中に入った。杖をタークが持っているのだ。致命的な隙が生じる。


「はあっ、はあっ、避けたか」

 男が息切れを起こしていたが、構わずそのまま第二の魔法の詠唱に入る。家ごとエコを破壊しようとしようというのだ。男の顔に脂汗が浮かぶ。手首の激しい痛みが、男を焦らせていた。

「次だ……!『スピニング・バトイゥール』!」


 先ほどより大きな石が、その場で回転しながら震えた。


「ターク、杖を早く! あいつ、魔力が強くなった!」

「なに?」

「巻き込まれるかも! タークは子供たちと部屋の隅に!」


 エコがタークに警告して部屋を出ようとする。その瞬間、すさまじい破壊音がして壁に穴が開いた。

「!?」

 エコが振り向くと、壁に人の拳より少し大きいほどの穴が開いており、煙を立てていた。空間を挟んで反対側にも、同様の穴が開いていた。


「ぜっ、ぜっ、はあ! クソ……! 貫通力が強すぎる!」

 男はさらに焦れた。強くなった魔力の制御が効かず、思い通りに小屋を破壊できない! 浅くなった呼吸が思考も浅くし、男は再び小屋に攻撃をかけようとした。しかし、そこにエコの反撃が来る。



 突如として男の眼前を覆った大火球、エコの『フレイム・ロゼット』に対して、男は咄嗟に分厚い水の幕を張る魔法を使った。


「やったか!?」

 エコが叫ぶ。魔法が相殺して、森を熱い霧が覆った! エコは殺気を感じて、小屋と離れる方向へ動いた。すると、更に石が飛んできてエコの居た位置を襲う。背後の木が次々と折れる。エコもわずかに息が切れていたが、走れないほどではない。


(さらに威力が増してる……!)


 エコは驚愕した。『忌み落とし』がこれほどすさまじいものだとは思ってもみなかった。徐々に力を増しているのは、おそらく男が出血しているせいだ。流れる血が多くなるにつれて、『忌み落とし』の作用も強く働き、魔力が強くなっているらしい。

 エコがさらにいくつかの魔法を躱すと、途端に攻撃がやんだ。

「『フレイム・ロゼット』!」

 エコが再び、先ほど男が立っていた地点に向けて炎の塊を放り投げた。さっきと同じように、蒸気が上がり、何かが倒れる音がした。


 ……それきり、攻撃がやんだ。



「…………ぜひっ! え、ひっ! ひ、ひい、ひ、ひ――っ」

「力に溺れて魔法を使いすぎだよ……」


 エコが男を見下ろして言う。男は右手首から血を流しながら、倒れ込んで喉を抑えていた。

「へぇえっ! ひいっ! ぜぁっ、げえ」

 男は喘いでいた。まるで陸に上がった魚のように、溺れている。魔法を使うリスク……。マナの消費と共に息が切れるリスクを甘く考えすぎた。典型的な愚か者の死に方。男の動きが徐々に弱々しくなる。

 呼吸をするにもそのためのエネルギーがいるが、マナの大量消費がそのエネルギーすら使い尽くしてしまった。当然といえば当然だ。考えなしにエコに仕掛けた攻撃、エコの魔法に使った防御の魔法。

 呼吸を回復させないうちに繰り返し強力な魔法を使って負債を返しきれなくなった魔導士の、これが末路だった。


――――


 この子たち、どうしようか……。



 まだ眠っている子どもたちを見て、エコが呟いた。置いて行くしかないさ、とターク。エコは葛藤したが、やがて呑み込んだ。二人はこの子たちを、少なくともあの二人の魔導士の手からは救ったのだ。

 それでよしとしなければならない。あとはあの子たちが、自分でどうにかしなくてはいけない問題だった。





 その夕方、エコが座っている近くの茂みで、バッタを食べているカマキリを見つけた。舐めるようにゆっくりと、バッタの頭を食べていくカマキリ。次の瞬間、俊敏な動きで、イタチがそのカマキリを捕まえる。


 そしてそのイタチを、鋭い石の一撃が捉えた。エコの横にいるタークが投げたのだ。

「イタチの肉は臭いがきついんだよな」


 言いつつ、タークが絶命したイタチを持ち上げて血抜きを始める。


 エコが今まで知らなかった世界。命は常に生き、常に死に続ける。この短い期間で、エコも何度も死にそうになった。

 フィズンと戦った時、魔獣に襲われた時、今日の昼、魔導士と争った時。エコが生きているのは、ただ運がよかったからに過ぎない。


 生きるというのは、そうなのだ。歩く先にある死の落とし穴を運よく避けて、自分たち以外の命を殺し、その死に感謝しつつ生きる。

 その死には清浄も汚濁もない。ただ現実としてあるだけの死。思った以上に厳しい自然界の摂理に、エコはただ心配するばかりだった。



「師匠は……生きてるのかな……」

「……分からないな。でも、師匠が死んでいるとしたら、どうする?」

「……生きてると思うけど、死んでいるとしたら……」


 エコが息を呑む。師匠が死んでいるなどと、考えるだけで口が渇く。

「それを確かめたい。……」

 やっとそういうと、タークが特に様子を変えることなく答えた。


「じゃあ、やることは変わらないじゃないか。ただ、旅をして師匠を探すだけだ。あまり先のことに思いを巡らせても意味がない。暗闇に目を凝らしても、ただ暗闇がもっと深く見えるだけだ。先のことはいつも真っ暗闇さ」


「そっか。心配してもしょうがないね……。ありがとう、ターク」


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