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テスト用  作者: 愛餓え男
15/35

エコ魔導士 令和版

第一話 出会い


 緑一色の世界の中、タークは思いがけない光景を見降ろし、絶句していた。



 時刻は正午。訳あってあてどない旅をしている長身の男タークは、いかにも旅人らしい大げさな黒い外套マントから浅黒く日焼けした太い腕をのぞかせ、渓谷のように深い相貌の奥の瞼まぶたをこすった。それほどまでに、眼前に見える景色は信じがたいものだった。


 だが改めて目を開けてみても、やはりそれはそこにあった。



 それは盆地の底に建つ、緑の切妻屋根をもつ一軒の家だった。家の周りには畑があり、玄関先には色とりどりの花が咲いている。



 ここが『エレア・クレイ』や『トレログ』のような大都市だったのなら、タークとてこのような光景には驚かない。


 しかしここはあらゆる都市から離れた未開の地、【ヒカズラ平原】の奥地だ。辺りには人を寄せ付けない野生の王国が広がり、危険な魔法生物まほうせいぶつ――【魔物】が跋扈ばっこしている。



 怪しい、と思いつつも、タークは吸い寄せられるようにその家へと足を向けた。



 ここ【ヒカズラ平原】は人界のはずれに位置する、広大な平野だ。


 血管のように枝分かれを繰り返しながら草原を区切る何本もの川の流れと、限られた面積を競うように生い茂る背の高い草木、惜しげもなく降り注ぐ、さえぎるものの何もない太陽の光。



 この恵まれた土地には複雑な生態系エコシステムが築かれており――――そしてその頂点に君臨する生物は、人間などではなかった。



【魔物】。



【魔導士】たちが生み出した、人に害をなす生物たち。作り主によって無造作に放逐された彼らは、やがて既存の生態系に割り込み、自然界の中に自らの居場所を創り出した。


 強力な生命力を持つ彼ら【魔物】は、生きていくためにあらゆるものを血肉にする。そして、その中に人間が含まれることも珍しくなかった。




 タークが驚いた理由は、まさにそこにあった。こんな魔物の多い土地に、あんなふうに人が住むなど考えられない。



 人間の作る住環境は魔物たちにとっても魅力的だ。瞬く間に家は襲われ、住民は食われ、作物は瞬く間に蹂躙じゅうりんされる……はずだった。


 この世界は新陳代謝が激しい。大都市のはずれにある小村が、何かのはずみですぐにそうやって滅びるのを、タークは何度も見てきた。




 ――もし【ヒカズラ平原の人食い魔獣】のような超大型の魔物に目をつけられれば、あんな家は一瞬にして壊されるだろうに。



 そんなことを考えつつ、タークは急斜面を下り、家のわきに広がる畑までたどり着いていた。


 午後の日差しを浴びて、瑞々しい野菜が育っている。屋根に生えた煙突から煙が上がり、なにか食べ物の焼けるいい匂いが漂ってくる。柵や壁の類は一つもない。あまりにも無防備だった。



 依然として、危険の気配はない……。だがタークは気を抜かず、慎重に歩みを進める。外套の下、腰に下げた大刀だいとうに手をかけた。



 玄関に着く。木製の素朴な玄関扉は、なぜかのんびりとした印象を与える。どうしたものかと考えあぐね、ようやく意を決してドアを叩こうとした瞬間――背後から唐突に声がした。



「こんにちはっ!」


「っ!?」


 タークが驚き、振り返る。そこにいたのは、みずみずしい鮮緑色の髪を持った、十代半ばほどの女の子だった。オレンジ色の大きな目に低い鼻、まだ幼さの残る顔立ちに好奇心にあふれた笑顔を浮かべて、タークを見つめている。



「私はエコ! あなただれ? ここに人が来たの初めてだよ!」



 エコと名乗った少女は、後頭部で結った髪をリズミカルに左右に揺らしながら、仔犬のように無警戒に、タークのもとへ近寄ってきた。


「お、俺は……、」


 タークが歯切れの悪い返事をする。もう手が届くほどの距離まで近づいてきた少女へと向き直った。


「ねえ、名前は?」


「俺は、ターク……ターク・グレーンだ」



 名乗りながら、タークは女の子と真正面から向かい合っていた。腰の武器にかけていた手が、知らない間に離れていた。




 少女の名はエコ。


 男の名はターク。




 この二人の出会いは、小さな出来事だったかもしれない。


 だが、どんなに大きな出来事も、はじまりはほんの些細なものに過ぎないのだ。




第二話 少女エコとおいしいスコーン



 タークは困っていた。

 

「ターク・ターク・グレーン? 長い名前だねぇ」

「え? いや、ターク・グレーン。タークが名前でグレーンは苗字だ」

「みょうじ? なにそれ?」

「んん?」

 

 エコという少女には、苗字ファミリーネームがないらしい。

 確かに苗字がない人は街にもザラにいるが、エコの場合はそもそも『苗字』という概念を知らないようだ。

 

「苗字というのは……家族全員に付く名前だ。名前だけだと、どこの家の人か分からないからな」

「かぞく?」

「家族も分からないか……、うーん」

 

 これにはタークも参る。

 

「まあいいや! 名前はタークなんでしょ? ならタークって呼べばいいよね! ちょうどお茶にしようと思ってたんだよ。一緒に飲もう、ターク!」

 エコは苗字に関心があるというより、呼び方を知りたいだけだったようだ。


「いや、しかし……ここにはほかに人がいないのか? 大人は?」

 

 タークが疑問を呈する。まさか、この少女一人しかいないわけがない。勝手に家に入って、面倒事になるのは嫌だった。

 

「いないよ! 師匠がいたんだけど、一年前いなくなっちゃった……」

 

 そう言ったエコの笑顔が急にしぼみ、泣き出しそうな表情になる。タークは驚き、なんとか話題を変えようとした。


「そうか。ということは君がひとりで留守番をしていると?」

「うん。師匠が帰ってくるまで待っているようにって言ってたから。とにかくお茶にしようよ! わたし喉かわいた!」

 

 不信がぬぐい去れたわけではないが、タークはとりあえず家の中に入れてもらうことにした。エコと話しながら辺りの様子をそれとなくうかがっていたが、人の気配は全くない。いくらかの虫と鳥の声がするほかには、静寂そのものだ。

 

 エコがドアを開けた。すると同時に外で嗅いだ、食べ物の焼ける香ばしい匂いが噴き出してくる。タークの口が湿る。


 家の中を見回す。それなりに広い板敷の室内に、二人暮らし用の家財道具が一揃い整えてあった。

 エコは入ってすぐ脇の大きな水がめに、汲んできた水を流し入れた。その隣には立派なレンガ造りのかまどが置いてあり、そこにポットが置かれる。


「ターク、そこ座って待ってて。いまお茶沸かすから……」


 エコはそう言いながら、手に持った水桶からポットに水を注ぎ始めた。タークは言われた通りに部屋の中央にある椅子に腰かけ、部屋のそこここに視線を旅立たせる。

 

 十歩で端から端まで渡れるほどの、それほど広くはない部屋だ。家の大きさからして奥に続く扉の向こうにまだいくつか部屋がありそうだが、多分この部屋が最も大きいのだろう。部屋の四方には窓が切ってあり、エコの立つキッチンの向こうに畑が見える。


 部屋にある家具はいたって普通のものだったが、天井からぶら下がっている緑色の丸い物体が、タークの関心を強く引き付けた。

「……?」


 テーブルの真上にあるその丸い物体は、表面は磨かれたようにつるつるだが、曇っていて中は窺えない。触ってみると、思ったより軽い。

 見ても触っても全く用途が分からず、タークは何かの飾りだろうと一人合点する。


「お茶が入ったよ!」

 タークの前に二つカップが置かれた。エコが淹れたのは薬草茶らしい。さわやかで落ち着く香りが、タークの鼻腔に漂ってくる。

「ありがとう」

 タークはお礼を言って、カップを持ち上げる。エコが真向かいの椅子に座った。


「君は、なんでここに住んでるんだ? ここに魔物は来ないのか?」

「魔物?」

 エコが不思議そうに首をかしげる。


(魔物を知らない……?)

 タークはますます分からなくなった。この【ヒカズラ平原】のど真ん中に住んでいて、魔物を知らないなんてことがあり得るのだろうか。

「ここには畑があるだろ? だったら、大なり小なり魔物の……例えば、【パルパポキア】や【ギャルタルゲ】の被害を受けてるはずだ。家で肉を焼いたり料理したりするのなら、【ギズモゥブ・タコリ】あたりが集団で嗅ぎつけてきてもおかしくない。聞いたことないのか?」


「えー、知らないな……。ねえ、タークここに住む?」


「なに?」

 タークが驚く。

「住まないの? あ、そっか……タークはどこからか来て、どこかへ帰らないといけないんだ……。ずっとここにいるわけってわけには、いかないはずだよね」


 エコが気づき、寂しそうにお茶をすする。


「いや、俺は……。――エコって言ったな。君はここから……、もしかして、外を知らないのか?」

「外……。わたしは生まれてから、ずっとここで暮らしてるよ。家の外には出るけど、あんまり離れたことはない。山の向こうから先には行くなって、師匠に言われているから」

「山の向こうね……」


 タークがつぶやき、お茶に口をつける。


【ヒカズラ平原】には、ある特殊な地形が存在している。【リング・クレーター】と呼ばれる、隕石の落下によって形成された円形の盆地だ。


 その規模はまちまちだが、大きなものでは直径6.000レーン(1レーン=約1m)にも達し、内部の高低差は1.000レーンに及ぶこともある。



 タークの見たところ、このエコの住んでいる家はまさしく【リング・クレーター】という地形の内部にある。盆地は満遍まんべんなく『リム』という稜線で取り囲まれているので、『山を越えたことがない』ということは、『この盆地の外に出たことがない』ということを意味する。

 

「もう焼けたかなあ」

 熟考するタークをよそにエコが席を立ち、かまどの下に設けられたオーブンのふたを開けた。その上のレンジではお湯が沸いている。オーブンにくべた薪が、そのまま上のレンジを温める熱源になっているのだ。


「焼けてる焼けてる! できた!」


 エコはオーブンの中身を木の皿に乗せ、そのままタークの前に置いた。

「こ、これは……っ!」

 思わずタークの口から声が漏れる。

 

「スコーンだよ。ターク好き? ほらこのベーナクリームを塗ると、おいしいよ」


 エコは戸棚から植物油と蜂蜜を練って作った調味料、『ベーナ・クリーム』の入った容器を出した。クリームに練り込まれた柑橘類をはじめとする香辛料の香りが、ますますタークの食欲を誘う。

 

「いただきます……」


 タークは高ぶる気持ちを抑えつつ、熱いスコーンにベーナ・クリームをひとさじ塗り、かぶりついた。タークは、思わず目を閉じた。


 熱々のスコーンから立ち上る焼いた小麦の薫りと、ベーナ・クリームのねっとりとした舌ざわり。芳醇な甘みと、それを引き立てる生地のほのかな塩味がタークの口内で複雑な調べを奏で、幾度もリフレインした。


「うまいっっっ!!」

 タークが叫んだ。


「こんなうまいもの……!! エコ、これは君が作ったのか!!?」

「う、うん……」

 突然目の前で大声を出され、エコは驚いていた。タークは感動のあまり、我知らず涙を流していた。


 ――ある事情で旅に出てからというもの、タークの食生活は貧相だった。


 道中の食事はシイの実などの木の実、山菜類、または植物の根っこや昆虫などをごった煮のスープにして摂ることが多く、それに時々、捕った小動物や魚が入る程度だった。


 街に立ち寄っても余計に使えるお金はなく、すべてを衣類などの生活必需品と水と塩、小麦を焼きしめたまずい保存食クラッカーに費やす。レストランから漂う肉や魚の焼けるおいしそうな匂いにつられ、何度食い逃げをしようと思ったことか。

 

 もちろん、超高級品である砂糖や蜂蜜など目にも出来ず、ここ数か月、甘いものは一切口にしていない。


「すごいな……。こ、この食べ物には、もしかして蜂蜜とバターが……蜂蜜とバターが入っているのか?」

 タークが、目から流れる涙をぬぐおうともせずエコに尋ねる。その様子に、エコも感動していた。

「うん。こんなに喜んでもらえると思ってなかった。うれしい!」

「しか、しかし……、まさかエコ、ここではヤギを飼ってるのか? 蜂も?」

「うん、いるよ。裏を見てみる?」



 二人は流しの横にある勝手口から外に出た。畑を見渡せるベンチの脇を通って、果樹の植えてある裏手に回る。そこに二匹のヤギがいた。一頭はお乳が大きくてぶち模様があり、もう一頭は角が長くて真っ白だった。


「アラミミとコルダンていうの。アラミミが男の子で、コルダンは女の子。で、この間生まれたのが、あそこに座ってるプヨちゃん」

 そう言ってエコがヤギ小屋の奥を指さした。小さな黒ヤギがすやすやと眠っている。

「本当に家畜がいるのか……」

「あそこにあるのが蜂の箱だよ」

 エコが再び指で示す。大きな木の箱の周りを、たくさんの蜂が旺盛に飛び交っていた。


「そうか……、ミツバチまで……」


 それから、エコに畑とハーブ園、果樹園を案内してもらう。畑には数十種類の作物が育っており、果樹園には果樹に加えて香辛料のつるや草が生えていた。畑や果樹園の中を、放逐されたガチョウがのんきに歩き回っていた。


 タークの疑念が、ますます強くなる。


(なんでこの環境に魔物が来ないんだ……?)


 通常魔物はどんな貧相な土地であっても……土を耕した瞬間に、家畜を持ち込んだ瞬間に、小屋を建てた瞬間に――その収穫を横取りしようと狙ってくる。


 土地の養分を残らず吸い尽くし、あっという間に増えるウネ科植物の魔物【ギャルタルゲ】。

 何処からか飛んできてあらゆる作物に取りつき、病気を蔓延させる悪魔のアブラムシ【パルパポキア】。

 住居に住み着きあらゆる食物をあさる、繁殖力旺盛なネズミの魔物【ニルフランケット】。


 そして、さらにそれら小型の魔物を狙う捕食者クラスの魔物が人間の生活圏を侵すと、ひ弱な人間たちはそこで暮らすことができなくなる。



 エコとタークは家の周りを一通り見た後、もとの部屋に戻った。

「ごはん作るから、待ってて!」

 うれしそうにエコが笑う。当初はすぐに旅立とうと思っていたタークだが、その疑いのない笑顔に後ろめたく、とてもそんなことを言い出せない。

 ――そして、タークは内心、夕飯がこの上なく楽しみだった。




「ターク、ご飯だよ!」

「あう……、おう」

 タークはいつの間にか椅子にもたれかかって寝てしまっていた。

 しかし部屋中に漂う素晴らしい匂いを嗅ぐと一瞬で目を醒まし、その光景に目を疑う。


 まず、木製のトレイにパンが置いてあった。小麦粉のふすま入り発酵パンで、かまどで炙ってあり、湯気を立てている。とてもおいしそうだ。

 メインは大皿に入った野菜の煮込み。入っているのはトマト、玉ねぎ、芋、ニンニク、キノコ、その他香草類。

 さらに、葉菜とナッツ、幼虫とさなぎが数種類盛り合されたサラダ。新鮮な野菜は、都市部でもそうそう食べられない。

 ドレッシングは塩、油、玉ねぎ、こしょう、発酵調味料を合わせたもので、甘味と塩味の程よいバランスが食欲を誘った。


「すごいもんだ……。エコは毎日こういう食事をしているのか?」

「ううん、タークに喜んでほしかったから普段よりたくさん作ったの。早く食べて!」


 タークはその純粋な気持ちに胸を打たれ、感動しながらもとりあえず野菜の煮込みに手を出した。


 木のさじでひとすくい、スープを舌に乗せる。ヤギバターでしっかりと炒めた玉ねぎの甘味と、野菜の出汁、トマトとキノコとニンニクのうまみが複雑に絡まりあい、すでに至福の味だ。

 続いて、パンをひとかじり。

 発酵パン特有の酸味と、噛み応えのある触感、豊かな薫りが途切れることなく口の中に広がり、噛みしめるほど新たな光が見えてくるような、深い味わい。


 タークはエコに向かって親指を立て、うんうんと何度もうなずいた。目からは輝くものが零れ落ちている。

「あははは! やったぁ!」

 エコが手を叩いて喜んだ。


 タークは、今までの食事に思いを馳せる。

 ――かまどやフライパンのようなきちんとした調理設備もなく、調味料はわずかな塩のみ、保存や重量の問題から、持ち運べる食材には限りがある……旅を続けていると、こういうきちんとした料理はめったに食べられない。


 目を閉じてゆっくりとパンを咀嚼する間、タークは今朝食べたものを思い出していた。


「うますぎる……。エコ、俺が今朝何を食べたか分かるか?」

「う~ん、パンとスープとお茶だけとか?」

 エコが笑いながら答える。

「旅の食事というのは、そういうレベルじゃない」

 そう断った後、タークは今朝の食事内容をエコに話し始めた。


 まず、半分カビてしまった固焼きクラッカーをナベに入れ、お湯で溶かして作った粥。少しだけ入れた塩以外に味はなく、古い小麦粉のすえた臭いがして、吐きそうになりながら食べた。

 続いて、数日前に捕まえたウサギの干し肉の余り。塩に余裕はないため塩漬けが出来ず、持っていた酒をかけて応急処置的に防腐していたのだが、少し匂ったので焦げる直前まで焼いて食べた。

 あとはその辺にいたバッタとムカデとクモの炙り焼き。


「うわ~、私もたまにパンを焦がしたりカビさせたりすることはあるけど、おいしくないよね!」

「携帯用のクラッカーというのは、こんなうまいパンじゃないんだ。発酵させないで、古い小麦粉を水で溶いてそのまま焼くだけだからな。塩もほとんど入ってないから味もない。街に寄ったのがかなり前だから、もう塩の手持ちが少ないんだよ」


 そう言いながらサラダを食べるターク。


 とれたて新鮮な葉物野菜の歯ごたえの良さが何ともいえない。

 そして野性味あふれる強い味に負けず劣らず、かえってその味を引き立てるような絶妙な塩味のドレッシングが絡み、野菜のうまみを存分に活かしている。

 ナッツのカリッとした触感と、茹でたエビのようなゴミムシの幼虫とさなぎの肉感が混ざりあって、いくら食べても飽きが来ない。


「うまいなぁ……」

 タークがそう言うたび、エコはうれしくて回数を指折り数えた。しかしすぐに両手の指では全く足りなくなり、左手を十の位にして三十くらいまで数えたところで、頭がこんがらがってやめてしまった。



 食事が終わり、エコとタークはけだるい午後の幸せなお茶の時間を過ごした。タークが窓から空を眺める。

 日が沈みつつあり、室内が次第に暗くなってゆく。夕暮れの赤みを帯びた光が、空に漂う雲の筋から次第に引き始めるころ、背後でエコの声がした。


「点けっ!」


じじじ……っ、と火花が散るような音がして、閃光がほとばしった。タークが振り返る。


「っ!」

 とっさに、タークが手で閃光から目を守る。閃光はすぐに収まり、鈍い光になった。

「なんだ……!?」


 光源はやや緑がかった光を放つ玉だった。

 この部屋にタークが入った時、いぶかしんで調べたあの謎の玉だ。ただの飾りではなく、照明器具だったらしい。しかし……。


「これはなんだ……? 光っている?」

 エコにそう尋ねると、エコは目を大きく見開いていた。

「知らないの? 蛍玉ほたるだまだよ。師匠が作ったの」


 この瞬間、この家を見つけてから抱き続けていたタークの疑問が氷解した。


 エコは【魔導士】だったのだ……!


「魔導士なのか、君は……!?」

 タークの顔が硬直し、エコを見る目つきが明らかに変わってしまう。



【魔導士】。


 【魔物】が跋扈する外界から、街と人々を守ることが出来る唯一の存在。

 その豊富な知識と魔力で街の中を支配し、庶民と隔絶された社会の中に生きる人々。

 苦難の多いこの世界で、すべてにおいて自由にふるまうことを許された、超常の力を持つ特権階級……。



 魔物の多い土地にこれほどの畑と家を構えて暮らしていける理由が、これで分かった。

 この家は、魔導士だけが使えるという『魔物を防ぐ秘法』で守られている。いや、家どころではなくおそらくこの【リング・クレーター】の内部すべてが、その領域に含まれているのだ……!




「ねえ、どうしたの? ターク……」

 悲しそうな声でエコがタークに尋ねた。



「魔導士……!」


 タークはエコの問いに答えず、苦しそうな声でそう呻いた。


――――――


第三話 “エコ”研究日誌


「ねえ、ターク」

 エコがタークに呼びかける。タークは下を向いたまま、エコの方を見ようとしない。あふれ出る記憶と感情が、タークの頭を駆け巡る。


「ねえ、ねえ……」

 いくら呼びかけても返事がないので、エコが椅子から立ち上がってタークの肩を揺すった。タークは震えていた。


「ねえターク、魔導士ってなに? わたし魔導士なの?」

「…………」

 タークの震えが止まる。

「わたし、師匠に教わったことしか知らないの。魔導士のことは教わってない。ターク、魔導士ってなに?」


 タークがようやく顔を上げた。

「エコは……魔法が使えるか?」

「魔法? ……うん、たぶん」


 エコがおもむろに手を広げた。すると手の平からみるみるうちに水が湧き上がり、重みがないかのように宙に浮かぶと、ボール状にまとまって静止する。


「これが魔法でしょ?」

「魔法を使える人を【魔導士】と呼ぶんだ」

「じゃあ、……わたしは魔導士なんだ。ねえ、タークは魔導士が嫌いなの?」


「……そうだ」

「そっかぁ……」


 エコが落胆して、腕をだらん、と落とす。水球もそれに従って床に落ち、水しぶきを立てて激しく飛び散った。


「つめてっ」

「あ! ……ごめん、ごめんね、ターク……」


 エコはすぐに流しの下にあった雑巾を取り出し、這いつくばって床を拭き始めた。

 タークはエコの邪魔にならないよう、立ち上がり、机と椅子をどけて、エコが床を拭くのを手伝う。



「いや……すまなかった。魔導士は嫌いだが、エコのことが嫌いなわけじゃない」

 タークが正直に謝ると、エコがぱっと顔を上げた。

「ほんと! ……よかった~、安心したよ」


「俺は、魔導士に親を殺されたんだ。だから魔導士が嫌いなんだ。エコには関係ないことだが、魔導士と聞いてつい取り乱した」

「えっ、そうなんだ」

 エコが驚く。

「親って、自分を産んだ人のことだよね? 殺された……そっか」

「ああ……。ひどい親だったが、親は親だからな。エコの親は、どこにいるんだ?」

「親かぁ。師匠ってことになるのかな、わたしを作ったのは師匠だから」


 師匠が親……? タークは少し考えたが、追及はしないことにした。


「あ、そうだターク、今日は師匠の部屋で寝てね。明日からは、別のところにベッドを用意するからさ」



――


 エコに案内された師匠の部屋は、居間の奥にある廊下の途中にあった。


「ここが師匠の部屋だよ。普段は使ってないけど、この間掃除したばっかりだからきれいだよ! じゃあ、ターク、おやすみ!!」

「おやすみ、エコ」

 エコは元気にそう言って扉を閉める。


「魔導士か……」


 タークは呟き、ぼうっと思考を巡らす。エコのこと。この家のこと。エコの師匠のこと。そして、自分自身のこと。


 タークは、好き好んで旅をしているわけではない。生まれ故郷を離れたのは、親の仇をとるために魔導士を襲撃して、失敗したからだ。

 魔導士に牙を剥くことは、いかなる理由でも許されることのない重罪だ。罪人を裁くべくタークには幾人もの追手がかかり、故郷を出てからもずっと命を狙われ続けている。


 当初は安住の地を求めて街々を巡っていたタークだが、限界を超えた疲労と途切れない緊張で人間不信に陥ってしまい、街に住むことを諦めたのが数週間前。



 ならばいっそ、という気持ちで、タークはあえて人間がほとんど住んでいない僻地、【ヒカズラ平原】に入ったのだ。


 【ヒカズラ平原】に入ってから三週間ほど……追手もついに諦めたのか、このところ、気配を感じない。

 しかし、長期間誰とも出会わず、話せない……そんな状況が続いた時、タークは耐えがたい孤独感を抱くようになった。『自分は一人きりでも生きていける』と考えていたタークは、驚いた。



 突然、昼間聞いたエコの言葉がタークの頭に走る。


『タークはここに住むの?』


 洞窟の中でつぶやいた時のように、タークの頭の中にその言葉が何度も

 タークはエコのことも好きだったし、家、畑、おいしい食事がそろっている、この恵まれた環境で暮らせればどんなにいいか……とも思う。


 だが、追手が本当に諦めたのかは分からない。自分がここにいるせいでエコに危害が及ぶ可能性がある。

 それだけは、なんとしても避けなければならなかった。やはり早いところ、明日の朝早くにでも、ここを出ていくべきなのか……。



 そこまで取り留めなく考えたところで、タークは結論が出せないままベッドの隣にある本棚に視線を移した。

 見たこともない題名の本が、びっちりと収められている。本は貴重な品だ。タークは文字が読めるが、こういう立派な本を読んでみたことはあまりない。


 何気なく、本棚にならぶ背表紙の文字に目を走らせていった。



『マナ読本』

『魔法次元とミッグ・フォイル』

『虚と実の輪郭~忌み落としという邪法~』

『魔導草本学』

『フスコプサロ会報』

『ラブ・ゴーレム』

……


「ん?……」

 タークはそのうち、一冊の本に目を留める。その背表紙には、手書きの文字でこう書かれていた。


『“エコ”研究日誌』


「……!」

 本棚から抜き、手に取ってみる。本というよりは紙をまとめたファイルのようなものだ。

 タークは動きを止めてドアの方を見た。物音ひとつしない。エコはもう寝てしまったようだ。

 後ろめたい気がしたが興味には勝てず、タークはファイルのページをめくった……。




 その翌日。




「ターク! ごはんだよ!」

 部屋の外からエコの声。タークはすぐにドアを開けた。

「おはよう!」

「おはよう」

「よく眠れた!?」

「ああ」



 そんな会話を交わしつつ、エコとタークが廊下を歩き、リビングに入る。食卓には、出来立ての温かい料理が並んでいた。タークが感激しつつ食べる。


 そして一通り食事を終えた後、エコが真剣な面持ちで切り出した。


「ねえ、ターク。ほんとにここに住まない? わたし、もう一人になりたくないよ。師匠は全然帰ってこないし、いつまでこのまま過ごせばいいのか分からないの……」

 

 エコが寂しそうにうつむいたまま、そう言った。しばしの沈黙。


「……ああ」

 タークが答えると、エコがおもむろに顔を上げた。

「本当!? ターク」


「うん。でも、それは俺の話を聞いてから、エコに決めてほしい。――昨日、俺の親が魔導士に殺されたって話はしたろ? 俺は親の仇を討つために、その魔導士を襲撃した。だが直前でしそこねて、逆に追手がかかっているんだ。だから、俺をここに置くとエコにも危害が及ぶかもしれない。だから……」


「やった! わたし、もう一人ぼっちじゃないんだ!!」


 タークの説明が終わらないうちに、エコが興奮して椅子から跳ね上がる。エコのオレンジ色の瞳が、朝日のようにきらきらと輝いていた。


「エコ、お前……」

「つまりタークは命を狙われてるけど、それでいいならここに住むってことでしょ! いいよいいよ! ここにはほかに誰も来たことないし、もし追手が来たらわたしが追い払うから!」

 エコが嬉しそうに、本当に嬉しそうに笑う。タークの手を取って、そのまま上下に振った。タークはエコのされるがままに手を動かしながら、昨夜師匠の部屋で読んだ『“エコ”研究日誌』の内容を思い出していた。




『“エコ”はウネ科植物【マンドラゴラ】の大型種を品種改良した結果生まれた魔法生物である。植物でありながら人語を解し、知能も人間と同じぐらい高い。またマナおよび魔法にも高度の適応を見せる』


『生理機能もほぼ人間同様。だが、マンドラゴラの特徴を強く残す部分=植物に近い部分も存在する』


『魔法生物ゆえに学習が速く寿命は短い。実験体の状態から、長くて10年ほどと推測される』



 この難解な資料の内容はタークにはほとんど理解できなかったが、そこから読み取れた情報をまとめるとこのようになる。


 確かなのは、エコという少女が師匠という人物によって作り出された生物……。


【魔法生物】だということだ。


 しかし、タークが最も驚いたのはエコの寿命についての記述だった。


『魔法生物ゆえに学習が速く寿命は短い。実験体の状態から、長くて10年ほどと推測される』


 ――10年。

 あまりにも、短すぎる。しかも、『“エコ”研究日誌』には今から6年前の日付がついていた。エコは現在6歳。残された寿命は、長くてあと4年ということになる。


 いつの間にかタークの胸に、『エコと共にいてやりたい』という純粋な気持ちが生まれていた。

 もし一時的にでも一緒にいてやれたら、エコは喜ぶだろうか。


 タークは考える。


 ここに住むことをエコが許してくれるなら、『覚悟』を決める必要があると。

 本当に追手がここに来るようなことがあれば、エコに危害が及ばないようにしなければならない。たとえ、死ぬことになっても……。


 それが、タークの出した結論だった。



 いつまで続くかは分からない。

 とにかくこうして、タークとエコはこの家で一緒に暮らすことになったのだった。





 ――やがて旅立つ、その日まで。





――――


第四話 ひとときの天気雨



 エコとタークが二人で暮らし始めてから、一か月ほどの時間が経った。


 最初は戸惑うことも多かったタークだが、すぐにここの生活に慣れ、エコと二人で家の周りを片づけたり、食べ物を得るために採集に出かけたりする気楽な日々を過ごしていた。



 心配していたタークの追手が現れる気配は今のところない。油断は禁物だが、タークの思った通り【ヒカズラ平原】の奥地に入った時点で追跡を諦めているのかもしれない。近くの街で待ち伏せをしているとしたら、きわめて好都合だ。


 こんな僻地に人が暮らせる環境があるとは誰も思わないだろう。ほとぼりが冷めるまでここで暮らしていれば、辺境の地で野垂れ死んだと勝手に思ってくれるのではないだろうか。



 家と木の間に渡したロープに洗濯物を干しながら、タークはそんな風に都合よく物事を考えていた。すっかり甘くなったという自覚はあるが、魔物のいない場所でのエコとの生活は気楽過ぎて、以前のような悲観的な考え方は出来なくなっている。



「ターク―、どこー? ちょっと来て~」

「ここにいるよ。すぐ行く」


 タークが家に入ると、エコが料理していた。

「何作ってるんだ?」

「お昼ごはん! ねえターク、水汲み頼める?」

「分かった。メシ作るの早くないか? 今朝食を食べたばかりなのに……」

 タークがいぶかしむ。そう言いつつ、調理台の隣に置いてある水桶を持ちあげた。


「あのね、しばらく雨が降らないでしょ」

「うん?」

「だから畑に水を撒かなきゃ。すっごく疲れるから、先に食事用意しとこうと思って……」

「ふーん」

 エコの発言に少しだけ違和感を覚えたタークだったが、話を流して水汲みに行く。


 タークは井戸で水を汲み上げ、畑に撒くために持っていった。畑のふちに、エコが立っているのが見えた。

 いつもとエコの雰囲気が違う。そうタークが感じたのは、手に持った立派な杖のせいだ。

 杖の先端は受け皿状に窪み、そこに大きな水色の石がはめてあった。石は太陽光を浴びて、きらきらと光っている。


 エコは両手に水桶を下げたタークの姿を認めると、「ターク、なんでこっちに持ってきたの?」と尋ねた。

「畑に水を撒くんだろ、使うと思ってこっちに持ってきたんだが……」

 エコは不思議そうな顔をしたが、少し考えてから、納得したようにこう答えた。


「その水は、中の水入れに入れておいて。水撒きはこうやってやるの! みててよ~」


 言うと、エコは目を閉じた。静かに口を動かし、ぶつぶつと何事かつぶやいている。


「……!」

 心なしか大気が湿り気を帯び、風が吹き始めたような感じがする。

 タークは水桶を持ったまま、エコを凝視していた。


 これは、魔法の詠唱に間違いない! エコが手に持っているのは、うわさに聞く魔導士の杖だ。


(もしかして……)

 ここひと月ほどエコと寝食を共にしているタークだったが、エコはあまり魔導士らしい姿を見せることがなかった。一緒に生活している限り、エコは普通の女の子と何も変わらないように思える。

 エコが普段使う魔法といえば、薪に着火するとか蛍玉ほたるだまを点灯させるとかいった地味なものばかりで、タークがイメージしていたような、気候を操ったり、時間を捻じ曲げるような魔法とはかけ離れていた。

 そのせいでタークは(意外と魔法って大したことないものなのかな)と思っていた。だが、この魔法は違う……!


「『ウォーターシュート』!!」

 エコが叫ぶと同時に高く杖を掲げる。杖の先端から、水桶三杯分はありそうな巨大な水塊が、いくつも撃ちだされた。

「すごい……!!」

 撃ち出された水弾のあまりの迫力に、タークが息を呑んだ。


「……はじけろっ!!」


 頃合いを見計らって、エコが唱えた。その言葉に呼応するように、上空で激しい爆発が起こる。

 爆発したしぶきが落下の過程でさらに細かい水滴となって、地表にまんべんなく降り注ぐ。

 葉を、土を、タークの体を――無数の水滴が叩いた。空間がリズミカルな音で満ちる。


 青空のもと降り注ぐ水滴の群れが、日光を細切れにして輝いている。分解された光が赤や青や黄色や紫色になって、空中に大きな虹を描き出した。幻想的な光景だった。


(すごい……!)


 タークが見とれて立ち尽くしていた。体が濡れることは、一切気にならなかった。むしろ清々しい気すらする、春のひとときの天気雨。



「これが魔法……これが魔導士なのか……」

 狭い範囲とはいえ、雨を降らせることが出来る人間がいるとは……話には聞いていたが、こうして実際に見ると信じられなかった。自分より小さな女の子が、こんな能力を持っているなんて。


 エコは先ほどから休みなく水の球を発射している。


 畑の土は、水を吸って次第に黒くなっていった。しおれかけた作物の葉が、悦びながら濡れていく。ひらひらと舞う白い羽の蝶々が、急な雨に焦って羽を休めていた。



 タークがエコに目を戻した。と同時に驚く。

 いつの間にか、エコはぐったりと杖にもたれかかって、額に脂汗を浮かべて苦しそうに喘いでいる。

「エコ! どうした?」

 タークは反射的に叫び、水桶を放り出してエコのもとへ駆け寄った。



――――


 その時。

 エコとタークの家から北へ約76キロレーン(1キロレーン=約1km)ほど離れた、【石の街トレログ】のはずれにある宿の一室。


「ぜえ、ぜえ、ぜえ……。み……見つけたぞ……! ついに居やがった!!」


 男が唇をふるわせてそうつぶやいた。


「【ヒカズラ平原】に住み着いてるやつがいるとは思わなかったが……」


 男は少し緊張した面持ちで、すべての指に指輪をはめた左手でテーブルの上の酒瓶の首をつかんだ。そのまま瓶の酒をあおり、ぶはあ、と息をつく。


「これで居場所は分かった。遠いな……」


 男は再び目を閉じると、呼吸を整えて精神を集中させる。


――――



 エコがぐったりと椅子にもたれて休んでいる。

「あぁ、つーかーれーたー」

「落ち着いたか?」

 タークが心配そうに声をかけた。


「うん、もう大丈夫……。ありがと、ターク」


 先ほどの水やりの後エコは急に呼吸困難に陥り、タークが部屋まで運んで介抱した。エコに一杯の水を差しだすと、エコが一息に飲み干す。


「どうしたんだ? どこか具合が悪かったのか?」

 タークには何が起こっているのか分からない。


「ううん、ちょっと『マナ』を使いすぎただけ。久しぶりだったから加減が……えへへ」

 エコはそう言って、照れた。タークが怪訝な顔になる。


「『マナ』……?」

「え? ……知らない?」





「説明が難しいんだけど、『マナ』っていうのは魔法のエネルギー源……みたいなものかな。『マナ』を使いすぎると、息が苦しくなるの」


 タークが捕ってきたウサギのスープと、ふすま入りパンとグリーンサラダという内容の昼食を二人でとりながら、エコが必死に言葉を探しつつ、タークにマナの話をする。


「息が苦しくなる? 魔法を使うと……そうだったのか。全力で走ったあとみたいに?」


 サラダをフォークで刺しながら、ターク。エコがうーんと唸る。


「強力な魔法を使いすぎると息が出来なくなって、ひどいとさっきみたいに身動きできないほどの呼吸困難になるってわけだな。魔法にはそれなりのリスクもあるってことか。マナは、さっきみたいにゆっくり休んで呼吸を整えれば回復するのか?」


「んー、うん。師匠は『マナは前借りできる』って言ってた。自分が持ってる分のマナを超えちゃった分は、“呼吸負債”として残るんだって」


「ふーん。魔導士も大変だな。やりすぎたら、本当に死ぬんじゃないか?」

「うん、もちろん! だから焦って魔法を使ったり、運動しながら使うのは禁物」

 エコはあっさりと言ったが、タークはぞっとした。

 魔法を下手に使うと死ぬ? さっきだって、タークから見れば危ない状況だった。“呼吸負債”というくらいなら、もし“呼吸破産”をしたら死んでしまう。


 言いながら、エコが隣に立てかけてあった杖を手に取る。

「その杖の意味は? うまいな、このスープ」

「ほんとだね。うーん、杖があると集中力が増すのかな? 材によって効果も違うみたいだけど、わたしはこれしか持ってない。師匠が作ってくれたの」


 タークもさっき見せてもらったが、持ってみるとずいぶん重い。ずっしりとした樫の木の先端についているのは、【卵水晶】という希少な鉱石らしい。


「ラグダモリの木は気持ちを落ち着かせて、マナの消費を抑える。卵水晶は術者のイメージを増幅させてくれて、魔法が想像以上の力を発揮するんだってさ。わたし、杖を持たないと強い魔法は使えないの。師匠が、上達するまで杖を使うようにしろって。そのうち素手でも使えると思うけど」


「それだよ、エコはほかにはどんな魔法が使えるんだ? もっと凄いのがあるのか。さっきのは水の魔法だったが、他には? 雷を起こしたり、風を竜巻にしたり?」


 タークが興奮気味にエコに尋ねた。エコはいたって普通に、「そんなの無理だよ~」と笑い返す。


「わたしが使えるのは、さっきの水やりに使った魔法とか、植物を成長させる魔法とか、あと炎を燃やすのくらい。そんなにたくさんはないよ」


「魔法か。学べば誰にでも使えるって聞くが……」

「そうだね。タークにも出来るよ?」

「……子供の時から始めて十五年以上かかるって書いてあったぞ、師匠の部屋にあった本には」

 タークは時々、師匠の部屋の本で魔法の勉強をしていた。どの本にも、『魔法の習得には相当の時間がかかる』と書いてある。また、『男性より女性の方が適正がある』とも。実際魔導士は圧倒的に女が多いらしく、男の魔導士は珍しい。


「そうなの? うそだよ、コツが分かればすぐ出来るようになるよ。わたしが教えようか?」


 エコはまだ、生まれてから六年しか経っていない。

 しかし寿命が十年ということだから、タークよりも時間が濃いのかもしれない。現にエコはすべてにおいて覚えが速く、何かを教えると、まるで乾いた土が水を吸うように吸収する。上達も早く、タークが教えた包丁砥ぎも、数回やっただけですでにタークと並ぶぐらいうまくなっている。これには、タークも舌を巻いた。


 そんなエコだから、逆に、人にものを教えるのがとても下手だった。教わる人間が、自分と同じように一度言ったことを全て覚えているとは限らない。一度見ただけで、それと全く同じに作業できるとも限らない。

 しかし、エコにはそれがどうしても理解できないらしい。



「いや、いいわ。俺には難しくて分からんよ」

「ねえ。タークってそういえば、いくつ? 何歳なの?」

 エコが身を乗り出す。


「分からない。成人してからは数えてないんだ」

 タークはあっさりと答えた。タークの地元では、十六歳で大人として認められる。

「見た目からして、わたしよりは年上だよね~。師匠が言ってたけど、わたしは寿命が短い分いろんなことが速いんだって」


 タークははじめ、エコが自分の十年という寿命について、どう考えているのか不安だった。

 しかしエコは生まれた時から自らの寿命を知っていたし、その時間を短いと思っていないらしい。

 エコはせっかちだが、それには体感時間の差、寿命の短さが影響しているのかもしれない。

 そんなことを考えつつ、タークが外の景色を眺めていると、遠くで雷が鳴った。


「あ……」


 あれよあれよという間に、湿り気を帯びた風が出て、かなとこ雲が沸き起こり、空が一気に暗くなる。そして、落雷を伴う夕立が降り始めた。


「……」

「……」


 切れ間のない雨音の中、突然笑い声が起こる。


「あはははは、水やりした意味がない!」

「これは敵わないな! ははは!」



 二人はのんきに笑い合っていた。――さっき干した洗濯物のことを思い出すまでは。












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