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テスト用  作者: 愛餓え男
14/35

令和版

――

第一話

――

 緑一色の世界の中、タークは思いがけない光景を見降ろし、ただただ驚いていた。


 時刻は正午。訳あってあてどない旅をしている長身の男タークは、いかにも旅人らしい大げさな黒い外套マントから浅黒く日焼けした太い腕をのぞかせ、渓谷のように深い相貌の奥のまぶたをこすった。それほどまでに、眼前に見える景色は信じがたいものだった。

 だが改めて目を開けてみても、やはりそれはそこにあった。


 それは盆地の底に建つ、赤い屋根の一軒家だった。一軒家の周りには畑や果樹園のようなものがあり、玄関先には色とりどりの花が咲いている。

 ここが『エレア・クレイ』や『トレログ』のような大都市だったのなら、タークとてこのような光景には驚かない。

 しかしここはあらゆる都市から離れた未開の地、【ヒカズラ平原】の奥地だ。辺りには人を寄せ付けない野生の王国が広がり、危険な魔法生物――【魔物】が跋扈ばっこしている。


 怪しい、と思いつつも、タークは吸い寄せられるようにその家へと足を向けていた。


 ここ【ヒカズラ平原】はこの世界の中心部にある、広大な平野だ。

 血管のように枝分かれしながら草原を区切る何本もの河川と、競うように生い茂る背の高い草木、煌々と降り注ぐ、さえぎるものの何もない日光。

 この恵まれた土地には複雑な生態系エコシステムが築かれており――――そしてその頂点に君臨する生物は、人間などではなかった。


【魔物】。


「「【魔導士】たちに生み出された、人に害をなす生物たち。世話をしきれなくなった作り主によって自然界に放逐された彼らは、やがて既存の生態系の中に自らの居場所を作り出していった。

 彼らも生きていくために何かを食べなくてはならない。そして、その中に人間が含まれることも珍しくなかった。」」



 タークが驚いた理由は、まさにそのことだった。こんなに魔物の多い土地に、人が住むなど不可能だ。

 人間の作る住環境や食べ物は魔物たちにとっても魅力的なので、家は奪われ、作物は瞬く間に蹂躙じゅうりんされ尽くしてしまう。「「小村などはすぐにそうやって滅びるから、この世界では新陳代謝が激しかった。」」


 もし、この土地に住む超大型の魔物、【ヒカズラ平原の人食い魔獣】のような怪物に目をつけられれば、あんな家は一瞬にして破壊されるだろう。


 そんなことを考えつつ、タークは急斜面を下り、家のわきに広がる畑までたどり着いていた。午後の日差しを浴びて、瑞々しい野菜が育っている。屋根に生えた煙突から煙が上がり、なにか食べ物の焼けるいい匂いが漂っている。あまりにも、無防備すぎた。

 依然として、危険の気配はしない……。だがタークは気を抜かず、慎重に歩みを進める。外套の下で、腰に下げた刀剣に手をかける。


 玄関に着く。木製の素朴な玄関扉は、蝶番の付き方からして外開きだ。どうしたものかとしばらく考えあぐね、ようやく意を決してドアを叩こうとした瞬間――背後から唐突に声がした。


「こんにちはっ!」

「っ!?」

 タークが驚き、振り返る。そこにいたのは、みずみずしい鮮緑色の髪を持った、十代半ばほどの小さな女の子だった。


「私はエコ! あなただれ? ここに人が来たの初めてだよ!」


 エコと名乗った少女は満面に笑顔を浮かべ、輝くオレンジ色の瞳をまっすぐにタークの顔に向けて、好奇心にあふれた仔犬のように無警戒に、タークのもとへ近づいてきた。

「お、俺は……、」

 タークは思わずどもった。そして、もう手が届くほどの距離まで近づいてきた少女へと向き直る。

「ねえ、名前は?」

「俺は、ターク……ターク・グレーンだ」


 名乗りながら、タークは女の子と真正面から向かい合っていた。武器にかけていた手は、いつの間にか離れていた。


 少女の名はエコ。

 男の名はターク。


 この二人の出会いは、小さな出来事だったかもしれない。だが、この世のすべてのことは……些細なことから始まるのだ。



――

第二話

――

 タークは困っていた。

 

「ターク・ターク・グレーン? 長い名前だねぇ」

「え? いや、ターク・グレーン。タークが名前でグレーンは苗字だ」

「みょうじ? なにそれ?」

「んん?」

 

 エコという少女には、苗字ファミリーネームがないらしい。

 確かに苗字がない人は街にもザラにいるが、エコの場合はそもそも『苗字』という概念を知らないようだ。『苗字』を知らない女の子に、どのようにして『苗字』の意味を伝えたらいいのか……、すこし考え、とりあえずこう答えてみる。

 

「苗字というのは……家族全員に付く名前だ。名前だけだと、どこの家の人か分からないからな」

「かぞく?」

「家族も分からないか……、うーん」

 

 これにはタークも参る。

 

「まあいいや! 名前はタークなんでしょ? ならタークって呼べばいいよね! ちょうどお茶にしようと思ってたんだよ。一緒に飲もう!」

 エコは結局、名前にあまり関心がないらしい。呼び名が分かったとたん、興味を失ったようだった。


「いや、しかし……ここにはほかに人がいないのか? 大人は?」

 

 タークが疑問を呈する。まさか、少女一人しかいないわけがない。勝手に家に入って、面倒事になるのは嫌だった。

 

「いないよ! 師匠が居たんだけど、この前いなくなっちゃった……」

 

 そう言いながらエコの笑顔が急にしぼみ、泣き出しそうな表情になる。タークは驚き、なんとか話題を変えた。


「そうか。ということは君がひとりで留守番をしていると?」

「うん。師匠が帰ってくるまで待っているようにって言ってたから。とにかくお茶にしようよ! わたし喉かわいた」

 

 不信感がぬぐい切れたわけではないが、タークはとりあえずエコの言う通り家の中に入れてもらうことにした。エコと話しながら辺りの様子をそれとなくうかがっていたが、人の気配は全くない。いくらかの虫と鳥の声がするほかには、静寂そのものだ。

 

 エコがドアを開けた。外からも香った、食べ物の焼ける香ばしい匂いがする。


 それなりに広い板敷の室内には、二人暮らし用の家財道具が一揃い整えてある。エコは入ってすぐ脇の大きな水がめに、汲んできた水を流し入れた。その隣には立派なレンガ造りのかまどが置いてあった。そこにポットが置かれる。


「ターク、そこ座って待ってて。いまお茶沸かすから……」


 エコはそう言いながら、手に持った木桶からポットに水を注ぎ始めた。タークは言われた通りに部屋の中央にある椅子に腰かけ、部屋のそこここに浮いた視線を巡らせる。

 

 十歩で端から端まで渡れるほどの、それほど広くはない部屋だ。家の大きさからして奥に続く扉の向こうにまだいくつか部屋があるようだが、多分この部屋が最も大きいのだろう。

 部屋にある本棚などの家具はいたって普通のものだったが、天井からぶら下がっている緑色の丸い物体が、タークの関心を誘う。

「……?」


 テーブルの真上にあるその丸い物体は、表面は磨かれたようにつるつるだが、曇っていて中は見えなかった。触ってみると思ったより軽い。見て触っても用途が分からず、何かの飾りだろうと一人合点する。


「お茶が入ったよ!」

 タークの前に二つのカップが置かれた。薬草茶の類らしく、さわやかで落ち着く香りがタークの鼻腔を満たす。

「ありがとう」

 タークはお礼を言って、カップを持ち上げる。エコが真向かいの椅子に座った。


「君は、なんでここに住んでるんだ? ここに魔物は来ないのか?」

「魔物?」

 エコが不思議そうに首をかしげる。

(魔物を知らない……?)

 タークはますます分からなくなる。この【ヒカズラ平原】のど真ん中に住んでいて、魔物を知らないなんてことがあり得るのだろうか。

「ここには畑があるだろ? だったら、たとえば【パルパポキア】や【ギャルタルゲ】の被害を受けててもおかしくないはずだ。聞いたことがないか?」


「えー、知らないな……。ねえ、タークはここに住むの?」


「なにっ?」

 タークが驚く。

「住まないの? あ、そうか……タークはどこからか来て、どこかへ帰らないといけないんだもんね……。ずっとここにいるわけにはいかないよね」


 エコが気づき、寂しそうにお茶をすする。


「いや、俺は……。――エコって言ったな。君はここから……、もしかして外を知らないのか?」

「外……。わたしは生まれてから、ずっとここで暮らしてるよ。家の外には出るけど、あんまり離れたことはない。山の向こうから先には行くなって、師匠に言われているから」

「山の向こうか……」


 タークがつぶやき、お茶に口をつける。


【ヒカズラ平原】には、ある特殊な地形が存在している。【リング・クレーター】と呼ばれる、円形の盆地だ。

 その規模はまちまちだが、大きなものでは直径6.000レーン(1レーン=約1m)にも達する。隕石の落下による衝撃で土砂が吹き上がり、盆地の周囲には丘が形成される。

 タークの見たところ、このエコの住んでいる家はまさしく【リング・クレーター】という地形の内部にある。山を越えたことがない、ということは、この盆地の外に出たことがないということだ。

 

「もう焼けたかなあ」

 熟考するタークをよそにエコが席を立ち、かまどの下に設けられたオーブンのふたを開けた。その上のレンジではお湯が沸いている。オーブンにくべた薪が、そのまま上のレンジを温める熱源になっているのだ。


「焼けてる焼けてる! できた!」


 エコはオーブンの中身を木の皿に乗せ、そのままタークの前に置いた。

「こ、これは……っ!」

 思わずタークの口から声が漏れる。

 

「スコーンだよ。ターク好き? ほらこのベーナクリームを塗ると、おいしいよ」

 エコは戸棚から植物油と蜂蜜を練って作った調味料、『ベーナ・クリーム』の入った容器を出した。クリームに練り込まれた柑橘類をはじめとする香辛料の香りが、ますますタークの食欲を誘う。

 

 高ぶる気持ちを抑えつつ、タークが熱いスコーンにベーナ・クリームをひとさじ塗り、かぶりついた。

 熱々のスコーンから立ち上る焼いた小麦の薫りが、ベーナ・クリームの特有のねっとりとした舌ざわりと相まって、タークの口内で極上の調べを奏でる。


「うまいっっっ!!」

 タークは叫んだ。


「こんなうまいもの……!! エコ、これは君が作ったのか!!?」

「う、うん……」

 突然目の前で大声を出され、エコは驚いていた。タークは感動のあまり、我知らず涙を流していた。

 ある事情で旅に出てからというもの、タークの食生活は貧相だった。

 道中の食事はシイの実などの木の実、山菜類、または植物の根っこや昆虫などをスープにして食べることが多く、時々小動物や、魚を捕っては焼いて食べる程度だった。

 街に立ち寄っても余計に使えるほどのお金はなく、ほぼすべてを生活必需品と水と塩、小麦を焼きしめたようなまずい保存食クラッカーに使わざるを得なかった。

 

 もちろん、砂糖や蜂蜜などは手に入らず、ここ数か月以上甘いものは一切口にしていない。


「すごいな……。こ、この食べ物には、もしかして蜂蜜とバターが入っているのか?」

 タークが目から流れる涙をぬぐおうともせずエコに尋ねる。その様子に、エコも感動していた。

「うん。こんなに喜んでもらえると思ってなかった。うれしい!」

「しか、しかし……、まさかエコ、ここではヤギを飼ってるのか? ミツバチもか?」

「ガチョウもいるよ。裏を見てみる?」



 二人は流しの横にある勝手口から外に出た。畑を見渡せるベンチの脇を通って、果樹の植えてある裏手に回る。そこに二匹のヤギがいた。

「アラミミとコルダンていうの。アラミミが男の子で、コルダンは女の子。で、この間生まれたのが、あそこに座ってるプヨちゃん」

 そう言ってエコがヤギ小屋の奥を指さした。小さな黒いヤギがすやすやと眠っている。

「本当に家畜がいるのか……」

「あそこにあるのが蜂の箱だよ」

 エコが再び指で示す。大きな木の箱の周りを、たくさんの蜂が旺盛に飛び交っていた。


「そうか……、ミツバチまで……」


 それから、エコに畑とハーブ園、果樹園を案内してもらう。畑には数十種類の作物が育っており、果樹園には果樹に加えて香辛料のつるや木が生えていた。畑や果樹園の中を、放逐されたガチョウがのんきに歩き回っていた。


 タークの疑念が、ますます強くなる。


(なんでこの環境に魔物が来ないんだ……?)


 タークの経験上、魔物はどんな貧相な土地であっても、土を耕した瞬間に、家畜を持ち込んだ瞬間に、小屋を建てた瞬間に――その収穫を横取りしようと狙ってくる。


 土地の養分を残らず吸い尽くし、あっという間に増えるウネ科植物の魔物【ギャルタルゲ】。

 住居に住み着き、あらゆる食物をあさるネズミの魔物【ニルフランケット】。

 人の体温に魅かれて寝具や服に住み着き血を吸うダニの魔物【サルメデ】。


 そして、さらにそれら小型の魔物を狙う捕食者クラスの魔物が人間の生活圏を侵すため、人間はごく一部の領域を除いてまともな暮らしができないのだ。



 エコとタークは一通り見た後、もとの部屋に戻った。

「ごはん作るから、待ってて!」

 うれしそうにエコが笑う。当初はすぐに旅立とうと思っていたタークだが、その疑いのない笑顔に後ろめたく、とてもそんなことを言い出せない。

 ――そして、タークは内心、夕飯がこの上なく楽しみだった。




「ターク、ご飯だよ!」

 タークはいつの間にか椅子にもたれかかって寝てしまっていた。

「あう……、おう」

 タークは部屋中に漂う素晴らしい匂いを嗅いだ。目を開き、その光景に目を疑う。


 まず、木製のトレイにパンが置いてあった。小麦粉のふすま入り発酵パンで、かまどで炙ってあり、湯気を立てている。とてもおいしそうだ。

 メインは大皿に入った野菜の煮込み。入っているのはトマト、玉ねぎ、芋、ニンニク、キノコ、その他香草類。

 さらに、葉菜とナッツ、幼虫とさなぎが数種類盛り合されたサラダ。新鮮な野菜は、都市部でもそうそう食べられない。

 ドレッシングは塩、油、玉ねぎ、こしょう、発酵調味料を合わせたもので、甘味と塩味の程よいバランスが食欲を誘った。


「すごいもんだ……。エコは毎日こういう食事をしているのか?」

「ううん、タークに喜んでほしかったから普段よりたくさん作ったの。早く食べて!」


 タークはその純粋な気持ちに胸を打たれる。とりあえず野菜の煮込みに手を出した。

 木のさじでひとすくい、スープを飲む。ヤギバターで炒められた玉ねぎの甘味と、野菜の出汁、トマトとキノコとニンニクのうまみが複雑に絡まりあう。

 続いてパンをひとかじり。

 発酵パン特有のわずかに酸味のある味と、噛み応えのある触感、焼いた小麦の薫りが途切れることなく舌を駆け巡る。


 タークはエコに向かって親指を立て、うんうんと何度もうなずいた。目からは輝くものが零れ落ちている。

「あははは! やったぁ!」

 エコが手を叩いて喜んだ。



 ――かまどやフライパンのようなきちんとした調理設備もなく、調味料もわずかな塩のみ、保存や重量の問題から、持ち運べる食材には限りがある。そんな状況で旅を続けていると、こういうきちんとした料理はめったに食べられない。


 目を閉じてゆっくりとパンを咀嚼する間、タークは今朝食べたものを思い出していた。


「うますぎる……。エコ、俺が今朝何を食べたか分かるか?」

「う~ん、パンとスープとお茶だけとか?」

 エコが笑いながら答える。

「旅の食事というのは、そういうレベルじゃない」

 そう断った後、タークは今朝の食事内容をエコに話し始めた。


 まず、半分カビてしまった固焼きクラッカーをナベに入れ、お湯で溶かして作った粥。少しだけ入れた塩以外に味はなく、古い小麦粉のすえた臭いがして、吐きそうになりながら食べた。

 続いて、数日前に捕まえたウサギの干し肉の余り。塩に余裕はないため塩漬けが出来ず、持っていた酒をかけて応急処置的に防腐していたのだが、少し匂ったので焦げる直前まで焼いて食べた。

 あとはその辺にいたバッタとムカデとクモの炙り焼き。


「うわ~、私もたまにパンを焦がしたりカビさせたりすることはあるけど、おいしくないよね!」

「携帯用のクラッカーというのは、こんなうまいパンじゃないんだ。発酵させないで、古い小麦粉を水で溶いてそのまま焼くだけだからな。塩もほとんど入ってないから味もない。旅に塩は必携だが、街に寄ったのがかなり前だから、もう手持ちが少ないんだよ」


 そう言いながらサラダを食べるターク。


 とれたて新鮮な葉物野菜の瑞々しいおいしさが何ともいえない。

 そして野性味あふれる強い味に負けず劣らず、かえってその味を引き立てるような絶妙な塩味と甘みのドレッシング。

 そしてナッツのカリッとした触感と、茹でたエビのようなゴミムシの幼虫とさなぎのうまみが複雑に混ざりあい、フォークが止まらないおいしさだ。


「うまいなぁ……」

 タークがそう言うたび、エコは回数を指折り数えていた。しかしすぐに両手の指では全く足りなくなり、すべての指の二倍くらいまで数えたところで、頭がこんがらがってやめてしまう。



 食事が終わり、エコとタークは幸せでけだるいお茶の時間を共に過ごした。タークが窓から空を眺める。

 日が沈みつつあり、室内が次第に暗くなってゆく。赤みを帯びた光が空に漂う雲から次第に引き始めるころ、背後でエコの声がした。


「点けっ!」


じじじ……っ、と火花が散るような音がして、タークが振り返る。閃光がほとばしった。


「っ!」

 とっさに、タークが手で閃光から目を守る。閃光はすぐに収まり、鈍い光になった。

「なんだ……!?」


 それはやや緑がかった光を放つ玉だった。

 この部屋にタークが入った時、いぶかしんで調べたあの謎の玉だ。ただの飾りではなく、照明器具だったらしい。しかし……。


「これはなんだ……? 光っている?」

 エコにそう尋ねると、エコは目を大きく見開いていた。

「知らないの? 蛍玉ほたるだまだよ。師匠が作ったの」


 この瞬間、抱き続けていたタークの疑問が氷解した。


 エコは【魔導士】だったのだ!



【魔導士】。

 【魔物】が跋扈するこの世の中で、唯一魔物から身を守る秘法を操る存在。

 その豊富な知識と魔力で街を支配・運営し、庶民と隔絶された上流社会に生きる人々。

 苦難の多い世界で唯一、すべてにおいて自由にふるまうことを許された、超常の力を持つ特権階級……。



 この魔物の多い土地にこれほどの畑と家を持ちながらのうのうと暮らしているのも、エコが魔導士だからに他ならない。この家は、魔導士だけが使えるという『魔物を防ぐ秘法』で守られているのだ。いや、家どころではなく、おそらくこの【リング・クレーター】の内部すべてがそうなのだ……!


「君は魔導士なのか……!?」


【魔導士】。この言葉は単に超自然的な力、【魔法】を操る存在という単純な意味の他に、もっと陰鬱な深みを持っていた。


 弱肉強食の世界、人間は生物的には一種だが、社会的には二つの種類がいた。魔導士という強者と、市民という弱者。


 もし魔導士がいなくなれば、都市は崩壊し、人類は社会を形作ることが出来なくなるだろう。市民が何人集まろうとも、魔導士と同じ働きをすることはできない。魔導士の人間社会に対する貢献はあまりにも大きく、彼らを無しにして文明の存在はあり得ない。それゆえ、市民は魔導士に何をされても従うしかない。



「ねえ、どうしたの? ターク……」

 悲しそうな声でエコがタークに尋ねた。



「魔導士……っ!」


 タークは応えず、ただ苦しそうな声で呻いた。






 

 

 


――

第三話

――


「ねえ、ターク」

 エコがタークに呼びかける。タークは下を向いたまま、エコの方を見ようとしない。

「ねえ、ねえ……」

 いくら呼びかけても返事がないので、エコが椅子から立ち上がってタークの肩を揺すった。タークは震えていた。


「ねえターク、魔導士ってなに? わたし魔導士なの?」

「…………」

 タークの震えが止まる。

「わたし、師匠に教わったことしか知らないの。魔導士のことは教わってない。魔導士ってなに?」


 タークがようやく顔を上げた。

「エコは……魔法が使えるか?」

「魔法? ……うん、たぶん」

 エコがおもむろに手を広げた。すると手のひらのくぼみからみるみるうちに水が湧き上がり、重力に逆らって宙に浮かぶと、ボール状になって静止する。


「これが魔法でしょ?」

「魔法を使える人を【魔導士】と呼ぶんだ」

「じゃあ、……わたしは魔導士なんだ。ねえ、タークは魔導士が嫌いなの?」


「……そうだ」

「そっかぁ……」


 エコが落胆して、腕をだらん、と落とす。水球もそれに従って床に落ち、水しぶきを立てて激しく飛び散った。


「つめてっ」

「あ! ……ごめん、ごめんね、ターク……」


 エコはすぐに流しの下にあった雑巾を取り出し、這いつくばって床を拭き始めた。

 タークはエコの邪魔にならないよう、立ち上がり、机と椅子をどけて、エコが床を拭くのを手伝う。



「いや……俺は魔導士は嫌いだが、エコのことは嫌いじゃないよ」

「ほんと! ……よかった~、安心したよ」


「俺は、魔導士に親を殺されたんだ。だから魔導士が嫌いなんだ」

「えっ、そうなんだ」

 エコが驚く。

「親って、自分を産んでくれた人のことだよね? 殺された……そっか」

「ああ……。ひどい親だったが、親は親だからな。エコの親は、どこにいるんだ?」

「親かぁ。師匠ってことになるのかな、わたしを産んだのは師匠だから」


 師匠が親……? タークは少し考えたが、追及はしないことにした。


「あ、そうだターク、今日は師匠の部屋で寝てね。明日からは、別のところにベッドを用意するからさ」






「ここが師匠の部屋だよ。普段は使ってないけど、この間掃除したばっかりだからきれいだよ! じゃあ、ターク、おやすみ!!」

「おやすみ、エコ」

 エコは元気にそう言って、隣の自室へと入っていった。


「魔導士か……」

 タークは呟き、ぼうっと思考を巡らす。エコのこと。この家のこと。エコの師匠のこと。そして、自分自身のこと。

 タークは、好き好んで旅をしているわけではない。生まれ故郷を離れたのは、自分の親を殺した魔導士を――殺めてしまったからだった。

 魔導士殺しは、いかなる理由でも許されることのない重罪だ。罪人を裁くべく、タークには幾人もの追手がかかり、故郷を出てからというもの、途切れることなく命を狙われる日々を過ごしていた。

 当初は安住の地を求め街々を巡っていたタークだったが、限界を超えた疲労と途切れない緊張で人間不信になってしまい、街の人影に潜むことを諦めるしかなかった。


 ならばいっそ、という気持ちで、タークはあえて人間がほとんど住んでいない僻地、【ヒカズラ平原】に入ったのだ。

 【ヒカズラ平原】に入ってから三週間ほど……追手もついに諦めたのか、このところ、気配を感じない。

 しかし、長期間誰とも出会わず、話せない……こうした状況が続いた時、タークは耐えがたい人恋しさを感じていた。自分は一人きりでも生きていけると考えていたタークは、これには驚いた。



 突然、昼間聞いたエコの言葉がタークの頭をよぎった。


『タークはここに住むの?』



 タークはエコのことも好きだったし、おいしい食事、家、畑がそろっているこの恵まれた環境で暮らせたら……という思いもあった。

 だが、エコのような純心な子と、自分のような心の汚れた男が一緒に過ごす……それは良くないのではないか? 第一、追手が本当に諦めたのかも分からない。自分がここに住むことでエコに危害が及ぶ……それだけは、なんとしても避けなければならない。やはり明日、ここを出ていくべきか……。


 そこまで取り留めなく考え、タークはふとベッドの隣にある本棚に視線を移した。そこには、見たこともない題名の本がびっちりと収められている。タークは何気なく、本棚にならぶ背表紙の文字に目を走らせていった。

『マナ読本』

『虚と実の輪郭~忌み落としという邪法~』

『魔導草本学特論』

『フスコプサロ会報』

『ラブ・ゴーレム』

『ミッグ・フォイル全記録集』……


「ん?……」

 文字の羅列を何気なく眺めていると、タークは一冊のタイトルに目を留める。その本の背表紙には、手書きの文字でこう書かれていた。


『“エコ”研究日誌』


「……!」

 タークは動きを止めてドアの方を見た。物音ひとつしない。エコはもう寝てしまったようだ。

 後ろめたい気もするが興味には勝てず、タークはその本のページをめくった……。



 その翌日。



「ターク! ごはんだよ!」

 部屋の外からエコの声。タークはすぐにドアを開けた。

「おはよう!」

「おはよう」

「よく眠れた!?」

「ああ」


 そんな会話を交わしつつ、エコとタークが廊下を歩き、リビングに入る。食卓には、出来立ての温かい料理が並んでいた。タークが感激しつつ食べる。


 そして一通り食事を終えた後、エコが真剣な面持ちで切り出した。


「ねえ、ターク。ほんとにここに住まない? わたし、もう一人になりたくないよ。師匠は全然帰ってこないし、いつまでこのまま過ごせばいいのか分からないの……」

 

 エコが寂しそうにうつむいたまま、そう言った。しばしの沈黙。


「……ああ」

 タークが答えると、エコがおもむろに顔を上げた。

「本当!? ターク」


「うん。でも、それは俺の話を聞いてから、エコに決めてほしい。――昨日、俺の親が魔導士に殺されたって話はしたろ? 俺はその魔導士を殺し、そのために命を狙われているんだ。だから、俺をここに置くとエコにも危害が及ぶかもしれない」


「やった! もう一人きりじゃないんだ!!」



 タークの説明が終わらないうちに、エコが興奮して椅子から立ち上がった。

「エコ、お前……」

「つまりタークは命を狙われてるけど、それでもいいならここに住むってことでしょ! 大丈夫! ここにはほかに誰も来たことないし、もし追手が来たらわたしがなんとかして追い払うよ!」

 エコがうれしそうに、本当にうれしそうに笑った。それを見て、タークも相貌を崩した。

 タークの脳裏に、昨夜師匠の部屋で読んだ『“エコ”研究日誌』の内容が浮かぶ。




『“エコ”はウネ科植物【マンドラゴラ】の大型種を品種改良した結果生まれた。人語を解し、知能も人間と同程度。マナ、魔法にも適応している』


『生理機能もほぼ人間同様だが、マンドラゴラの特徴を強く残す部分=植物に近い部分も存在する』


『魔法生物ゆえに寿命は短く、長くて10年ほどと推測される』



 ほぼすべてが謎の固有名詞と未知の専門用語で構成されているこの難解な資料は、タークにはほとんど理解できなかったが、そこから読み取れた情報をまとめるとこのようになる。


 確かなのは、エコという少女が師匠という人物によって作り出された生物……。【魔法生物】だということだ。

 だが、タークが最も驚いたのはエコの寿命についての記述だった。


【10年】。


 あまりにも短すぎる。しかも、日付を見たところ『“エコ”研究日誌』は今から6年前に書かれていた。


 つまりエコの寿命は、長くてあと4年ということになる。


 タークの胸に、エコへの同情が生まれていた。不思議なもので、いつの間にかエコという少女は、タークにとって大切な存在になり始めている。

 もはやタークには、エコと共にいてやりたい、という気持ちを抑えることが出来なかった。もし追手に追いつかれ殺されようとも、一時的にでも、一緒にいてやれたら……。タークはそう考えていた。


 一つだけ心配なのは、追手の魔の手がエコに及ばないかどうかだ。しかし、いざとなればタークは命を捨ててでもエコに危害が及ばないようにする覚悟があった。



 どれほど続くかは分からない。

 とにかくこうして、タークとエコはこの家で一緒に暮らすことになったのだった。



 ――やがて旅立つ、その日まで。











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