Operation#1:イロカネ起動(7)
和仁と紗千は身構え、郁奈も声のした方向に厳しい視線を向ける。声音に含まれる悪意を、郁奈は敏感に感じ取っていた。
他人を見下し蔑む事に悦を見出す人間特有の、粘ついた視線。郁奈自身も経験のある、心の底から吐き気をもよおすような視線だ。
「機械臭い上に油臭いと思ったら、サイボーグくんじゃないか。どうしたのかね? こんな場所で」
さっきもつっかかってきた直結型アークスがお気に召さないクラスメイトと、その取り巻き達が数名。その誰もが下卑た表情を浮かべ、軽薄な嗤い声を漏らしている。いったい何をしにこんな場所に。お前らと顔を合わせるのは授業中だけでいいんだよ。
この学校で一番会わせたくない連中に、郁奈を会わせてしまった。俺がもう少し注意を払っていればと、和仁は少し後悔する。
「人機の格納庫なんだから、機械の臭いも油の臭いも当たり前だろ。それとな、直結型アークスのコネクター部分は、ほとんどが自分の細胞を培養して加工した生体パーツだよ。機械の臭いも、油の臭いもしねぇっての」
和仁は郁奈を野蛮な視線から守るように、一歩前へ出る。
まったく、何が気にくわないんだよコイツ等は。こっちだって、好きで着脱のたびに激痛のする直結型をしてるわけでもないのに。
すると和仁に突っかかってきたクラスメイトの視線が、背後にいる郁奈へと移る。
「ところで天城、そっちの女はどこのどなたなんだ?」
いや、厳密には郁奈の首に、だ。和仁の物よりもさらに薄くはあるが、澄んだ青色をベースとした直結型アークスが、郁奈の首にもはめられているのだ。
人間倫理に反した存在、無用に肉体を改変したサイボーグ。そう謗りを受けたる象徴の、直結型アークスが。
新たな獲物を見つけたとばかりに、反直結型派の御一行は舌舐めずりをする。
「わたしは、かずのお姉ちゃん」
「ねーちゃん!」
振り返る和仁に、郁奈は優しく微笑みかける。わたしなら大丈夫。まるで、そう言っているかのように。
その表情に和仁は、今までに見た事のない郁奈の力強い意思を感じた。何者にも屈指ない、細くとも決して折れない芯の通った郁奈の姿を。
「なるほど。弟がサイボーグなら、その姉もサイボーグってわけか。体弄るのは楽しいですか? お姉さん」
「謝って」
相手の声を無視するかのごとく、郁奈は氷のような冷たい声音で鋭く言い放った。
もし声に形があるのなら、それは荊に違いない。静かな怒りが、郁奈の底冷えするほど冷徹な部分を呼び醒ましてしまったのだ。
「あぁん?」
「謝って。わたしも、かずも、自分の意思でこうなったわけじゃなぃ。これ、医療目的。アークスで、常に生体データのチェックが行わてる。異常があれば持ち主と病院に伝えられるようになってる」
「どうでしょうね。本人の口から言われても、信憑性がありませんから」
「なら、見せてあげる。各種証明書。電子データなら、一通りそろってる」
言うが早いか、郁奈の指が超高速で空間を踊った。特殊な形状のホロキーボードを二つも出現させ、両手がバラバラにキーを打ち込んでゆく。まるで別の生物のように動く指に迷いはなく、ただ決めた事を実行するのみ。
すると次の瞬間、一同の表情がぎょっとなった。誰もが皆、まるで信じられないものでも見ているように、目を大きく見開いている。
「な、こ……これって…………」
なんと郁奈は、この場に居る全員のアークスと自分のそれを、強制的にiリンクで繋いでしまったのだ。接続者一覧を呼び出すと、アドレス未登録のアークスがいくつも表示されていた。
アークスへのクラッキング。それは通常では考えられない事である。
脳と通信を行う性質上、アークスには一昔前の軍事施設並のセキュリティーが施されているのである。そのアークスのセキュリティーを一瞬で突破してしまうなんて、そんな話聞いた事もない。
クラックされたクラスメイト達の視界は、一方的に送りつけられた電子情報でまたたく間に埋め尽くされた。その全てに、医療機関やそれに関連する組織の電子署名が記されている。
「確かに、直結型の方がノイズが少なくて、通信速度も圧倒的に速い。個人の意思で、接続口の設置処置を受ける人もいる。でも、そうじゃない人も大勢いる。少なくとも、わたしもかずも、望んで設置処置を受けたわけじゃない。物心ついた頃には、もう接続口は首に埋め込まれてた。さすがに、接続口の設置処置に関する同意書はないけど」
あくまで冷静に、郁奈は物的な証拠を見せつける。
病状観察のためのアークスモニタリングに関する同意書、医療目的による直結型アークスの購入費支援金制度に関する書類、直結型アークス接続口交換処置援助に関する申請書(医療目的に限る)等々。それらは全て、二人の直結型アークスは自身が望んでそうなったわけではない事を示していた。
「お前、何かをした! 俺達のアークスに何をした!!」
誰もが冷静な判断力を失い、鬼のような形相で悲嘆に暮れている。
アークスをクラックされるなど、全員が初めての経験だろう。その現象は、圧倒的恐怖となって襲いかかる。あらぬ幻影に妄想を膨らませ、自ら生み出した恐怖に溺れてゆく。
「iリンクが、切れない!」
「いや、操作そのものを受け付けてないぞ!」
「もしかして、頭の中をのぞかれてるんじゃ」
「やめろ! やめてくれぇ!!」
半狂乱となり、一行はじりじりと後ずさる。まるで肉食動物を恐れる、小動物のように。
それは今まで弱者を虐げてきた者達が、今度は自らが虐げられる側へと成り下がった瞬間であった。
暴力にはより大きな暴力で。
言われ無き誹謗中傷には、クラッキングによる恐怖を。
郁奈は追い打ちをかけるように、書類を発行した各機関のホームページを開いてゆく。
もはや、そこに何が書かれているかなど関係ない。他の誰かに自分達のアークスが操作されている恐怖だけが、クラスメイト達を支配していた。
「お前、やめろって言ってんだろうがぁああああああああッ!!」
しかし、一人だけ例外がいた。
常日頃から和仁をサイボーグ呼ばわりしてくるクラスメイトは固く拳を握り、郁奈へと殴りかかろうとしていたのだ。郁奈との間にいる和仁の事は、最早見えていない。
「邪魔するなサイボーグ!」
「黙ってろ、それしか言えねぇのかよ、お前の口は!」
その拳を、罵声を、和仁は全身で受け止めた。しかし埋められない体格差に、和仁はじりじりと押しこまれる。あまり長くは持たない。
振り返った和仁は、紗千に郁奈を格納庫から連れ出すよう言おうとした。だが振り返った和仁の目に映ったのは、先ほどまでの毅然としていた郁奈ではなかった。
明後日の方角を向いたまま、大きく目を見開いて呆然としていて……。まるで別の物──壁の向こう側にある何かを見ているかのように。
動きがあったのは、その直後だった。
「伏せて!」
紗千を引き寄せ、郁奈は自分に殴りかかってきた開いてごと、和仁を押し倒した。
ドォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォォォォッッ!!
へしゃげた格納庫の壁が、頭上を飛び越えていった。熱い空気が頬を撫で、のどを内側から焼き焦がす。あまりの息苦しさに、和仁は何事かと辺りを見回し、そして愕然となった。
街のあちこちで、巨大な火の手と黒煙が立ち昇っているではないか。いいや、それだけではない。
空から落ちてくる円筒形の物体。地上に突き刺さったそれらは、爆音と共に平穏を打ち壊していく。無慈悲に、文字通りの意味で。
しかもそれは、和仁が呆然としている間にみるみる広がっていった。絶え間ない爆発の連続音が、耳の奥底まで突き刺さり、脳全体を揺さぶる。
火薬の臭いに混じる鉄と油の臭いに、鼻が曲がりそうだ。
「二人とも、大丈夫?」
和仁と紗千に覆い被さっていた郁奈が、ゆっくりと体を起こした。
紗千は郁奈に手を引かれて立ち上がり、和仁も下敷きにしたクラスメイトの上からどく。
「大丈夫だけど……。ねーちゃん、これって……?」
「いせの『艦隊防空システム』が起動してる。攻撃? この瀬戸内海で? どこから?」
すると、和仁と紗千の視界に、先ほど上空を飛んでいた円筒形の物体が映し出される。
「これ、iリンク!?」
「郁奈ねぇ、何やったの?」
リンクはさっきの攻撃で、一度切れてしまった。それを一瞬で、しかもこっちの許可もなく繋ぎ直してしまうなんて。
これがさっき、連中を一瞬にして恐怖の底に沈めてしまった郁奈の力なのか。
「ごめん。時間ないから、勝手に繋いだ」
荒かった画像が鮮明になっていき、その隣によく似た画像が表示される。新たに表示された画像の下には、『TJ―3』の文字が添付されていた。
「やっぱり。霆撃―3」
「ティンジー?」
「中印が中心になって開発した、陸連で運用されてる汎用対地ミサイル。間違いない」
陸連──アジア大陸連盟。どこか遠くの場所ではない。現在日本は、アジア大陸連盟の国々と戦争状態にある。それが今日初めて、和仁の中で現実となったのだ。
疑問符を浮かべる和仁の問いに、郁奈は断言する。その視線は、上空を飛ぶミサイルへと注がれていた。
ウーーーーーーーーーーー…………!!
爆音の中であっても、耳をつんざくサイレンの音はよく聞こえる。続けて、自衛官の指示に従って非難するように、との放送も聞こえてきた。
しかし、こんな状況で本当に可能なのだろうか。こんな、どこからともなく飛んでくるミサイル攻撃の中を逃げるなんて。
「かず、さち、早く逃げる」
「あぁ」
「う、うん」
だが、今は一刻も早く安全な場所に逃げるしかない。この場所にとどまっていては、いつまた爆風にさらされる事か。
「お前らも、さっさと逃げろよ」
「オレに命令するな、サイボーグが」
和仁が下敷きにしてしまった生徒は、すっかり郁奈に怯えてしまった生徒達に起こされていた。二人分の体重を受け止めたからか、胸や背中を押さえている。こんな状況でも減らず口をたたけるのは、さすがとしか言いようがない。
和仁は最後にもう一度クラスメイト達を振り返ると、郁奈の手を引いて走り出した。