Operation#1:イロカネ起動(6)
「それじゃあ、行ってくるぅ」
和仁と紗千に見送られて、郁奈は校長室に入っていった。時期を間違えたらしいセミの鳴き声が、よく聞こえる。お前ら本番は来月だろう、まだ地面の中に潜ってろようるさいから。
「なんか郁奈ねぇ、かっこよくなかった?」
「仕事モードって事じゃねぇの? ほら、昔からやる気になった時だけはすごかったから」
「あぁ、なるほどぉ」
二人はどんな事があったっけ、とまだ三人が一緒だった頃の事を思い出す。和仁の部屋では散々にけなしまくっていたが、もちろんすごいところもいっぱいある。
夏休みの宿題を手伝ってもらったら一日で終わらせてしまったり、難解なパズル問題も一目見ただけで簡単に解いて見せたり、自由研究で小さなラジコン人機を作ったり。
ただ、それを補って余りあるほどだらけていたのも事実なので、純粋に褒め称える事もできない。なにせ頼まれた和仁と紗千の宿題はほとんど一人で片付けてしまうのに、自分の宿題は参加自由な自由研究しかしなかったりするのだから。
そんな郁奈が仕事の時だけでもキリッとするようになったのは、けっこうな進歩だろう。
「にしても、かずく……和仁くんも教えてくれればよかったのに」
「俺だって、知ったのは紗千を寮に送ってからなんだから、どう考えても無理だろ」
「それって、ついさっきじゃん?」
「びっくりしたって。前電話したのも、春休み前だったし」
ただまあ、思いつきで生きているようなところが、郁奈らしいところなのかもしれない。
「でも、会えてよかったね」
「そうだな。最初は全然変わってないように見えたけど、けっこう変わってた」
「け、けっこう変わってたって、どこの事言ってるの?」
うつむき加減の紗千は、ちらちらと和仁を見ながら聞くと、
「少なくとも、前はあんな悪ふざけするような性格じゃなかった」
和仁は肩をがっくりと落としながらつぶやいた。
薄ら寒い笑いを浮かべるほど、さっきのお色気大作戦は堪えたらしい。
「な、なんだ、そっちかぁ」
「そっちって、何の事だと思ってたんだよ?」
「ううん、なんでもない」
よかった、かずくんがてっきりあのものすごいバストに籠絡されたのかと思った。なんて見当違いの心配をしていた紗千は、気の毒とは思いながらもほっと胸をなで下ろす。
郁奈に比べて、なんと自分の貧相たるや。どうしたらあそこまで大きくなるのか、恥を忍んで聞いてみようか……。
決意を新たにガッツポーズをする紗千の隣で、和仁はそんな幼馴染みの様子に疑問符を浮かべていた。
「おまたせー」
するとそこへ、スイッチの切れてだらしない表情になった郁奈が出てきた。
「短かったな」
「郁奈ねぇ、なにしてたの?」
「ナイショ~。でも、しいて言うならぁ、ハンコもらって来た。あとは、挨拶かなぁ。しばらくは、この街にいるからぁ」
郁奈は背筋を伸ばし、ぐりぐりと体をひねる。腰の辺りから、ボキボキという荒々しい音がした。
そこまで気を張っていたのだろうか、相手があの校長先生ならそこまで緊張する事はなさそうなのだが。背も小さくて人の良さそうな糸目の校長の姿を思い起こす和仁の隣で、紗千はぎゅっと郁奈の手をつかんだ。
「ちょっと来て。郁奈ねぇに見せたいものがあるの」
「さち、それ何?」
「ついてからのお楽しみです」
案内というよりももう連行するみたいに、紗千は郁奈を引っ張っていく。身長差と運動音痴が重なって、郁奈は今にもこけそうになっていた。
着いてからのお楽しみとは言っていたが、和仁にはその場所が既にわかっていた。方角的に考えでも、あの場所しかない。
別の意味で、郁奈が正気を保っていられるか心配ではあるが、喜んではくれるはずである。和仁は先を行く紗千と郁奈を追って、小走りで二人に向かった。
「おおぉぉぉぉぉ……!!」
紗千にある場所へと連れてこられた郁奈は、目の前に広がる光景に目を爛々と輝かせた。まるで、新しいオモチャをもらった子供みたいで可愛い。
「かず! これ! 触ってもいい!?」
「い、いいよ。動かさないなら、操縦席に乗っても大丈夫」
「わかった、ありがとぅ!!」
少し危ない足取りで駆け寄った郁奈は、黄色く塗装されたボディにペタペタと触れた。特に関節や車輪等の駆動部は、穴が開きそうなほどに。
「三笠重工業社製、HMW―77G。原型機から七回の大規模改修を経て、今現在でも現役稼動中の三笠重工の油圧駆動系人機の傑作機が、こんなにたくさん。しかもこれ、初期ロット。G型の中で一番お爺ちゃんの機体。でも履帯と転輪も関節部分もピカピカで整備もちゃんと行き届いてる。あぁぁ、コンパクトに収めたシリンダーの形状が芸術的ぃ」
予想していた事ではあったが、どうひいき目に見ても変人である。一般人が聞いてもわけのわからない専門用語と事細かな情報をを並べては、見ているこっちがどん引きするほど褒めちぎっている。
車輪部分だけでは飽きたらず、階段を上って腕の方もぺたぺた。そしてにぱぁっと表情を輝かせた。
「なんか、予想以上だね。郁奈ねぇ」
「以上というか、知識の深さにも拍車がかかってるな。型番くらいはさすがに知ってるけど、どこ見て初期ロットってわかったんだよ」
「それはそうとさぁ、あの人機って、郁奈ねぇがあぁなるくらいスゴいやつなの?」
「いや、最新のは全部電動、モーター駆動になってる。これはその前の、油の圧力で動くやつの一番最後くらいのモデルになるかな。俺達の生まれるだいぶ前。ほら、さっき型番に『77』ってあっただろ。あれ『二〇七七年に完成』って意味だから」
「甘いなぁ、そこの二人!」
操縦席の横にある手すりから乗り出して、郁奈は和仁と紗千を指差してきた。
というか、二人の位置から郁奈のいる場所まではかなりの距離があるはずなのだが、人機関連になると恐ろしいほどの地獄耳になるらしい。小学校の頃も、これくらい真面目に授業を受けててくれたらよかったのに。
「HMW―77G。七回目のモデルチェンジをしたのも二一〇二年、原型機体の完成はかずの言う通り二〇七七年だから、設計思想は半世紀近くも前のすごく古い機体。近年は製造コストやメンテナンスの簡単な電動モーター系が主流になってきているから、製造数は年々減少傾向にある。しかーし! 向こう数十年は製造終了するは予定はありません。パワーの必要な大型の人機は、まだまだ油圧系が主流。電動モーターの性能も上がってきてはいるけど、まだ油圧には勝てない。だから、新しければいいって訳でもない。わかった? 二人とも」
さすが、人機の事となるととてつもない知識だ。しかもこういう関係の時だけ、しゃべり方もキリリとしてる。
そうしてお説教と人機の説明を終えたところで、今度は操縦席に潜り込んだ。両手のスティックや両足のフットペダルを動かしては、その感触を楽しんでいる。
起動キーは刺してないのでいくら触っても大丈夫、なはずなのだけど……。なぜだろう、ものすごく心配になってきた。
なにせ、興味があることに関しては異様な能力を発揮する郁奈だ。裏コード的な何かを知っていても、全然不思議じゃない。さっき披露した人機の知識からも、その辺をうかがい知る事ができる。
とか思っていたら、郁奈はとてとてと操縦席から降りてきた。
「はぁぁ。大満足」
「あれ、もういいんだ。郁奈ねぇ」
あのまま一時間は放っておいても大丈夫そうだったのだが、思いの外早く降りてきた。
「うん。お昼まだだからぁ、お腹すいたぁ」
と、郁奈は両手でお腹を押さえて腹ペコアピール。今は人機に触れるよりも、空腹を満たす方が優先らしい。
人前である事を配慮してくれたのか、お腹の虫も鳴き声を我慢してくれたようである。
「そういや、俺も昼飯まだだったなぁ」
「はいはーい! 私もまだです!」
和仁が視界の端に映る時計に目をやると、十二時はとうの昔に過ぎていた。部屋での悶着で、思っていた以上に時間を使っていたらしい。
それを自覚したとたん、和仁も紗千も急にお腹が減ってきた。
「じゃぁあぁ、みんな一緒に食べよぅ」
「俺は学食でいい。安い割に量多くておいしいから」
「値段なんか気にしなぃ。全部わたしが奢るぅ」
「おぉぉ、郁奈ねぇ太っ腹! だったらさ、この前近くにできたカフェ行こうよ!」
「ふっふっふっ。お姉ちゃんに任せなさい。でも、お腹は太くないからねぇ!」
郁奈はたゆんたゆんの胸を張って、鼻息荒く笑って見せる。さすが社会人。毎月のお小遣いのやりくりに苦労している和仁や紗千とはえらい違いだ。
「さっき、もう外には出たくないって言ってなかったっけ」
「タクシー呼べばいぃ。今は自転車も荷物もなぃ」
「おい……」
和仁の愚痴もそこそこに、郁奈と紗千はアークスの情報共有モード──iリンクでお店の位置や評判を調べ始めた。これはお互いの視覚に投影されている映像や情報を他人にも見れるようにする機能で、先進国各国でアークスが急速に普及している要因にもなっている理由の一つでもある。
和仁もiリンクを起動させて、二人の輪の中に入る。すると視界はまたたく間に料理の写真で埋め尽くされた。たぶんこれが、例の新しいカフェのメニューなのだろう。写真の下には『超おいしかった!』や『またいきたい』というメッセージも添付されている。
評判も上々。これなら少なくとも、まずい物を食べさせられる心配はないだろう。
と、その時だった。
「あー、くせーくせー」
格納庫の入り口の方から、見覚えのある三つの人影が現れた。