Operation#1:イロカネ起動(3)
汗だくになりながら自転車を漕ぎ続け、和仁はようやく目的地である呉駅に着いた。暑さにやられて、思ったより時間がかかってしまった。
しかし、当の姉の姿がどこにも見当たらない。視界の右上に映る時計を見ると、到着時間はもう過ぎているはずなのだが…………。
『ご乗客の皆様にお知らせします。現在貨物列車の貨物運搬のため、列車の遅延が発生しております。次の列車は……』
上り方面の集積所で荷物の積み下ろし作業が遅れていて、ダイヤが少し乱れているらしい。路線の状況をネットから拾い上げた和仁は、これならもう少しゆっくり来ればよかったと肩を落とす。
飲み物でも買って、改札口で待っていよう。アークスから電子マネーを自動販売機に送信して缶コーヒーを買い、自転車を駐輪場に停めて駅構内に入った。
「あぁ~~~、涼し~~~」
中は適度に冷房が効いていて、暑くもなく、寒すぎもせず、丁度いい温度で保たれていた。缶コーヒーをぐぃっと一本飲み干すと、和仁は改札口近くの壁に背中を預ける。
着いたという電話は…………しなくてもいいか。
それはそうと、小学生時代に離れ離れになってから実際に会うのは、実はこれが初めてなのだ。よく考えてみたら、すごすぎて今になって緊張が激しくなってきた。
電話での雰囲気は全然変わっていないけど、見た目の方はそういうわけにもいかない。年齢的には大学生。働いていても、不思議ではない年齢である。
むしろ、離れ離れになった小学生のままの方が色々と問題だろう。
「まだかなぁ……」
話したい事はいくらでもあったはずなのに、いざその場に直面してしまうと上手く考えがまとまらない。
嬉しいはずなのに、会うのにちょっと躊躇いを覚えてしまう。
どんな姿になっているのだろう。美人になったのか、可愛い感じなのか。運動がとにかく嫌いだったから、もしかしてぽっちゃりさんになってたりするかも……。
『大変お待たせしました。十分遅れで運航しております……』
と、そうこう考えている内に、姉の乗っている列車が到着した。
果たして、どれだけ変わっているのか。期待と不安の入り混じった奇妙な緊張感に、胸がドキドキする。すると雪崩のようになって、改札口から人が押し寄せてきた。
列車が遅れていたせいか、皆急ぎ足で和仁の目の前を過ぎ去ってゆく。どこにいるのかと、姉の姿を探す和仁。そして群れの最後尾のもう一つ後ろに、額に手をやってふらふら降りてくる女の人を見つけた。
もしやと思い、和仁はアドレス帳から電話をかける。
『か、かずぅ…………。人に酔った、うぇぇ』
ふらふら歩いている女の人の口が、頭の中に聞こえる声がぴたりと重なった。
やっぱり、あの人が和仁の姉で間違いない。よれよれのスーツに黒いキャリーバッグを携え、反対の手には空になったペットボトルを持っている、あの人で。
「ねーちゃん。頭、上げてみ」
『んん? えぇ?』
がっくりとうつむいていた顔が、正面へと向き直った。
別れた時よりもずっと背が高く、男の和仁よりもまだ少し高くなっていて、女性らしいラインがくっきり出ている。胸は人目を引くほど大きく、腰はキュッと引き締まっていて、そこだけ見ればもうすっかり別人だ。
だがその反面、変わっていない部分もある。当時から長かった髪はもっと長くなり、腰に届くまでになっていた。だが髪が長いのは、面倒くさがって単に切っていないだけだろう。
相変わらず、身だしなみには気を使っていないらしい。
でも、変わっていないのがなんだかとても嬉しい。目の合った瞬間、半開きだっただるそうな目が、ぱっちりと開いた。二重のまぶたは、しばらく会っていない母親を連想させる。
「かずぅ、会いたかったぁ!」
だるそうな声からは想像もできないダッシュで改札をくぐりぬけ、姉は勢いのままになんと和仁へと抱きついた。
「ちょっとねーちゃん! 恥ずかしいから、こんな場所で抱きつくな!」
豊満な胸に顔を包み込まれて恥ずかしい和仁だが、こうなってしまっては何を言っても聞いてはくれない。肩をつかんで押し離そうにも、それ以上の力で抱きついてくる。
十年近く前に離れ離れになってしまった姉──郁奈との再会は、和仁の十七年の人生の中で一番恥ずかしい事件となった。
自転車の荷台に荷物をくくりつけ、二人は呉駅を出発した。
夏の日差しは容赦なく照りつけ、二人の体力と水分をどんどん奪ってゆく。元々体力もない上に人混みに酔った郁奈は、もう限界のようで、
「かずぅ、タクシー呼ぼぅ」
駐輪場から出て、まだ十秒。離ればなれになっている間に、ダメ具合にも磨きがかかったようだ。我が姉ながら、本当に情けない。
「タクシー呼ぶほどじゃないって。それに、さすがに自転車は積めないでしょ」
「ならぁ、自転車も積めるタクシーをぉ」
「じゃあ、ねーちゃんだけ先に行きなよ。俺は自転車で帰るから」
「ぶぅぅ、かずのいじわるぅ。かずと一緒じゃなかったら、タクシー呼ぶ意味なぃ」
郁奈は、昔からお姉ちゃんぶりたい割には、甘えん坊なところがある。一緒でなければ嫌と言うのも、その一つだ。
それ自体は和仁も嬉しいのだが、それはそれ、これはこれである。ちゃんと誰かが監視していないと、どこまでもだらけてしまうのが郁奈の悪い癖なのだ。
現に、
「それなら、一緒に歩きなって」
「ダメ、あつい、ムリ、とけちゃう、かず、おんぶしてぇ」
「ワガママ言うな、自分で歩け」
「うぅぅ、ならがんばるぅ」
既に荷物を運んでもらっているのに、おんぶまでしてもらおうとするところ、とか。
さすがに、キャリーバッグを積んだ自転車を押しながら郁奈を背負って歩くだけの体力はない。目的地までは、頑張ってもらわなければ。
するとそこで、和仁はようやくある事に気付いた。そもそも、郁奈は何のためにこの街を訪れたのだろう。
スーツ姿なのを見れば、少なくとも観光ではない事は察しがつくが……。
「そういやねーちゃん、今日は何しに来たの?」
「あぁ、えっとぉぉぉ、荷物の点検? かなぁ」
「荷物?」
「それはナイショ。機密事項につき、お答えする事はできませ~ん」
「機密事項って、どういう事?」
「むふふふ。かず、聞きたいぃ?」
郁奈の顔が、だらしない笑みを作った。元からだらしなかったと言えばそうなのだが、自慢したくてたまらないと顔に書いてある。
ここで聞かなかったら、確実に拗ねるんだろうな。和仁は拗ねて口を尖らせていた時の郁奈を思い出して、苦笑いを浮かべる。和仁の苦笑いの意味がわからなくて小首をかしげる郁奈だが、同時に『まだ聞かれないかな?』とソワソワしていた。
仕方がない。拗ねて口を聞いてくれなくなる前に、聞いてあげるとしよう。
「聞きたい」
「わかったぁ。かずに頼まれたんじゃぁ、お姉ちゃんとして断れなぃ」
むふふふと鼻息を荒くして、郁奈は豊満な胸を張る。紗千が見れば、さぞ羨む事間違いない見事なバストだ。
「実はお姉ちゃん、就職しました」
「………………………………え?」
「しかも、研究開発系です」
「………………………………へ、へぇ」
「なのでぇ、仕事に関わる事はぁ、ぜぇ~んぶ、しゃべれないの。びっくりした?」
「う、うん。びっくりした」
職種とかよりも、就職ができた方に関してだが。いや、当時から頭は相当良い方ではあったのだけど、授業態度がだらしないって先生によく怒られていたのだ。
それを考えると、なんだか感慨深いものがある。
「でも、なんとなくわかる気がする」
「そぉ?」
「だってねーちゃん、母さんみたいな科学者になりたいって、ずっと言ってたじゃん」
もしかして、これを覚えていたから、郁奈が研究開発の職に就いたと聞いても、あまり驚かなかったのかもしれない。
ついに夢に一歩近付いたのかと思ったから、『感慨深い』なんて思ったのかも。
あまりおだてても調子に乗るだけなので口には出さないが、和仁はそんな姉が誇らしかった。
「それを言うなら、かずだって」
「え?」
「父さんみたいに、戦人機にうまく乗れるようになりたいって、言ってた」
「あぁ。言ってたっけ、そんな事」
もちろん、あの約束と一緒に覚えている。自慢気に戦人機を操縦する父の姿がかっこよくて、自分もそうなりたいと思ったのだ。
ただそれだけ。かっこいい親への憧れという点は、郁奈と全く一緒だ。
「そういえば、父さんどうしてるの? 母さんは、相変わらず泊まり込みが多いけど」
色々と思い出したついでに、和仁は父の事を聞いてみた。電話番号もメールアドレスも知らず、母に聞いても教えてくれた事はなかったので、実は一回も連絡を取った事がないのである。
父に引き取られた郁奈なら、知っている事もあるはずだろう。と思ったのだが……、郁奈の様子がどうにも芳しくない。
「う~ん、最近はわたしもあまり会ってないから、よくわかんなぃ。死んではいないみたいだけどぉ、電話しても出ないしぃ」
「電話しても出ないからって、殺しちゃダメだろ」
残念ながら、ここ最近の状態は郁奈にもわからないらしい。
しかし父の職業柄、それも仕方のない事だろう。特に今は、状況が状況である。和仁の学校やその周辺の地区は平和そのものだが、日本は今現在、アジア大陸連盟の国々と戦争状態にあるのだ。
特に離婚して離れ離れになった父は、開戦時には占領された九州にいた。無事脱出にしているのがわかっているだけでも、和仁はまだ幸せな方なのである。
「でもほんと、どうしてんだろうな。父さん」
父の事を思い、しばし沈黙していた和仁だったが、不意に口を開く。
自分の憧れたかっこいい父は、今どこで何をやっているのか。気にならないわけがない。
まあ恐らく、人様に言えないようなろくでもない事には違いないのだろう。転職でもしていない限りは。
「ねぇねぇ、かずぅ」
「ん?」
「アイス食べよ。アイス」
袖をぐぃぐぃ引っ張ってくる郁奈が指差すのは、冷房のガンガン利いているコンビニだ。
まあそれなりの距離は歩いたのだし、そろそろ休ませてあげてもいいだろう。体力のない姉を猛暑の中歩かせて、熱中症にでもなられたらたまらない。
「ねーちゃんがおごってくれるなら、考えてもいいよ」
「むふふぅ。社会人のお姉ちゃん、甘く見ちゃダメ。何本でもおごっちゃう」
「一本でいいよ、腹壊すから」
自転車に鍵をかけて、コンビニに入っていく和仁。
隠そうとはしていたのだろうが、郁奈はちゃんと見透かしていた。大切な弟が見せていた、悲しそうな横顔を。
父親の事が心配なのもそうであるが、学校の事でも悩みがあるのだろう。直結型アークスの所有者がどのような目に遭っているのかは、郁奈も熟知している。それはまた、自分自身も通った道であるから。
それを元気付けてあげるのは、お姉ちゃんである自分の役目なのだ。
「かず、強くなったね」
それでも自分に心配をかけまいとする弟の後ろ姿に、郁奈は目を細めるのであった。