Operation#3:コード・ヴェルメリア(5)
紅金のコックピットに乗り込んだ和仁は、評価試験開始の時間を今か今かと待ち構えていた。
別段、難しい事をするわけではない。頭では理解しているのだが、未知の経験だけに不安はぬぐえない。無論、それ以外にも不安をかき立てる要因は様々ある。
例えば、和仁の今着てる服なんかもそうだったりする。全身を締め付ける圧迫感は、制服のそれとは比較にならない。
「どう? ランナースーツの着心地は?」
「超息苦しい」
足先から手の指一本一本に至るまで、首から下はぴっちりとした戦闘服に覆われていた。フェリルの話では炭素繊維をベースに作られていて、関節は動かすのに邪魔にならない範囲でプロテクターによる保護がなされているらしい。
黒を基調としたプロテクターにはアクセントの赤いラインが走っていて、見る分にはなかなか格好いい。しかも見た目に反して非常に軽い。もしかして、学校の制服よりも軽いのではなかろうか。
先ほどいきなりトレーラーの一つに連れ込まれていきなり脱げと言われた時は何事かと思ったが。さすがに更衣室は別でよかった。もっとも、一人では上手く着替えられなかったので最後は泣く泣くフェリルに手伝ってもらったのだが、郁菜にバラすのはミルフィーユ一つで手を打ってもらった。
「そこは慣れてもらうしかない。多少キツいのは集中力を保つため。その証拠に、気分がシャキッとするでしょ?」
「そりゃ、まぁそうだけど」
そしてランナースーツとは別に、和仁の緊張を増長させる原因がもう一つある。具体的に言うと、和仁のすぐ目の前に。
その正体は、和仁のアークスに刺さっているジャックの先にある。実は和仁のアークスに刺さっているジャックの本数、一本ではないのだ。
紅金と繋がるジャックの下にもう一本、白いコードが伸びている。そのコードをどんどん下へたどっていくと……。
「ん? カズヒト、どうかした?」
和仁同様、ランナースーツに着替えたフェリルの姿があったり。こちらは白ベースに赤いラインの入ったランナースーツを着用している。
「いや、何でもない」
まだ操縦に慣れていない和仁の補助を行うために、フェリルも紅金に同乗しているのだ。無論、開発者の二人はライバル機のランナーであるフェリルの同乗に難色を示したのだが、直結型アークスを付けたランナーがフェリルしかいないという理由で郁奈がごり押ししたのである。
まあ、実際のところはと言えば、
「カナ、そっちの準備はどう?」
『あと八五秒』
操縦の補助はスティック操作なので、誰でもできたりするわけであるが。
だが、和仁にとってはこれがまた大問題であった。
「うぅぅ……」
「カズヒト、動かないで。背中がもぞもぞして気持ち悪い」
「わ、悪ぃ」
一般的な人型戦闘機甲は操縦士と砲手兼レーダー管制士の二人乗りが基本となっているのだが、紅金の操縦席は複座ではなく単座──ようは一人乗りなのである。つまりフェリルは唯一スペースの開いている和仁の股の間に座っているのだ。
ランナースーツはぴっちりしているだけに、ボディーラインがもろに出る。その上、背中は和仁の胸に押し当てられるものだから体温もダイレクトに伝わってくる。
さらにシャンプーの香りも超至近距離から鼻腔になだれ込んでくるので、視覚・触覚・嗅覚の三点責めにより、和仁の理性は既にノックアウト寸前なのであった。
──これは、ヤバい。
視線は自然と、フェリルの素敵なボディーラインへと向かう。制服の時にはわからなかったのだが、けっこう胸がでかい。
郁奈には及ばないまでも、紗千よりも圧倒的にでかい。まさに、胸囲の格差社会。
何やってんだよ俺は、いやでももう少し、と和仁の視線が計器とフェリルの間を行ったり来たりすること十数回後。
『計測班、準備完了ぉ。紅金、起動して』
しゃきっとした郁奈の声が、スピーカー越しに聞こえてきた。
「カズヒト、もういいわよ」
「あっ、おぉ」
振り返るフェリルに、和仁は慌てて正面に向き直る。そして目を閉じ、精神を集中させた。
次の瞬間、真っ暗だった視界が一瞬にして拡張される。見下ろせばそこにフェリルの姿はなく、白に赤いアクセントの入った腕が目に入った。
ただ残念ながら、フェリルの体温は消えてはくれないらしい。感じなくなれば少しは緊張もほぐれるのに。
「操縦システムとのリンク完了。同調率七八パーセントで良好。これより、稼働試験を開始します。にしても、すごい数値ね。ワタシでもこんな高くないのに」
『了解しました。ではまず、LFCPS―X15の耐久試験から行います。紅金は、左腕に装備した仮想粒子装甲の発生装置を展開してください』
フェリルと郁奈の間で交わされる言葉に、いよいよ本番なんだと緊張の度合いが高まってゆく。郁菜の口調もいつもとはうって変わり、きびきびしたものになっている。
和仁は郁奈の表示してくれたガイドカーソルに沿って、紅金を歩かせた。整備台から一〇〇メートルほど移動させたところで、和仁は紅金を停止させる。
「紅金、仮想粒子装甲を展開します。カズヒト、準備はいい?」
「あぁ、頼む」
フェリルは各計器を確認しつつ、スティックのボタンを押し込んだ。すると左肘に装着された六角形の装置が、各辺をがちゃりと展開させる。
さらに和仁が左肘を突き出すように構えると、装置がぶろぉぉんと重たい音を響かせた。
これで、こちらの準備は完了だ。
『鉄、配置完了。照準、紅金』
続けて発せられる、郁奈のアナウンス。後方から回り込むようにしてやってきた三機の鉄は、紅金の正面で自動大銃を――戦人機用の大型アサルトライフルを構えた。
肉眼で見るよりくっきりと、和仁の視界に銃口が映し出される。自身の内側から溢れる恐怖に、ごくりと生唾を飲み込んだ。
シミュレーターでは大丈夫だったのだから、実際にも耐えられるとは思うのだが。
『一番機、射撃を開始してください』
『一番機、了解。射撃を開始します』
そして郁奈の指示の元、一機の鉄があっけないほど簡単に引き金を引いた。
硝煙と同時に吐き出される無数の弾丸。しかしそれらは紅金を撃ち抜かんとする直前で、あらぬ方向へと逸れてゆく。まるで、あたかもそこに見えない壁でもあるように。
「カズヒト、ビビり過ぎ」
「お前に散々脅されてたからな。そりゃビビるっての」
「仮想粒子装甲は、護鋼の時点で確立されてる技術。同時着弾じゃなければ戦車の砲弾だって弾き返せるんだから、戦人機用の自動大銃で撃ち抜けるわけないでしょ」
「わかっちゃいても、恐いもんは恐いっての」
和仁は改めて、紅金の直前で弾ける弾丸を見やった。さらに二機の射撃が加わるも、状況に変化はない。
見えない壁にでも阻まれたかのように、全ての弾丸が直前で明後日の方向へと軌道を変えていく。いや、実際には見えにくいだけで、壁はあるのだ。
やがて全て弾丸を撃ち尽くした鉄は、銃口を上へと向ける。ジャラジャラと足元に広がる空薬莢と立ち込める硝煙が、威力のほどを物語っていた。
これこそが、仮想粒子装甲。特殊な粒子を空中に固定する事で極めて視認性の低い装甲を作り出す、世界最強最先端の防御機構なのだ。
すると、ほっと一息ついている和仁の視界にデータが表示された。特に目立つのは、円グラフと高低差を現す地図みたいな図形の二つ。
「なんだこれ?」
「仮想粒子装甲の粒子残量と、形状歪曲率。表示するの忘れてた」
「……ほんとに?」
「ううん、わざと」
なんだか泣きたくなってきた。だってフェリル、超ご機嫌な声なんだもん。
「大丈夫、ワタシがちゃんと管理してたから。粒子残量は97%。さっきの歪曲率も、最大で0.53%。危険域は歪曲率が40%を超えてからだから、まだ大丈夫」
「ねーちゃん、フェリルの言ってる事って、本当なのか?」
『うん。形状歪曲率は40%までならへーき。ふぇりる、嘘言ってない』
「ほらね?」
「『ほらね?』じゃねぇよ」
ついさっき嘘をついたばかりの人間を信用できるかての。今回は郁奈のお墨付きがあるので、安全面は信用するとして。
『じゃあ、次いってみよぉ~。鉄は下がって、40式戦車は、配置に付いてください』
不吉なアナウンスが聞こえた気がした。和仁は、一瞬我が耳を疑う。
「あのぉ、フェリルニーナさん」
「何?」
「今、戦車って聞こえたような……」
「予定だと、本土仕様の最終ロットらしいわよ。えっと、防衛省に納入したのが十年くらい前ね。資料に書いてある」
やっぱり、和仁の聞き違いではなかったらしい。しかもオマケとばかりに、今やっている試験予定をiリンク経由で送りつけてきた。だからなぜ、そういう大事な資料を事前に渡してくれないのか。
それに目を通すと、仮想粒子装甲の項目にしっかりと書かれている。『対戦車戦を想定した装弾筒付翼安定徹甲弾防御試験』と、やたら長くて舌を噛みそうになる、いかにも戦車の砲弾っぽい超強そうな名前の弾を受ける、と。
そもそも、戦車砲すら弾き返すと聞いた時点で、想定しているべきだったのだ。防御試験に戦車が出てくるという事を。
「ねーちゃん」
『ん? どうしたの? かず』
「これ、本当に大丈夫なんだよな?」
『へーきー。だから頑張ってねぇ。あ、でもこのロットで試すのは初めてだけどぉ。40式戦車、配置完了。照準、紅金。一番車両、射撃をお願いします』
『一番車両、了解。撃ち方用意…………撃て』
「ちょっと待って! まだ心の準備が!!」
和仁の懇願も叶わず、にこやかな郁奈の指示の元、五〇〇メートルほど先に展開する戦車部隊の中の一両が火を噴いた。
点のように小さかった砲弾はあっという間に大きくなっていき、
────グアァンッ!!
直撃寸前で目もくらむような火花を散らし、砲弾は別の方向へとそれていった。
「形状歪曲率、08%前後で推移。ね? 全然大した事ないでしょ」
「死ぬかと思った……。大丈夫だとしても、心臓に悪いっての」
フェリルは感じていないからわからないだろう。
鼓膜が破れそうなほどの砲撃音。装甲下の複合スキンセンサーから伝えられる空気の震動や熱気。どれもこれも、人の恐怖を呼び覚ますには十分過ぎるほどの威力を持っている。
「死んだとしても、ワタシみたいな美少女と一緒なら本望でしょ」
「自分で美少女言うなっての」
「あ~、そんな事言うんだ。盾のスイッチ、切っちゃおうかな~」
「フェリルニーナさんはものスゴい美少女だと思います」
「ありがと。お世辞でも嬉しいわ」
コックピットの中にまでフェリルの独裁政権が敷かれてる間に、次の砲撃が行われた。
二つの砲筒が火を噴き、音速の五倍もの速度で砲弾が射出される。だが、仮想粒子装甲はそれをいとも簡単に弾き返した。
シミュレーターでは経験していたが、あまりに非現実的すぎる防御力だ。目に見えない粒子の装甲が、戦車砲すら弾き返すなんて。知識として知っているのと経験は違うって意味か
「すげぇ音だな……。しばらく耳がジーンってなりそう」
「大丈夫、その内バカになって気にならなくなるから」
「耳悪くなんねぇのか? それって」
「紅金の場合は、外部マイクの拾った音を脳で聞いてるだけだから大丈夫」
「字面だけ見てると、なんだか病人みたいだな」
「それより、次くるわよ」
フェリルがそう言った矢先、パッパッパッ! 三つの光が点滅すると、これまでで最も激しい衝撃が襲いかかってきた。
しかも今までと違って、腕を押し返してくる感触がある。その感触に、冷や汗が背中を濡らす。本当に、大丈夫なんだよな。
「なんか、そろそろ危ない気がすんだけど。変な感触あったぞ?」
「数値的には大丈夫。最大でも20%超えたくらい」
自分でも視界左下のデータに目をやると、歪曲率は最大でも20.09%。フェリルの言うように、数値的にはまだまだ安全域だ。
だが逆を言えば、20%でこれなら、40%の時の感触はかなりの物になるのではなかろうか。
『じゃあ最後に、形状歪曲率が35%になるまで、砲撃を続行してください』
『了解。全車両、砲撃準備』
「ちょっと待って! 砲撃受けるたびにけっこう熱くなるから、それだけでもなんと…」
「カズヒト、ぐちぐち言うの、カッコ悪い」
和仁のお願いもむなしく、三両の40式戦車は紅金への連続砲撃を開始した。




