Operation#3:コード・ヴェルメリア(2)
午前中の成果をわかりやすく一言で言い表すと、『三割ちょいですがもう勘弁してください』である。これでもかなり努力した方なのだ。
しかし、読めたのは序盤の概要くらいで、詳細については難しすぎて何が何やら。
専門用語に謎の英単語と文字ばかりの数式が連続。図面もあったが全体図がわかるだけで、内部の詳細な機構など、どの部品がどのように作用しているかなんてわかるわけがない。
わかった部分があるとすれば、三笠マテリアルという素材メーカーの製造している殊な粒子を用いて、あれやこれやするという事くらいいだ。
[進捗具合はどうかしら? 天城三曹]
[いいわけないだろ……。頭痛くなってきたから寝たい]
iリンクのチャットモードで四〇分おきにフェリルから連絡が来るのだが、なかなか増えないページ数に関してどう思っておられるのか。少なくとも、ポジティブな印象を持っておられないのは確定事項であろう。
午前の授業を全て使っても、読めたのは三〇〇と十一ページ。早退までには読み切るのは絶対に不可能だ。
頑張るには頑張って読むが、あとは本番に全てを賭けよう。本番には郁奈を始めとした整備班や解析班、開発企業の人もいるとの事なので、多分、恐らく、きっと大丈夫、…………なはずだ。というか、大丈夫と信じるしかない。
そして昼食の時間もマニュアルを読み続け、五時限目が始まる前に荷物をまとめて下校の準備を始めた。早退の申請書類は既に提出・受理されているとの事。
男子寮に入寮してきた件と言い、素晴らしさ手際だ。国家権力様々である。
もちろん、クラスメイト達からはあらぬ嫌疑をかけられたわけであるが、そこはフェリルガードで何とかやりすごした。こればっかりは、フェリルも気付いていないようである。
そう、フェリルが隣に居さえすれば、和仁が襲われる事もないのだ。では、もしそれでも襲って来た場合はどうするか?
それは………………………………………………………………今は考えないことにしよう。
そして和仁は、フェリルと堂々と正門から下校したのであった。クラスメイトからの殺気に解放された和仁は、ようやく一息つく。
だが、それも仮駐屯地に着くまでの話。
「はぁぁ、疲れた」
マニュアルを読み続けていた疲れが、一気に押し寄せてきた。
しかし、本番はこれからなのだ。試験、ちゃんとできるかなぁ。
そんな二重の不安のお陰で、両肩がずっしりと重い和仁なのであった。
「ところでカズヒト、聞きたい事があるんだけど」
「んん?」
そんな和仁の心労などお構いなしのフェリルは、
「カズヒトって、嫌われてるの?」
と、いきなりそのような事をのたまわれた。
これはあれか、からかわれているんだよな。まさか、本気でわかっていないわけないよな。なんて考えが、一瞬だけ和仁の頭をよぎった。
和仁はため息をつきながら、あのなぁ、とフェリルに向き直る。当の本人に原因があるのもあって、和仁の語気は荒く目つきも険しい。
「もしかして、聞いちゃいけなかった?」
だがフェリルは、なぜ和仁が怒っているのかわかっていないようであった。いつもなら嘲笑うようなしたり顔を向けてくるところなのに。
これは、本気でわかっていないらしい。
「いや、違うって。まさか自覚がなかったとは思わなくて」
額に手を当てる和仁に、どういう事? とフェリルは首をかしげる。
「まぁ、前から嫌ってたヤツはいたけど、今のクラスの連中が俺を嫌ってるのは、フェリルのせいだからな」
完全に毒気を抜かれた和仁は、仕方ないなぁと切り出す。
「私のせい?」
「人機科って、フェリル以外全員男だろ? そんなとこに可愛い転校生が来たんだから、普通うかれるだろ」
「へぇ。私って可愛いんだ。ねぇ、カズヒトはどう思ってるの?」
和仁が話を切り出すと、今度はいつもみたいなしたり顔でのぞき込んできた。
それでも可愛いと言われたのが嬉しかったのか、今までより少し声が弾んでいるように感じられる。
「まぁ、一般論で言うんなら…………可愛いんじゃねぇかな。って、そうじゃなくてだな!」
「そうねぇ。カズヒトが好きなのは足だもんねぇ」
「………………ようは、新しく入ってきた女子が俺の知り合いで、しかもなぜか俺と相部屋になったもんだから、激しく嫉妬してんの」
と、無駄に抵抗してもからかわれるだけなので、和仁は話を強引に締めくくった。
だがその後に、別の本音がぽろっと口をついて出てしまう。
「まぁ、それとは違うヤツもいるんだけどな」
「違うヤツ?」
風の合間に消えてしまいそうなほど小さな声であったが、フェリルはそれを拾い上げ、聞き返した。和仁も、無意識の内にフェリルを見ていた。
その細い首にはまる、直結型アークスを。いくら薄くなったとしても、それだとはっきりわかる。
和仁の脳裏に浮かび上がるのは、いけすかないごく一部のクラスメイト達。直結型アークスを付けている人間を、異様なほど毛嫌いする人達の姿だった。
「うちの学校にもいるんだよ、嫌いなヤツが」
そう言うと、和仁は自分のアークスをこんこんと突っついて見せた。
普段なら絶対に話す事はなかったであろう。それも、フェリルはまだ会ったばかりの相手だ。仲の良い友人にすら話した事がないのだから、余計にフェリルに話すような話ではない。
ただ一つ理由があるとすれば、フェリルもまた和仁と同じ側──直結型アークスを付けていた事による、勝手な仲間意識があったからかもしれない。
「直結型アークスの偏見、かぁ」
「そういう事。俺以外にも、いるっちゃいるけど」
「そういえば、あからさまに嫌そうなのが何人かいたわね」
間違いなくあいつらだ。先生の居ない場所で顔を合わせる度に、人の事を改造人間だのサイボーグなどと言ってくる。
あろう事か、先日は偶然来ていた郁奈にまで暴言を吐いて。それは和仁にとって、どうしても許せない事であった。
「フェリルは何か言われなかったのか?」
「嬉しい事に、まだ言われた事はないわね。もしかして、気でも使ってくれてるのかしら?」
さすがに、クラスのアイドル的地位まで祭り上げられているフェリルに、暴言を吐く勇気まではなかったのだろう。
だが、忘れてはいけない。直結型アークスを装着している人間への態度は、どちらかと言えば嫌っている方が一般的なのである。年齢層が下がれば下がるほどネガティブな印象が薄くなる傾向があるのも確かであるが、少数派なのには変わらない。
「まぁ、もうすぐ夏休みだから、しばらく顔会わせずに済んでいいだろ」
「それはありがたいわね。ワタシもそんなのとはできるだけ会いたくない」
思わぬところで意気投合してしまった事がおかしくて、和仁は自然と笑い声がこぼれる。それに釣られたのか、フェリルもふんと鼻で笑う。そして、もしそんなことを言われたら力づくで黙らせてやるけどね、と頼り甲斐のある一言を頂いた。
もしかしたら、フェリルも嬉しかったのではなかろうか。同じ気持ちを共有できる、同じ立場──同じ直結型アークスを装着している知り合いが増えた事が。
「それはそうと、マニュアルは全部読んだのかしら? 天城三曹」
と、喜んでいられたのもここまで。フェリルの一言で、和仁は一気に現実へと引き戻された。そもそも今日早退した理由は、新型兵装の性能評価試験のためである。自分が試験を受けるわけではないのに、激しく緊張していた。
しかしまあ、先日ようやく期末テストが終わったと思ったばかりなのに、またテストとは。
「い、いやー、頑張ったのは頑張ったんですけどねぇ……」
「読めなかったのね。大丈夫、最初からそこまで期待してなかったから」
冷たい一言であしらわれてしまった。
こちとら不安でいっぱいなのだから、少しは元気付けてくれてもいいのに。そこは諦めるしかないか。
「ほぅら、さっさと行く。待機時間も使えば、もうちょっとは読めるでしょ」
遠くに見え始めた仮駐屯地に、フェリルは足を早めた。紅金強奪のためにミサイル攻撃を免れた仮駐屯地の建物はよく目立つ。
しかしその周辺では激しい戦人機戦が繰り広げられたので、一帯は瓦礫の山と化してしまっていた。それでもたった四日で交通インフラを整えてしまう辺りは、さすが自衛隊である。
和仁はフェリルを追って足を早めた。変わってしまった風景を悲しんだり、瓦礫撤去の手際に感心している場合ではない。
今は少しでも多く、マニュアルを頭の中に入れなければ。理解できるかどうかは別として。
そんな瓦礫と化した街の中を、フェリルと和仁から身を隠すように一つの人影がこっそりと後を追いかけていた。




