Operation#1:イロカネ起動(1)
少年は、小さな四角い空間の中に押し込まれていた。いや、正確には押し込まれていると言うよりも、少年自らが望んで入っている、と言った方が正しいだろう。
「あっちぃ……」
ぼやきながら、両手のスティックを巧みに操作する。すると四角い壁──超硬ファイバーガラスの向こう側で、二本のロボットアームが稼働した。
甲高いモーターの駆動音がファイバーガラスを揺らし、内側までその音を伝えてくる。
蒸し暑い上に騒音という二重苦についつい手元が狂いそうになるが、これを失敗してしまっては再来週から始まる夏休みが補修と追試で台無しになってしまう。そんなのはもちろんゴメンなので、絶対に成功させなければならない。
アームの先に付いた五本の指が滑らかに動き、鉄筋をつかみ上げた。続けて両足のフットペダルを踏み込み、反転して鉄筋を静かに置く。さらに人間よりも巨大なコンクリートブロック、ボコボコの貯水タンク、スクラップになった車や原型のわからない機械。乱雑に山積みされたそれらを、山を崩さないように慎重にどかしてゆく。
それを十分ほど繰り返していると、その下からお粗末な人形が現れた。
『出席番号三番、天城和仁、テスト課題終了。人機を格納庫にしまったら、帰ってもいいぞ』
モーターによる騒音の中でも、声は少年──天城和仁──の脳裏に明瞭に聞こえた。
怒鳴られてはいないようなので、夏休みの補習と追試はなさそうだ。
「わかりました。失礼します」
今は一刻も早く、この汗を洗い流したい。
和仁はフットペダルを巧みに操り、格納庫に向かった。
緊張から解放された和仁の鼻に、瀬戸内の海からやってくる湿った風が潮の香りを運んでくる。
国立呉先端技術高等専門学校。工業にまつわるあらゆる先端技術を学ぶ事のできる国立の工業高校が、和仁の通っている学校だ。
海に飛び込みてぇとか考えながらも、和仁は機体を格納庫前まで移動させる。するとその入り口前で、よく知る少女が和仁を待ち構えていた。
この暑い中、そんな場所で待っていなくてもいいのに。だが同時に、少し嬉しいものがあるのも確かだった。
『テスト、お疲れさま。かずくん』
頭の中に、明瞭な声が響いた。馴染みのある柔らかな声に、テストで緊張していた気持ちも少し和らぐ。
だが、それはそれとして、一言いわなければならない事がある。
「その呼び方、恥ずかしいからやめろって言っただろ」
『えへへへぇ……。ごめんねぇ、つい』
「ったく……」
口では悪態を突きながらも、和仁の口元は笑っていた。昔と全く変わっていない彼女に、何度助けられた事か。
夏休みになったら、どこかに連れて行ってやろうか。大してない小遣いの残高を考えつつ、和仁は格納庫の中へと入った。
中に入ってあるていど進んだところで、機体を反転させバックで進んでゆく。そうすると、ガタッとタイヤが何かにぶつかった。
「ふぅぅ。終わったぁ……」
深いため息をつきつつ、機体の電源を落とす作業に入る。各種のスイッチを順番に落としてゆき、最後に特殊な加工の施された起動キーを抜き取った。
あとは、これを格納庫の責任者に返せば終わりだ。側面のドアを開き、備え付けの急な階段を下って和仁は地面まで降りた。
「お疲れさま、かずく……和仁くん」
格納庫の前で待っていた少女が、階段から降りたすぐ近くで待っていた。
「待ってくれてるのはありがたいんだけどさ、紗千。別に外じゃなくてもいいだろ」
南條紗千。何かと世話を焼いてくれる、和仁の幼馴染みある。
ボブカットのふんわりとした髪の毛が、汗で頬に張り付いていた。
「だってぇ、中だとよく見えないんだもん」
と、紗千はそう言って傍らのソレを見上げた。釣られて和仁も、後方を振り返る。コの字型の整備台に鎮座する、巨大な機械の姿を。
汎用人型作業機。略して人機。先ほどまで和仁の乗っていた、全長六メートルほどの人型の作業機械だ。今では重機といえばこの人機を指し、アタッチメント交換であらゆる作業をこなす事ができる、まさに汎用性の高い作業機械である。
人型とは言ってもそれっぽいのは両腕だけで、足の方はキャタピラになっている。変形すれば二足歩行もできるのだが、それは二学期から学習する予定だ。ちなみに実機での実習は始まったのは二年生になってからなので、まだ本物の人機には四ヶ月しか乗っていない。
なにはともあれ、お疲れさん。心中で労をねぎらいながら、和仁は今日世話になった人機のボディに触れた。
黄色いボディは夏の熱気を吸収して、ちょっと火傷しそうになっていた。
「四月から比べると。ものすごく上手くなったんじゃない?」
「さぁな。俺より上手く扱える奴なんて、いくらでもいると思うけど」
「ううん、そんな事ないって。二年生の中なら、かずくんが一番上手いもん」
「こら……」
「あ、ごめん」
紗千はあっ、と口に手を当てる。また『かずくん』呼ばわりされた和仁は、キッと鋭い視線を向けた。
何度言っても直らないのだから、困ったものだ。本人に悪気がないのもあって、和仁の方もなかなか強く出られない。もっとも、紗千の謝罪の言葉にもこれっぽっちの誠意も感じられないのだから、ため息をつくくらいの権利はあるだろう。
そうこうしている内に、テストを終えた同級生がちらほら帰ってきた。所定の整備台の前で反転し、バックで入っていく。和仁に勝るとも劣らない、鮮やかな手際だ。
ただし、和仁に比べてやや乱暴な印象を受ける。
「よう、サイボーグ。昼間っから見せつけてんじゃねぇぞ!」
もしかしたらその原因は、搭乗者の性格に起因するのかもしれない。
和仁をサイボーグ呼ばわりした生徒は、他にも二人の友人も伴って歩み寄ってきた。
「いいご身分だな。昼間っから女とちちくり合っちゃってよぉ」
和仁を見ていた視線が、今度は紗千へと向けられる。そのねっとりとした視線から逃れるように、紗千は和仁の後ろに隠れた。
和仁もまた、相手を敵意剥き出しの視線で睨み返す。毎度毎度、紗千を値踏みするような態度が気に入らない。反吐が出る。
「そ、そんなんじゃないわよ!」
「ほほぅ。すっかり調教済みってか?」
「アッチの方も凄いんだぜ、何せサイボーグだもんなぁ。もしかして、電動だったりして」
「なるほどなぁ。南條はサイボーグのアレにご執心だと。上手く手懐けたじゃねぇの、天城。羨ましい限りだ」
無遠慮で下品な言葉が、次々と紗千に投げかけられる。和仁がちらりと様子を窺うと、今にも泣き出しそうになっていた。紗千の背中をつかむ力が、一層強くなる。
それに比例して、和仁の中の怒りも次第に大きく膨れ上がってゆく。自分の事はいくら言われようと構わない。だが、それに紗千を巻き込むのは絶対に許さない。ボコボコにやられてもいい、生徒指導室にも行ってやる。だからその顔、思い切りぶん殴ってやろうか。
一触即発の空気が、格納庫の中で高まり始めた、まさにその時だった。
『お前ら! 人機をしまったなら、さっさと格納庫から出て行け! 他の生徒の邪魔になるだろうが!』
格納庫の責任者が、スピーカー越しに大音量で怒鳴りつけてきた。
音割れするほどのボリュームで流された怒声はキーンと耳の奥まで届き、その場にいた全員が顔をしかめる。
「ちっ、行くぞ」
舌打ちを残して、三人は和仁達の前からいなくなった。
その姿がだんだんと小さくなってゆくに連れて、背中をつかむ力もだんだんと緩んでゆく。
「大丈夫か?」
「……うん、ありがと」
帰ってくる人機の邪魔にならないよう、和仁は紗千を連れて格納庫の端まで移動する。テストを終えた人機が、続々と帰ってきた。
どうやら、ほぼ全ての生徒がテストを終えたようである。格納庫の整備台は、気付けば九割ほどが埋まっていた。
「ごめんな。俺のせいで」
そう耳元でささやきながら、和仁は紗千の頭を優しく撫でた。
紗千に嫌な思いや怖い思いをさせたのは、これで何度目になるだろう。自分が情けなくなってくる。紗千は、自分のために言い返してくれたというのに。
落ち着くまでには、もう少しかかりそうだ。人機の鍵を返すのは、それからでも十分だろう。
和仁はありがとうと、紗千に優しく語りかけるのだった。