トロール
巨大な生物の顔がこちらを向き、4つの眼光が一瞬、きらめいたのが見えた。
“狩られる”
その生物と目があった時、アドラーは本能から恐怖を感じた。
思考が停止し、息が極端に浅い。
極度に興奮した状態で、謎の生物を眺める。
ヒトのような形をしているが、頭が二つあり、何といっても背丈は普通の人より2,3倍は大きい。
体じゅうの汗腺が開きアドラーの背中から、汗がツーっと流れ落ちる
純粋な殺気を巨大な生物の目から感じ取った。
二つの頭をもつ白い巨大な塊は、こちらを向き、ゆっくり近づいてくる。
一歩一歩踏み出すごとに、地面に落ちている木の枝がバキバキと音を立てながら地面にめり込んでいく。
いったいあれは何なんだ?
二つの頭を持つ二足歩行の巨大な何かがこちらに向かって歩いてくる。
正体が分からないということが余計にアドラーを恐怖に陥れる。
しかし、つかまればどうなるかぐらいはアドラーにもわかった。
アドラーはパニックになった。
頭の中に血流が急速に流れ込むも、思考は止まったままだった。
暗い森なのに目の前が、真っ白に見える。
汗がふきだし、鳥肌が立つ。
逃げろ。
全身の細胞から危険信号が出ている。
そう思うがアドラーの体は恐怖に縛られ、一歩も動くことが出来ない。
「こっちだ」
バルドはアドラーの腕をつかむと白い生き物と反対方向に走り出した。
アドラーはほとんど引きずられる形で、バルドに続く。
すると、白い物体も歩く速度を速めてきた。
白い生き物が走り始め、一歩踏み出すごとに地響きを感じる。
「ひいっ。き、き、来た」
アドラーに再び恐怖がおそう。
正体不明の白い物体が走ってくる。
時折、低音の唸り声が背後から聞こえてくる。
心臓は激しく脈打ち、足の筋肉は恐怖によって硬直している。
体に響く声で、アドラーは今にも足だけでなく全身が硬直して、立ち止まりそうだった。
逃げようにも、思うように足が動いてくれない。
妙に体がぎくしゃくして、自分の体ではないかのようだ。
アドラーは不格好な体勢、走り方で逃げる。
「おい、ちゃんと走れ。つかまるだろうが!」
バルドは後ろを振り返り、アドラーに一喝する。
しかし、もはやバルドの声はアドラーに届いていない。
心が恐怖で覆われているのだ。
アドレナリンが血流をめぐって、全身の細胞に運ばれている。
視界が極端に狭くなる。
アドラーはすぐにでも転びそうな前傾姿勢のまま走る。
まるで、生まれたての小鹿のようだ。
するとあんのじょう、アドラーは落ちていた木の枝に足を引っ掛け、前のめりに転ぶ。
勢い余って2、3回前転した。
身体のところどころを打ち付けたが、痛みは感じない。
全身泥だらけだ。手には落ち葉がくっついている。
「おい、なにしてんだ!」
「ち、ちょっと、まって」
後ろを振り返ると、白く大きな怪物は15メートルほど距離まで近づいてきている。
巨体を揺らし、細い木をなぎ倒しながらものすごい勢いでこちらに爆走してくる。
月日に照らされたその姿は次第にはっきりしてくる。
アドラーは追いかけてきた白い怪物の正体を見た。
そのとたん背筋が凍り付く。
衣服を一切まとっていない4メートルほどの巨大な体躯。
丸太のような太く、膝辺りまで伸びている異様に長い腕。
でこぼこの輪郭の2つの頭。
怪しげにらんらんと光る4つの眼。
とんがった耳。
むき出しになった、乱雑に生えた黄色い牙。
顔の中央からヒトの腕が生えているかのような、大きな鼻。
でこぼこした分厚く硬そうな皮膚。
口の周りはよだれが垂れている。
いつか絵本で見た、トロールに似ていた。
けど、あの絵本は作り話じゃなかったのか?それに頭が二つもある。
トロールなんて伝説の生き物ぐらいに考えていた。
じゃあ、これは僕の中の夢だろうか。
思考停止し、呆然とただ突っ立っていた。
「馬鹿野郎!!」
バルドはアドラーの前に立ち、斧を構える。
戦う気だろうか?
トロールはバルドの二倍以上の体が大きい。
「アドラー早く行け!」
しかし、アドラーは恐怖で動けない。
バルドは斧を持ち、トロールに向かって突進した。