水の精(ニンフ)
そう言われ、ハッとしたバルドも慌てて辺りを見回す。
玄関の前で待っているはずのアドラーの姿がない。
「アドラーの奴、何処へ行ったのだろう……」
「しッ!!静かに!」
トトはバルドに注意を促す。
ワン!ワン!ワン!
「……お前の犬の吠える声が聞こえる」
バルドは耳を澄ませる。
確かにブルーノの吠える声が湖の方から聞こえる。
「あれを見ろ」
トトが湖の方を指さした。
その方向を見てみると、花畑の向こう、湖の少し手前に立っている人影はアドラーらしき姿が見える。その姿は湖の方へと歩いているようだ。
傍でブルーノの姿も見えた。
アドラーのそばで吠えているのだろう。
あんなところに何があるというのだろう?
「何かあったのかもしれない。行ってみよう!」
トトは素早くバルドの肩に乗り、バルドはブルーノが吠える方へ一直線に向かっていった。
「これはやばい状況だな」
トトがバルドに囁く。
その言葉を聞いたバルドは速度を上げた。
トトには何かが見えているのだろう。
小人には人間に見えないものが見える視力があるらしい。
アドラーの元にたどり着いたバルドはキモを冷やした。
アドラーが腰まで湖に浸かり、湖の中央部に手を伸ばし、“待って”と寝言のように1人、叫んでいたからだ。
「やばい!アドラーを止めろ!ニンフ(水の精)の仕業だ」
肩に乗ったトトはバルドに指示を出す。
「ニンフ(水の精)だと?そんなのどこにいる?」
バルドはあたりをきょろきょろと見渡す。
じれったそうに、トトは叫ぶ。
「ああ、もう!お前は見えないのか!!アドラー手を伸ばしている先にいるんだよ!とにかくアドラーを引き留めるんだ!じゃないと、ニンフの魔力で、操られたまま、この湖でおぼれ死んじまう」
バルドは荷物を投げ捨て、湖の中のアドラーの元へ急いだ。
バルドに降ろされ忘れられていると感じたトトはあわててバルドの肩から飛び降りる。
水の中を勢いよく進むが、水嵩が増すにつれスピードが落ちる。
「アドラー!待つんだ!」
バルドが叫ぶも、アドラーは聞こえていないかのようにどんどん湖の深いところに突き進んでいく。ニンフたちの魔力にあてられ幻覚でも見ているのだろう。
バルドがアドラーの元にたどり着くときには、アドラーの顔の位置まで水位が来ていた。
バルドはアドラーの腰をつかみ、岸に引き戻そうとする。
しかし、アドラーはその華奢な体からは考えられないほどの力で、バルドの制止を振り切り、湖の中心部に向かって、進もうとする。
ニンフの魔力で身体能力があがっているのかもしれない。
「おい、アドラーしっかりしろ!」
このままではバルドもおぼれかねない。
「バルド。その坊主をいったん気絶させるんだ。」
「いったいどうやって!?」
「首の後ろをこう、こうやってチョップするんだ!!」
岸にいるトトはバルドにお手本を見せようとした。
が、トトの体のサイズが小さすぎて、トトが表現している仕草がバルドには見えない。
「こうって、どういう風だ!?お前がジェスチャーしようとしても、見えないぞ!」
「だから、こうだって!」
岸からトトがジェスチャーで表現する。
「見えない!もういい!」
バルドはトトの仕草を確認するのをあきらめた。
「アドラー。すまない!」
バルドは不安定な体制ながらも、アドラーの首に軽くチョップを放った。
水面にはげしい水しぶきがあがる。
水位はアドラーの鼻辺りまで達していたため、バルドのチョップはアドラーの首に正確に当たらなかった。
手に残る嫌な感覚。
アドラーは動きを止め、全身から力が抜けていくように水面に浮かび上がる。
「あ、やばいかも……」