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VALENZ TAXI  作者: 孤独
家族編
89/100

家族はいても家族、いなくなっても家族


チュンチュン……



長い、長い。目覚めだった。


「ん……」


黒い空、黒い街、黒い人達。そこで私はただ1人にいたようだ。出す声もなく、出す言葉もなく、黒で埋め尽くされそうなのに、顔だけひょこっと出して、呼吸をしていた気がする。

私も、周りも、誰も、真実を知らなかった。


「……?……病院……?」


疑念は一瞬のこと。辛いことがあったという記憶は、忘却の今と状況把握を求めた脳は、体に働きかける。


「えっと」


緑白の患者服に包まれる自分。目覚めたとこの柔らかいベットの上。流れて告げる記憶は



『私は父親と出かけ、対向車と正面衝突した』



酷い交通事故に見舞われた人は、その事故を思い出せないそうである。記憶喪失というより、起きたら病院にいましたという心理らしい。そのため、混乱より呆然という状態が長いそうだ。

ラブ・スプリングによって造られた記憶は、やがて、それを事実として受け止めていく。


「あ。あ」


押し寄せてきた疑似の体験。フルスロットルで肉体に襲い掛かる。


「いやああぁぁっ!ああぁぁっ!」


以前の知与ならこの時、病院のコールを押しただろう。強く、強く、何度も……。しかし、今の知与にはそのような記憶がないし、男性恐怖症であった事実もなくなっている。

ただ喚き、ベッドの上でもがく。



「ど、どーされたのですか!?」

「知与ちゃん!?」

「知与!」



その時、看護師や由海もやってきた。丁度、葬儀が終わったタイミングであった。今までの反応とはまったく違うもので、驚きが多かったのは当然。


「はぁっ、はぁっ……」


フラッシュバックして映ったのは、車がこちらに向かって来たこと。父親のいる運転席に飛び込んでくる車が、浮かび上がった白のエアバックに、赤い血。

体が軋んだ瞬間。


「あああぁぁっ!!」

「知与!!」


痛かったという記憶が強く、今も、痛みがないにも関わらず、脳内で全身打撲のような症状を発しだす。母親の顔もまったく認識できない混乱の中だった。


「ああっ!パパが、パパが、パパが!」

「!」

「パパはどうなったの!?パパはどこ!?」


漆木土宗が死んだことは告げた。その時の反応は、静かに泣いて、信じられないと、蹲っていたけれど、今ほど慌てはしなかった。ただただ、悲しいという感情の思うがまま、泣いていた娘だった。


「パパは……パパは、」


なんだろうという気持ちは由海にはあった。あったが、娘の中で何が起きているのかは分からなかった。今、ここにいる娘はホントに、自分の娘なのだろうか?混乱していた娘が自分の知る娘じゃなかった。

それどころでなく、しかし。もう事実として残ることを告げる。


「亡くなったのよ。4日前に」

「!……!?」


死の真相を知らされた由海と虚偽を伝えられている知与の、


「嘘、嘘」


差はあまりにも、不可解であり、符合する事はない。


「パパは死んでない!パパは死んでない!大好きな、パパが、私と一緒に、……事故に遭うなんて!そんなこと無い!ないの!」


あまりに強烈に残る記憶は、知与の感情のなにもかもを壊していたようだった。まったく、その意味が合わないことを由海は分かっている。


「な、何を言ってるの?」

「ママこそ!」

「パパは、パパは。あなたと一緒にいなかった。あなたはずっと、ベットにいたのよ」

「え!?なんで!?なんで!」


叫ぶなど、6年間で娘にあった事ではない。大人しく、萎れ、可愛く弱っていた娘の表情はどこにもなかった。ただ、娘の顔を持つ人であるのは分かった。


「知与、どうしたの?」


6年という時が吹っ飛んだ、知与の変貌した様子に由海も混乱するのは当然であろう。

父親という存在が失った衝撃が心を変えてしまったのか、それとも……。それでも、残る娘を支えるのが由海の務め。

もう、自分の知る娘じゃない娘を、支えること。



◇     ◇



知与の変貌から数日は経った。聞いた事実に腹の虫が収まらなかった。酷いクレームを挙げられたもんだと、マジメちゃんが手を加えたシャープペンシルで、狙撃する。



パアァァンッ



「……痛いなぁ」

「嘘はつかないでください」


今の気持ちに応えられるだけの、力を持たないアッシ社長の、精一杯の力による訴え。飛び出した弾丸並みに生まれたシャー針は、ラブ・スプリングの体には刺さった。

それを何事も無く、抜いてテーブルの上へと置く。


「僕が何をしたというの?」

「由海さんから聞きました。知与ちゃんの、病気が治ったそうですね。ロクに治療をされていないというのに、まるで、別の誰かと入れ替わったかのように」

「僕にはそんな力はないな」

「誰かの協力でしょう?そして、実行したのはあなたしかいないのは、私の単なる妄想ではありますがね」


会社の事務所で起こったことだ。ここには今、アッシ社長とラブ・スプリングしかおらず、皆、仕事なり、お出かけなりをしてもらった。

本当に最後の後始末をつける。

アッシ社長の怒りの理由。まぁ、当然だろう。


「なぜ、お前は助けなかった!?」


言われなかったとか、理由になるかな?


「お前は今、確実に人を2人!殺したんだ!」


僕にとっては、人間の1人や2人、どうという事はない。実りのある人になるよう求めるだけさ。


「救える力があって、なぜ!救わなかった!?それを答えろ!!」


アッシ社長の言葉。確かに、ラブ・スプリングが知与を確実に救えるという意味を持ったやり方だろう。マッカソンから浴びた、深い心傷、ガンモ助さん達の歪んだ檻の愛情。記憶を自由に消せるのならどれほど良かった事か。


「それは小さい話だからね。僕、アメリカ在籍だし。君の仲間ではないよ。君を仲間にはしたかったけど、"君を仲間扱いするつもりはなかったし"」


ラブ・スプリングはそれを受けても、飄々としていた。絶対的な力の差が物事を言う、しかし。アッシ社長が啖呵を切った。そーいう無謀にしては、計算高いところ。もったいないとラブ・スプリングは感じている。


「漆木土宗がどうして、マッカソンを殺そうと執着した?」

「発端だからでしょう」

「だよね。でも、彼は発端を許せなかった。彼が取るべき行動は、どんなにお金が必要であろうと、時間が必要であろうと、不安であろうと、傷付いた娘を労わり、回復させることだと思う。でも、できなかった。医師の問題もあるだろうけど、その後の問題もあった。医師だけじゃない、自分が守れない社会にね」

「葛藤ですね。現在の医療技術では当然ながら、トラウマなんて容易く消せるものではない。あったのなら、使いたいものです」


辛い記憶は時に支えとなったり、強くもするものだ。だが、これに弱きに変わってしまうものだってある。


「これは責任転嫁だよ。僕も、漆木土宗も。当然、漆木由海も。こうすれば良かったと、嘆いている。それはアッシ社長もね?」

「ええ。その通りですよ。私は力不足が故に、失ったことが悔しくて、怖いと認識してますから」

「ははは、ま。知らなかったもんねぇ、お互い。知らないまま、これは終わった方がいい」


もし、ラブ・スプリングが漆木土宗に知与を救える手段を伝えた時、どんな展開になっただろうか?殺しなんて事を諦めて、力んだ生き方が解けて、大人しい父親になって過ごすだろうか?

取り戻せない6年間を造られた6年間に置き換えていたら、それはきっと、造られても温かくて、幸せな家庭と未来だろう。そー思うはずだ。



「でも、知与よりも彼には問題がある。許すという気持ちを持っていないわけじゃないけど、許せない気持ちを我慢できない。強い出来事をいつまでも忘れず、糧にするタイプ」

「……………」

「たぶん、知与を救った後でも、彼は許せなかっただろう?きっと、造られた6年間を怨んで飛んでいく。治して全てが解決するわけではないが、そもそも、人生の」



答えなんて、死んで分かること。諦めて、分かることばっか。



「ロボットのくせに人生について、ほざくな。見下してますね」

「それはそうだよ。未来ではきっと、人なんか価値がないと、全ての機械が決めるかも。怖いねぇ、技術進歩に対して、人間はついて来れていない世の中は」


もうすぐ。いや、もうと言っていいかもね。

人間という種族の終焉に近づき、また新たな存在が世界を握る。それが僕のようなロボットかもしれない。


「とはいえ、詫びるよ。詫びてももう、あの2人は戻らない。知っているだろう?逃げ出して来たというのなら」

「ええ。謝罪なんて意味もなく、ただただ、謝礼目当てって。ただ告げたいものだと」

「客商売は大変だよ」


人間社会そのものに溜め息をついた、ラブ・スプリングであった。

アッシ社長から怒られる事は分かっていた。その上で手土産は、少なくとも、今に生まれ代わった知与を手助けすること。ラブ・スプリングは分かっていて、その役目に自分は相応しくないと知って、とある2人に頼んだ。


ハッピーエンドなんて、憧れであるべきなんだ。


そうした方が人は幸せを求めて、生活するから。



◇      ◇



自分の知っている世界と今の世界の変わりぶり。自分の頭の中で、自分は6年も眠っていたと思いこんでみた。


「うーん………」


数日と経っても、振り返ってくるのは正しい記憶ばかり。でも、それは今の知与だけに与えられた造られた記憶、経歴、体験。確かに自分が交通事故に巻き込まれたという記憶を持っていても、肉体にそのような外傷がない。


「でも」


しかし、ママの言う。自分が男性恐怖症となって、6年もの間。この病室で過ごしていたという事実の方が、今の知与には信じることができなかった。そんなに自分は弱くないって、強い自信があった。男性を切り抜いた雑誌なんか読むかという、イカレた状況にも冗談と思っていた。


「…………」


でも、


「…………」


外に出かけてみたい。そして、今。自分は、自分が読んでいたとされるラジコン雑誌に、そーいう中身に抵抗なく、むしろ興味がそそられている。起きてから1日くらいは我慢していたけど、大切に箱詰めされた、カーラジコンを手に取った。コントローラーを握ってみるとしっくりも来る。

記憶では、体験では、一切そんなことなかったのに。


なのに


「はははは、なんだろ?あれ?」


言われた事なかったよ。きっと、なかった気がする。

悲しいなって思っていたような。


「知与が男の子だったら、共通する遊びをしたかったって……?」


どのような顔で言っていたっけ?冗談だったっけ?笑っていたっけ?悲しんでいたっけ?

あれ?覚えてないよ、そーいう顔が、あれ?



ポタポタ……



「パパの顔は、どうだったっけ?」


記憶に映る父親は確かにいる。昔の頃から変わらぬ、父親のはずだ。その父親と過ごした6年間は確かにある。あるのだけれど、なんでだろうか。母親とのギャップも相まって、オカシイんだった。

今の知与の両目から、不思議なほど、涙が零れ落ちて、カーラジコンを濡らした。

まだ、記憶の中での漆木土宗は、まだ銀行マンとして働いている男だ。家族のために働き、過ごし、手を貸してくれる、理想というべき父親像がそのもの詰められた人だった。そんな大好きな父親のまま、知与の心の中で造られている。

理想という名を携えているのに、どうして、父親は見えなくなるの?どうして、いないの?



「うぅっ」



覚えていない。分からない。どうして、私はこのラジコンの数々が大切なモノだと、心と体が分かっている。分かっているのに、好きにはなれないの?


「うええっ」


確かに父親からもらっているのに、きっとその言葉と表情が違う。私の父親じゃない。

父親だけれど、父親じゃない。私は一体、どんな父親を持っていたの?


「パパに、会いたいよ……あなたは、……私にとって、どんなパパだったの?」


涙を落とし、抱きしめても、まだ分からない。このラジコンの数々が大切でも、そう分かっていても。そこにどんな思い出や記憶があるか、隣にいた人がどーいうことを抱き、託していたか。分からない事だらけで、ここにいる自分が壊れそうだった。

失ったという事を自覚し始めた自分、今の知与に信じられることがとても狭くなろうとした時のこと


「あ、あのー……」

「失礼するぞ」


泣いている人を目にしては、入り辛さがある。

声を掛けられているのが自分だと知り、顔を上げれば


「ど、どなたです?」


知らないスーツ姿をした男女の2人組だった。しかし、その2人の後ろにいる母親のおかげで、まだ信頼というものが残っていた。


「知与。紹介した方が良いわよね?最近一度、お会いした事があるらしいのだけれど」

「あ。俺は今日初めて、会ったんですけど」

「お久しぶりです、知与ちゃん。美癒です。私達は漆木さんとは仕事の後輩という関係でして、」


久しぶりと言っても、誰だか分からない知与。当然だ、美癒ぴーも、日野っちも、6年間の記憶の中にもそのさらに前に遡ってもいない人だからだ。

母親以外では、分からなかったその父親の事を知る人。


「タクシードライバーやってました」

「ああ。ガンモ……じゃなくて、漆木さんとは色々学ばせてもらった」


ぎこちない日野っちであったが、美癒ぴーは明るさをベースに知与と話を持ち込んだ。



「あ、あなた達も、タクシー運転手、でしたの?」

「色々ありましたけど。確かに、私達はタクシー運転手です!」


免許も見せてあげるサービス。話を信じ込ませるなんて、まず話す場と自分がどーいう人かを示さなければならない。日野っちは自分が邪魔になると思い、2つ、3つ下がった感じ。


「…………」


美癒ぴーも思うところがある。以前、紹介してもらった時の知与とは明らかに雰囲気で違っていた。まず、日野っちを見た程度では何も反応しない。そして、目も。泣いた後だけど、しっかりと前を向いているような、まだ朽ちていない自信を持つ目だった。


「漆木さんは知与ちゃんのため、働き、声を掛け、色んな物を託して来たと思います。休みとって見舞いに、ご家族と遠出もしていたと」

「そーいや、暇ある時は知与さんの写真を眺めていたな」

「お土産選びには定評がありましたし。……そーですね、仕事では様々なツテを持って、誰よりも稼ぎをしていました。漆木さんはホントに会社に必要な方でした」


知っている事実と違うのならば、今会ったばかりの言葉を信じるというのは難しい。疑いもあるだろう。だから、例え。仕事が違っていて、価値観の違いが生まれたとしても、



「きっと知与ちゃんが思っていた父親として、漆木さんは曲げず、折れず、今まで生きてきたと思います」


人の根っこはそう変わらないこと。十数年ぶりに出会う友人が、ちょっと雰囲気変わっても、心の中はきっとあの頃と変わっていない。よーあること。


「だから、知与ちゃん。今が分からなくても。父親がいなくとも、あなたがそこにいるのは漆木さんがいたからです!強くこれからを生きて欲しいんです!」

「!……父が、いた……」

「そうです!父あっての娘です!私も娘ですし!」


説得のような美癒ぴーの伝え方であったが、きっと。漆木さんはずっとずっと、後悔していて、それだけができなかった事を悔やんでいたと、美癒ぴーは思っていた。きっと明るく共に働き、過ごし、前を向いた家庭のまま、時間を進めたかった事だろう。

誰だってトラブルに巻き込まれる、誰だってそうだから、乗り越えていくべき家族であるべきだったと思います。


「知与。私も、そーいう父と認めていました」

「お母さん」


美癒ぴーの言葉に複雑な気持ちを抱くのは、母親の由海もそうだった。

苦しい時に支える事も、手伝いをする事もできなかった。悔いた時間はもう終わりだ。


「退院したら、父のように社会の中で生きるの。もう、こんな。私達だけの、小さな世界に囚われてなくて良いの」


由海は家族であるから、分かっている事もある。事件からすぐの事、怖くて怖くて、娘が家族まで裏切られたら心が壊れそうだったのを覚えている。傍にいてあげると強く誓った自分を捨てて、


「一緒に家で暮らしましょ。それと、もう、20も過ぎてるわ。素敵な人と出会うくらい、捜すくらい、私達はあなたのこれからを受け止めるつもり」


母は、母として、娘のこれからを支えることを伝えた。その後のことは娘に託されるだろう。


「……うん。私、退院してから頑張るよ」


それに応えなくてはと、さほど大きくはない声でも、熱い決意を残した。


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