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VALENZ TAXI  作者: 孤独
家族編
85/100

雷親父の拳は一発一発、体と心を痺れさせる

もうすぐ50に迫る。その親父が今、生死を賭けて自分よりも一回り以上も離れた者と、死闘をする。本気で喧嘩を決めたと公言する酔っ払いやダメな親父ではない。

人生を決めると、若き男が持つ野獣性を持ったギラギラな目で、親父は猛った。


伸び、上がり、跳び、


「おおおぉぉっ」



漆木は倒れるマッカソンに向かって、筋肉と骨で満たされる足裏で踏みに来た。素っ裸であることと、もらった拳が思った以上に体に響いていたことで反応は鈍い。

避けれないと悟る瞬間に痛みを覚悟するのは、並でできる事ではない。



メギイイィッッ



体も大きく、鍛えた足腰から繰り出された踏み付けは、覚悟だけでは避けきれない。鍛えなくなった筋肉の線、骨の劣化を抑えられずに壊れる。


「がはぁっ!?」


生温い生活や精神的な過酷を強いる生活の結果、知らしめる痛手。素肌のみで守られるマッカソンの胸骨は一撃でいくつか折れ、ヒビも入った。しかし、痛みに痛がっていて、この殺される場が凌げるわけがない。



「きゃああああぁぁっ」



女囚が叫び、自分の服を手にとって、逃げ出す。

好都合。邪魔など入らないタイマンだ。

血眼に見下ろす漆木と、血を吐くマッカソン。殴られる理由、殺されかける理由。そんなもの


お前等は分かっているだろ?


犯罪者なら分かることだ。イケナイことして、監獄に放り込まれたテメェなら分かること。お前は今以外は加害者で放り込まれた。


「ペッ……誰だ」


今は、お前が被害者だ。理不尽かつ、なんにもなかったはずの物を壊した。お前にはそれが分かること。うろたえるか、怒るか、泣くか、金といった類いを明け渡すか、どれを選択しても分かるだろう?そうして来ただろ?


「意味のないことだ」


理不尽は力と共に来るから、お前の気持ちなんざ考慮してねぇ。



ドガアアァァッ



マッカソンの起き上がる首を跳ねあげる、漆木のキックが大炸裂した。一転、二転と転がってトイレの壁にぶつかったマッカソン。



「ぐふっ」

「ふっ……ふっ……」


人を殺す気で襲った事は、漆木にとっては初めてのことだ。その初めてで復讐を成しえようとした。精神面の勝負ならば漆木が勝っているが、命の獲り合いは心だけでも、力だけでも決まるものではない。

辿り着いた時の興奮と怒りの頂点。自身を抑え込めず、ペース配分を無視した動き。元々、喧嘩や戦闘の数も少なく、遠く離れた時間も含めれば、戦うという事による復讐など不利だ。相手が同条件とも良い難い。



「嬲り殺しだ」



マッカソンが立ち上がった。奇襲は確かに成功したが、その効力が潰えた時は単純な力勝負。相手は自分の娘とさほど変わらない年齢、さらにはこーいった事を専門としていた者。経験値も、時間というブランクの面から言っても圧倒的な優位がある。

呼吸を整え、動かした筋肉達の疲労を確認する漆木。

これほど疲れるのかと知ったものもある。鍛えていたからこそ、出せたものであったが、鍛えたとて勝てぬものもあること。知ってはいる。



「YEAH!」



怒りは漆木にあるように、マッカソンにも無論ある。体格的には差がないが、身体能力の差は歴然。ダメージはマッカソンにのみ浴びているが、疲労は漆木の方が勝る。



パァァンッ


拳の差し合い。それは必然と言っていいほど、差がある。明らかに漆木が遅かった。


このおっさんのパワーにはビックリしたが、こいつは喧嘩慣れしてねぇ。殴ることはできても、殴られる時の構えが明らかにど素人。目で動きぐらいは読めても、反応がとれぇ。予測がまるでできてねぇ。


本能的なものもあるが、神経や感覚は鍛えるどころか、年齢と共に衰えが来る。スポーツ選手だけでなく、毎日働く者達にも肉体的な部分だけでなく、感覚的な劣化が緩やかに訪れる。永遠などありえず、衰えとは生物の循環を満たすために授けられた、生物個人の特性であると思われる。


「うらぁっ!」


マッカソンの反撃は猛襲。漆木が喧嘩の素人と断言した瞬間、手数を優先し、攻撃を寸断する作戦に転じたのは宣言通りも含め、勝ちを意識したからだ。


「ぐっ」


筋肉達磨は遅いと言われているが、そうではない。筋肉こそ、スピードに関わる部位だ。


しかし、筋肉を鍛えたところで反射と反応は鍛えられない。年齢を考慮すれば、両者の差が明らかどころではないのは当然だろう。初動の差で攻撃も防御も隙らだけ、不意を突かれる打撃をもらう度に、漆木の肉体の動きが硬直する。追撃、連撃に長けたマッカソンに手も足も出ず、壁を背負わせている利点が活きない。



「ひゃっほぉぉっ!」



バギイイィッ


「っ……」


空いた顎を撥ね上げるマッカソンのアッパーが、漆木に炸裂した。脳の揺さぶりは強烈で、骨や筋肉ではどうにもならない震動はダメージとしては深刻。

人を殺す気で来た以上、殺されることも承知。


「…………」


おそらく、並みの喧嘩ならここで意識が吹っ飛び、言葉通り嬲り殺しに合う。漆木が崩れる足腰を見たマッカソンの気の緩み。激しい連続攻撃が止まった。


俺はこいつを殺さなきゃ、娘を、守れないんだよ。動けよ体。もう奇跡はいらない!まだ、チャンスを……



必死に倒れてはいけないともがいた両腕が捉えたのはマッカソンの体。ボクシングでいう、クリンチの状況。


「あ?」


緩みは楽という感情を与え、初動の差がなくなった。0と0のようなもの。

唯一の差が精神面の差で互角となった。


「おっさん、死ね」


首に腕をかけ、締め上げて殺そうとしたその一瞬の事。極めさえすれば、覆らない必殺を選んだのが致命的となる。マッカソンが感じた激痛は下半身


「っっ!!」


股間。


「テメェの汚ぇ棒が、娘を襲ったとしたら」

「ほぅっ!!」


睾丸、右手で鷲掴み。


「必ずぶち抜くと……」

「くおぉっ……」


そーしてできた命だが、許せねぇ男のペニスもあるだろ。こいつのは許せねぇ。

物理的に掴んだ勝機を逃さず、掲げながら押し潰し、マッカソンに激痛を走らせる。


「ごはあぁっ、おぁっ!?」

「はぁっ……、はぁっ……」


マッカソンの腕の力が緩んだ。そして、それに増長するように漆木に力が入る。痛みと苦しみを乗り越えた側が決する。



ブヂイィィンッ



マッカソンの睾丸が裂けた音。夥しい血と液体は非情を今に映した。両者の体が離れ、対照的な表情と呼吸、咄嗟のポージング。マッカソンは蹲って立ち、漆木は殴る構えを作った。


「俺の娘に!」


咆哮も最大限に、肉体に最後のパワーを求めた。


「なにしてくれたんだ!!!」

「っ!」


ミギイィッ……


轟沈させる右拳がマッカソンの額を襲った。体が床にバウンドさせるまでの一発であり、睾丸を破壊された一撃と重なって、意識がトンでしまったマッカソン。

しかし、虫の息となったことなど、漆木には見えなかった。聴こえなかった。言われなかった。


「テメェの一時いっときで!知与は6年も、これからも、苦しむんだ!!」


反撃や抵抗の兆しが見れない相手を、娘と同じく重なっている事に気付かずに、漆木は気が収まりもしないのに、床に転がったマッカソンの顔面に拳を振り続けた。


「人を傷付けた痛みをしらねぇで生きてやがって!!」


その言葉は漆木自身に伝わるものだ。3度も拳が入り、マッカソンの鼻は潰れ、歯がいくつか抜け落ち、流血は止まらない。


「分からせてやる!分からせてやる!分からせてやる!!」


言葉の荒ぶり、口調が激昂。拳は一発一発、重くなっていく。続けていくほど、マッカソンの顔は腫れ上がるなんか優しいような、血みどろな表面に化していく。


「分からせてやる!分からせてやる!分からせてやる!分からせてやる!!」



どうやっても、どうやっても、どうやっても。そうやって、伝えたい気持ちとは裏腹に、もどかしい気持ちも浮かび上がる。どうやってもできない。なんでできない。どうして俺はできないんだと、強い無力感だった。それを上回ってくれと、執念と復讐心のため、拳に託した。


「知与がどうやって生きていると思う!?こんなっ……」


苦しんできたときの顔が、もう少しで忘れちまいそうだ。自分の無力さを許せなくなり、傷つけられて泣いていた娘の顔がどんなに悲しかったか、なんでこんな時に、浮かばないようになる?


「こんな短い時間じゃねぇんだ!!拳ってもんじゃねぇんだ!!」


必死に必死に、もがいている娘と、妻と、俺。出来なくなった事、それでもできる事。不安に満ちた娘の表情を必死で変えようと、できる事やしたい事を勧めた。また笑った娘の顔が見たくて、奮闘した。俺という父親にだけ、言葉と言葉で伝え、握手もして、当たり前にできると言われてできる事で、笑顔になる娘が綺麗だった。


「苦しい思いなんだよ!!」


苦しい、辛い、不幸、……不吉を孕んだ言葉を並べきって、必死に必死に、ここまでの行動を復讐であると裏付けがとれる家族の災難を振り返った。どれだけのどん底を味わった?どれだけ苦しんだ……。



「っ………っ……」



黙ってしまう。ちくしょーっと、拳だけが、怒りだけが、漆木を動かし、マッカソンの顔面だけを叩き続けた。鼻は完全に折れ沈み、左の眼球は剥がれ落ちる。耳からも血を噴出していた。彼はもう屍となっていた。


「くそぉぉっ!くそぉぉっ!!」


執拗な顔面への殴打によって、漆木の右手の拳もまた砕けていた。しかし、興奮と怒り、そして、達成感とは違う絶望色の無力感が右手を何度も使い、左手もまた合わせて、死んでいるマッカソンの顔面を何度も何度も、



「知与に何ができたんだ!!俺は……!!」


マッカソンという顔面を破壊するため、両手を犠牲にしようとしていた。精神が肉体を超えて、あらゆる感覚が潰えていた。

そんな状況に気付けず、ひたすらに殴り続ける。


「くそっ!知与を……取り返せねぇのは、俺だろうが」


どんな謝罪も、どんな罰を、取り戻せない物がある。それは40年以上も生きた漆木なら分かっている事。分かっていた事なのだ。グッと堪えたものが吹っ切れて、許せなかった。許せなかったという事を、漫然と送っていいわけではない。が、囚われ過ぎて何がある?


「くそおおぉぉっ!!」


平等な時間の中。

漆木が悔しかったのは、心の中にいる知与や妻の顔が微笑んでいて、決して許してはいないが、前を向いていたという事実……。


「俺のできる事で知与を救えたら……」


失った物は多くあった、それでも生き残っている。



「くそぉっ……」


知与が頑張っているところ、妻が頑張っているところ、そして、自分も働いているところばかり、脳裏に映している。こいつを殺すことなど、これっぽちも出て来ない。終わったからそうなのかもしれない。

もう、終わったんだ。



「くそぉっ……」



終わったんだ。

復讐や怒りはもう、誰にもないのだ。


「知与……ごめんな」



これから先にはきっと、どんな困難、どんな逆境もあるのだ。それは誰にだって起こることで、決して自分1人だけということではない。

怒りに任せて振っていた両手の拳は、いつの間にか止まっていた。砕けたことなどまったく分からず、上の空で天井を見上げる漆木。何ができるのか、わかんねぇこともあるが、家族と共にいる事なんだってのは、すぐにでてきた。そうしていたから知与も妻も笑っていた。


行こう。戻ろう。家族のところに、みんなのところに



バキュウゥゥンッ



「…………」



バキュウゥンッ



銃声が聞こえ、背中から撃たれた時。漆木は床に崩れ落ちた。



「何をしている貴様!看守が囚人を暴行。いや、お前は看守ではないな!」

「…………」

「…………」


倒れこんだとき、トイレの出入り口に立っていたのは2人……いや、3人。

1人は暴動を鎮めるため、拳銃を手に、そして、躊躇なく漆木に向けて発砲したここの看守の人。もう1人は……確か、マッカソンといた女囚か……?助けを呼んだのか?

そして、



「……くくっ……」


最後の1人は、女囚の足元に隠れるようにいる、子供だった。囚人服を着た、可哀想な子。そんな子が可哀想だって見ている目は漆木にではないだろう。マッカソンから離れた漆木は這うものの、個室トイレの壁に寄る程度が精一杯だった。

そして、漆木の横を通り、女囚はマッカソンに駆け寄ったのだ。


怒りに、悔しく、思っていた後にこんなことかよって、残酷だなって、不幸の中にあって出る笑いが出てしまった漆木。



「畜生……」


だが、当然なのかって。俺がそうであったようにと、今更ながら納得してしまった事。

悔いがあるとすれば1回だけ、家族に会いたかった、

良いニュースなんて、何にもないんだけれど……


フゥッ……



漆木土宗。49歳。

娘を貶し、陥れた男への復讐のため、6年もの間。復讐の拳を鍛え上げ、成就させるものの。


「急ぎ、救護班を!」

「囚人と看守の乱闘!及び、残る侵入者の捕縛を!」


不幸か、それとも罰か。

背後から銃弾を浴び、出血多量でこの世を去る。

その顔と心には悔いよりも、当然であったと納得した表情であった。

仕方なかったことを詰め込んだように、消えていった。



「終わっちまった」

『無事に達成したの?』

「みたいだが、どーなってやがる?随分と看守が多い日で、攪乱が上手くいかなかったぞ」


しかし、ここからである。この漆木土宗という男の死から、続くものがある。光一は監獄の中で秘密裏に連絡を取り合っていた。



「まさか、そんなことがあんのか?」

『あるんじゃないか?光一"は"無事で良かったよ』

「……漆木の方は死んじまったみたいだ。看守に撃たれたってさ」


山寺光一にはそんな予感を、始まる前から分かっていた。それを畜生でも、クソ野郎とも思わない。善良という意味では正しいのかもしれない。人それぞれの事であるが、残酷な奴はいる。

優しさに溢れ、力や権力を兼ね備えるもの。



『漆木土宗"は"死んだ?そっか、残念だなぁ……間に合わなかったか』

「……ホントにそうか?気持ちがねぇ。ま、脱出する。俺の目的も、なんとか達成したしな。ちっと、スーッとしてるわ」



このラブ・スプリングから始まる。残虐の序章。



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