社会人にならないと思っていた時期が誰にでもありました
社会人になれる人間となれない人間がいる。
この今泉ゲーム会社には後者が、半分ほどいる。その最たる例というのが、この奥にいる男だ。
「気をつけてくださいね」
「は、はい」
「なんだこの部屋?『宮野健太』専用」
その部屋の前までに異臭や異物といった物は特に感じられない。しかし、男の不気味な奇声が響いている。唸り声には敵意のような感情も込められている。
「防音の部屋です。私共の仕事に支障がない程度の造りが成されてます」
「人間なんだよな?」
唸りながら仕事をしている人間。それは人間の形をしていても、認める気のないその人間独自の考え。
「私としても、宮野さんは人間じゃないと思っています。気の難しい方です。入りますよー」
「お、おじゃまします」
「…………」
重々しく開けた扉を潜り、中に入る3人。3人に襲い掛かって来たのは、
「ひぃっ」
「うっ」
壮大に響き渡るクラシックの演奏曲。しかし、それはピアノしかないメロディ。まったくブレず、完璧な演奏であっても、人並み外れた音量で耳を塞ぐ事まったなし。
「いひゃひゃひゃひゃはははっははは」
そんな中でもまったく意に介さず、沸騰したお湯の気泡が作られる速度を彷彿させる勢いで、キーボードにタイピングをする男。奇声と喚き声をあげながら、巨大なモニターを8つ、それらを支える20台はあろうかと思えるパソコンのメインとなる機材。
「こ、ここを仕事場にしないでくださいよ~」
その男とは対照的に泣きべそをかきながら、仕事をしている女性。スピーカーから離れたところで作業をしていた。
静かに彼女も驚異的に速く、そして、正確な仕事をする。お互いに画面は、アルファベットの数々の羅列であり、プログラミングと呼ばれる代物だ。
ピアノの大音量は日野っち達が入って来たことを、2人に気付かせなかった。いつもこうなんですと、弓長は呆れながらう言うも。日野っちにも、美癒ぴーにも聞こえなかった。話をするため、スピーカーの音量を無断で下げる弓長。
「あ?」
「!あーっ!弓長さん!帰って来てたんですか?」
「宮野さん、安西さん。お疲れ様です」
安西は弓長の入室を見るや、すぐに立ち上がった。それは仕事の放棄を意味している。一方で宮野はまったくもって、不愉快になったという気分を出すように、向き合っているとは良い難い振り向き。両手は変わらず、キーボード上で踊る。よく見てみると、キーボードはなんと6つもあり、その6つを同時にたった2つしかない手で高速で動かしていた。
「何しに来たんだ、テメェッ!!邪魔だぞ!消えろ!」
「怒らないでください。酉さんと三矢さんがいない時は私です」
正直、弓長自身の気持ちは、宮野と話はしたくない。気持ちが読めない獣。優れているからこそ、許された人材であるからだ。
人を雇うという、社長の立場。酉さんから回された役目であるため、人間らしい感情は捨てなければいけない。異質だろうと会社にとっての戦力は手放さないのが、当然のこと。
「安西!!」
「ひぃっ」
「手を止めてんじゃねぇ」
なんか社内暴力に遭っているかのよう。安西は泣きながら、また席に座った。
「ひ、酷いですぅ」
「黙れ!」
「自分がちゃんとしてれば……」
「うるせぇぇっ!俺にはお前の力が必要なんだよ!!黙ってやれ!!」
黙れはあんただ、あんた。
そーいう変人なのだ。人に大迷惑を与えていることをなんら不快に感じず、自分自身の快楽のためにやっていること。欲望というより、そこらじゅうにあるストレスの発散が彼を行動に導いていると、弓長は推察している。
「な、なんですこの人」
「なんか、どこかの奴と似ている。けど、全然ちげぇ」
日野っちと美癒ぴーが初めて出会ったタイプの人間だろう。性格にしても、その体つきにしてもだ。宮野の体は極めて細く、そして、干からびているような頬や肌を出していた。アッシ社長も不健康という体質ではいたが、それがまったくもって健康的だと勘違いするほどの体のボロボロ具合だ。
自分の声や、大音量で流れる音楽で肉体を痛めかねないほどだ。
「用件は?」
宮野は弓長以外の2人に興味を示さない。彼自身、認めた人間奴以外とは喋りたくもない。自分本位。それでは生きられないと思えるが、
「件の"人格"データの募集が今日一人来ました。さっそくですが、やりましょう」
「ああぁぁんっ?勝手にやれよ」
「そうも行きません。準備には安西さんだけでも借ります。本番ではあなたの力が絶対に必須です。酉さんも言うでしょう」
「そいつの名前を勝手に使ってんじゃねぇぞ。調子に乗るな」
「私のはただの肩書きと責任者です。あなたは働く義務を持つ社員」
人がいなければ殴り合いも辞さない。宮野はキーボードの上においていた、コーヒーが入っていたカップを剛速球で弓長に投げつける。サラリと避けるも、コップは分厚い扉に当たって砕ける。弱そうな体つきながらも、身体能力はそれなりにある模様。
「安西は貸してやるから、さっさと"アンケート"をやってろ!」
「分かってます。作業の邪魔をしてすみません。安西さん、別室で"アンケート"をお願いします」
「は、はい!(弓長さん、ありがとう!)」
こうして、宮野から解放された安西は嬉しい声のまま、ウキウキして部屋から一番乗りで出るのであった。それに続いて、美癒ぴー、日野っち、弓長。分厚い扉を閉めて、施錠する。人がいなくなれば、再び宮野は動き出す。奇声を上げながら物凄い速度とぶっちぎりの起動時間が物を言う。
「な、なんなんだ。あれ、ミイラみたいによぼよぼだったぞ」
心配して弓長に確認をとる日野っち。ブラック企業に苛まれた人間のように思えたが、
「宮野さんにとっては普通の事です。あの人はここでもぶっちぎりの異常者なんで、ね、安西さん」
「そ、そうですよね。恥ずかしいんですけど、私の先輩ですし、先生でもあります。認めたくない部分はあまりにも多いんですけれど」
人に凄い苦労していると分かるような言葉と声のトーン。人間関係の大変さというのを分からせる。
「だ、大丈夫なんです?」
「初見はそう思いますよ」
「だって、いや。確かに人間以上の動きでしたけど、顔色や目の向きとか、奇声とか、……正直その、あの人は人間なんです?」
「宮野さんは1ヶ月ほど、食わず、休まずで作業するのが普通かつ最適なんです。飲み物があれば1週間は平気です。シャワーとかは2日1度、するように伝えてますが」
「この前、三ヶ月ぶりに寝てましたよ。4時間ほどですけど」
どこの国の奴隷だ?普通、死ぬし。
「今も不眠不休で8件ほどの、システム面の製作を同時に携わっております。あなた方のカーナビを造り上げたのは宮野さんですよ」
「宮野さんの仕事ぶりには、スーパーコンピュータが4台はないと追いつけません」
「それって」
「彼は別次元の人間です。機材もよく壊しますが、宮野さんの能力についてこれないんです」
この会社の運営は、非合法な宮野さんの働きが半分を占めますね。もっとも生きる程度であれば抑えられる事なんですが。
「話が過ぎましたね。"アンケート"をしましょう」
◇ ◇
人間には3つの成り立ちがあると思う。
一つは形、一つは技能、そしてもう一つが
「"人格"、ハッキリ言うと、心だね」
「ラブ・スプリング様は"人格"を生成できないのですか?」
アッシ社長の力が必要と思っているその理由。ラブ・スプリングが欠けている点の一つを補える能力を持っているからであった。
「命令や指令に沿って働く人形は造れても、ギーニのように心を持った存在は造れない。細胞がいくら同じでも、やはり別の生物となって行動は未知数なんだ。人って数値化されると嫌でしょ?」
「そうなのですか」
「アッシ社長の技能もそう。僕自身は他者と同じ細胞を埋め込む事で、やや劣化して能力の再現ができるけど、僕から離れた者には能力まで継承できない」
アッシ社長の"実用化"があれば、僕達は新たな生命を生み出す事ができるんだけどね。あれは技術共有だから。ダーリヤは進歩という手段、僕は開発という手段。そんな違いがあるのかな?
そんな夢物語、ゆっくり、人が困った時に施すべきことだと思うんだ。
「"人格"と言いましたか、それを再現できる人がいるのですか?ラブ・スプリング様をさしおいて」
「宮野健太という男だ。僕が言うのもなんだけど、人間じゃないよ。一流のピアニストとしての一面もあるし、松代宗司みたいなプロフェッショナルと違って、意外と多芸なんだよね」
ここに出てくる奴はみんな人間じゃないけどね。
「完全じゃないんだろうけど、心という複雑な存在を言語化して生み出した第一人者かな?人工知能ってあるじゃん。彼の場合は、人工人格って奴?」
受け答えや計算だけでなく、人間すら千変万化な感情を持って動かせる。何事もなく助ける指令であっても、感情が働きながら助ける。1+1=2という回答すら、人間の思考を通して答える。体の動き、人間という自覚を埋め込まれれば、人間の感じる苦しさによって人間の動きだけをする。
「ようは人間を生み出し、書き換える、非道な技術だ」
この技術を用いれば、全ての人間がどのように動くのかどうかすら、予知の如く可能にし。より生産性のある社会や争いのない日常を築く事もあれば、歯止めの利かない戦争になることもある。そしてその日常も戦争もデータさえあれば、残酷な事に結果をすぐに出せる。
技術はほぼ完成しており、全人類がデータを提供すれば、人類は未来予知を体感できるほどになる。天気予報以上に難しいことすら、当たり前に成される社会にグレードアップだ。
造り上げた人格を別の人間、あるいは人間と同じ動きを可能とする人形に使う事で、造り上げられた人格が自由に行動する。ラブ・スプリングが提供した人形にも適応されるのである。これにアッシ社長の"実用化"を重ねれば、美癒ぴーと同じ人格にして、同じ能力、やや違った体型の存在がこの世に誕生するのである。
それほどの技術を何も知る事無く体験する、美癒ぴーであったのだ。
◇ ◇
「じゃあ、始めますけど。失礼な事もあると思います」
安西は"アンケート"を始める上で必要なソフトを起動させた。このゲーム会社が作った、まだ非売品扱いとなっている"人格診断"と呼ばれるソフトである。
「ゲームですか?」
「私達、こう見えて、ゲーム会社です」
「まー、ジャンルに拘らず、様々な分野に顔を出してますよ」
安西は、対象者である美癒ぴーに椅子を用意するも
「あ!結構です」
「え?もしかして、」
ご丁寧に断られ、美癒ぴーの顔。耳元に近づいてささやく。
「女の子の日なんです?」
「断じて違いますよ」
この会社の人達ってホントに大丈夫なんだろうか?
社会に加わることは空気を読む器量も問われる。失礼な事を言えばどうなるか、学生時代にちゃんと学んでおきましょう。そんな会話を透して訊いたように、松代と弓長が同時に尋ねた。
「あれ、違ったの?」
「そうだと思っていたんだが」
「なんなんですか!あなた達は!社長の弓長さんまで!」
ここの男性陣もまた変な人。説明できないのが苦しい。日野っちもちょっと、そんなことを想像しているような顔。まだあと、5時間近くあるんだ。
「日野っちもなんか想像しない!」
「いや、勘違いだ!」
「むぅ~~~」
すでに"アンケート"は始まっている。
「あの、イチャついているところ、悪いんですが、始まってます」
「安西さんが悪いんですけど、次点でアッシ社長ですぅぅっ」
バラされると凄い恥ずかしい。いや、違いますからね。虚偽でも困る。
『名前を入力してください』
「うーっ、こんな目にまた遭うなんてー」
"アンケート"の最初の方は、簡単な質問ばかりである。
名前や性別、誕生日、利き腕、血液型、出身地、経歴などなど。個人情報の多くを入力する必要があった。
「答えたくない質問は、ランダムにしてください」
人格を形成する上でこの手の情報も必要であるが、そこまでの影響はない。完璧な人格をもらうには社会的な抹消も覚悟の上でやってもらいたい。今、弓長が調べたい事は宮野と安西の2人が、精度95%以上の同じ人格を持つキャラの生成にある。完璧を生み出すには実験体が完璧であることが前程にある。人間がそうでないため、95%という確率は比較的に現実的な数値。
そして、人格はそのままにプロフィールを改竄したいのも狙いであった。
とりわけ、重要なのは美癒ぴーの過去と歩みである。
語らないが続ける。
「……おーい、そこの小さい奴」
「!俺のことか?」
「退屈か?ちょっと、お楽しみをするか?」
そんな時、松代が日野っちに声を掛けるのであった。美癒ぴーの補助するための彼であったが、松代に誘われてその近くまで来た。なんでこいつ、トランクスとTシャツだけで作業してるんだ?
しかし、彼から小声で聞いた事にちょっと耳を疑う。
「お前、あの子のこと好きなんだろ」
「!なっ」
「照れるな照れるな。男は可愛い子に性を貪る生き物だ。恥ずかしがるなんて、子供さ」
「例え方が野獣に近いんだが……」
そんなにバレバレなのか、こいつの勘が良いのか。正直、分からないが。自分自身、気に留めている。
「でな、お前。そこの箱にある人形が彼女がモデルだってのを知ってるな」
「そうだ」
「実はあれな。頭部の部分ができちゃいなかった。そ・こ・で、ていうか、俺の仕事なんだが……。キャラを作ってやる」
「キャラ?」
「ゲームキャラとかいんだろ。俺はなんだって描ける。芸術ならなんだって造る」
むひひひひ、と、男が持つ特有のエロ妄想を企むもの。
「ソックリな子にしてやろうか?肉体がちょっと違っていたが、俺でも編集ができるぜ」
「!…………いや、あれは」
「なんだ、○○ペットを作る話じゃねぇのか?」
「だから、お前等はなんでそーいう話に持っていくんだ!?」
怒った瞬間、美癒ぴーがこちらの方へ睨んでいた。なんというか、妙な企みをしていると勘付かれている模様。しかし、そんな睨みを松代は嫌な解釈をして羨んだ。
「いいなぁ、上から目線には萌えるぞ。下アングルからの胸も首筋、鎖骨、うなじも良い」
「…………はぁっ」
この会社、全員ロクな奴がいねぇだろ。
面白半分でやっているような。いや、面白いと思ったからこそ動き回る、はた迷惑な人間達で作られている組織じゃねぇか。
「で、どうだ?するか?」
「か、顔はさすがに変えてくれ。区別とかに困るし」
「おー、良い事を言ってくれる。俺がやりゃあ、あの子ソックリに作っちまうからな。ご希望は?慎重に考えろ、この子に何をさせるか」
家政婦兼事務員を担当するわけだ。地味な子が良い。そう、
「髪型とかもありか?」
「なんだって良いぜ」
「綺麗なデコが見える髪型で、うなじが綺麗になってる子がいいな。ポニーテールか、ツインテールでね。サイドテールも良いんだが、美癒ぴーにちと被るからそれはなし」
「おうおう。結構、決まるじゃねぇか。ポニーにするぞ」
「目は大きくて、歯も白くて綺麗で、まゆげはちょっと太めかな」
「やっぱり、こーいうのが楽しいんだよ」
松代が日野っちの要望通りの子をPC上に造り上げていく。二次元のそれだと思ったが、水彩表現を使ってリアルに造り上げる。写真のように仕上げる。その出来栄えの速さと精度に驚きながら、さらに追加注文をしてしまう。もしかすると、こいつならやれるのかと
「お尻は小ぶりで大丈夫か?」
「お?」
「俺さ、後ろから見る女に興奮するタイプだ。その出来によって、前が決まると思ってる」
ここじゃなかったら、完全に俺。ストーカー気質がある証拠じゃねぇか。
「分かる奴いるの嬉しいな。腰と尻、足のラインは重要だろ?顔と胸は初心者向きだが、中級者はスリーサイズ以外の部分を拘るもんさ」
お前の性癖は全てを受け入れちまうタイプだろ?
「姿勢が良い子は長期的に見ると、良い妻になる。タレ乳の女はダメだ。デカさより形だ」
「纏まる感じの子が良いわけな」
「当然。数字に拘るのは盲目な子だ。美しさはテストじゃねぇ、リアルの中なんだよ」
やべぇっ、こいつ等と話をしていると俺も変人扱いだ。
ちょっと逃げようとした時、後ろから声をかけられる。
「ねぇねぇ」
「!」
それが女だと分かるや否や、背筋がピンッとして驚いちまう。しかし、美癒ぴーの声じゃない。
「声優は誰が良い?」
「せ、声優?」
「私、林崎苺。音声面の担当をしてるの」
声優なんて言われても詳しくねぇよ。分かるわけねぇだろう。
「さすがにあの子はマズイよね?」
林崎は真剣かつ、苛立ちながら”アンケート”をやっている美癒ぴーに顔向けた。同じ顔にもできないんだから、同じ声にするわけにもいかない。
「そっちで決めてくれ。俺は声には詳しくない」
「えーっ。要望があると楽しいのに」
「じゃあ、俺が決める。『ご主人様~、コ~ヒ~をご用意致しました~。ミルクもお持ちいたしましたので、ご自由に味の調整ができます』みたいな、猫被ってるとしか思えない声でな。『あ、いっけな~い。お仕事し過ぎて暇になっちゃった~』というドジっ娘を演じたいんだが、几帳面かつ真面目で気の効く性格で、スーパーメイドをやってしまうというキャラでな」
「……あの、松代さん。あなたの要望、まったく聞いてないです」
クリエイターという連中は我の強さが半端ないんだろう。そうでなければやれない事なんだろう。
「友ちゃんもキャラ設定やれや!」
「なんであたしまで巻き込むんです?」
「そりゃ楽しいからだろ!俺達の価値を仕事にすんのは、弓長と三矢の役目。俺達は作ることだけでいいんだよ!」
「ちょっ!パンツ一枚で近づかないでください!!ズボンぐらい履け!!」
ドタバタし始める製作現場。
こんな楽しい口論で良いが、時には暴言だらけに包まれる事もある。
「すみません、私達はこーいう生き物なので」
「なんていうか、大変ですね」
タクシー運転手も大変だけど、みんなで力を合わせる仕事は困難ばかりに思う美癒ぴーであった。
「っていうか、”アンケート”っていくつあるんです」
「設問の答えによりますけど、300問は最低あります」
「そんなに!?」
「”人格”の形成ですから、細かい情報が必要なんです。300でも少ないくらいですよ」
なんだか、気の滅入る。
「”アンケート”が終われば後は我々が製作に取り掛かります。アッシ社長には、1週間ほどで出来るとお伝えください」




