少年のある日(2)
ここ滝口高等学校の本校舎は上空から見た時、南を上にしてデジタル数字の4のような形をしている。そして校舎の西側に校庭が広がり、校舎と校庭に挟まれて新しく建てられた部室棟がある。新しいとはいえ今年で築10年になるらしい。
また、北側には体育館が校舎と隣接し、その奥に旧部室棟がぽつんと存在している。俺が
歩を進める先はその旧部室棟だ。
体育館の脇に続く渡り廊下を通り、大半が木製の巨大なプレハブ小屋のような建物に辿り着く。なかなかの大きさを誇るというのに、色合いとシンとした雰囲気が周りの木々と同化してしまい、校内で最も影の薄い施設という扱いを受けている。
錆びついた鍵穴に多少苦戦しながらも開錠し、棟内へ足を踏み入れた。
足音が響くほど静かな状況も相まって、埃っぽい廊下に夕日が差し込む様子が美しく映る。向かう先はこの廊下の1番奥にある部室だ。
俺の部活についての話を少し。
滝口高校では原則として生徒が部活等の団体に所属することを義務付けている。ちなみに千夏が新聞部、譲司がバスケットボール部、葵が生徒会、そして俺が囲碁将棋部に属している。
この学校の方針上、放課後自宅へ直帰するという選択肢は無くなるわけだが、それに不満を持つ輩は当然出てくる。しかしそんな奴らが名実ともに成り立つ帰宅部を創る力など持つわけがない。そこで彼らは部活を1つ犠牲にすることにしたのだ。
行き場を無くし、残る道は復路のみという哀れな生徒たちがこぞって入部届けに囲碁将棋部と書いた結果、本校最大の部員数を誇りながら全員が幽霊部員という世にも恐ろしい部が誕生してしまった。
そしてなぜか学校側はこれを黙認している。囲碁将棋部が廃部にならないのは滝口高校三不思議のひとつだ。あとの2つは知らん。
当然、新しい部室棟への移行なんて誰もやらない。成り行きとして我が囲碁将棋部の部室のみ、この旧部室棟に取り残される形となった。わざわざ訪れる生徒も俺くらいなものだろう。
こんな場所は不良たちの巣窟になるのがお約束だが、ここ滝口高校は進学校と銘打たれるほどに真面目な学校として通っている。悪さと言えば授業中にこっそり携帯電話をいじったり、教師に見つからないよう原付で登校するくらいだ。
平和だな、とは思う。しかし怠慢な世の中にスリルが欲しいなんてことは口が裂けても言うまい。そんなことを吐露する奴らはただ無知なだけだ。
この世界は、想像するよりも刺激に満ちている。俺も最近知ったばかりだけど。
「おっそい。凄い暇だったんだけど。どうしてくれんの」
入室しようとした途端、引き戸の空いた隙間からこめかみに向けて碁石が飛んでくる。首を傾け回避しようとしたが若干遅れ、右目に当たり悶絶する。とても痛い。
「ああああッ!?くそっ、流石に目はだめだろ!てめえ今日という今日はァ!」
「そりゃこっちのセリフよ。そもそも今のは自業自得でしょ。ださっ」
「……お前は何様のつもりなんだ」
「神様でしょうが。寝ぼけたこと言ってないでよ」
ふてぶてしい態度で机の上にあぐらをかく少女を一瞥し、俺は部室の端に置かれている椅子に腰かけ本を開く。
この生意気な少女は神だ。……いや、勘違いしないでほしい。確かにきりっとした眼と小柄な鼻や口が絶妙に配置された童顔に、腰まである銀髪の組み合わせは紛れもなく美少女と言える容姿だが、決して俺がこいつに陶酔しているわけではない。
こいつは俺にとり憑いた祟り神だ。俺が授業を受けている間は部室に閉じ込めていた。
入室早々迎撃を食らい頭に血が上ってしまったが、冷静に思えばこいつがいらついているのは一理ある。
正直に言って、この部屋で半日を過ごすなんて俺には無理だ。積み上げられた机にスペースを潰され、まともに動ける空間は2畳ほどしかない。そして囲碁将棋部なのに盤がなく、あるのは大量の碁石だけという謎の有様だ。それ以外には背もたれのとれた椅子や底の空いたゴミ箱くらいしかない。
本当に何もねえな、と呆れながら見渡していると、入り口付近に俺に当たった碁石が砕けて散乱しているのが視界に入った。
「おい。なんで石が粉々になってんだ。そこまでの勢いはなかったろ」
「え?知らないわよそんなの」
答えるココ―――この祟り神の名前だ―――は素っ気ない言葉とは裏腹にあからさまに視線を泳がせた。
……分かりやすい奴だな。
俺がココに憑かれたのは2週間前、ちょうど俺の誕生日だ。そのためこいつについてほとんど知らない。なので、こういう些細な出来事でも問い詰める必要がある。
「何したんだよ」
「だから知らな」
「言え。“命令”だ」
俺は少し語尾を強めた。最後のフレーズに過剰に反応するココは奥歯をぎりりと噛み、恨みがましくこちらを睨みつけてくる。
「……なんか、ずっと握ってたらボロボロになってた」
「握ってた?それだけ?」
「そうよ。だから知らないって言ってんじゃん」
俺は腰をかがめて破片を1つ拾い上げた。木製の碁石のようだが、コーティングの施されていない中の材まで黒く変色している。その部分は少し摘まむだけで指から崩れ落ちていった。
不思議に思いながら他の欠片に手を伸ばしたのと、戸が勢いよく開き千夏が飛び込んでくるのは同時だった。
「スクゥープ!!」
「ごふぅっ」
大きなストライドで入ってきた千夏の膝が俺の頬に見事に入り、バキッと不吉な音を立てる。……あれ、これ本当に大丈夫か?
「ぎゃあー!蓮君!?」
「ぎゃははははは!!」
脳が揺れて視界がぐわんぐわんと波打っている。偶然だろうがここまでのダメージを負わせるのはある意味才能だと思う。あとこいつらうるさい。
倒れたまま動けない俺の肩を千夏が懸命に揺すってきた。
「ちょっと、蓮君?生きてるよね?……し、死ぬなぁー!蓮君―!!」
「ぎゃは……はあ……あははははははは!!」
「うっるせえよ!!猿かおまえらは!!」
このまま倒れていたら今度は耳をつんざくような絶叫にやられると思い、歯を食いしばって上半身を無理やり起こす。
なぜ俺は学園生活の1コマで命を削っているのだろうか。このまま人生飛び級しそうで怖い。
「ちっ、生きてたか」
割と本気で舌打ちをしているココに対し、主犯者はしょんぼりと目を伏せている。
千夏はいつもハイテンションなのだが、加えてドジを踏むことも多い。行動力の高さ故に周りを巻き込んでしまうことも少なくないようだ。大抵巻き添えを食らうのが俺だけに留まっているのが不幸中の幸いだろう。俺にとっては災いだが。
「あ、血が……」
「ん、大丈夫。口切っただけだし。いつものことだろ」
「ごめん蓮君……」
「あーもういいって。事故だよ事故」
こうやって千夏に落ち込まれるとつい強がってしまう。こいつは騒いでるくらいがちょうどいいからな。ネガティブな千夏とか気持ち悪くてしょうがない。
気にするなという意味も込めて話題を変えてみる。
「それで、俺を蹴り飛ばしてまで急いで持ってきたスクープってなんだよ」
「うほっ、そーだった!忘れるとこだったよ!」
……ホント切り替え早えな。俺を傷つけた代償に少しは学んでくれると良いのだが。とりあえず次からノックして入るように。面接落ちるぞ。
すでに表情を笑顔に振りきった千夏は目を輝かせながら俺ににじり寄ってくる。
「お化けが出るんだって!」
「へえ。どこで?」
「えーと、裏門から商店街に向かってまっすぐ行く途中に建設中のマンションがあるじゃない?あそこ!」
「ああ。あのでっかいビニールシートで覆ってるやつか」
「それ!」
「で、どんな奴が出るんだ?」
「なんかこう、ビルの形をした妖怪だよ!手足が鉄筋で出来てて、ロケットパンチみたいに飛ばしてくるみたいな?」
「……えー、それはお前の妄想か?」
「うん!ぶっちゃけ姿を見たって人がいなくてさー」
うんじゃねえよ。
溜息をつく俺を尻目に千夏はまくし立てる。
「けが人も出ちゃってて、結構話題になってたんだよ。今はいったん工事中止してるけど、市からもお金が出てるみたいでどうにか続行させたいみたい。近いうちにモノホンのお坊さんとか呼ぶらしいしね」
「なあ、その現象っていつ頃から起き始めたんだ?」
「すっごく最近。たぶん1週間も経ってないんじゃないかな。そう!めちゃくちゃホットなネタだから、すぐに叩く必要があるんだよっ!」
熱いうちに叩いたら情報が婉曲するぞ。
千夏は胸の前で拳を握ると、こちらにズイッと詰め寄ってきた。
「だから!今日行こう!!」
「えっと……」
俺は考え込む素振りをして、無理のないようやんわりと断る。
「まだ頭痛くてよ。今日は止めとくわ」
「え?蓮君、頭痛い子なの?」
千夏が途端におどおどとし始める。……こいつまじで俺を蹴り飛ばしたこと忘れてないか?しかも返しのニュアンスが馬鹿にされてる気しかしないぞ。ああ、殴りたい。
「………まあ、そういうことだから明日にしようぜ」
「うーん、まあ明日行くならいっか。じゃあ今日は一緒に帰ろう!」
「帰るも何もお前かばん持ってないだろ」
「はっ!しまった!すぐ取ってくる!!」
すぐさま部屋から飛び出していこうとした千夏だが、戸に手をかけるとその足を止めた。顔だけをひねり、横目でココを見る。
「……ねえ、蓮君」
「ん?」
「どうしてココちゃんを学校に連れてきてるの?」
俺はあからさまに肩をすくめて見せる。
「言ったろ。俺の遠い親戚の子で俺が面倒見なきゃいけないって。なるべく近くに置いとかなきゃいけないんだよ。大丈夫、教師にばれないように配慮はしてる」
戸締りしているだけだけど。
「でも……」
「少しデリケートな問題だから、悪いけどこれ以上は話せないな」
冷静を装いつつ、微かに怒気をはらませる。近頃こういう姑息な演技ばかり上達している気がして嫌になる。しかしこちらも身の危険を最大限回避するためにココが必要なのだ。千夏を騙しているようで心苦しいがこればかりはしょうがない。
千夏は怪訝な顔をしているがそれ以上言及してこない。彼女をごまかす際には下手な嘘をつくよりあいまいにはぐらかし感情論で拒む方が良い。千夏の情報収集能力は目を見張るものがあるので、作り話で誤魔化しても数分後には看破されてしまうだろう。
いつもなら引き下がるだろうが、今回は口説き方が少々強引すぎたみたいだ。矛先がココに向かっていく。
「ココちゃん、そうなの?」
千夏がこの話題を直接ココに聞くのはこれが初めてだ。後ろ手で扉を押さえ俺たちの退路を断っているあたり、今日ここに訪れた理由はこのためなのかも知れない。
こちらもあらかじめ手は打ってある。
「あまり人に話したくないんです。ごめんなさい」
つまらなそうな顔をしてココは答える。完全に棒読みだが、俺の指示通りに言ってくれればそれでいい。
これ以上立ち入るな、と暗に示され千夏は諦めてくれたらしい。小さく息を吐くと、ぱっと笑顔を咲かせていつもの調子に戻った。
「うん、こっちこそなんかごめんね!それじゃ鞄取ってくるよ!」
そう残した千夏の足音が遠のいていくのを確認し、俺はゆっくり伸びをした。そのまま立ち上がり鞄を肩にかける。
「よし。行くぞココ」
「待たなくていいの?」
「鍵持ってるの俺だけだからな。あいつも閉まってりゃ諦めて帰るだろ」
ふうん、と興味のない様子のココを連れて学校を後にした。
刻々と色を濃くしていく夕焼けに背を向けて、2人で肩を並べて歩いていく。会話がないのも珍しいことではない。
そのせいだろうか、ココが
「ヘタレ」
と呟く小さな声が良く通る。俺は努めて聞こえないふりをしていたが、そんな演技に騙される奴は誰もいなかった。