3話 欲しいのは雪の少女のスキルです
狼。
狼だ。
黒い狼がそこにいた。
「嘘だろ?」
でも、それは狼じゃない。
僕の知ってる狼じゃない。
赤い瞳はアルビノ個体だからかもしれない。
黒い毛はアルビノにとっては異常かもしれないけど、ありえない話ではないと思う。
もっと異質なんだ。
「グルルルル」
威嚇するように唸る狼。
いつ襲いかかってくるかもわからない。
でも僕はそれ以上に、自分の命以上に狼の頭部から目を離せない。
まるでユニコーンの角のように、額から伸びる一本の角が生えていた。
モンスター。
まるでRPGやロールプレイングゲームに出てくる陳腐な魔物。
あまりにも現実味のない状況。
だからこそ、僕は狼が動いた瞬間何もできなかった。
視界が真っ赤に燃える。
何が起こったかわからない。
気づいたのは肩の痛み。
痛いというより熱い。
燃えるような熱、そして吐き気を催すほどの獣臭。
視界が戻った僕が見たのは、一角の狼が頭だ。
角が指してるのは僕の肩。
「あっ、あああっっっ――――――」
叫びをあげようとした瞬間、僕は弾き飛ばされる。
何かにぶつかり、肺の呼吸が全て吐き出される。
痛い。
熱い。
苦しい。
何が正しいのかわからない。
だけど、僕はその感情を無視して一角の狼を見る。
血のついた角。
血で汚れた毛。
僕がどれだけ血を流しているかがわかる。
おびただしい量だ。
大人でも死ぬような量の血。
子供で耐えられるものか。
この狼に食われるんだ。
狼の口が開く。
「―――アクセル」
死を覚悟したとき、少女の声が聞こえた。
森のざわめきに消えるような小さな声だけど、なぜかはっきりと聞こえた。
森の中から現れたのは幼い少女。
彼女は空を駆けているかのように、人ではありえない距離を飛んでいた。
彼女の背中に翼が見えた、そんな陳腐な表現ではない。
空を駆けるように彼女の足から光が舞っていた。
僕の目の前まで達していた狼は真横に吹っ飛び、その腹には剣が突き刺さっていた。
「角狼か」
狼の腹に刺さった剣を引き抜いて、僕に一瞥だけして少女は呟くように言った。
そう、少女だ。
10歳にも満たないのではないかという幼い少女があの狼を倒したのだ。
奇襲とは言え一撃でだ。
しかも、彼女の頭部にはあまりにもおかしなものが生えている。
耳。
目の横にではなく、頭部に耳がある。
雪のような白い髪から顔を出すようにその姿を見せるのは丸い耳。まるでタヌキか熊のものを思わせるような形で、とても大きな耳だ。。
コスプレでも異質で、しかも状況が状況。
僕はここが異世界だとようやく理解した。
「ぐるるるるっ」
横っ腹に剣を突き立てられた一角の狼は黒い血を流しながら立ち上がり、傷口から光の粒子が吹き出している。
あれだけ血を流した僕は意識を失うことなく生きている。傷口も狼のように光を吹き出し、そしてゆっくりとだが治っている。
現実にはありえない。
でも夢じゃない。
少女は狼が立ち上がることを知っていたように、剣道でいう脇構えを既にとっていた。
少女はまだ傷の治らない一角の狼に対して斬りかかった。
「スラッシュ」
少女が言葉を発すると、剣が光り逆袈裟斬りで狼の右目を切っていた。
剣が見えない。
あまりの速さに、剣筋に光の粒子が舞っていただけだ。
異世界の力なのだろう。
ゲームのような技。
でもそれだけじゃない。
彼女の使った脇構え。
現代のスポーツ剣道では攻防両面から弱いとされ、ほとんど忘れられているその構え。
人と人との試合であれば、それは確かに弱いのかもしれない。しかも打突部位の決まっている剣道であればなおさらだ。
けれど、それは敵が人であると仮定するからだ。
人より背の低い生物。
四足歩行の生物であれば。
自分の腰よりも低い位置にいる敵に対してなら、その構えは驚異なのだ。
「スラッシュ」
再び言葉を紡いだ彼女の剣は切り返すように狼の左目を切り裂く。
両目を潰したが、少女は体勢崩している。
下段からの逆袈裟による切り上げ、その切り返しは当然袈裟斬りになる。
振り下ろすことによる剣撃は、重力が加わり威力は最大のものになる。
しかし、腰より下にの的が相手ではどうしても間合いが狭くなり、しかも0コンマの世界だが攻撃が遅れる。
足りない間合いを補うため、少女は体勢を崩してでも腰を落として斬撃を与えた。
両目を失ったはずの狼だが、その隙を見逃さなかった。
「スラッシュ」
少女はそれを予期したように上体を後ろへと移動させ、後ろにある右足を軸に回転した。
一角の狼は頭部を上半分を切断され、空高く飛んでいく。
「すごい」
小学生でももっとマシな回答ができるだろう。
でも、その言葉が自然と出たのだ。
僕は少女を見て安堵する。
終わった。
今度こそ終わりだ。
さすがに頭を破壊されて無事だとは思えない。
それを証明するように狼は大地に倒れ、動くことはない。
それでも少女は狼の心臓があるであろう箇所に剣を突きたて、止めをさす。
「大丈夫?」
ポシェットのようなカバンを探りながら、少女は歩み寄る。
近づいてみるとよくわかるが、本当に幼い。あと、美少女。
さすがに今の僕よりは年上だろうけど、見た目は小学生くらいだ。
異世界だから姿かたちなんて役立たないかもしれないけど。
「は、はい。たぶん」
痛みはもうないし、徐々にだが治っている感覚はある。
異世界というものを完全に理解はしていないが、これなら大丈夫だと思う。
「ポーションを使うから」
彼女がカバンから取り出したのは緑色の液体が入った試験管だ。
ポーション。
その言葉は不思議な魅力がある。
だって、ポーションだぜ。
異世界に来たんだって実感する。
彼女が蓋を開け、ポーションを肩にかける。
染みると思ったが、ちょっとしたむず痒さがあるだけだ。
「すぐ治る」
あれだけの傷がとは思うが、ここは異世界なんだろう。
それよりも、空になった試験管が砂になって消えたことのほうが驚きだ。
「すごかったです」
彼女にそう伝えた。
純粋に伝えたいと思ったんだ。
「ありがと、う」
ちょっとだけ恥ずかしそうに彼女は答えると、傷の具合を見ていた。
傷が治るのを見ると、少女から言葉を切り出す。
「あなたが、セリアちゃん?」
知ってるのか?
僕のことを。
いや、知らないから聞いているんだろう。
「わからないです」
正直に答えた。
当然、彼女は不思議そうに僕を見つめる。
「覚えてないんです」
真贋を見極めるように、少女は僕を見つめる。
「この人は?」
彼女が見つめた先には、先程の死体がある。
ついさっきまで怖いと思ってたけど、今は落ち着いてる。
もっと怖いことがあったからか。
「それも、わからないです」
「そっか」
何を思ったのだろうか。
寂しい、そんな顔をしていた。
彼女にとって大事な人なのだろうか。
僕は何を考えているかはわからないが、ただ差し出された手を握り立つ。
「冷たい」
少女がつぶやきが聞こえた。